Kiyoshiのroom335

音楽・お酒大好きでMr.335 Larry Carltonの大ファンKiyoshiのブログです(^O^)/

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

大学院の合格発表

 | Weblog

大学院博士課程の入学試験に無事合格しました。
亡き母が見守ってくれました。
きっと母も天国で喜んでいると思います。
また、これまでお世話になった皆様のご援助とご厚意に心より感謝申し上げます。

4月から神奈川県葉山のキャンパスに3年間通い博士号を取得するために研究を続けていきたいと思います。また、父親と離れて横須賀近くに一人暮らしとなります。父親のことは少し心配もありますが、電車を乗り継いで3時間ほどの距離なので何かあったらすぐに埼玉に戻れますのでご心配なく。

ところで、昨日から合格の喜びどころではなくノロウイルスで苦しんでます。金曜日に飲み過ぎたからだと思っていたけど、明らかにノロウイルスです。職場で流行っていて、試験後に一週間振りに出勤したから多分もらってしまいました。試験が終わり、疲れて体力が落ちていたんだと思いますが、それにしても苦しかったです(>_<)強烈な吐き気と腹痛で、うなって起き上がれず七転八倒しました。今日ようやく回復してきましたが、まさに、試験で全身全霊をかけ、精魂尽き果ててしまいました。

そんなわけで、取り急ぎご報告まで。

コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

ラリーがフォープレイを脱退!

 | Weblog

ラリー・カールトンがフォープレイを脱退しました。
あまりにも突然のことで驚きです。

リー・リトナーの後任として、ラリーは1998年から12年間フォープレイに在籍していました。1998年、自分は高校1年で、まさにラリー・カールトンを聴き始めた年です。ラリーを聴いてきた12年間は自分の人生と重なります。どれだけフォープレイに励まされ、ライブで感動を与えてもらったか、計り知れません!自分の今があるのはラリーとフォープレイのおかげと言っても過言ではありません。

ラリーの後釜にチャック・ローブとは納得の人選ですが、何となくサウンドの予想ができてしまうので、面白みに欠けそうな気もします。ラリー自身ののホームページを見るとソロのキャリアを積み重ねたいということが書いてありましたので、多分これからはオリジナルアルバムを出していくのでしょう。ラリーの今後の活躍に大いに期待したいと思います。



ところで来週の水曜日、いよいよ博士課程の試験が迫ってきました。この歳になっていまさら緊張感も少ないのですが、それでもやはり入試というのは神経すり減ります(笑)今後の人生を左右することなので、気合を入れて臨みます!

ラリーが新たな道に一歩踏み出したことは、試験に向けてとても励まされます。自分も新たな方向に向かって全力で頑張ります!

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

亡き母の誕生日

 | Weblog

2月12日は母が生きていれば62歳の誕生日でした。

昨年は家族で最後の誕生日を祝い、それが最後になってしまいました。

そして、2月11日は亡き祖母、13日は亡き祖父の誕生日で、家族3人が続いています。

仏壇には祖母が好きな紫の花と、母が好きな白いチューリップを供えました。

大学院の試験も迫ってきたので、気合を入れて頑張ります。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

時には母のない子のように

 | Weblog

2010年に入って最初の日記になります。
今日はふとしたきっかけで、カルメン・マキの「時には母のない子のように」を聞きました。2009年は母を亡くし、心の寂しさはまだ癒えていません。


時には母のない子のように(作詞:寺山修司,作曲:田中未知)から抜粋

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
ひとりで旅に出てみたい

母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
大きな声で叫んでみたい


2009年6月、母と父と3人で行った最後の遠出が青森で、その途中、寺山修司記念館に偶然立ち寄りました。青森での光景は私の脳裏に焼きつき、一生離れることはないでしょう。


「亡き母の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ」

(寺山修司詩集,2003; ハルキ文庫)


今年のお正月は父親と二人で過ごしました。二人とも何とか元気でやっています。2月12日は母の誕生日で、生きていれば62歳になっています。母の追悼のためにも、前を向いて生きて行かなければならないと思っています。


写真上:寺山修司記念館にて,両親の後ろ姿(2009年6月)
写真下:青森県・尻屋崎の光景(2009年6月)

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

母のガン友が他界

 | Weblog

母が入院中に同じ病棟で知り合ったガン友、和子さんが亡くなりました。今日は告別式に参列しましたが、本当に悲しく涙が止まりませんでした。母の葬儀に病気を押して駆けつけて頂きお会いしたのが最後となってしまいました。何度もお電話をかけたのですが、入院されていたのか留守でつながりませんでした。最後は転院して(これ以上治療ができないと言って元の病院を追い出され)その後どこに入院していたのかわからず、残念ながらお見舞いに行くことができませんでした。せめてもう一度お会いしたかったと悔やまれます。

