酒とサッカーと・・・

旨い酒とサッカーがあれば人生の大半は・・・

阪神淡路大震災から18年

2013年01月17日 | その他

平成7年1月17日の阪神淡路大震災から18年が経過した。

当時の写真をpicasaに移しデジタル保存してある。
三ノ宮にあった証券会社のビルが、真ん中で折れた。


三ノ宮駅とポートアイランドを繋ぐポートライナー。高架橋が落ちた。
(現在は神戸空港まで延伸)


JR三ノ宮駅からフラワーロードを南方向に撮影したもの。解体工事が始まった頃。


ほぼ同じ角度から撮影されたYouTube動画


今年(2013年)、帰省した際に撮った写真。(ほぼ同方向から撮影。右手ビル前の歩道付近から)



もう神戸の街は地震の傷跡をすっかり感じさせなくなり街は華やかだった。
報道によると、既に神戸市民の4割は「震災後」しか知らない世代、住人になったそうだ。

この地震に遭ったあと「二度とこんなことは起きまい」 と思っていたのだが、再び2011年(平成23年)には東日本大震災が起きてしまった。

残念なことだが、今後も東南海沖地震をはじめ大きな地震が予想されている。恐らく数十年百年という単位で日本列島は地震の活動期に入ってしまったのだろう。

もう二度と・・・ 逃避するのではなく、来るべく災害を直視し、みな準備を怠らないようにしてほしい。

最近読んだ本。

神戸市消防局の署員が書き綴った回顧録。

その中から一節を引用する。

「娘を助けてください」
と、母親が三歳くらいの女の子を抱いている。すでに、心、呼吸停止状態。急いでCPR(心肺蘇生)を実施するが状態は悪い。事情を聞くと、地震の際、危ないと思い母親が覆い被さったその上に家財が倒れかかり出せなくなったという。
「助けてください、助けてください」
何度も何度も母親が私に向かって手を合わせて祈る。自宅から駆けつけていた医師に診断してもらい「死」が両親に告げられる。胸が痛む。
「私が殺した」
と、母親が号泣。
「くそー、くそー」
と父親が叫ぶ。私にも子供がいる。どうしてもだぶらせて考えてしまう。目頭が熱くなる。

旬報社 阪神淡路大震災 消防隊員死闘の記(神戸市消防局「雪」編集部+川井龍介 編)

もしこの子が助かっていたとすれば、今年あたり友人ともに成人式を迎えることができたはずだった。

あらためて、震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

震災の教訓
一喜一憂しない

M8.8の巨大地震
忘れないあの時
阪神淡路大震災の記録

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