思い残すこと

あの頃、僕は何を思い、何を考えていたんだろう・・・

海の幸三昧!

2010年03月02日 | 思い出
先週末、仲の良い夫婦二組で鳥羽へ旅行に出かけました。
目的は「海の幸」
相差の料理民宿で味わってきました、海の幸!
鯛の舟盛り、伊勢エビやアワビのお造りなど海の幸満載でした。
全12品、完食!
翌日はコクのある伊勢エビの味噌汁で仕上げ。
歩いて1分のところに漁港があり、とれたてのサザエが15個で1,200円!
お魚市場の半額以下ですよ!
帰りは鳥羽で真珠を購入、二見浦では焼き貝と海の幸たっぷりのラーメン、海ずくしです!
ところが、松坂に寄って高速に入ったのは良いのですが、事故渋滞40km!
仕方なく津で降りて一般道を走ったのですが、津市内を抜けるのに1時間、帰りは夜になりました。

いっそのこと、というわけで夕食(夜食)は回転寿司でまたまた海の幸・・・。
思い出に残る旅になりました。
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徳山ダム

2009年05月17日 | 思い出
連休に徳山ダムにも出かけました。
河村名古屋市長が最近「水不要論」を投げかけるなど、昭和30年代の建設計画当初から賛否両論がありました。
ダムには徳山会館があって、3年ほど前に亡くなった増山たづ子さんが撮られた写真なども掲示され、旧徳山村の生活やダムの建設状況などが見られます。
生まれ育ったふるさとがなくなるという、通常は考えられない事態に思いを巡らせると、悲しい気持ちになりました。
ダムに限らず、安全で快適な生活は、何かの犠牲の上に成り立っているんだと再認識せずにはいられませんでした。
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ミツカン

2009年05月10日 | 思い出
このゴールデンウイークに、愛知県半田市の博物館「酢の里」へ行ってきました。
駐車場に車を止めて降りると、ほのかに酢の香りがしてきます。
博物館の見学は予約制ですが、空きがあれば飛び込みでも見学することができます。
運河沿いにある板張りの古めかしい建物は、歴史を醸し出します。
見学は1時間、最初に映画の上映があり、その後現在も使われている工場を見学することができます。
この博物館と通販でしか購入できない「山吹」という酢も購入できます。
ちょっとした穴場かな。
http://www.mizkan.co.jp/sunosato/

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花火

2008年08月13日 | 思い出
久しぶりに花火を見ました!
本格的な花火です。水上花火が見られるのは、この周辺では川辺町だけではないでしょうか。
黒い水面に大輪の花が咲くのは、見事としか言いようがありません。
水中の魚にとっては迷惑な話かもしれませんが。
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小椋佳さんについて

2008年01月03日 | 思い出
年末、“過去”を整理していたら、小椋 佳さんいついて書いたことを思い出しました。もう30年も前のことです。
最近は、落ち込んだときに聴く歌は何だろうと考えても、浮かんできません。
当時が懐かしく思い出されました。


