Kiyoshiのroom335

音楽・お酒大好きでMr.335 Larry Carltonの大ファンKiyoshiのブログです(^O^)/

大学院の合格発表

2010-02-28 13:33:17 | Weblog

大学院博士課程の入学試験に無事合格しました。
亡き母が見守ってくれました。
きっと母も天国で喜んでいると思います。
また、これまでお世話になった皆様のご援助とご厚意に心より感謝申し上げます。

4月から神奈川県葉山のキャンパスに3年間通い博士号を取得するために研究を続けていきたいと思います。また、父親と離れて横須賀近くに一人暮らしとなります。父親のことは少し心配もありますが、電車を乗り継いで3時間ほどの距離なので何かあったらすぐに埼玉に戻れますのでご心配なく。

ところで、昨日から合格の喜びどころではなくノロウイルスで苦しんでます。金曜日に飲み過ぎたからだと思っていたけど、明らかにノロウイルスです。職場で流行っていて、試験後に一週間振りに出勤したから多分もらってしまいました。試験が終わり、疲れて体力が落ちていたんだと思いますが、それにしても苦しかったです(>_<)強烈な吐き気と腹痛で、うなって起き上がれず七転八倒しました。今日ようやく回復してきましたが、まさに、試験で全身全霊をかけ、精魂尽き果ててしまいました。

そんなわけで、取り急ぎご報告まで。


ラリーがフォープレイを脱退!

2010-02-20 18:25:00 | Weblog

ラリー・カールトンがフォープレイを脱退しました。
あまりにも突然のことで驚きです。

リー・リトナーの後任として、ラリーは1998年から12年間フォープレイに在籍していました。1998年、自分は高校1年で、まさにラリー・カールトンを聴き始めた年です。ラリーを聴いてきた12年間は自分の人生と重なります。どれだけフォープレイに励まされ、ライブで感動を与えてもらったか、計り知れません!自分の今があるのはラリーとフォープレイのおかげと言っても過言ではありません。

ラリーの後釜にチャック・ローブとは納得の人選ですが、何となくサウンドの予想ができてしまうので、面白みに欠けそうな気もします。ラリー自身ののホームページを見るとソロのキャリアを積み重ねたいということが書いてありましたので、多分これからはオリジナルアルバムを出していくのでしょう。ラリーの今後の活躍に大いに期待したいと思います。



ところで来週の水曜日、いよいよ博士課程の試験が迫ってきました。この歳になっていまさら緊張感も少ないのですが、それでもやはり入試というのは神経すり減ります(笑)今後の人生を左右することなので、気合を入れて臨みます!

ラリーが新たな道に一歩踏み出したことは、試験に向けてとても励まされます。自分も新たな方向に向かって全力で頑張ります!


亡き母の誕生日

2010-02-14 23:35:37 | Weblog

2月12日は母が生きていれば62歳の誕生日でした。

昨年は家族で最後の誕生日を祝い、それが最後になってしまいました。

そして、2月11日は亡き祖母、13日は亡き祖父の誕生日で、家族3人が続いています。

仏壇には祖母が好きな紫の花と、母が好きな白いチューリップを供えました。

大学院の試験も迫ってきたので、気合を入れて頑張ります。


時には母のない子のように

2010-02-08 02:57:35 | Weblog

2010年に入って最初の日記になります。
今日はふとしたきっかけで、カルメン・マキの「時には母のない子のように」を聞きました。2009年は母を亡くし、心の寂しさはまだ癒えていません。


時には母のない子のように(作詞:寺山修司,作曲:田中未知)から抜粋

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
ひとりで旅に出てみたい

母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
大きな声で叫んでみたい


2009年6月、母と父と3人で行った最後の遠出が青森で、その途中、寺山修司記念館に偶然立ち寄りました。青森での光景は私の脳裏に焼きつき、一生離れることはないでしょう。


「亡き母の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ」

(寺山修司詩集,2003; ハルキ文庫)


今年のお正月は父親と二人で過ごしました。二人とも何とか元気でやっています。2月12日は母の誕生日で、生きていれば62歳になっています。母の追悼のためにも、前を向いて生きて行かなければならないと思っています。


写真上:寺山修司記念館にて,両親の後ろ姿(2009年6月)
写真下:青森県・尻屋崎の光景(2009年6月)