この2週間は、緊急の出張も含めて、あちこち飛び回っていた。
その間ふくらはぎの肉離れに見舞われ、雪の札幌では本当に怖い思いもしたが、足の方も何とか無事に回復しつつある。
書きたいこともいろいろあるが、備忘録の意味も兼ねて、先月聴いたフリットリのリサイタルの感想から。
昨年6月、メト来日公演の「ドン・カルロ」ではネトレプコのドタキャンのあおりを受けて、結果的にあれ程楽しみにしていたフリットリのエリザベッタが聴けなかった。
いま思い返しても、本当に残念としか言いようがない。
過去の来日公演でフリットリが歌ってくれたエリザベッタ(ミラノスカラ座のドン・カルロ)、フィオルデリージ(ウィーン国立歌劇場のコジ・ファン・トュッテ)は、今も私の心の中で極めて鮮烈な思い出として残っている。
とくにスカラ座のドンカルロは、いくつか残念な部分もあったが、フリットリとパーぺの圧倒的な存在感と名唱がその不満を補ってあまりある素晴しさだった。
そんなフリットリが2年ぶりにリサイタルを開くというので、この日私は仕事を早々に片付けて、いそいそとオペラシティに向かった。
冒頭の「サロメの7つのヴェールの踊り」は、迫力はあるが、如何せん色彩感と官能性に乏しい。
リヒャルト・シュトラウスの音楽は、オケの表情だけでも、ふわりと空中に投げ出されてしまうような感覚を味わえるはずなのに、残念ながらそのような体験はできなかった。
でも、フリットリが入ったら、きっと変わるはずだ。
あの美しい「最後の4つの歌」を、彼女はどんな風に聴かせてくれるのだろう。
私は大きな期待をもって、次の曲を待った。
万雷の拍手に迎えられて、フリットリがステージに登場する。
辺りを払うというのは、まさにこんなことなんだろう。
まだ一音も発しないのに、圧倒的な存在感だ。
そして第1曲の「春」が始まる。
2年ぶりに聴くフリットリの声は、しっとりとして艶やかで、私を魅了した「あの声」だった。
なかでも、第3曲が本当に良かったなぁ。
しかし、オケにはまだまだ不満。
これはオケというよりも、指揮者のテナンの責任かもしれない。
テナンは、大仰なジェスチャーで指示を出すが、出てくる音がリヒャルト・シュトラウスに不可欠の精妙さに欠けるのだ。
誤解を恐れずにいうなら、mf〜ffの間で音楽が表現されているという印象がぬぐえない。
フリットリの歌が、ニュアンスにとんだ素晴しいものだっただけに残念だった。
後半は、オール・ヴェルディプロ。
1曲目はオテロのバッラビレ。
ここで音楽の神様が舞い降りてきた。
オケの響きに色彩感と生命力が宿ってきたのだ。
これは、いけるかも・・・
果たして、前半と衣装を変えて登場したフリットリが歌うレオノーラのアリアはもう絶品としかいいようのない名唱だったが、オケもフリットリと実にうまくオーバーラップできるようになってきた。
こうなったら、しめたもの。
その後は、もう無我夢中でフリットリの歌に酔いしれ、気がついたらもう一人のレオノーラのアリア(運命の力)が終わろうとしていた。
それにしても凄い。この人のヴェルディは凄すぎる。
抜群の歌唱技術とシルクのような美しい声は、どこか全盛期のヤノヴィッツを思わせるが、加えてフリットリの場合は劇的な表現力も併せ持っている。
こんなディーヴァが歌うヴェルディが極上のものにならないわけがない。
昨年、大震災・原発問題で多くの音楽家が来日を拒んだ中、「こんな時だからこそ、大好きな日本のために力になりたい」と言ってくれたフリットリ。
ドタキャン歌姫の代わりに、準備してきた演目を替えてまで、穴があかないように必死で舞台を作ってくれたフリットリ。
そんな彼女が、この日も最高に素敵なコンサートをプレゼントしてくれた。
いつか、伝説のジャパンライブとして語り継がれるかもしれない。
少なくとも、私はずっとそう思い続けると思う。
☆バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル
<日時>2012年1月26日(木)7:00p.m.
