(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ わたしの京都散歩(その2)

2017-04-29 | 読書
                                       (写真は、東山五条にある河井寛次郎記念館にて撮影)
わたしの京都散歩(その2)

 京都散歩について、二回も続けて語るというのはどういうことでしょうか? よほどの思い入れがあるように思います。それはどこからくるのか? 一つには歴史と文学に彩られた町であるからかも知れません。京都の歴史や、京都を主題ととした古今の文学その中には詩歌も含まれるでしょう。それらをある程度知っていると散策していると、感慨深いものがあります。例えば『源氏物語』(玉鬘の巻)に出てくる「六条院」。光源氏が愛した女性たちをみんな集めて住まわすためにつくった大豪邸。あれは渉成園枳殻邸のあたりにありましたね。ここは光源氏のモデルといわれた源融(とおる)の屋敷跡です。とても広大なところで、四季の花々を愛でながら散策するのにいいところです。

 でもそれだけではないですよね。西・北・東と山なみに囲まれた四季おりおりの景観、そして水辺での憩いができるというのが大きいように思います。神戸は六甲山からの流れが急流なので、ゆったり流れる川には憧れます。


 (鴨川べりの散策)ある京都の知人が、鴨川葵橋あたりから上流に向かっての景色をフィスブックにアップしていました。それを見て、京都のみんなが、”この景色、絵巻物のようだね”とか、”京都に鴨川があってよかったね”というような鴨川賛歌のような声を寄せていました。この葵橋にから上流の左岸が「半木の道」といわれれる紅枝垂れ桜の並木がつづくスポットです。

  ”うつくしや半木の道紅枝垂れ” (ゆらぎ)

鴨川は北西からくる賀茂川と、北東から流れてくる高野川が合流して、賀茂大橋のところでひとつとなって南に流れてゆきます。両岸の堤は広々として散策にふさわしいところです。初夏や初秋のころならば、スケッチ用の折りたたみ椅子でももっていって、日がなのんびりしたいところです。流れのところどころには、敷石(飛び石と呼ばれています)があって、その上を歩いて対岸に渡ることができます。テレビドラマの「おみやさん」では、主役の渡瀬恒彦さん(鳥居警部役。先日、惜しまれつつ亡くなられました)と、その部下の七尾洋子さんが、いつもドラマの終わりに、この飛び石を渡っていました。

     
                                           (この写真は、千宗室さんの書かれた『京都の路地(こみち)まわり道』からとらせていただきました)


 なを鴨川の源流ですが、北の賀茂川を1時間ほど遡ってゆくと志明院という山寺に行き着きます。賀茂川をひたすら遡り、雲ヶ畑からさらに遡る。山深いところで、そうやすやすとはアプローチできません。樹齢100年という石楠花の名所です。ここの滝つぼのまえに竜神が祀られており、そこが源流のようです。

  ”石楠花や賀茂源流の岩梯子” (原か城)

(山科疏水から天智天皇陵へ)
 この春、桜の花を愛でようと「疎水分流」というところへ行ってみました。洛北の府立植物園の東、松ヶ崎浄水場のあたりです。閑静な住宅街を縫ってながれる疎水の両側には桜並木がつづいていました。あまり知られていませんが、隠れた桜の名所でしょう。もう一つ、哲学の道と同じくびわこ疎水の一部でありながら、哲学の道のどは知られていないだけに、観光客がほとんどなく、ゆっくりと散策できる疎水沿い道があります。洛東の
山科を蛇行して流れる「山科疏水」です。京都市水道局のお陰でよく整備された遊歩道が続きます。JRの山科駅の少し東に京阪電車の四宮駅があります。ここから右に曲がり、左に曲がりしながら、ゆるやかな坂道を上ってゆくと、いつしかびわこ疎水にかかる柳山橋に達します。ここから先は疎水沿いに桜並木がつづき、屈指の花見ポイントです。もちろん新緑の頃、紅葉のころも、ゆたりと時が流れるような散策を楽しめます。さらに赤穂浪士ゆかりの瑞光院、桜の名所毘沙門堂へ。ここには大枝垂れや緑の桜「御衣黄」が咲きます。そこからの道の詳しいことは省きますが、御陵の天智天皇山科稜に至るのです。
 
     

