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『ブロークバック・マウンテン』 ('05/米国)

2006-03-12 | 映画【劇場公開】
 “ブロークバック”という名から読み取れることの一つに「重荷を負わす」という意味があると、原作の文庫巻末のあとがきに翻訳者である米塚真治氏が書いており、その言葉が私の中で深く腑に落ちた。
 そう、原作を読み終えたとき、これはどうしようもなく背負うことになって下ろせない人生の重荷についての物語ではないかと感じたからだ。いや、元々は“重荷”ではなく、唯一つの拠り所であり、実際そちらの面が勝っている部分があるからこそ、更に心にのしかかる“重荷”なのだが。
ブロークバック・マウンテンは、その象徴だ。

 映画が描いてたのも、そうした人々の姿だった。そして何一つ報われることも、変えることも、捨てることも出来なかった人たちについての話。
 丁度一週間観た本作だが、おそらくは再見することになるだろうと思う。アン・リーの映画はいつも観た後に様々な余韻を残してくれるが、今回もその点は変わらず、そしてこれまでになく気持ちに染み入ってくる作品であった。何より、本当に原作に忠実に、行間と言葉をふくらませた脚色は見事で完璧だった。観終わった後、すぐには立ち上がれず、同行した友達と喋りあう気もなれなかったほど。役者、演出、カメラ、音楽、脚本、どれをとってもあまりに完成度が高い。ローバジェットで製作されたことは、作品の持つ豊かさには関係がない。本作に携わった総ての人々の原作に対する深い愛と敬意と、映画化に対する熱意を感じる奇跡のようなマッチング。
 以下、一週間を経てもなかなかまとまらなかった(苦笑)アニー・プルーの原作を踏まえて本作を観た感想である。

 まず、本当の自己を認められずに「自分で解決できないことは我慢するしかない」イニス@ヒース・レジャーの生き方はあまりにも哀しいが、特に男性は共感するのではないだろうか。忍耐とは臆病の裏返しだ。世間体や「西部の男のあるべき姿」という旧弊な価値観(そこから外れた者は排除されるという恐怖)の鎧にがんじからめにされて、それを脱ぐことが彼には出来なかった。何より、彼は知らなかったのだ。いや、知りたくなかった。ジャックに対する狂おしいまでの思いが「愛」だということを。
 ジャックは、19歳の夏にイニスとブロークバック・マウンテンで出会った頃には既に「自分は他の男たちと違う」ことを自覚していた。ロデオ好きな彼は、また挑戦することも好きでとにかく前に進もうとするタイプだ。自分のような存在が世間で忌み嫌われていることを知ってはいても、そのことで足踏みしていても仕方ないと思っている。だが彼はイニスと出会ってしまった。厳しい山の自然の中で2人で羊番をしていくうちに、無骨で内向的なイニスが心を開いて笑いかけ、2人の距離が近くなっていくにつれて彼はイニスに恋をして、そしてその気持ちは拒まれなかった。
 けれど、イニスには「ジャックと共に生きる」という選択はなかったのだ。
 ブロークバック・マウンテンの夏が終わり、イニスがジャックとそっけなく別れの挨拶を交わしたあと、体から湧き上がる苦痛に道の端にうずくまり、頭を壁に打ちつける。その苦痛がジャックとの別れのせいだと、イニスには理解することさえ出来ない。そして、故郷に戻った彼は予定通りに許婚のアルマ@ミシェル・ウィリアムズと結婚する。好きな牧場の仕事を続けながら、幼馴染と所帯を持って子供たちを愛し、貧しい生活に追われつつもそれなりに幸せな人生になるはずだった---大抵の男たちがそうであるように。しかし、あの夏から4年目に届いたジャックからの葉書が、イニスの人生を変えてしまう。
 その後の約20年間、彼らは釣り旅行と称して、彼らの“本当の居場所であるべき”山々での逢瀬を重ねることになる。

 イニスの住むワイオミングという土地、こと牧場労働者の間では「ない」ことになっている、どころかそれが世間に知られたらなぶり殺しの目に遭うと、父親から教え込まれている類のジャックに対する愛を、イニスはついに「愛」とは認めず20年という長い歳月の間隠し続けた。
 それが正しく彼の“重荷”だ。本当の自分を偽ること、隠すこと、ジャックとの愛情関係を否認することは、彼自身とジャックを深く傷つけ、のみならず彼らの周囲の人々をも傷つけることになる。妻のアルマはイニスのあるまじき不貞を目撃してしまい、次第に2人の仲は険悪になっていく。イニスは娘たちを愛してはいたが、去っていくアルマを留めることなど出来なかった。彼女に誤魔化しは通じない。だが、どうすることも出来なかったのだ。イニスには抜け道などなかった。ジャックは何度も辛抱強く、イニスに2人で牧場経営を始めようと持ちかけるが、イニスにとってそんなことは夢のまた夢、自殺行為以外の何ものでもなかった。