<会場>東京オペラシティ コンサートホール
<曲目>
R.シュトラウス:
■歌劇『サロメ』より 「7つのヴェールの踊り」[オーケストラ]
■歌曲「四つの最後の歌」
ヴェルディ:
■歌劇『オテロ』より 第3幕 舞踏音楽(バッラビレ)[オーケストラ]
■歌劇歌劇『イル・トロヴァトーレ』より
レオノーラのカヴァティーナとカヴァレッタ「穏やかな夜〜この恋を語るすべもなく」
■歌劇『アッティラ』より 前奏曲 [オーケストラ]
■歌劇『シモン・ボッカネグラ』より "夕やみに星と海はほほえみ"
■歌劇『運命の力』より 序曲 [オーケストラ]
■歌劇『運命の力』より "神よ、平和をあたえたまえ"
(アンコール)
■プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」より氷のような姫君の心も
<演奏>
■指 揮:カルロ・テナン
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
その間ふくらはぎの肉離れに見舞われ、雪の札幌では本当に怖い思いもしたが、足の方も何とか無事に回復しつつある。
書きたいこともいろいろあるが、備忘録の意味も兼ねて、先月聴いたフリットリのリサイタルの感想から。
昨年6月、メト来日公演の「ドン・カルロ」ではネトレプコのドタキャンのあおりを受けて、結果的にあれ程楽しみにしていたフリットリのエリザベッタが聴けなかった。
いま思い返しても、本当に残念としか言いようがない。
過去の来日公演でフリットリが歌ってくれたエリザベッタ(ミラノスカラ座のドン・カルロ)、フィオルデリージ(ウィーン国立歌劇場のコジ・ファン・トュッテ)は、今も私の心の中で極めて鮮烈な思い出として残っている。
とくにスカラ座のドンカルロは、いくつか残念な部分もあったが、フリットリとパーぺの圧倒的な存在感と名唱がその不満を補ってあまりある素晴しさだった。
そんなフリットリが2年ぶりにリサイタルを開くというので、この日私は仕事を早々に片付けて、いそいそとオペラシティに向かった。
冒頭の「サロメの7つのヴェールの踊り」は、迫力はあるが、如何せん色彩感と官能性に乏しい。
リヒャルト・シュトラウスの音楽は、オケの表情だけでも、ふわりと空中に投げ出されてしまうような感覚を味わえるはずなのに、残念ながらそのような体験はできなかった。
でも、フリットリが入ったら、きっと変わるはずだ。
あの美しい「最後の4つの歌」を、彼女はどんな風に聴かせてくれるのだろう。
私は大きな期待をもって、次の曲を待った。
万雷の拍手に迎えられて、フリットリがステージに登場する。
辺りを払うというのは、まさにこんなことなんだろう。
まだ一音も発しないのに、圧倒的な存在感だ。
そして第1曲の「春」が始まる。
2年ぶりに聴くフリットリの声は、しっとりとして艶やかで、私を魅了した「あの声」だった。
なかでも、第3曲が本当に良かったなぁ。
しかし、オケにはまだまだ不満。
これはオケというよりも、指揮者のテナンの責任かもしれない。
テナンは、大仰なジェスチャーで指示を出すが、出てくる音がリヒャルト・シュトラウスに不可欠の精妙さに欠けるのだ。
誤解を恐れずにいうなら、mf〜ffの間で音楽が表現されているという印象がぬぐえない。
フリットリの歌が、ニュアンスにとんだ素晴しいものだっただけに残念だった。
後半は、オール・ヴェルディプロ。
1曲目はオテロのバッラビレ。
ここで音楽の神様が舞い降りてきた。
オケの響きに色彩感と生命力が宿ってきたのだ。
これは、いけるかも・・・
果たして、前半と衣装を変えて登場したフリットリが歌うレオノーラのアリアはもう絶品としかいいようのない名唱だったが、オケもフリットリと実にうまくオーバーラップできるようになってきた。
こうなったら、しめたもの。
その後は、もう無我夢中でフリットリの歌に酔いしれ、気がついたらもう一人のレオノーラのアリア(運命の力)が終わろうとしていた。
それにしても凄い。この人のヴェルディは凄すぎる。
抜群の歌唱技術とシルクのような美しい声は、どこか全盛期のヤノヴィッツを思わせるが、加えてフリットリの場合は劇的な表現力も併せ持っている。
こんなディーヴァが歌うヴェルディが極上のものにならないわけがない。
昨年、大震災・原発問題で多くの音楽家が来日を拒んだ中、「こんな時だからこそ、大好きな日本のために力になりたい」と言ってくれたフリットリ。
ドタキャン歌姫の代わりに、準備してきた演目を替えてまで、穴があかないように必死で舞台を作ってくれたフリットリ。
そんな彼女が、この日も最高に素敵なコンサートをプレゼントしてくれた。
いつか、伝説のジャパンライブとして語り継がれるかもしれない。
少なくとも、私はずっとそう思い続けると思う。
☆バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル<日時>2012年1月26日(木)7:00p.m.
