私は猛烈に腹が立っています。以下のニュースのせいです。
<子供公費負担>誕生から高校卒業1600万円 総務省試算
http://www.excite.co.jp/News/politics/20070610030000/20070610M10.118.html
−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−
子供の誕生から高校卒業までに自治体が負担する額は平均1599万9000円にのぼることが9日、総務省の試算で明らかになった。内閣府が02年度に実施した「社会全体の子育て費用に関する調査研究」に基づいて試算。住民税の一部を出身自治体に納めることができる「ふるさと納税」の議論に活用していく方針だ。
(1)保育や教育などのサービス提供(現物給付)(2)児童手当、育児休業給付など(現金給付)(3)扶養控除などによる減税分(支払い免除)――を算出して合算した。その結果、子供1人あたりの年間公費負担は、5歳までが62万6000円、6〜11歳が100万2000円、12〜14歳が103万8000円、15〜17歳が103万9000円。これらを合計すると約1600万円となった。
ふるさと納税を提唱する菅義偉総務相は「地方の首長から『将来をになう子供たちに高校卒業までに公費をかけるが、還元してもらおうと思うと子供たちは都会に出てしまう』との陳情を受ける」と語っている。総務省は生涯を通じた受益と負担のバランスという見地から新制度導入の必要性を裏付けるデータと位置づけたい考えだ。
−−−−−−−−引用以上−−−−−−−−
どこに腹が立ったか、お分かりでしょうか?
ここです。
>ふるさと納税を提唱する菅義偉総務相は
>「地方の首長から『将来をになう子供たちに
>高校卒業までに公費をかけるが、
>還元してもらおうと思うと子供たちは
>都会に出てしまう』との陳情を受ける」と語っている。
この部分に、問題があるのか?と思われた方もいるでしょう。では、これを少しずらして、こんな風にしてみたらどうですかね。
>山田太郎文部科学大臣は
>「日本各地の親から、『将来を担う子供たちに
>社会人になるまでにいろいろお金をかけるが、
>還元してもらうと思うと子供たちは
>独立したりお嫁に行ったりしてしまう』との陳情を受ける」
>と語っている
こんな風に、子供に対して投下資本の見返りを求める親がいたらどう思うでしょうか。なんか、変だと思いませんかね。
どうも、最近の大人社会には、こういう風に何でも「投資とリターン」という観点で捉えるような風潮が蔓延しているように思います。
私は塾で勤めていますが、時折「小4から通わせているんだから、いいところに受かってもらわないと困る」ということを、担当の私に面と向かっておっしゃる親御さんがいます。
面白いもので、そういう家の子供に限って、学力が伸び悩んだり、子供自身が鬱屈とした精神状態で受験勉強に臨んでいる傾向があります。親御さんが「投資とリターン」という観点から子供を採点していることを、子供自身も感じ取っているのでしょう。子供は、頭では分からなくても、感覚で感じ取るものです。
子供も別の人格なのですから、「なるようにしかならんさ」と腹を決めてもらう方が、かえって良い結果を生むように思うのですが、大人になるとプライド(のようなもの)が邪魔をして、そういう考えがなかなか払拭できないようです。
そういう場合、私は、親御さんの意向を受けて本人を追い込むようなことはしません。紆余曲折を経て、親御さんが良い意味で開き直ってくれるのを待つようにします。人間は自動販売機ではないのですから、出した金の分だけ結果を要求するのは間違っているのです。
幸い、今までは少数の例外的な親御さんを除いて、最後には子供に対する認識を改めてくれています。大抵は親御さんが期待した「配当」は返ってこないのですが、受験を終えて晴れ晴れした表情をしていると、私もほっとします。
しかし、困ったことに、行政のトップにいる方々が、地域の若者を株や不動産のように捉えており、それを当然のことと思っているようです。
どうやらこの試算は、「ふるさと納税」とかいう安倍政権の新たな政策の推進材料として行われたようです。
ふるさと納税というのは、簡単に言えば、個人住民税の一部を自分が生まれ育った故郷の自治体などに納めることのできる仕組みです。
格差の拡大を止められない(というか、止めようという気すらない)安倍政権としては、これを「地方と中央(東京)の格差是正」の一手段として、結構気合いを入れており、ピーアールにも余念がないようです。
地方自治体としても、歳入がアップするのですから、そりゃあ反対するつもりはないでしょう。
しかし、繰り返しますが、「かけたお金を返してほしい」という視点を教育に持ち込むことには反対です。
そういう価値観に染まりきっている意見を一つ紹介しておきましょう。
http://members.jcom.home.ne.jp/dosyu/furusato-04.html
−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−
落ちこぼれの中から、偉大なスポーツ選手に育ち、高額のふるさと納税する人物が誕生するかもしれないし、登校拒否の生徒が世界に通用する偉大なる作家になって外貨を稼ぎふるさと納税する可能性がある。そうすると、小中学校の教育者達は、学校の勉強という基準の他に流動的な「物差し 」を持って生徒に接する必要に迫られる。個々の児童、生徒の個性を尊重し、その才能を伸ばすのが真なる教育であるという本質的なビジョンに辿りつくであろう。
