海炎窯から

窯辺雑記

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干支作品 申(さる)

2015-12-02 10:51:38 | やきもの
(今年も恒例の干支作品販売のお知らせ)

来年の干支は 申。

海炎窯では力強く生きねばをモットーに、「ゴリラ」に焦点を
あわせました。

写真のkongの面々、例によって掌サイズですがその表情は様々です。
(焼成前の為白色ですが、焼き上がりは焦げ茶系色です。悪しからず)

身近に置いて、力強く日々を過ごしませんか?


一頭2,000円(送料手数料別)年内発送予定です。


rokuro57@gmail.com まで先ずは御一報を!

お待ちしています。
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手びねり会WEB展

2015-11-12 15:13:15 | 陶芸
”まちの駅 千住堀 手びねり会”の応用編グループが手掛けた作品の数々。

詳しい事は「海炎窯☆作品店」を御覧下さい。
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秋の陶器市を終えて月例の手びねり会へ

2015-11-08 09:16:17 | ことだま
地元の益子のお祭り、「秋の陶器市」を4日に終えて手びねり会の準備に入る。

陶器市も年々巨大化して、今や益子もりっぱな観光地だ。いいわるいは別として。

30年ちかく続けていると、自身作るものも変化するが、御客人(リピーターさんも含めて)も

近頃では若返ってきているような気がする。

今 を生きる若者たちがどういった 器 を求めているのか、陶芸に何を要求しているのか、

常々考えている。

窯業地で生活している限り、このような考え方は絶対にはずせない。

作りたいものを創る姿勢も大切だが、ニーズに合った作品作りを心がける事も今の時代を

やきもの屋として生きていくのであれば、忘れてはならない。

ネイムバリュウがあって、食べる事に何ら支障が無ければ別、だが。又、作家気取りで

考え方が異なれば、どうぞスルーして下さい。

長年同じ場所でやり続けているので、私どものテント店のお客さんはほぼリピーターだ。

毎年春秋と顔を見せて下さる方たちに私は生かされている。感謝以外の何ものでもない。

みなさん、また来春の市で元気に会いましょうね!今回もどうもありがとう

さて、



といったわけでありまして、今月も 手びねり会 をアニモでひらきます。「応用編」

ですので、ご常連がほとんどですが、一度陶芸を手びねりを体験したいと以前から考えてるあなた!

どうぞ気軽に見学なさって下さい。歓迎しますよ。

予約連絡先はいつものように、ぎゃらりーアニモ まで。どうぞよろしく。

「応用編」会員のみなさん、今回は 面取り作業。新しい道具を使っての作業です、気合い入れて

楽しみましょう!!