 私が原作でもっとも胸が痛くなったのは、イニスとジャックの最後と逢瀬となる場面、その後のジャックの回想である。
 彼らは諍いをしだして、ジャックはついにイニスに宣言する。おまえに付き合うのはもうごめんだ、手を切れるもんなら切りたいぜ、と。そうなのだ。ジャックはイニスのことなどもっと早くに見限るべきだった。しかし、ついに思い切ることも出来ず、ずるずると20年も彼に付き合い続けてしまった、その理由。
 映画では、この口論の場面は原作よりさらに激しい調子で描かれる。ジャックもイニスも長年の堂々巡りに心は傷だらけで、更にお互いにその傷口を広げていくような痛ましいシーン。もうこのあたりから、視界が滲み始めていた。
 続いて苦く、辛い表情のまま別れる2人、遠ざかるイニスの車を見つめるジャックの顔。そして、彼の心に去来する思い出の情景。映像化されたそのシーンは本当に美しく優しくて穏やかで、同時にあまりにも切なく遣る瀬なく、私はハンカチで嗚咽を堪えるのが精一杯だった。或いは、このシークエンスは原作を読んでないと特に印象的には映らないかもしれない。しかし、原作で語られるジャックの心情を感じ取ることは充分に出来る。
 ジャックはあのとき、人生で初めて心底幸福を感じたのだ。イニスの子守唄を耳元で聞き、彼の体温を背中に感じながら、こんな安らぎを与えてくれる人は他にはいないのだ、と思い込んでしまった。それはジャックの“重荷”となった幻想かもしれないが、たとえそうとわかってはいても、ジャックには“重荷”を捨てることが出来なかったのだ。それを捨てようとようやく決心しかけた頃に、あっけなく無残に、彼の人生は終わってしまう。

 アニー・プルーの書いたジャックとイニスの物語が、そしてアン・リーの撮った映画が人々の心を激しく捉えたのは、それが「同性愛の恋人たち」を取り上げながら、市井に生きる人々を、うまくいくことの方が少ない、ままならぬ人生の有り様を深いところで描いているからだと思う。
 あのときああすればよかった、と全てが手遅れになった後で言ってもどうにもならない。そんなに簡単にことが解決されることなら、世の中はもっと生きやすくなるだろうが、そうはなれないのが人間なのだから。まして、土地に縛られて生きていかざるを得ない、その土地の価値観に沿った生き方を強いられることは、知らずに自分や他人を傷つけ、歪め、疲弊させ、それでも人生は続いていく。
 背負わされた重荷は誰にでもある。しかし、それを最後まで背負い込んで自分の一部として生きることこそ、或いは唯一の彼の人生の証なのかもしれない。

 映画のラストで、ジャックの形見であるデニムシャツと自分のチェックのシャツの二枚重ねを抱きしめ、「Jack, I swear・・・」というイニスの言葉。日本語字幕では「永遠に一緒だ」と訳されていたが、あれは彼が死ぬまで彼らの“重荷”となった愛を、思い出を大事に抱えて生きていく、という誓いではなかろうか。それは人から見れば惨めな人生かもしれないが、ジャックを失ったイニスにはその記憶だけが、残されたかけがけのないものなのだから。
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17 コメント

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原作これから読んでみます。 (akaboshi)
2006-03-15 16:52:26
TBありがとうございました。

原作を踏まえての深い感想が、この映画の場面を

フラッシュバックさせてくれました。

原作、買ったのでじっくりと読んでみようとおもいます。



「特に男性は共感するのではないだろうか。忍耐とは臆病の裏返しだ。」

・・・その通りだと思います。

臆病だから「男らしさ」という武装に逃げ込んでしまうことって、

日常でもよくある。そのことに気付いて後悔する。

その繰り返しの、なんと空しいことよ。





はじめまして! (びあんこ)
2006-03-15 22:28:35
shinさん、はじめまして。

「BBM」いとしくて一生忘れられない映画になりそうです。毎日、拙ブログに記事を書いておりますが、ちょうど昨日、回想シーンについてあれこれ考えていて、こちらの記事にめぐり合い、そうだったのか! と胸のつかえが降りました。



なぜジャックはイニスをいつまでも思い切れなかったのか。あの回想シーンの体験があったから、なんですね。

TBもさせていただきました、よろしくお願いします。
コメント&TBありがとうございます (shito)
2006-03-16 01:33:19
>akaboshiさん