−−−−−−−−引用以上−−−−−−−−
なんだか、夢いっぱい(笑)ですね。しかし、成功した人間が必ず税を納める仕組みを作るならいざしらず、納税「できる」だけなのですから、こんなことを妄想されても困るわけです。
それなら、納税義務を定めればいいではないかなどと思う方もいるでしょうが、そうなると今度は何度か転居をしている人間の徴税をどのように行うのかという問題が出てくるわけです。
まあ、そんな仕組みを作るのは無理でしょう。やはり、上記の文章は妄想に過ぎません。
だいいち、この引用した文章の腹が立つところは、結局納税額の多寡で教育の成果を判断しているという点です。
教育、なかんずく「公教育」の目的は何かという点について、このブログは一貫した観点に立っています。それは、「社会に出たときに困らないための必要最低限の能力を身につけさせること」です。
それならば、工業製品を作るのと変わらないのかというと、そうではないのです。教えるべき事柄がはっきり決まっていたとしても、子供は一人ひとり人格が異なるのですから、それを修得させるために様々なアプローチが必要になってくるのです。
そして、そういうアプローチを試みるには、どうしても子供をよく見て考えなければならず、相互の信頼や人間的な交流が求められるのです。
逆に言えば、叱るとか、誉めるとかいった所作は、何を教えるか、どういった人間になってもらいたいかという目的を達成するためのものです。そういうものがなく、こころの教育だの、個性の尊重だの、美しい題目を唱えていても何も生まれません。
そうして出てくる「結果」というのは、子供の数だけあっていいのです。その子が社会に出て、他人とうまくやっていきながら、普通に生活できれば、それが「正解」なのです。
それこそが、憲法にいう「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)ということなのではないでしょうか。もっとクサイ言葉でいえば、「愛」です。
上のサイトの文章を書いた人間は、税金を稼いできて財政に貢献する人間を育てることが教育の目的だとでも言わんばかりの論調です。こういう人間は、どんなに頭がよかろうが、学歴が高かろうが、最低の人間と言わざるを得ません。どんな時でも大人の側から子供に「具体的利益をもたらす人間でなければ存在価値がない」というメッセージを発してはいけないのです。そんなのは教育ではありません。
だいいち、地方の財政を好転させたいなら、地場産業を発展させて税収を上げたり、若者が離れていかずに済むような町作りをしたりすればいいのではありませんか。「出て行くならどうぞ、でもお金はちょうだい」という発想は、ものを買い与えさえすれば子供は喜ぶと思うバカ親と全く同じ発想です。
昔の日本には、●上杉鷹山や●山田方谷のように、地域のために何ができるかを考えて必死に取り組んだ「真の改革者」がたくさんいました。彼らの生涯を少しでも学べば、一番大切なのは、その土地やそこに生まれ育った人たちを愛することだというのがわかるはずです。
翻って、「金を出してやったのに地元に納税しないとは何事だ」などと考えている地方の首長に、そういう真っ直ぐな気持ちがあるでしょうか。私には、独りよがりの被害者意識しか伝わってきません。
若者が立派な大人になって巣立っていく、それだけでなぜ喜べないのでしょうか。かけた金が返ってこないのが嫌だというのなら、学校など全廃すればいいのです。
安倍首相も、教育カイカクだの美しい国だの吹聴しているなら、こういう愛のない愚かな大人達を叱りつけてほしいものです。
<子供公費負担>誕生から高校卒業1600万円 総務省試算
http://www.excite.co.jp/News/politics/20070610030000/20070610M10.118.html
−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−
子供の誕生から高校卒業までに自治体が負担する額は平均1599万9000円にのぼることが9日、総務省の試算で明らかになった。内閣府が02年度に実施した「社会全体の子育て費用に関する調査研究」に基づいて試算。住民税の一部を出身自治体に納めることができる「ふるさと納税」の議論に活用していく方針だ。
(1)保育や教育などのサービス提供(現物給付)(2)児童手当、育児休業給付など(現金給付)(3)扶養控除などによる減税分(支払い免除)――を算出して合算した。その結果、子供1人あたりの年間公費負担は、5歳までが62万6000円、6〜11歳が100万2000円、12〜14歳が103万8000円、15〜17歳が103万9000円。これらを合計すると約1600万円となった。
ふるさと納税を提唱する菅義偉総務相は「地方の首長から『将来をになう子供たちに高校卒業までに公費をかけるが、還元してもらおうと思うと子供たちは都会に出てしまう』との陳情を受ける」と語っている。総務省は生涯を通じた受益と負担のバランスという見地から新制度導入の必要性を裏付けるデータと位置づけたい考えだ。
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どこに腹が立ったか、お分かりでしょうか?