<会場>東京オペラシティ コンサートホール
<曲目>
R.シュトラウス:
■歌劇『サロメ』より 「7つのヴェールの踊り」[オーケストラ]
■歌曲「四つの最後の歌」
ヴェルディ:
■歌劇『オテロ』より 第3幕 舞踏音楽(バッラビレ)[オーケストラ]
■歌劇歌劇『イル・トロヴァトーレ』より
レオノーラのカヴァティーナとカヴァレッタ「穏やかな夜〜この恋を語るすべもなく」
■歌劇『アッティラ』より 前奏曲 [オーケストラ]
■歌劇『シモン・ボッカネグラ』より "夕やみに星と海はほほえみ"
■歌劇『運命の力』より 序曲 [オーケストラ]
■歌劇『運命の力』より "神よ、平和をあたえたまえ"
(アンコール)
■プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」より氷のような姫君の心も
<演奏>
■指 揮:カルロ・テナン
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団










実際、予想をはるかに上回る素晴らしさでした。彼女にとっては東京オペラシティのホールが狭すぎたのかもしれません。彼女の持つ表現の多彩さ・豊かさ・スケールの大きさは、歴代の名ソプラノに全くひけをとらないものでした。
彼女はやはりオペラの人ですね。生粋のイタリアンとしてイタリアオペラの真髄を極めつつつあります。
あの日も、オペラの舞台でないことをもて余して、演技したくてしょうがない、といった風でした。
たぶん、彼女は十分に余力を残して歌ったと思います。
「私のお父さん」など彼女は余裕シャクシャクでした。でもプログラムの最後の二曲(チレアのオペラアリア)で、彼女がちらっと本気を出した瞬間、鳥肌が立ちました。コンサートホールが揺らいだような感覚を覚えたのです。
そして、熱狂的な聴衆のスタンディングオベーションに、彼女は一曲だけアンコールを歌いました。日本公演の最後に彼女が選んだ曲は、プッチーニのトスカより「歌に生き、恋に生き」でした。超有名アリアを彼女は臆することもなく、美声をふりまいて、歌いきりました。これ以上、何を望みましょう。もっと聴きたければ、もっと大枚はたいてオペラの舞台で聴くのみです。
原発で汚染された日本に来てくれた彼女に感謝。
フリットリは、今や「現代の」という前振りを付けずに語れる数少ないディーヴァの一人だと確信しました。
>彼女がちらっと本気を出した瞬間、鳥肌が立ちました。コンサートホールが揺らいだような感覚を覚えたのです。
仰ること、よくわかります。26日のリサイタルでは、「この感じ」が後半早々に来てくれたので、本当にラッキーでした。
>もっと聴きたければ、もっと大枚はたいてオペラの舞台で聴くのみです。
私も同感です。彼女が出演する舞台なら、指揮者や歌劇場がどこでもいいような気がします(笑)
また、是非ご一緒しましょう。