BBMは日本でも既に多くの映画ファンの魂を掴んで、色んな方がその思いをネット上でも熱く伝えてらっしゃりますが、中でもakaboshiさんが書かれる記事の内容の濃さ、熱意には心から感動しました。原作も映画同様に傑作です。akaboshiさんのご感想が楽しみです。今後も拝読にうかがいたいと思ってますので、よろしくお願いします。



さて、BBMで特に誇張された「男らしさ」というと、私は思わず大苦笑してしまったのが花火見物でイニスがからかわれたチンピラをぶちのめすシーンと、ジャックが舅に「この家の主人は俺だ」と怒鳴るシーンでした。ああいうオーバーな「男らしさ」の強調・示威行動をしなければいけない、というのがなんとも、可笑しくも辛いな・・・と。

(女性にも「女らしさ」を強要されてウンザリすることもありますが、やはり男権社会では男性のそれに比べればまだマシなのでしょうから)



>びあんこさん

はじめまして! とても嬉しいコメントをどうもありがとうございました。びあんこさんのブログもBBMに対する並ならぬ愛が溢れていて、楽しく拝読いたしました。

私はまだ1回しか観てないし、件のシーンに関してはまず原作から受けた印象というか単なる思い込み?(^^;;)が強い解釈ではありますので、取り上げていただくのは何やら気恥ずかしいのですが・・・ありがとうございました。

私も後ほどTB&ご挨拶に伺いますので、よろしくお願いします。
はじめまして。 (すあま)
2006-03-20 00:50:23
つい一昨日、ようやくBBM本編を観ることができて、自分なりに拙い感想を書いてみたのですが、今回、こちらの記事を読ませていただいて、あの『回想シーン』についての考察に、大変に感銘を受けました。

まだ始めて間もないブログですが、TBさせていただければと思います。

よろしくお願いいたします。
TB&コメントを (shito)
2006-03-21 01:14:59
ありがとうございました >すあまさん

ろくすっぽ更新しないうえに、BBMについてはいろんな方が私などより余程深い文章を書いてくださってるなか、訪れていただいて嬉しいです。

私の感想はまず原作ありきのものですので、映画鑑賞1回目は無の状態で観ればまた違ったかな、と少し後悔中です。。。

この映画の魅力は (朱色会)
2006-03-22 09:17:19
>市井に生きる人々を、うまくいくことの方が少ない、ままならぬ人生の有り様を深いところで描いているからだと…



ハゲしく同意です。

人生、なんの重荷も持たずにいきている大人はいません。そのことが観る人に共感を与えているのだと思います。同姓の愛憎が主題に上がっていますが、この映画は他の関係線もしっかり深く描くことで、さらに主人公同士の苦悩が浮き彫りになっていると感じました。
はじめまして (悠雅)
2006-03-22 13:00:09
shitoさん、こんにちは。

昨日観たこの作品の余韻が抜けきれず、

あちこちにお邪魔して感想を読み歩いています。

shitoさんのこちらの記事の冒頭にある、「重荷を負わす」の言葉で、

わたしも腑に落ちるものを感じました。

あれこれ、語り合いたいのに上手く言葉にならないもどかしさでいっぱいだったのですが、

冷静になった頃、もう1回観てみたいと思います。
The Weight (shito)
2006-03-23 00:20:08
というそのものズバリなザ・バンドの名曲が、原作を読んでいた私の頭の中をグルグルしていたという事実が、実はあったりするのですが。



>朱色会さん

コメント&TBありがとうございました。朱色会さんのエントリも拝読しましたが、その率直さに何より敬意を感じました。この作品の凄さの一つは、「同性愛」というものの身近さ、実は境界なんて曖昧なのだ、ということを描いたことなんだ、と思います。自分は違うから、関係ないから、と扉を閉じることの愚かさを突きつけられますね・・・



>悠雅さん

コメント&TBありがとうございました。余韻が後を引いてしまう感じ、よくわかります。どんな映画であっても、観た後いろいろ考えてしまう、というのはそれだけ意味の深い作品ということなんですよね。私なんて文章にするのに一週間かかってますが(苦笑>単なる怠け者です)悠雅さんと同じくまた再見した際には、もう少しちゃんとしたものを書ければなあ、と思ってます。
重荷を背負わすということ (naomi)
2006-03-31 02:03:50
お久しぶりです。

なるべく他の方の感想を読まないようにして映画を観て、それからここにきて、深い洞察に膝を打つ思いです。

ままならぬ人生、そのとおりですよね。少なからず私たちにはそういう思いがあるわけで…でも、そんな人生を生きてきても、それがこんなにも心を打つ物語となるものだから、映画というのは素晴らしいと思った次第です。