 ※同じ写真が二箇所に出てしまいましたね。お許し下さい、御愛嬌ということで.....。










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オオキナ御世話

2015-10-21 09:56:16 | ことだま
   人の生き方は様々である。他人の生き方をどうのこうのと言えるほど私は偉くない。

   ある意味他人に迷惑を及ぼさない限りであるならば、その人が人生をどう捉えて、 

   どのような人と接するかという事は自由ではないか。 

   有名人、有名地だから居心地が良いとは決して限らない。

   20代30代の者を相手にならまだしも、還暦過ぎた輩を相手にとつとつと処世術?などを

   もっともらしく説かれては、こちらはただただ鼻白むだけである。

   相手に対して 説く 以前に、己のこれまでの道程なりをよくよく見つめ直し、

   その上でさらに考慮して言葉ならびに文章なりで表現して欲しい。

   男でも女でも、配慮が足りなさ過ぎる 輩 が多すぎる。

   己の地位なり、やり方言い方が最適であると思っているのであるならば、

   今一度足元を見つめるべきであり、見つめ直す努力を怠ってはいけない。

   地位財産名誉等を手に入れたと思っているのであるならば、重ねて考慮すべきである。

   軽々しくもの言うのであれば、単なる欺瞞であり天狗になっているだけの輩である。

   相手の立場にたち、人となりをわきまえ、表現して当然である。

   世間は広いものである。

   知名度のある人間もいれば、無名の賢者もいる。

   私は東京の下町にうまれ、下町に育った人間である。

   どちらかと言えば、権力を嵩に威丈高・上から目線で物言う人間は大嫌いである。

   世の中は今生きづらい。

   何を仕事としていてもことさら上手くは運ばないのが現状である。

   おまけに人の心はささくれ立っている。

   一寸したものの言い方書き方等で誤解を招く事も多かろう。

   ものを言うことが容易いと思う立場にいると考えているのであれば、

   重ねて述べるが、よく考えてからにしろ。

   口数が少なかったり表現がうまくなかったりする者でも、胸の内では

   常にエナジーを蓄えて炎を燃やし続けているものである。

   「輩」相手に仰々しく述べ過ぎたか?このへんでやめておく。が、

   今一度。

   世の人の生き方は様々である。

   教え諭すつもりであるならば、それなりのTPOを考えよ。常識である。

   私は60をとうに過ぎている。言われたからハイそうですか、と即納得するほど

   頭の中は柔らかくない。

   大きなお世話である。 

   
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父の戦争

2015-08-26 10:58:52 | ことだま
今年は戦後70年ということで、TV界は今月中旬にかけて様々な特番を
組んだ。

あらゆる角度からあの「戦争」とは一体なんだったのか、という事に
照準を合わせた番組作りをしている。

ドラマ然り、当時の映像然り、中でも印象的だったのは、実際にあの時代を生き
体験した人々の語る、生の声 だった。

これに勝る真実は無いと思う。

体験談を披露された方々はいずれも80代90代の男女だ。

当時の体験談をこれ程多くの人が語ったことが、今までの 8月に
あっただろうか?

今語らねば、今言い残しておかねば、との思いが大多数のようだ。

私の幼少期。もの心付き始めたころ、そう昭和の30年代か。

東京の町には(特に都市部には)傷痍軍人、又はそれらしき人々、ぼろを纏った子ども、
が居た。

今でも記憶にはっきりと残っているのは、母に連れられ上野のデパートの屋上で
アイスクリームを頬張っていた時のこと。

年齢は私くらいか、兄妹だった。

私たちの坐る席の前に二人無言で立ち、アイスクリームを食べる私をじっと
見ていた目を、今でも忘れられない..........。

胸につかえる苦しさ。思い出したくは無い過去。聞きたいと思う気持ち。
聞きたく無かった残酷な言葉状況。

平和に慣れ親しんだ今の日本人たちにはショックな映像言葉も多かったようだが、
また反面当時の実情はさもありなんと理解した。

私の父も、当時は報道班員として南方に居た。

父は生前ほとんどと言っていいくらい、当時の話はしなかった。こちらも
とりたてて聞きもしなかった、というのが真実だが。

ただ一般論としての「兵隊」とは異なり、戦場で起きた事をフィルムに記録する仕事だったので、
気持ちのどこかでは客観的に出来事を捕らえていたのではないかと推測される。

少話であったが、危険な目にもあったようだ。
ゼロ戦に同乗しての急降下の激しさ。撮影記録後、謎の爆発をした戦艦の事等、
当時20代後半の自己を顧みて、小さかった私に話をしてた時を思い出す。

にちえい。正しくは 日本映画社 に勤務していた父は、当時南方の何処に
いたのか私には知る由もなかったが、昨今のネットの普及で  こんな記事  を見つけた。

この一文の最後の方に、「日映ジャカルタ製作所人員表」の中に、父の名が一行記されていた。

何を思いどう過ごしたのか、今となっては聞く術もないが、20代の若者が当時の状況下での
青春の過ごし方を思えば.....。切なくなる。

南方をいよいよ引き上げとなって、帰りの船の時間にどうしたわけか間に合わず、結局
その次の船に乗る事になったのが、父の命のわかれ目になったようだ。
予定どおりの艦に乗っていたら、父は生きていなかった。当然私も今いない。

その艦は日本に向かう帰路、米軍の攻撃を受けて沈没したそうだ。
生死の分岐点がこれ程はっきりと現れた事実も今の世の中からは想像もできない。

嫌なこと、言いたくないこと、を胸に秘めたまま逝った方たちもどれ程当時の体験者には居たことか。
御冥福をただただ祈るのみである。

写真は後年民放局に入社した父(左)。番組の打ち合わせか?中央に写る林家三平(先代)師匠との談笑風景。

この屈託無い笑顔の裏には、当時の人にしか理解しえないつらい過去があったのだ。

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