蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

横山大観  (bon)

2017-05-20 | 日々雑感、散策、旅行

 このほど(5/18)、友人の誘いを受けて、横山大観記念館の名品展をお目当てに上野
池之端に行きました。
  行程を振り返りますと、待ち合わせ場所の近くの「びわ湖長浜観音堂」に立ち寄った後、
お目当ての大観の名品展に堪能し、そこから少し不忍通りを北上して、脇道に入り、「竹久
夢二」の弥生美術館(以前に来たことがあるので)を素通りして、東大弥生門から、キャン
パス内に入りました。  久しぶりの広い東大キャンパスを縦断するように、三四郎池、安田
講堂、赤門と抜けて、17号線を北に進んで、言問通りを下り、白山通りの春日まで来てしま
いました。ここでお茶して別れるまでに、既に10000歩は優に超えていました。 予報では、
急な雷雨が来る・・ということでしたが、幸いパラパラと来た程度で、殆ど傘は使いません
でした。 帰宅後、テレビで渋谷界隈の激しい雨を見た時は、信じられない感じでした。

 

 びわ湖長浜観音堂という、こじんまりとした展示スペースが、上野不忍口に近くありま
した。 1年半くらい前に開設されたとのことでしたが、「国内初! 地方自治体による
『観音』がテーマの情報発信拠点が東京・上野に」というコンセプトがとても新鮮に映り
ました。 びわ湖と竹生島の取り合わせを、不忍池と弁天堂に似せたこの地に開設したと
聞き、滋賀県長浜市の新しい企画を想像して、昔の自分たちの周りの出来事が蘇ってきた
のでした。 2~3か月ごとに展示内容が更新されるとのことでしたが、長浜には多くの
お寺があり、観音様には事欠かない(失礼)わけですが、今回のメインは、長浜市指定
文化財「聖観世音菩薩立像」の優しいお姿で、平安時代、木造、像高97.8cmでした。
この他、仁王像の彫刻や写真パネルなどで紹介されていました。

          聖観世音菩薩立像(撮影許可がありましたので)
           

 

 初々しい2人のお嬢さんの説明に、あまちゃをご馳走になって、なんとなく優雅な心地
になって、不忍通りを北上しました。 通り沿いにひっそりとその入り口はありました。
どうかすると通り過ぎてしまいそうな、回りのビルに挟まれたこじんまりした「横山大観
記念館」がありました。建築にも造詣が深かった大観は、自らデザインし、部材選定まで
したという思い入れ深い自らの居住兼画室が、そのまま記念館として一般に公開されている
のです。

横山大観記念館正面            入ってすぐの庭
 

 

 木造2階建ての数奇屋風日本家屋で、大正8年にこの場所に建てられ、東京大空襲で焼失後、
昭和29年(1954年)にほぼ同じ形で再建されたのだそうです。 今年2月に「横山大観旧宅
及び庭園」は、国の史跡及び名勝に指定されたとありました。この住まいが展示場として
公開されていますから、通常の美術館のような多くの作品を並べて展示することは出来ませ
んが、客間や画室の 床の間にどっしりと掛けられた幅広の軸の迫力はまた、各別の趣きが
ありました。

 横山大観は、西洋画の画法を取り入れた新たな画風、『朦朧体』(もうろうたい)と呼
ばれる、線描を抑えた没線描法の絵画を次々に発表し世界でも高い評価を得ているといい
ます。富士山の絵などが有名ですが、客間に飾られた、縦長の大きな軸「ある日の太平洋」
は、晩年の昭和27年(大観84歳)作とあり、最上部に富士が聳え、全面の荒れ狂う海の波頭
が力強く中央に盛り上がり、その右上部に小さく龍が舞う構図は さながら、混迷を極めた
戦後日本の復興に立ち上がる強い思いが描かれたのかもしれません。

 縁側から、ちょっと荒れた感じの起伏のある庭も大観の思いが詰まっているのだと説明
されたりして、薄くらい日本家屋の部屋ゝを巡り、力の入った画を眺めていますと、不思
議にそのような世界に誘引されて行く感じがしました。 横山大観は、昭和33年、90歳で
他界されたとありましたが、その時私は高校を卒業した年であり、これまでも何となく
身近に思われた巨匠の一人でしたが、今日は、この館に居て、一段と深まったその人を
改めて知った思いでした。

 拝観は短い時間でしたが、とても充実して外に出ると、不忍通りは車が慌ただしく通り
過ぎていました。 元来た道を上野方向に帰るのも面白くない気がして、そのまま少し北上
して、池之端から弥生へ。 弥生美術館(竹久夢二)を通り過ぎて、東大弥生門からキャン
パスを上りました。ずいぶん以前に、来たことがありましたが、急に、三四郎池、安田講堂
など尋ねてみたい気になり、道に迷いながらそれぞれ再び、その姿を見ることとなりました。

 うっそうと茂った木々のその下方に三四郎池は静かに水面を輝かせていましたが、水位が
少し下がった淵のところに、大きな亀が何匹かのんびりと首を出していました。 きつい坂
を上り、安田講堂の横に出ました。もう60年ほども昔になりますが、学生運動盛んなりし頃、
その拠点として機動隊と激しい攻防が繰り広げられたところとは思えない、今はどっしりと
その象徴はそびえているのでした。

三四郎池                 安田講堂
 

 

 広い構内は学生たちの他、一般人と思しきひとたちも行き交う中、とうとう本郷通りの
「赤門」へやってきました。 ここは、写真撮影スポットであるらしく、次々とスナップを
して行く人たちがいました。はるか、1827年に加賀藩第12代藩主前田斉泰が、第11代将軍
徳川家斉の息女、溶姫を迎える際に造られた門で重要文化財に指定されていました。

          赤門  
                

 

 赤門の筋向いあたりにあったのでしょうか、江戸時代に、ここに薬屋があって、そこに、
例の堀部安兵衛(ぐず安)が逗留していたのか、 「本郷も、ぐず安までが江戸のうち」
(矢田 挿雲、「江戸から東京へ」)を思い出したりしました。

 本郷通りを逆戻りして、再び、東大正門の前を通り、言問通りを下り春日まで出ました。
しばし、お茶タイムをして、今日を反芻しながらそれぞれに感じたことなどコメントし合っ
てサヨナラとなりました。 私は、地下鉄丸ノ内線の後楽園駅から家路に向かいました。

 

 

 

 

 

 

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