僕と佳さんの出会いは、そう、どこにでもあるようなものなんです。
あれは確か僕が中学生の時、深夜のラジオ放送から佳さんの歌が聞こえてきたんです。
その時は別に感動なんてことはありませんでした。でも、次の日、そして次の日にも佳さんの声、メロディー、そして詩が心の中のどこかに残っていました。
何か月かが過ぎ、再び佳さんの歌をラジオで聴くことができました。
その時僕は、何かこう、とても懐かしいやさしい、そう、ふるさとの田舎道の道ばたで幼い日の思い出を見つけたような、そんな気分になりました。
僕は高校に進み、その納得のいかない生活に疑問を持ち、いろんなことを考えるようになりました。
人生について、愛について、幸福について、そして自分について・・・。
笑えない日が続きました。心から笑えない日が・・・・。
いくら考えても答えが出せない、時だけが無情に過ぎていくのに何もできない・・・。
僕は詩を書き始めました。これはある友人の影響です。そして自分のできるだけ素直な気持ちを残そうと努力しました。でもだめなんです。別に人に見せるのを目的としていないのに、全然素直な気持ちが残せないんです。結局、自分がわかっていなかったのです。そんな時、友達がいいレコードがあるから聞いて見ろよ、と貸してくれたのが「残された憧憬」でした。このLPは、サブタイトルが「落書」といって、佳さんの思っていること、考えていることがとてもよくわかります。彼の人生についての悩み、自己自身へのいらだち、社会への怒り等々・・・。
そして音楽的感動を与えてくれたのもこのLPでした。元モップスの星勝さんのアレンジが、実に見事なのです。詩と曲がぴったりマッチしていて、芸術的な出来映えなのです。僕はこのLPを聞いて、一体佳さんてどんな人だろうな、と考えるようになりました。
ここで僕が調べた佳さん自身のことについて書きたいと思います。
小椋 佳  本名 神田紘爾 32歳 第一勧業銀行勤務 妻 佳穂里 長男 知秀次男 宏司
次になぜ佳さんが「小椋 佳」というペンネームを使っているかお話ししましょう。
彼は黒門小学校で同級生だった「塚原佳穂里」という女性に恋をしていた。しかし、大学3年の時彼女は文学座に入って女優の道を選ぼうとして彼に別れを告げた。彼は旅に出た。彼女のことを忘れるために・・・。彼は檜原湖の近くの村の「小椋」という家で苦悩の日々を送っていた。するとある日、スーツケースを持った女性がその家の前に立っていた。そう、彼女が佳穂里さんなのです。そこで彼はその感激を忘れないためにペンネームを「小椋 佳」としたというのです。
今度はなぜ佳さんがシンガーソングライターになったかお話ししましょう。
彼は大学時代弁護士になるのが夢でした。でも司法試験に落ちてしまいました。まあ、そこで成り行きみたいなもので銀行に就職してしまいます。そしてある日「さよならのかんずめ」というミュージカルを見たのです(このミュージカルは、宝くじで100万円当たった青年が、そのお金で作ったもの)。彼はこの行為に感動して「何かしなくては!」そう思うようになりました。そして彼がこの世界に入ったきっかけの人物といえる寺山修司さんに電話をします。「なんでもいいから一緒にやらせてください!」と。その後寺山さんが担当していたラジオ番組に出演し、レコーディングの機会を持つことになりました。そして天井桟敷の企画による自主制作レコード「初恋地獄篇」の中で「春よ来い」と「手紙」の2曲を歌うことになったのです。
 また、このレコードが彼や井上陽水を世に送り出したレコードディレクター、多賀英典さんとの出会いのきっかけともなるのです。
「残された憧憬」を聞いて感激した僕は、ほとんど毎日聞き続けました。そして聞く度に新しい感動が心を揺さぶるのです。そうしているうちに、佳さんの次のLP「夢追い人」が発表されました。そこで僕は前よりもすばらしい感動を覚えました。A面の2曲目とB面の最後に「思い込み」という曲があります。
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なによりまして自由なものは心の中の物思い
目をひらく以外に止めるものはない
道を横切り蝶々が飛んだ
白いテープの一筋に
なつかしく思う 遠い運動会

鏡をみれば なぜ僕だけが
風のない日の 鯉のぼり
まわりはこんなに跳ね回っていて
一日ずっと、いらついたのは
思いがけなくある人に 穏やかな人と言われたりして

サングラスして会いに来た君
少しも君に似合わない
君の場合それは照れ隠しでしょう
疲れたという気がしているのは
汚れたはずの手のひらに
おもちゃが残っているからなんでしょう

なによりまして自由なものは
心の中の物思い
目をひらく以外に止めるものはない
寒さが特にいやだと言って
雪の日はただ好きなのは
ものみなすべてが 無口になるからだ

朝はいつでも待ちもせぬのに
早く始まる三日月が
僕のなかでまだブランコしてるのに
変わってしまう君との会話
白い壁との独り言
ガード下で遊ぶキャッチボールみたいに