和子さんはご家族と離れて一人暮らしでの闘病中、辛くて不安な時に母を慕っていつも病室に来ていました。母が退院しているときはよく自宅にも遊びに来ていました。僕も何度か車で送り迎えをさせて頂きました。8月に共に闘病していた母が先に旅立ってしまった時にはとてもショックを受けて泣き崩れてしまいました。それから4ヵ月、どうしているのかずっと気になっていましたが、とうとう和子さんも旅立ってしまいました。母の最後の友達でした。きっと天国で母と再会して、また一緒に手をつないでいることと思います。

心からご冥福をお祈りします。


写真:2009年7月,自治医大にて(左;和子さん,右;母)

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

悲しみを乗り越えて

 | Weblog

11/7~11まで、約1年振りに第二の故郷・神戸に行ってきました。

7(土)は昼に着いて、梅田ハービスでランチ(昔朝から並んだビルボード大阪が懐かしかった!)、夕方から三宮で飲み会、六甲でふらふらとフィッツに行きました。

8(日)は昼から三宮で友達に会ってランチ、夕方大阪の母の友人宅に招待されてご家族や母の友人みんなで飲み会、夜は三宮に戻って泊まり。

9(月)からトルコ人の研究者と仕事して英語漬けでした。出発前に集中的に英会話に通った甲斐あってバッチリでした!

10(火)は、昼から岡山大学の研究室に行った後、夜は大阪・心斎橋まで行って友人と会い、また神戸に戻ってボナンザ、バード、ノーアイに行き、六甲道で宿泊という行ったり来たりの一番ハードな1日でした。

11(水)は朝から晩までトルコ人の実験を手伝い、恐ろしくハードなスケジュールが終わって、家に帰ってきました。帰りの新幹線はかつてないほどの爆睡であっという間に東京着きました(ー_ー)!!

今回はハードスケジュールな上に毎晩飲み過ぎてかなり疲れました。でも、久々にたくさんの人に会えてめっちゃ楽しかったです(^^)v


約1年振りの神戸の街や人は以前と変わらずそこに存在し、1年前にタイムスリップするように時間を一気に飛び越えて僕の目に映りました。ほんの1週間振りに帰ってきたような錯覚に陥りました。今年1月に、母の看病のため埼玉の両親の元に戻ってからの1年間は、新しく仕事を始め、オーストラリア行きがなくなり、母の死を看取り…と、本当に色々な出来事がありました。あっという間の1年でした。多くの出来事が過去の事になるのはまだ先ですが、今度の旅は、悲しみを乗り越えて一歩踏み出せたような気がします。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

毛利さんの話と将来のこと

 | Weblog

何気なくテレビを見ていたら、毛利衛さんの生い立ちをやっていました。

幼少のころ毛利さんの母親は、「私はハレー彗星と一緒に地球に来たの。だから、今度ハレー彗星が来たら一緒に宇宙に帰るのよ」と言って、ユーモアのある方だったそうです。

そのとき毛利さんは、「お母さんを迎えに行きたい」と思ったそうです。

毛利さんのお母さんは、毛利さんが宇宙に行った姿を見ることができず、毛利さんが宇宙飛行士に決まった翌年の1986年に他界されました。
最後の言葉は、「宇宙から見守っているからね」と言ったそうです。

素敵な、そして感動的な良い言葉ですね。

1992年に初めて宇宙に行った毛利さんは、宇宙にいるお母さんを迎えに行ったのですね。
なんだかとても感動してしまいました。





この話を自分と照らし合わせて考えてみました。

自分は研究という分野にいて、それを将来職業にしていくことを考えたときに、母親を蝕み、人類の3分の1が苦しむ“癌”に関わる研究を行って、広く社会に貢献していくことが求められているのではないかと思うのです。

ただ興味や探究心で研究をすることも悪いことではありませんが、どうせ自分の技術を生かすならば、仇を討つというわけではありませんが、将来的には癌に関連した研究をやって少しでも役に立ちたいと思うわけです。

病気を治す医者ではありませんが、かといってただの研究者でもない、自分にしかできないような研究をこれからして行かなければならない。

それを将来の目標にしていこうと再確認しました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

27歳の誕生日

 | Weblog

今日、誕生日を迎えました。

昨年の誕生日の日記を見返すと、両親がいない実家で一人飲んでいたようですが、今年も例によって、一人飲んでおります。

想えばこの一年は激動の一年でした。

昨年夏に、車の免許を取得して、12月にオーストラリアに行き、1月には実家に戻って母の看病と新しい生活が始まり、2月から新しい仕事、4月にフォープレイと再会、5,6,7月に母との思い出旅行、8月に母を亡くして、9月で仕事が終わり、10月11日にラリー&ロベンに再会しました。

色々な出来事が、ついこの間のように感じられる1年です。
多くの悲しみから今だに立ち直ってはいません・・・
しかし、ラリー&ロベンのライブを見て、これから先は、次の目標に向かって頑張って行きたいと思っています!

これまでお世話になった皆様に感謝致します!


