杵屋六郎ブログ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

三味線の基礎練習なら練習帳をお薦め

2015-09-23 02:59:45 | 日記
三味線基礎練習帳の役立て方 お稽古の仕方を考える上で色々と参考になります。構え、調子合わせ、練習方法、弾く前の準備運動など三味線の稽古に役立つ方法をイメージイラストでわかりやすく解説しています。読んで理解できたと思っても実技での実行は難しいものです。体が覚えるまで飽きずに繰り返し練習してください。
芸術に関わることは人生を豊かにし、生きがいのある趣味が持つことがその第一歩です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

インターネットによる三味線の稽古を開始しました

2015-09-14 01:25:27 | 日記
デスクトップ3台、ノート1台をウインドウズ10にアップグレードしたのでいよいよ念願のインターネットによる長唄、三味線の稽古ができるようになりました。
記念すべき最初のお稽古相手は結婚してドイツに在住の澁谷さん。
長唄、三味線の稽古ホームページも更新しました。
kineyarokurou.sakura.ne.jp

クラウドを活用した新しい長唄、三味線の稽古は日本のどこからでも、海外からでも可能になりました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

名人 常磐津林中

2015-09-09 02:29:41 | 日記
常磐津林中
盛岡市のホームページに以下のように記載されている。
常磐津林中(本名:山蔭(やまかげ)忠助)は1842年(天保13年)12月28日,江戸芝桜田久保町(現:東京都港区西新橋)にて盛岡藩士石川清蔵の子として生まれた。生後間もなく,同じ町内に住む山蔭(やまかげ)定五郎に引き取られ育てられる。
林中は豊後系江戸浄瑠璃(じょうるり)の一派の常磐津において名人と言われる。
幼いころに常磐津を習い,1850年(文久2年)からは常磐津小和登太夫と名乗り,近世の名人と言われた豊後大掾(ぶんごのだいじょう)のもとで修行した。豊後大掾(ぶんごのだいじょう)の死後は,家元門下の初代松尾太夫のもとで学び,師匠の後を受け2代目松尾太夫の名を継ぐ。このころから芸の腕を見込まれ,1879年(明治12年)7月,家元の養子となり7代目常磐津小文字太夫の名を襲名した。林中は家元として,安政年間より続く常磐津派と岸澤派の和解に努めたが,養家と折り合いが悪くなり,1886年(明治19年)に家元を退き林中と名乗る。のちには宮古路国太夫半中と名乗って地方への興行を行い,実父の故郷盛岡へ移り住んだ。盛岡では幡街の芸者を中心に常磐津を教えながら芸を磨く。1890年(明治30年),東京へ戻った林中は9代目市川團十郎らと「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきと)」を上演する。この時團十郎は林中の出来栄えに感じ入り,“この人が語らなければ躍らぬ”と発言したと伝えられている。
明治維新の元勲であった後藤象二郎もまた林中の常磐津を聞き,“今日の語物は詞が沢山あっても,実に面白く聴かれた。語者によって斯うも違うものであるか”と言い残している。

最近、常磐津林冲のCDをアマゾンで入手した。
音源が古いのでよく聞こえないい部分もあるが演奏内容がとても素晴らしい。
吉住慈恭や清元延寿太夫に大きなな影響を与えた浄瑠璃はまさに本物であり、解説するよりは本物を聞くのが最も理解出来る近道となる。
江戸時代の芸を肌で感じ取れる貴重な資料だ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加