 天智天皇陵については、以前訪れた時のメモがありますので、下記します。
 
”ある年の初秋、ふと思い立って地下鉄東西線にのり御陵(みささぎ)駅で降りてみた。大津方面に向かって歩くと、天智天皇稜があった。その御陵の奥まで歩いてみた。秋とは言え、一足ごとに汗が吹き出すような日であった。御陵は正式には天智天皇山科陵という。三条通に面した入り口には立派な縦型の日時計が建てられている。天智天皇がわが国で初めて漏刻(水時計)を設置したことにちなんだものらしい。参道はこの暑さの中でも木立に覆われ、まったく別世界の涼しさである。実際、ここにこんなに豊かな木立と奥深い道があるとは、三条通からはちょっと想像できない。御陵までは入り口から500メートルはあるだろうか。真昼というのにまったく人気がない。

 ある時ひとりで林に分け入った天智天皇は、そのまま戻ることなく、ただ沓(くつ)だけが残されていたという伝承がある。その沓の残された地を御陵としたという。”

 ”陵の御垣のうちの月の道” (村田橙重)という句があるが、ちょっと歩くには暗闇の中なのではないだろうか? 一度歩いて試してみたいと思っている。”


これからは洛中の通りをあちこち歩いてみます。

(柳小路)

 2年ほど前の三月、京都の写真仲間と市内を回ってスナップ写真を取りました。その時回ったのが、御池通から姉小路/富小路から新京極/裏寺町通りなどでした。そして新京極から裏寺町に行く途中で「柳小路」という細い石畳の道を見つけたのです。道幅は2メートル、長さ6メートルほどの小径です。以前は、いささか寂れていたのですが、新しいお店があれこれ出店するようになり、今では隠れた人気スポットとなりました。 この狭い小路に、柳の木があるのでそういう名前がつけられたのでしょうか。いい雰囲気の道ですが、夜になって灯りがともると一段と情緒をまします。

     

その中でなんといっても人気を集めているのは「そば酒 まつもと」でしょう。いや、私が勝手に気に入っているだけかも。居酒屋というか、カウンターバーとでもいうのでしょうか。酒も個性的なのが揃っています。秋鹿(大阪)/喜久酔/宝剣/長珍/都美人・・。肴も、なめたけおろしの板わさ/つぶ貝時雨煮/山葵と焼き海苔の長芋ポテトサラダなどなど。夜には、もっといろいろ。締めは、十割そば。流石に居酒屋探訪のプロライター太田和彦さんのおすすめの店だけのことはある。太田さんによると、近くの大衆酒場はいやで、ここへくる若い女性も少なくないとか。

     

 ”酔わせてください 今夜は酔って 存分言いたい 胸の内”

このほか、「うちにく割烹 御二九と八さいはちべい」もいいですね。いや、とうとう都々逸が出てきましたか。あはは・・・。


(はしやすめ、『京都の平熱』について)ご用とお急ぎの方は、ここは飛ばして次項の(町歩き)の項にお進みください。

 前回のブログの冒頭を飾った画像のひとつ『京都の平熱』のことに少し触れておきます。著者の鷲田さんに敬意を表して。鷲田さんは現在、京都市立芸術大学の学長ですが、その前は大阪大学の総長もしておられ、臨床哲学の大家です。かつて、梅原猛さんが、その著書『哲学する心』の中で、こう言っておられました。

 ”哲学の真理は、ただ、アカデミズムの中に埋蔵されているわけではない。手近なところに、深い人生の真実が秘められているのではなかい。その手近なところから哲学をはじめよう。”

 まさに、その通り、鷲田さんは臨床哲学の専門家の場にありながらも、『人生はいつもちぐはぐ』『「待つ」ということ』『臨床とことば』(河合隼雄さんとの対談」など平易な言葉で、語っています。この『京都の平熱』は、さらに平易に、いやある時は洒脱に京都の町の内面や人間模様をえぐり出して、深い考察をして、それがまた京都案内にもなっています。京都を理解するには、おすすめの本です。二三、例を挙げてみます。

 ・DX東寺のことなど、ようくご存知。(笑)そして、全国のストリップ劇場の本山と云うべき「DX東寺」の機械仕掛けの空中ゴンドラの精巧さも、この精密技術の風土ならではのものかも知れぬ。

 ・学問の京都・・・この地は論理の楼閣としての哲学のみならず、物理学でも生物学でも、独創的な発想を自慢とし、それらにひどく肩入れしてきた。なかでも哲学は戦前は独壇場ともいえるもので、西田幾多郎/田辺元/高山岩男らが、いわゆる「京都学派」として哲学界に君臨した。・・・しかしなぜか文学畑の人は輩出していない。お隣の大阪は、近松門左衛門/井原西鶴/織田作之助、そして現代の田辺聖子や藤本義一・・・。