レモン切る時 ふと辛いのは
大切なものが死ぬ時の
寂しい香りが広がるからでしょう
彩色されてゆくことだけで
それを成長と呼ぶのなら
僕は彩りを拒むことにしよう

海辺の街に去った友達
話し聞こうか 久しぶり
私はコーヒーにヨットを浮かべる
これが私の最後の歌と
愛せる人につげる日を
待ち潰すために 今日も歌づくり
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何て素直で、何て深遠で、僕はこの感激を表す言葉を知りません。夜、一人で聞いていると不覚にも涙してしまうのです。彼の詩と、声とメロディーが、僕をどうしようもなくしてしまうのです。そして彼のうわべだけしか知らない人を僕は不幸だと思わないわけにはいきません。彼の世界の深さを・・・・。どうすればこれだけ見事に気持ちを表現できるのでしょう。それには自分の周りを通り過ぎていく、あらゆる出来事に冷静な目を持たなければなりません。そして何よりも自分の置かれた位置、それに自己を理解していなければなりません。また、あらゆるものに対して眺めるだけにとどまらず、絶えず疑問を投げかけることも大切です。子どものように「なぜ?」と。そうすることによって自分を人間として確かめて行くことになりはしないでしょうか。
この佳さんの思い込みという歌には、実に深いものがあります。たとえば、「疲れたという気がしてるのは 汚れたはずの手のひらにオモチャが残っているからなんでしょう」
というのがあります。どういうことかわかりますか?
僕もこの理解には苦しみました。でも一応それらしき答えが出せました。
つまり「汚れた」を「大人」と理解します。「オモチャ」を「子ども」に置き換え、「手のひら」は自分自身とします。もうわかるでしょう。「彩色されてゆくことだけで それを成長と呼ぶのなら 僕は彩りを拒むことにしよう」これは僕にとても深い反省を与えてくれました。「彩色」という言葉を「感化」と置き換えてもよくわかると思います。
 このように自分でも気がつかない「現実」を、佳さんは実にうまく捉えて完成された「詩」として表現しているのです。何てすばらしい、そしてすてきなことなんでしょう。
僕はどうしようもなく彼をうらやましく思い、そして人間として尊敬してしますのです。
 今の時の流れに逆らうかのように(しかしこれが真実と見極めることが大切なのですが)「今」を大切にしてその上に自分の人間としての未来を築こうとしている、そんな佳さんがとても偉大に見えるのです。
 もちろん、僕は歌の上でしか佳さんを知りません。でも「小椋 佳」という人間が手を取るようにわかるのです。流行らせるために作る歌ではなくて、自分の気持ちを正直に表現した歌、つまり心の歌です。忘れてはならないことではないでしょうか。
情報とともに同時進行する価値の相対化に対して、どれだけ冷静な目で世界を見渡せるか、そしてどれだけ正確に自己自身を捉えるか、これが大切だと考えます。毎日が時間との競争で、口ばかりで過ぎてゆく日々。そんな時一人で目を閉じると、いろんな想いが浮かびます。幼い日のこと、写真のように心に焼き付いて離れない思い出の一場面。心を傷つけられたあの日の出来事。夢。でもこれらはすべて自分一人では成り立ちません。必ず相手があります。社会であったり、女の人であったり、うまく表現できませんが、人間は絶えず「成長」しなければなりません。前に「思い込み」にあったように、「成長」とは「彩色」されて行くことではありません。そう、あらゆるものを「自分のもの」にしなければなりません。
佳さんの曲の中で、キラッと輝く部分を紹介しましょう。

(省略。そこにいる君ではなくて、飛べない蝙蝠等々、紹介がある)

佳さんは僕にとってとても大切な人です。考えることを教えてくれた、自分自身を、そしてあらゆる出来事を冷静に見つめることを教えてくれた、いわば恩師です。
そして一種の宗教的な光さえ感じるのです。
そして再び思わないわけには行きません。小椋 佳を知らない人は不幸だと。

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伊吹山ドライブウェイ

2007年11月12日 | 思い出
急に寒くなりました。
ちょっと風邪気味かな・・・。
昨日、伊吹山ドライブウェイに行ってきました。
紅葉真っ盛り、とてもきれいな風景に出会いました。
雲の切れ間から日が射したところがくっきりと浮かび上がって、切り絵のようでした。

もうずいぶん昔、高校生の時にバイクであちこちの峠を走りまわってたころに行ったきりで、本当に久しぶりにドライブウェイを走りました。
かなり風が強く、寒いせいもあって、さすがに頂上まで歩く気にはなれなかったけど、来年の春あたりはバイクで来たいと・・・。
その前に、バイクを調達しなければ!