ここです。
>ふるさと納税を提唱する菅義偉総務相は
>「地方の首長から『将来をになう子供たちに
>高校卒業までに公費をかけるが、
>還元してもらおうと思うと子供たちは
>都会に出てしまう』との陳情を受ける」と語っている。
この部分に、問題があるのか?と思われた方もいるでしょう。では、これを少しずらして、こんな風にしてみたらどうですかね。
>山田太郎文部科学大臣は
>「日本各地の親から、『将来を担う子供たちに
>社会人になるまでにいろいろお金をかけるが、
>還元してもらうと思うと子供たちは
>独立したりお嫁に行ったりしてしまう』との陳情を受ける」
>と語っている
こんな風に、子供に対して投下資本の見返りを求める親がいたらどう思うでしょうか。なんか、変だと思いませんかね。
どうも、最近の大人社会には、こういう風に何でも「投資とリターン」という観点で捉えるような風潮が蔓延しているように思います。
私は塾で勤めていますが、時折「小4から通わせているんだから、いいところに受かってもらわないと困る」ということを、担当の私に面と向かっておっしゃる親御さんがいます。
面白いもので、そういう家の子供に限って、学力が伸び悩んだり、子供自身が鬱屈とした精神状態で受験勉強に臨んでいる傾向があります。親御さんが「投資とリターン」という観点から子供を採点していることを、子供自身も感じ取っているのでしょう。子供は、頭では分からなくても、感覚で感じ取るものです。
子供も別の人格なのですから、「なるようにしかならんさ」と腹を決めてもらう方が、かえって良い結果を生むように思うのですが、大人になるとプライド(のようなもの)が邪魔をして、そういう考えがなかなか払拭できないようです。
そういう場合、私は、親御さんの意向を受けて本人を追い込むようなことはしません。紆余曲折を経て、親御さんが良い意味で開き直ってくれるのを待つようにします。人間は自動販売機ではないのですから、出した金の分だけ結果を要求するのは間違っているのです。
幸い、今までは少数の例外的な親御さんを除いて、最後には子供に対する認識を改めてくれています。大抵は親御さんが期待した「配当」は返ってこないのですが、受験を終えて晴れ晴れした表情をしていると、私もほっとします。
しかし、困ったことに、行政のトップにいる方々が、地域の若者を株や不動産のように捉えており、それを当然のことと思っているようです。
どうやらこの試算は、「ふるさと納税」とかいう安倍政権の新たな政策の推進材料として行われたようです。
ふるさと納税というのは、簡単に言えば、個人住民税の一部を自分が生まれ育った故郷の自治体などに納めることのできる仕組みです。
格差の拡大を止められない(というか、止めようという気すらない)安倍政権としては、これを「地方と中央(東京)の格差是正」の一手段として、結構気合いを入れており、ピーアールにも余念がないようです。
地方自治体としても、歳入がアップするのですから、そりゃあ反対するつもりはないでしょう。
しかし、繰り返しますが、「かけたお金を返してほしい」という視点を教育に持ち込むことには反対です。
そういう価値観に染まりきっている意見を一つ紹介しておきましょう。
http://members.jcom.home.ne.jp/dosyu/furusato-04.html
−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−
落ちこぼれの中から、偉大なスポーツ選手に育ち、高額のふるさと納税する人物が誕生するかもしれないし、登校拒否の生徒が世界に通用する偉大なる作家になって外貨を稼ぎふるさと納税する可能性がある。そうすると、小中学校の教育者達は、学校の勉強という基準の他に流動的な「物差し 」を持って生徒に接する必要に迫られる。個々の児童、生徒の個性を尊重し、その才能を伸ばすのが真なる教育であるという本質的なビジョンに辿りつくであろう。
−−−−−−−−引用以上−−−−−−−−
なんだか、夢いっぱい(笑)ですね。しかし、成功した人間が必ず税を納める仕組みを作るならいざしらず、納税「できる」だけなのですから、こんなことを妄想されても困るわけです。
それなら、納税義務を定めればいいではないかなどと思う方もいるでしょうが、そうなると今度は何度か転居をしている人間の徴税をどのように行うのかという問題が出てくるわけです。
まあ、そんな仕組みを作るのは無理でしょう。やはり、上記の文章は妄想に過ぎません。