写真は、カンガルーのラベルが印象的なオーストラリアワインのYellow Tail ; Pinot Noir(安くて旨い!)と Gibson ES-335

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

Larry & Robben と再会!

 | Weblog

10月10日(土)、11日(日)は、ブルーノート東京でLarry Carlton & Robben Fordの公演を見ました。2日間とも、神戸から来たなおみさんと朝から並び、両ステージ観ました。今回は残念ながら1番はゲットできなかったものの、最前列はキープしました。

11日の2ndステージ終了後に、ラリーのギターテクで個人的に仲良くして頂いているリックさんにお願いしてバックステージに入れて頂き、ラリー、息子のトラヴィス、ロベンと再会しました!

ロベンは、2004年フュージョンマニアの仲間とブルーノート東京で撮影した写真を自宅に飾ってくれているので、僕のことは覚えていました。「確か君はフュージョンクラブだったよね?」と言われたので、「フュージョン・メィニァ!」というと、「あぁ、そうだ、Fusion Mania!」と言って思い出してくれました!しかも、サインを求めると僕の名前のスペルも半分覚えていて「え~と、Ry,o,..何だっけ?」と聞かれたので驚きました。「Ryohei(ゥリョオヘイ)です」と言ってサインを書いてもらいましたが、それだけ覚えていてくれたら十分です。

ロベンは焼酎が好きで、この日は1stも2ndもステージ上で焼酎のロックをグラス片手に飲み続けていました。ロベンが「焼酎は日本酒の3倍くらい度数があって強いよね?」と言うので、僕は「いえ、倍くらいです。ウイスキーよりは弱いですよ。」と説明しました。

そして、ラリー。
初日に偶然、ブルーノートの通用口で煙草をふかしているところに出くわしたので、声をかけて、前回の日記に書いたように写真にサインを頂きましたが、その時はゆっくり話ができなかったのでもう一度、再会できて心から嬉しいと伝えました。ラリーが、「君は日本の親愛なる友人だ。ありがとう。」と言って、握手した僕の手を取って、自分の右腕にこすりつけてくれました。

僕は、「母が亡くなって悲しいけれども、今日のライブを見て元気が出ました!これからも頑張って生きていきます。」と言うと、ラリーが「そう言ってもらえて嬉しいよ、気を落とさないでね。」と言ってくれました。

ラリーは母と同じ61歳、ラリーの息子トラヴィスは僕と同い年で4月生まれの27歳なので、偶然ですが不思議な縁を感じます。ギターテクのリックさんは、何とこの日が誕生日だそうで、「おめでとうございます!僕も今週16日が誕生日なんですよ!」と言うと、「ワァオ、それは偶然だね!」と言ってくれて、一緒にいたなおみさんも10月28日が誕生日だそうで、「We are October Friends!」と言って喜びを分かち合いました!

最後に、ラリー、ロベン、トラヴィス、新メンバーのジョエル・ローゼンブラットと一緒に肩を組んで写真を撮りました!ラリーが僕の履いていたブーツを見て、「このブーツワイルドでカッコいいね!」と褒めてくれました!ちょっと照れました(笑)

また再会することを確認して、楽屋を後にしました。
他にも色々話をしましたが、余りにも緊張していてこれくらいしか覚えていません。英語も緊張するとスムーズに出なくなり、ただでさえ下手なのに実力の10分の1くらいしか話せなくて口惜しかったです。でも、ラリーもロベンも日本人が英語話せないのはわかっているので、ちゃんと理解して会話してくれました。皆さん最高にジェントルマンです!


この日は朝、1番に並んでいた3人組が、何と六甲の甲陽音楽学院出身だということでびっくりしました!しかも歳も同い年。彼らは岐阜出身で20歳前後に神戸に住んでいたそうなので、僕が六甲にいた時期とは重なっていませんが、それにしてもこんな偶然も珍しいです。なおみさんが垂水区なので、神戸Friendsということで盛り上がり、待ち時間もずっと話し続けて退屈しませんでした。


11日の2ndステージで、最初はラリーとロベンのアコースティック・デュオでしたが、僕がボンベイ・マティーニを飲んでいたら、ちょうどロベンのヴォーカルの伴奏中のラリーと目が合ったので、マティーニグラスを掲げると、ニコッと微笑んで得意のウインクを返してくれました!ラリー&ロベンに乾杯!


写真:ブルーノート東京の前で、Larry Carlton & Robben Ford

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

Mr.335のお墨付き!

 | Weblog

10/7(水)のビル・ラバウンティ with ラリー・カールトンに続き、10/10(土)にラリー&ロベンのブルーノート東京初日に行ってきました!

最高の演奏でした♪

夕方整理券をもらってから店の外に出ると、通用口でラリーとトラヴィスが親子で煙草をふかしていたので、先日の写真にサインをもらいました!

何と、本人からMr.335のお墨付きを頂いてしまいました!!!

感無量です!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加