原作はこれから読みます。
原作と映画が (shito)
2006-03-31 22:48:13
これだけ素晴らしく溶け合っているのを観れた私たちは幸せだ、と感じます。原作に対するnaomiさんのご感想も是非読めたらいいな、と思います。

という訳で、TB&コメントありがとうございました!(私もTBお返ししたんですが、失敗したようで・・・再度トライしてみますね;;)



>そんな人生を生きてきても、それがこんなにも心を打つ物語となるものだから、映画というのは素晴らしいと思った次第です。



もう、めちゃくちゃ同意です!

森達也氏の著作『放送禁止歌』のラストで語られてた、ある言葉を思い出します。

確か「越えられない苦しみや思いのこもった歌だからこそ、人の心を打つんと違いますか」だったかな。

これは映画にも文章にも、そのまま当て嵌まることなんですよね・・・。

早く読まねば! (naomi)
2006-04-01 02:31:38
Shitoさん、早速のコメントありがとうございます。

明日アマゾンから届くはずです>原作

「放送禁止歌」も見たかったです。(森達也氏の「A」「A2」が気に入っているもので)

ままならない人生の中の、苦しみの中に見える輝きというのは、思い通りの人生の何倍も光り輝いて見えるものですよね。

また原作を読んだら感想を書きたいと思います。



ココログの昨日のリニューアルでコメントやトラバにトラブルが起きているようでご迷惑をおかけしています。
TBのお返しは (shito)
2006-04-02 14:29:15
昨日もしてみたんですが;;…時間おいて、またやってみます~。

それから私の言葉が足りなかったのですが『放送禁止歌』は文庫本のほうです。私もテレビ放映のほうは観たことないので残念です。A~A2を続けて観た直後、コレは全ての日本国民が観るべきでしょう!とまで思った作品でした…。

naomiさんのBBM原作のご感想も楽しみにしてますね!
はじめまして。 (ジョカ)
2006-04-06 01:23:48
こんばんは。記事を読まさせていただいて、また涙涙でした。イニスとジャックの最後の逢瀬のシーンが切ないですよね。shitoさんが書かれた通りの事を私も感じておりました。

BBMを観てしまった日から、なんだかとても切ないんです。それで、ついつい毎晩PCに向っています。寝不足の毎日です。

人生はままならないですね。そして誰も、他の人の様には生きられない。

もう4回目は確実です。
はじめまして。 (chobi)
2006-04-06 09:32:33
shitoさん、こんにちは。

とても素敵なレビューだったので、TBさせていただきました。

そして、BBMを観た方が、自分と同じように余韻に惹かれてブログ巡りをされているのを見てなんだか嬉しくなってしまいました。

この作品を観てから、思い出すたびに切なさで涙ぐんでしまう毎日。素敵な作品でした。

機会があれば原作も読んでみようと思います。
コメントありがとうございます (shito)
2006-04-07 00:43:42
>ジョカさん

今晩は、はじめまして。同じ思いで本作を観られていたという方にコメントを頂き、嬉しいです。

既に3回もご覧になってるのですか! 私はまだ2回目も観てないのですが;; つくづく本作の持つ吸引力、描いたものの意味の大きさに撃たれる気がします。



>chobiさん

TBのお返しは少し遅れてしまうと思うのですが(アメーバ・ブログと相性悪いみたいで)ありがたいお言葉を頂きまして、感激です。

思い出すたびに涙ぐむ…なんて映画は、そうそう出会えるものではないですよね。私も観た直後は、いろんな場面が心にフラッシュ・バックして切ない気持ちになりました。

原作も、こんなに短い作品ということが信じられない程に完璧です。是非読んでみてくださいませ。

Unknown (まさし)
2006-04-08 00:06:12
どもです。



TBさせていただきました。



実に深いレビューですね。

自分も原作読みたくなってきました。

映画だけでは読み取れないところ多かったですもんね。



自分は泣かなかったのですが、ものすごく後に来る

映画でしたね。4,5日経ってもなんだか

せつなさが抜けなかったです。



ではでは。
こんにちわ (shito)
2006-04-09 11:36:07
まさしさん、TBありがとうございました。

遅効性でじわじわと余韻の回る映画、と仰る方が多いですね。私の場合、やはり原作読んでたからなのか、一回目で馬鹿みたいに泣いてしまったので、二回目はもう少し落ち着いた気持ちで観たいと思ってます。

原作も良いですよ。短いのですぐに読めるし(笑)お薦めです。

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