だいいち、この引用した文章の腹が立つところは、結局納税額の多寡で教育の成果を判断しているという点です。
教育、なかんずく「公教育」の目的は何かという点について、このブログは一貫した観点に立っています。それは、「社会に出たときに困らないための必要最低限の能力を身につけさせること」です。
それならば、工業製品を作るのと変わらないのかというと、そうではないのです。教えるべき事柄がはっきり決まっていたとしても、子供は一人ひとり人格が異なるのですから、それを修得させるために様々なアプローチが必要になってくるのです。
そして、そういうアプローチを試みるには、どうしても子供をよく見て考えなければならず、相互の信頼や人間的な交流が求められるのです。
逆に言えば、叱るとか、誉めるとかいった所作は、何を教えるか、どういった人間になってもらいたいかという目的を達成するためのものです。そういうものがなく、こころの教育だの、個性の尊重だの、美しい題目を唱えていても何も生まれません。
そうして出てくる「結果」というのは、子供の数だけあっていいのです。その子が社会に出て、他人とうまくやっていきながら、普通に生活できれば、それが「正解」なのです。
それこそが、憲法にいう「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)ということなのではないでしょうか。もっとクサイ言葉でいえば、「愛」です。
上のサイトの文章を書いた人間は、税金を稼いできて財政に貢献する人間を育てることが教育の目的だとでも言わんばかりの論調です。こういう人間は、どんなに頭がよかろうが、学歴が高かろうが、最低の人間と言わざるを得ません。どんな時でも大人の側から子供に「具体的利益をもたらす人間でなければ存在価値がない」というメッセージを発してはいけないのです。そんなのは教育ではありません。
だいいち、地方の財政を好転させたいなら、地場産業を発展させて税収を上げたり、若者が離れていかずに済むような町作りをしたりすればいいのではありませんか。「出て行くならどうぞ、でもお金はちょうだい」という発想は、ものを買い与えさえすれば子供は喜ぶと思うバカ親と全く同じ発想です。
昔の日本には、●上杉鷹山や●山田方谷のように、地域のために何ができるかを考えて必死に取り組んだ「真の改革者」がたくさんいました。彼らの生涯を少しでも学べば、一番大切なのは、その土地やそこに生まれ育った人たちを愛することだというのがわかるはずです。
翻って、「金を出してやったのに地元に納税しないとは何事だ」などと考えている地方の首長に、そういう真っ直ぐな気持ちがあるでしょうか。私には、独りよがりの被害者意識しか伝わってきません。
若者が立派な大人になって巣立っていく、それだけでなぜ喜べないのでしょうか。かけた金が返ってこないのが嫌だというのなら、学校など全廃すればいいのです。
安倍首相も、教育カイカクだの美しい国だの吹聴しているなら、こういう愛のない愚かな大人達を叱りつけてほしいものです。








もし、ふるさと納税が導入されたら地方交付金の存在はどうなるんでしょうね。
役人の本来業務である地方活性化のための企業誘致や大規模高効率化農業振興や林業活性化の努力と成果が地方行政にほとんど観られないのを棚にあげて他人の懐しか見ていないおおばか連中ですよ。
大体、子供を育てるのに税金がかかるとかいっているが、その税金は、そこにすんでいる親が出しているのに、まるで自分たち役人の金のような言い草ですよね。
まあ地方公務員は、先祖代々からの世襲比率が高いから、大きな勘違いしてるのでしょうけど。
>もし、ふるさと納税が導入されたら
>地方交付金の存在はどうなるんでしょうね。
鋭いですね。
安倍政権が国民のことを考えてカイカクをやっているとは考えにくいので、いずれ交付税を全廃する伏線として今回の制度を導入しようとしているという考えもできます。
地方自治も自己責任、税を納めてもらうような魅力のある自治体にすればいいんだ、などと熱弁する、ファナティックな政治家が出てきた場合、三大都市圏に集中している有権者がどう思うのかです。郵政民営化の時と同様、地方に対して謂われのない憎悪を向けて、その政治家に賛成する人が多く出るのではないでしょうか。
私はそういう事態を防ぎたいので、是は是、非は非というスタンスで臨んでいるのです。まあ、今の政権に「是」できる点などほとんどありませんが。
>>四文字さん