 ・人の京都・・・御所の東にある鴨沂高校もその自由な校風で多彩な人物を輩出してきた。京都芸能学校と揶揄されるように、山本富士子/団令子/田宮二郎など。劇作家で美学者の山崎正和や政治学者の河合秀和・・・。そして山崎が満州時代に受けた教育について書かれた(もうひとつの学校)『文明の構図』にふれて、私は思わず目頭を熱くしたことがある。

 ・京ものの傲り・・・(時折はきびしい目で京都を見ている、着物文化について)長年にわたる着物文化とい糸偏産業の廃れが、京都という街にはボディブローのように効いてきている。京都人のすくなからぬ部分を食わしている西陣の廃れは、京都全体に響くからだこれは生産地としての西陣というよりもむしろ卸の町、室町筋の問題だと思うのだが、京都呉服への信用はずいぶん落ちてきている。とりわけ地方の呉服屋さんの京呉服へねお信用は底をついたといわねばならないくらいである。購買者にじかに接する地方の呉服店員が、デザイン面でも商道徳(流通、とくに卸業のモラル)の面でも相当な不信感を抱いているのは深刻なことである。そういう不信感が増している理由も、すぐにいくつか指摘することができる。まず着物を売る人が着物をきていないというのは、着物を着ては仕事がしにくいことを自ら喧伝しているようなものだからである。消費者の無知につけこんで暴利をとっているのではないかという猜疑心もなかなか根深い。・・・地方の販売関係者のきびしい意見は、京都の卸売り業者の不誠実と努力不足と危機意識の欠如に、とくにつよく向けられている。産地のエゴだけで物をつくっている、デザイン面でも保守的だ、京ものがまだ消費者のおよそ半数の信頼を得ているにもかかわらず、粗悪品がもっとも多いのも今日ものだ、といったきつい指摘がかなりの数にのぼる。それ以外にも、西陣の機屋はよその意匠を真似するばかりだとか、リスクを恐れて平凡なものしか造らないとか、染、帯、紐などそれぞれ勝手に付加価値をつけ、全体をコーディネートしようという意志が感じられないとか、生活感覚からかけ離れた価格設定だとか、アフタケアという発想がまったく欠落しているだとか・・・。

 いやいや、手きびしい。一方で、このバス路線の終点のところでは、七条烏丸の洋食の店、「七番館」を紹介したり、はては八条口からひとすじ南に行ったところにある「佳辰」(かしん)、さらにアバンティ裏の「こんなところに」という飲み屋や小料理屋にまでふれておられるのですから、この先生はなかなかすみにおけません。

          


(町歩き~寺町通/夷川通り/高倉通り/堺町通り/富小路)

といっても、わたしがあるき回るのは、主に御所の南、河原町丸太町/烏丸丸太町/烏丸四条/河原町四条という地名で囲まれたエリアです。最近は、烏丸通りから二三本西の衣棚通り、新町通りにも足を伸ばすことがあります。まず御苑の西を南に走る寺町通りですが、そこについては「みやこに遊んだ晩秋の一日」というブログ記事に詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。その寺町通りを御池通から、いつもとは逆に北上してみました。ちょうど夕暮れ時です。店々に灯りがついて、いい雰囲気なのです。情緒があります。そうですね、わたしの好きな紅灯の巷になるのです。錫製品の店青課堂をすこし北へ、古美術の店<ながた>があります。飾り窓の一角に畳を敷いたコーナーがあって、こ洒落た置物がありました。
     
漆製品の老舗<象彦>もこの並びにあります。そこから、思い立って左折し夷川通りには入りました。ここは、もともと家具の町ですが、今では家具の店も少なくなり変貌を遂げつつあります。<御所みないほてい>という町家を改装した宿(ホテル風)もあります。決して安くはないのですが、日本の宿の良さを残し、人気があるようです。<寿司 深川龍丈>とい寿司の店は、もともと四条大橋近くにありましたが、最近こちらへ移ってきました。江戸前の寿司で人気があります。いいワインも出しています。写真は、明るいうちのものですが、やはり夜になると情緒があります。ぐるっと回って高倉通には足利邸跡という石碑がありました。このあたりを尊氏が歩いていたのですね。
                 

