つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

友に贈ったラスト・メッセージ(別れの手紙) ~ チェ・ゲバラ。

2017年07月22日 07時04分01秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第五十一弾は、「チェ・ゲバラ」。

有名人・著名人は数多くいるが、その顔が一種のデザインとして流布するケースは、
案外少ないかもしれない。
今回のモチーフは、そんな稀有な一人だ。
紙幣、Tシャツ、タバコ、フィギュア、ポスター、旗、壁画…。
様々な場所、アイテムに使われている。
何故だろうか?
やはり、カッコいいからだろう。
見た目も、生き様も。

本名「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」。
1928年(昭和3年)、南米・アルゼンチン第二の都市で生を享けた。
経済的に恵まれた環境だったが、健康状態はよくなかった。
喘息の発作に苦しめられ、満足に通学できない少年時代。
彼は、母親からの薫陶を受けて育った。

成長し、ブエノスアイレス大学医学部に進学。
医師免許を取得する傍ら、南米各地を放浪する旅に出て、思い悩むようになる。
資本家や政治家に搾取される貧しい人たちと接し、
ラテンアメリカの抱える矛盾や影を見てしまったからだ。
そして、生き方を変えた。
『医者は限られた人間を救えるが、善政を行う為政者は万人を救う』
卒業後、グアテマラの内戦に身を投じ、左派政権軍の一員として戦うが敗北。
潜伏先のメキシコで出会ったのが、キューバ人の青年弁護士「フィデル・カストロ」だった。
このとき「ゲバラ」27歳、「カストロ」29歳。
2人共若く、情熱を燃やし、理想を夢見ていた。

まだまだ、波乱万丈の革命物語は続く。
その顛末は、他に譲るとして、要約して記載したい。

「フィデル・カストロ」、「チェ・ゲバラ」らが中心となった「キューバ革命」は少数精鋭から始まり、
壮絶なゲリラ戦を展開しながら民衆を味方につけ、勝利を勝ち取る。
国の大臣として新生・キューバの建設に取り組んだ「ゲバラ」だったが、
1965年(昭和40年)、突如、失踪。
裸一貫、一戦士として、次の革命を求め旅立ったのだ。
アフリカのコンゴで戦い、続いて南米ボリビアへと転戦。
1967年(昭和42年)、39歳の若さで命を散らした。
…地位に安寧せず、現場の人として生き、夭逝したからこそ、彼は英雄になった。

最後に「ゲバラ」がキューバを離れる際に認(したた)めた、
「カストロ」宛ての手紙を紹介したい。
少々長くなるが、ご容赦を。


(※別れの手紙 : 三好徹 訳)

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