>立腹ごもっともですね。
わかっていただけて嬉しいです。
>努力と成果が地方行政にほとんど観られないのを
>棚にあげて他人の懐しか見ていない
>おおばか連中
田中角栄の頃から、メンタリティが変わっていないのです。
シャッター商店街を憂いながら、自分たちだけは嬉々としてジャスコに買い物に行く、そういうお偉いさんが多すぎます。それなら思い切ってシャッター商店街に役所の部署を移したりとか、なぜ考えないのでしょうか。
農業の振興や林業の活性化についても、地方だけでやれそうなことはまだあるはずです。以前の記事でbanabunaさんがおっしゃっていた「地元産木材での住宅購入クーポン」などが良い例です。
もっとも、産業振興に名を借りて「むだづかい」をしていた頃の方が、少しは役に立っていた分良心的でした。ふるさと納税は中央に阿っておこぼれをもらおうという卑しさ100%の政策です。
>大体、子供を育てるのに税金がかかるとか
>いっているが、その税金は、そこにすんでいる
>親が出している
その通りですね。だから「納税できる」とまでしか言えません。
まあ、どうせ少しも機能しないでしょう。こちらの記事のように、増税隠しと天下り先として有望のようですし。
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50381742.html
「投資したんだから回収させろ」ってのは例え思っていても口に出すべき言葉ではありませんよね…
「俺はお前を肥え太らせる為に大人になるんじゃ無いんだ」と言ってやりたいです
自分は兵庫県出身で現在は上京していますが出来たら一部でも納税しようかと思ってましたが少し考えてしまいますね…
>「投資したんだから回収させろ」ってのは
>例え思っていても口に出すべき言葉では
>ありませんよね…
100%大人の都合ですからね。
金の話で自己正当化する大人が増えたのは、バブルの頃の株ブームあたりからでしょうか。何かにつけて「コスト」「リターン」「収益」「利益率」という言葉で物事を語ろうとする人は、確実に増えていますね。
故郷を巣立つ若者に「金を落とせ」という首長たち。どこが「美しい国」なのでしょうか。教育上よろしくないことこの上ありません。
「ふるさと納税」は、私としてはどう判断してよいものか迷っていたものです。
心情としては、正直よくわかるのです。故郷に錦を飾るほどのことはできなくても、仕事などでやむなく故郷を離れている身ならば、そういう形で故郷になにがしかの貢献ができるなら…と思うこともあります。私の故郷も、若者が仕事を求めて出て行き、老人が増えつつある地域ですので。
ただ、そういう思いを抱きつつも今回の「ふるさと納税」が素直に喜べない背景には、ろろさんのおっしゃるとおり、行政側や政権側の思惑が透けて見えて、それがどうにも不快なのです。ふるさとへの思いが、むしろしらけてしまいそうな、そんなニオイを感じてしまうのです。
ただ、実施の仕方によるかなとも思います。
ふるさと納税は、現在の構想では、あくまでも「希望すれば」「納税できる」というものですよね。
つまり、故郷を愛する気持ち、それを育む気風がなければ、故郷を去ったのちに望んで税を還元する人間も少なくなるわけで、この制度が実際に地方の血肉になるには、お金を生む人材を育てようなどという下衆な発想以前に、郷土で育った人間が郷土に自然に納税したくなるような、自らの郷土に愛着を持てる教育の方が不可欠だと思います。それはひいては国を自然に愛する姿勢を生む流れにつながりうるとも思えます。
…ただ、実際に運営するにあたって、行政がその理念の下に適切に動いてくれるかがかなり疑問です…
ろろさんのご指摘の通り、「お金を生む人材になれ」的な風潮がまかり通る心配もあるし(というか現に嬉々としてそういうことを吹聴しているむきもわけで)、まして「ふるさと納税」のために独自組織をおくなんてことになったらかなり萎えます…
そんな訳で、私自身はこの発想を評価したい部分もあるのですが、これまでの行政のあり方をみていると、不安を押さえきれないのです。
なんだか混乱したコメントで申し訳ありません。
しかもいきなりの長文で本当に失礼しました…
>心情としては、正直よくわかるのです。
>故郷に錦を飾るほどのことはできなくても・・・
この記事を上げてみて改めて感じたのは、ふるさと納税に対して、地方出身者の方々がいろいろな思いを抱いているということです。やはり、みなさん郷土を愛する気持ちがあるのですね。