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興風荘3

2006年05月20日 | 思い出
いよいよ入学式の日。
和座君の従兄弟のヒデちゃんと出かけることにした。
ところが約束の時間が過ぎでもヒデちゃんが来ない。
遅れること30分!地下鉄じゃ間に合わない!入学早々遅刻だ!ということでタクシーで行くことにした。
大学生の分際で、ましてや入学初日、まさかタクシーで行くことになろうとは。
「○○大学まで!」運転手さんに行き先を告げて、なれないスーツに身を包んだ新入生二人。
運転手さんは「へ〜、○○大学かぁ。ウチの甥坊も行ってるよ!ちょっと交通の便は悪いけど、設備は良いんだよね!」
と気軽に話しかけてくる。
東山通りを右折???へ〜、さすがタクシーの運転手さんだ。近道を行くんだね!
部活は何にする?今日の昼メシはどうするんだ?
と話していると、やけに街から離れていく。
「はい、着いたよ!」と運転手さん。
はい、ど〜もありがとう!と門を見ると、「××大学」の文字が目に飛び込んできた・・・。
『うんでんじゅざん、僕だぢは○○大学なんだけど・・・』
「あ”〜、まぢがえだ。××と思いごんでた!」
『・・・・・・』
「大至急行くから!」
と、タイヤは鳴らすは、信号無視はするはで急いでくれたことは良いんだが、結局入学式には大遅刻!
先が思いやられる大学生活の初日だった。
        To be continued・・・・・
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興風荘2

2006年01月23日 | 思い出
興風荘は、千種区城山町にあった。木造の二階建てで、もともとは僕の大学の附属高校の教員住宅用だったらしい。四条半一間の部屋が一階、二階にそれぞれ四室。
家賃は4500円。共同の流しと炊事場、大家さんの庭にある外風呂。大家さんは加藤さんと言った。旧家らしく、興風荘自体も庭に建っている、と言った具合で、名古屋の高級住宅街の中に、広くて静かなたたずまいを見せていた。本宅にも5人くらいが下宿していたように思う。
この興風荘で、僕の初めての一人暮らし、つまり100%誰にも拘束されない自分の生活が始まった。
興風荘の1階には芸大浪人2年目の福田君、清水君、歯学部4年生の大口さん、そして名古屋大学1年生の渡辺君、2階は全部僕と同じ大学の1年生、島根の築谷君、淡路島の笹野君、滋賀県の森君、そして僕。
本宅には幼なじみの和座君も下宿していた。
新しい生活は遅刻から始まった。
        To be continued・・・・・
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興風荘

2006年01月08日 | 思い出
正月の楽しみのひとつに、年賀状がある。年に一度、心をあらためてお互いの近況報告やら日々のお礼を伝える。
これだけITが普及した世の中で、正月だけ人の手を介して伝える情報、いわばアナログ的な通信手段が使われるのもおもしろい。
学生時代の友人からの賀状に、「ドライバーをしています。気楽で楽しいです!」と手書きで添えてあった。
彼は成績も優秀で、製薬会社に就職し、数年後には外資系の製薬会社に転職、多くの部下を持つ部長クラスの位置にいるはずだった。晴天の霹靂である。
気になって電話をしてみた。考えてみれば彼の声を聞くのは数年ぶりだ。最後に会ったのはもう20年以上前になる。

受話器の向こうの彼の声は、思いの外元気で、やあやあという感じで「びっくりしたやろ!」
続けて「今タクシーの運転手やってんねん。サラリーマンと違って安気でええわ」
「思い切ったなぁ。何でやった?」と僕。
「ええかげん嫌になったんや。組織の中におるのが。鬱になりかけた。退職金でこの家買うて、実家へも何年も行ってへん」
彼は滋賀県出身で、あちこち転勤し、千葉にいるとき退職した。だから、現在は千葉に住んでいる。
「実家は誰が継いでるんや?姉さんか?」
「姉貴は実家の隣町にいる。たまに覗いてるようやからだいじょうぶやろ。それにしても懐かしいなぁ。みんなも年賀状くらいで連絡とってへんけど、元気かいなぁ。最後に友さんに会うたのは実家へ子どもが生まれたときお祝いに来てくれたときかなぁ」
友さんとは僕のことである。彼は1歳年上で、高校を卒業して銀行に就職するものの、学歴差別を感じて大学に入り直したのである。
彼とは、興風荘という下宿屋で知り合った。
    To be continued・・・・・
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