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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【とりとめのない記録】 神無月前半の私

2016-10-12 11:31:47 | よしなしごと
久々の一人外ごはん

           

 時間の都合でこうなった。留守居のつれ合いの食事は準備してあるからOK。
 まずは一杯。あては、アジのなめろうと長芋の刺身。酒は浦霞本醸造を冷で。

           
 
 〆はもり蕎麦。
 代金は2,700円ほど。年金暮らしの老人には贅沢か。
 大名古屋ビルヂングB1、「石臼挽きそば 石月」にて。

電線王国日本

           

 空を見上げるとき鬱陶しいのが電線の多さ。
 風景写真を撮る人も泣かせる。
 そこで逆手をとって、電線の風景を撮ってみた。
 このショットの中にある電線、50本近い!
 それぞれがどこからどこへ繋がっているのか、想像すらできない。

竹「撮」り物語

              

 県立図書館へ行ったあと、隣の美術館へ。
 あるグループの写真展へ。
 このグループの創始者で2、3年前に亡くなった高間新治氏の写真に感動。
 この人、竹の高間、竹撮り新治といわれ、生涯のテーマが竹。
 遺作は2点しかなかったが、その質量感に圧倒される。
 そのうちの一点がこれ。最後の作品とか。
 竹を撮る動機は、1948(昭和23)年、シベリア抑留から帰ってきて腑抜けのようになっていた折、雪を撥ねて立つ竹を見て奮い立ったからだとか。
 以来、竹一筋。土門拳をして、竹を撮らせたら高間の右に出るものはいないと絶賛せしめ、「竹屋の高間」とのあだ名を頂戴したとのこと。
 出身も在住も岐阜県の揖斐川町。
 私の亡父も、1948(昭和23)年、シベリア抑留から帰ってきた。
 ひょっとして引揚船が一緒だったかもと妄想する。

10ヵ月近い治療の終了
 今年の私のハイライトは、左腕の骨折。
 1月末に救急車で担ぎ込まれ、応急手当のあと、2月はじめに手術。
 ずれていた部分を金具を入れて矯正し固定。

           

 金具を取り出すための2度目の手術が9月はじめ。
 そして昨日のこと。傷口に多少のつっぱり感が残るがあとは時間の問題。
 レントゲンで確認。金具を固定したネジのあとが骨に残っているが問題はない。
 これでもう完治ですね、と若い整形外科医。
 長い間ありがとうございましたと深々と頭を下げる私。
 もう、転んだり、転落したりしないよう注意してくださいと医師。
 ハイ、そうしますと素直な私。

           

 花の写真は病院の待合室の鉢のなかで咲いていた蘭の仲間だろうか。
 私の治癒終了を祝うかのように可憐に咲いていた。
 実寸は直径3センチほど。

 
 これが私の水無月前半のレポートだが、実は明日、私が関わる同人誌の先達、故・伊藤幹彦さんの3回忌の墓参が控えている。
 伊藤さんが逝ってからあとの私をどう報告すべきだろうか。

           

 最後に逢った折、死期を察知した伊藤さんが、「君にはもっと早く会いたかった」といってくれた言葉を思い出し、目頭が熱くなる。
 あれだけ豊富な内容を持った人なのに、私と交友があったのはわずか10年ほど。私もまた、その短さを悔やんでいる。
 写真は1昨年10月12日、伊藤さんが眠っているお棺。

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