自分は東京の人間なので、そのへんの思い入れはなかなかわかりません。理念としては、共感できるものが多いということなのでしょうね。
>「お金を生む人材になれ」的な風潮がまかり通る
>心配もあるし(というか現に嬉々としてそういうことを
吹聴しているむきもわけで)、まして
>「ふるさと納税」のために独自組織をおくなんて
>ことになったらかなり萎えます…
私が一番言いたいのは、個人を納税単位としてしか認識しない行政、なかんずく首長とやらのおかしさです。そういう人間に、地元をよくする(それは単に予算を取ってくるという意味ではない)仕事ができるのかと懸念してしまうのです。
総務省が熱心に提案するということは、当然総務省という省庁にとってメリットがあるということです。おそらく、税配分を行う中間団体を作り、そこに総務省の人間が行くのでしょう。
緑資源機構をつぶすとかいいながら、もう方の手でこういうことをやっているのが今の政権です。こんな余計な仕事を増やすなら、TBS放送免許を取り消す方が先だと思うのですが。
>これまでの行政のあり方をみていると、
>不安を押さえきれないのです。
その不安はおそらく当たっています。
ただ(いつもの反論・異論ではありません)、私の場合、現在住んでいる自治体の役人の民度の低さに非常に怒っておりまして、できるなら住民税・固定資産税全額を生まれ育った東京に納めたいと思っています。
ふるさと納税を巡っては、東京など大都会に出た地方出身者だけを念頭にした議論が多いようですが、私のように、”都落ち”した人間もいるわけで、こうした人間がふるさとの東京に納税すると言い出したら、どうするつもりなんでしょうね。
もし自分の稼いだお金が一部でも役にたつならって気持ちは罪悪感みたいにあるんです
ふるさと納税とは別に完全免税の寄付金制度みたいなものがあればなあって思います
もうかれこれ20年も前になりましたでしょうか。現在は「報道2001」を放映している日曜の朝の時間帯で、今も竹村健一は変わらずですが、渡部昇一、堺屋太一のほかもう一人を加えて竹村氏曰く「4人組」で世相についてあれこれ話し合う番組がありました。
その4人目というのは、ほぼ半々の割合で現都知事の石原慎太郎氏と、かっての長銀の日下公人氏が登場してました。この日下公人氏がある時、「確定申告の際に納税者には2割納付先の選択権を与える税制にしたらよい。1割は○○省、1割は○○県、それぞれ対象は全省(当事は庁も含む)、全47都道府県とする。こうやって国民に省庁や自治体の勤務評定をさせればよい」と仰り、20年以上経った今でも私ははっきり覚えているくらい大賛成しました。
それにしても、今仕事がらみで単身赴任している某県、某市は未だに自動車税、軽自動車税のコンビニ納付ができません。他の「地方税」はいうに及ばずです。それどころか、郵便局は自動振替の対象とはなっていても単独納付のための指定金融機関にはされていません。納税者の都合というものを本気で考えているのかと訝しくなります。ために私は、今年の1月1日を挟んで郷里の自治体に住民票を移し、郷里の自治体から住民税を課税されました。もちろんこの自治体は全国のコンビニで納付可能です。こうやって納税者の都合を一歩先んじて考慮できるか否かは、やがて自治体の財政力に大きな格差をもたらすものと思います。
>できるなら住民税・固定資産税全額を
>生まれ育った東京に納めたいと
まあ、お気持ちはわかりますが、公共サービスの対価と考えればなかなかそういうわけにはいかないのでしょうね。
誤解のないように申し上げておきますが、この制度に対しては私は「反対」ではないのです。教育の対価性を協調する行政の長がおり、それを利用して要らぬ仕事を増やそうとしている連中がいることに腹が立っているのです。
もっとも、実効性がある制度かどうかは大変疑問で、こんなことをやるくらいなら地方交付税を増やせばいいだけの話だろうと思います。
>>うずらたにさん
神戸の財政が大変だということはよく聞きます。生まれ育った町の財政危機ですから、やはり気になりますよね。
西日本の場合、同和対策など目に見えないところで妙な税金が使われているケースがよくあります(特に大阪と京都)。本当に地域を良くするために、心を込めてお金を使うようになってほしいものですね。
>>のらくろさん
>こうやって国民に省庁や自治体の
>勤務評定をさせればよい
面白い提案ですが、そうなると査定受けを狙った政策を官僚が志向することになりませんか?
