つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
愛犬と町を歩き、記録し、記憶する。
私的津幡町見聞録、時々イラスト。

縁は異なもの味なもの。

2016年10月09日 09時48分54秒 | これは昭和と言えるだろう。
拙ブログをご覧の皆さんは、縁起を担ぐ方だろうか?
きっと、大なり小なり気にする場面があるだろう。
僕の場合は、やはり「競艇」だ。
「幸運をこじつける」ために習慣になっているのは、
マークシートに書き込む時の色合わせである。

競艇競技に使用されるボートは、必ず6色に分けされている。
1号艇→白、2→黒、3→赤、4→青、5→黄、6→緑。
目星をつけた舟と同じ色のペグシル(簡易プラスチック鉛筆)を使い、
祈りを込めてマークするのだ。
レース結果とは、何の関係もないのに(笑)。

人は、何かにつけて縁起がいい、悪いと口にする。
それは無事を願う心の現れ。
一寸先は闇。
競艇の勝敗と同じく、未来の事など誰にも分らない。
だから、不安にかられて縁起を担ぎたくなる。
夜に爪を切らない。
夜に口笛を吹かない。
柳の下を通る時は親指を隠す。
こうした「行為」に限らず「数字」の語呂もその対象。
特に「死」を連想させる「4」が敬遠されてきた。

先日、散歩中に「縁起を担ぐ駐車場」に行き当たる。

場所は、津幡川沿い。
住ノ江橋近くの細い車道である。

「4」がない。
一方で、西洋の縁起担ぎ「13」には無関心。

「キリスト」が最後の晩餐の食卓についた時の人数として、
日本に「13」のイメージの悪さが定着したのは、
映画「13日の金曜日」に依るところが大。
作品の公開が1980年(昭和55年)だから、
画像の駐車場が整備されたのは、少なくとも昭和の頃ではないだろうか。

「縁起」は、本来、仏教用語。
「全ての存在は無数・無量の因縁によって在り得ている」という意味だが、
「吉凶の前兆」を指すものとして、大切に意識されてきた。
所変われば担ぎ方も変わるが、縁起のジンクスは世界中にある。
人の営みには必要不可欠なのかもしれない。
『石川県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 気が付けば、秋の只中。 | トップ | 武と美を兼ね備えたヒロイン... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

これは昭和と言えるだろう。」カテゴリの最新記事