逆に、マイナスの面を隠そうとする面も強まるように思います。社会保険庁の最近の騒動も、全てあの省庁が悪いと決めつけたくはないのですが、御説のような制度だと、やはり「都合が悪いから隠そう」という流れが形成されやすくなる可能性があります。
>今仕事がらみで単身赴任している某県、某市は
>未だに自動車税、軽自動車税のコンビニ納付ができません。
これは・・・たまの休みや夜になると役所や銀行が閉まっている以上、面倒なことこの上ないですね。
>こうやって納税者の都合を一歩先んじて
>考慮できるか否かは、やがて自治体の財政力に
>大きな格差をもたらすものと思います。
ここは難しいんですよね。住民の側には罪はないわけです。もし自分の自治体に改善を求めるとなると、選挙という形でしか関与できないわけです。個々の公務員はリコールの対象にもなりませんからね。
それと、役所のミスや汚点をことさらに取り上げて叩き、公務員に対する僻みを煽っているマスコミという癌があります。彼らの報道姿勢は年々針小棒大化、矮小化、低俗化しており、役所がそれなりに努力していても、フルパワーでこき下ろす傾向があります。
こいつらから「メディア税」でも取ってやればいいのに、と思うことがありますね。
私は東京出身で地方何ヶ所かに住んだことがあるのですが、地方の豊かさに驚きました。家は広いし、車は一家に何台もあるし、それでいて職住接近で余暇も充分にある。東京では何と酷い暮らしをしていたのかと自分を慰めてやりたい気になりました。(笑)
他の方が書かれていたように地方交付金のおかげもありましょう。
しばらく住んでいると、使われていない建物や自治体主催のカルチャー教室などがたくさんあることにも気づきます。それでもある自治体では、国勢調査の時期になると、一人でも住民数を多くしたいと必死になって都会に出て行った若者達を地元に住んでいることにできないかと交渉したりするのです。人数が交付金の割り当てに関わってくるからです。
これ以上お金をもらって何をするのだろうと疑問でした。地方には地方の魅力があるのに、金銭ばかりにこだわっているから、若者達に愛想を尽かされ出て行かれてしまうのではないでしょうか。
http://blogcriticism.seesaa.net/article/44697565.html
市町村大合併で「ふるさと」を失った人たちもいるのに「笑止千万」な政策ですね。
お久しぶりです。
>ろろさんの教育論はいつも説得力がありますね。
有り難いお言葉です。
もしそれが事実であれば、おそらく経験を通じて得られた考えだけを書いているからでしょう。
実はここで教育をテーマにすると謳いながら、ニュースや識者が取り上げる教育関係の論点は全くチェックしていないのです。もちろん、安倍内閣の教育改革にもたいして興味がありません。もちろん、おかしなところがあったら批判はしますが。
メディアで「今の子供は・・・」などと口にしたり、教育再生会議で給料をもらって茶飲み話をしている連中は、子供とじかに接しているんですかね。義家先生も、著書が売れてからすっかり評論家になってしまいましたね。
>これ以上お金をもらって何をするのだろうと疑問でした。
私は、公共事業にお金をかけることは必要だと考えています。ただ、「かけ方」が変なのです。地方には土木業者が多すぎます。
林業や農業のような、地方に向いている産業に投資しないといけません。小泉政権が行っていたのは、ただただお金を減らすことでした。
自民党のシンクタンクにいる方が、「農協もいずれは解体」とおっしゃっていましたので、今後は農業は自己責任と競争原理の美名のもとに、衰退「させられる」でしょうね。このままでは。
>>中村シドさん
>市町村大合併で「ふるさと」を失った人たち
まあ、その場合は合併以前の旧自治体を基準にするんでしょうが、名前の変わってしまった「ふるさと」に納税したところで、納税者の思いが実現されるわけでもありませんよね。
そう考えると、ますますこの制度の存在意義が薄くなっていくような気がします。コスト意識旺盛(笑)な首長さんたちも、おそらく期待を裏切られるでしょうね。
ちょっと別件ではまっていまして、お返事遅れました。
やはり、ろろさんの語る教育論には深い愛がありますね。
同時に現実の厳しさを知るリアリズムがある。この二つは対立するものではなくて、両立してはじめて自分のためにも世の役にも立つものになるんですね。現実で色々と苦労しないとわからないことだと思います。二項対立ではなく、二項両立へ、これが近代超克への第一歩(笑)
そうした目から見れば、表面上だけ大衆に媚びた政策というのは、結局大衆をいかに馬鹿にしているかということがすぐにわかってしまいますね。
地方首長の話ですが、彼の肩を持つつもりは全くありませんが、多分ああいう言い方の方が、総務省を動かしやすいんだろうな、とも思います。結局、ご指摘のように中央も地方も「投資とリターン」のような間違った価値観で社会や人を見ているということが問題の根本です。
地方としては、そういう価値観に染まった中央にあわせないほうが幸せになれる、はずなんですが、理念はともかく、具体的方策をどうするかという問題があるわけですね。で、出てくる答えが、いつもの自然主義経済です。
また、ろろさんの指摘する上杉鷹山や山田方谷の例も非常に参考になりますね。彼らの対策を見て思うのは、まず徹底して「民」を重視し、互助を推進すること、「悲観論」ではなく「楽観論」に基づいた方針で改革すること、そのために人々を縛る「借金」に一時目隠しをすること(利子免除と長期棚上げ)、財政改革は、生産性向上をベースに、流通経路の短縮化やイメージ戦略までやれることはなんでもやったこと、その結果として借金や財政危機も長期的に解決できるという信念と確実な根拠があったこと、だと思います。
結局、必要なのは愛と知恵と発想の転換ですね。愛のない人に愛を持てというよりも、愛のある人同士が集まって、知恵と発想の転換を生み出すことが近道のように思います。
多少スピードが落ちても(←言い訳、笑)
>ろろさんの語る教育論には深い愛がありますね。
>同時に現実の厳しさを知るリアリズムがある。
いや、これは過分な評価とは思いますが、そう言っていただけるのは有り難いです。
>中央も地方も「投資とリターン」のような間違った
>価値観で社会や人を見ているということが
>問題の根本です。
おっしゃるとおり。結局はそこに尽きるのです。そして、近代国家や近代社会には、それを止めるための方便が欠けています。
それを分からずに、学術用語を使って議論していても何の意味もありません。以前に都立立川高校の国語入試問題(笑)に出ていましたが、我々は今こそ自明性の檻から出てみなくてはなりません。
>「悲観論」ではなく「楽観論」に
>基づいた方針で改革すること
ええ、全くその通りだと思いますね。
これに対して、現代の学者や、小泉首相のようなカイカク派は徹頭徹尾「悲観論」です。彼らの描く「カイカクしなかった将来像」は、悲惨極まりないものです。典型的なのは少子化の議論です。
彼らのしていることは、同朋日本人に対するドメスティック・バイオレンスでしかありません。頭の狂った左翼による「戦前の日本は全て悪かった」的言動と、根本的には同じです。鷹山公や方谷先生は、決してそんなことはしませんでした。
本当に学ばなければいけない歴史は、大東亜戦争の正当性などではなく、日本にも、そういう支配者がいたという事実です。上記二人と二宮尊徳こそ、「必修人物」にすべきです。