     
            

 寺町通りから二本目の筋は麩屋町通りです。角に柊家があります、その少し南には<河道屋>という生蕎麦の老舗があるのですが、そのすぐ隣が、<バーK屋>。ほとんど知られていない隠れ家的なバーで、ふらりとは立ち入り難いものがあります。地元の友人に連れて行ってもらいましたが、陰翳礼讃というか陰翳の中でこそ雰囲気を味わうことができるスポットです。カクテルも美味いですよ。それから<点邑>(てんゆう)という天ぷらの店があります。ここは俵屋旅館のプロデュースです。石畳の小径のアプローチがいいですね。

     

 そして、この通りのすぐ西が富小路です。

  ”富小路良き名の通り歩みつつ紺の朝顔の初花に会ふ” (河野裕子)

 富小路を御池通りから南へ向かうと日本旅館<要庵西富屋>の玄関が見えてきます。。麩屋町の柊家などよりも最近は評価が高いとか。またそば菓子で有名な<尾張屋富小路店>の店構へも目に入ります。太子堂白毫寺も。四条から更に南下すると粋な小料理屋もあちこちにある。というような次第で、この通りは漫ろ歩きに楽しい道である。寺町通と並んで気に入っております。そうそう<天ぷら吉川>という看板がありますが、ここは料理旅館でもあります。庭をみながらの食事もできます。

  ”夕焼けて蘇芳花咲く富小路”(ゆらぎ)

 堺町通りは、<イノダ>の本店があるので、しょっちゅう歩いています。よく行くお店が、ここ集中しています。北からいうと、日本料理の<室町和久傳>。外見ではわかりませんが、案内されると二階があり、この字型のカウンター席でできたての料理を楽しむ事ができます。一品一品がよく吟味され、どの品も間然とするところがありません。安くはないのですが、やたら高くもありません。おすすめのお店です。そこから南下するとイタリアンのトラットリアの<あるとれたんと> キンシ正宗の古い町屋をそのままにして、うまいイタリアンを食わせます。通りをみながらのカウンター席が好きです。<イノダ>は、すぐ近くの三条店もあります。こちらは高倉健さんとか、古くは中村錦之助もきていたとか。本店のほうは、常連客の据わる入り口すぐの丸テーブルに座り、本を読んだりして時間調整もかねています。食事もあれこれあって、飽きません。マッシュルームスープがお気に入りです。この一本西の通りが高倉通りですが、ここには<ディボディバ>という古くからあるイタリアンの名店があります。ここは昔から知っているお店なのでうが、『ライカと歩く京都』という本の中で、著者の小山薫堂さんは”「人生の一軒」で京都に友だちをつくろう”、といっています。それは彼が社会人になって間もないころ、友人の紹介で<ディボディバ>を訪れたのです、。今から20年以上前のことです。”東京に暮らしているイタリア人が、新幹線に乗って食べに行くイタリアンレストランが京都にある”と聞いたのです。行ってみると確かに美味しい、そしてオーナーシェフの西沢さんと仲良くなり、よけい京都好きになったといっています。そこに通い、そこに来るお客さんと仲良くなって、その人たちから京都の情報が色々と入って来るようになったのですと。だから、京都をよく知るためには、まず自分にとって「人生の一軒」になるようなお店を見つけることがいちばん大切だ、と言っています。そういう店がすでにある私は幸せです。
その、<ディボディバ>ですが、オーナー西澤さんがオーナーシェフとなって24年。イタリアンの名店としての地位を不動のものとしました。旬の食材にはこだわりがあり、京野菜は「石割農園」から、魚は若狭湾に一本釣り、トマトは和歌山の「井好園」から。余談ですが、京都の花見としては山科の毘沙門堂(前述)をすすめておられます。同感!

 ” 

  その他、西洞院東入ル(膏薬図子)の竹笹堂は木版画、木版印刷のお店ですが、これがある膏薬図子は夕景になると雰囲気が出ますね。

          

 こうやって町中を歩き回っていると汗ばんできますし、くたびれてもきます。そういう時は銭湯に行きましょう。いつも小さなタオルなどは用意してバッグにいれています。高倉御池上がるの<初音湯>には時折。それから、風呂が家にあっても行きたいと人気なのが錦市場近くの<錦湯>です。ちょと熱めですが。もう一つ(柳湯)というところももあります。

               


 お湯に漬かって汗を流したら、夕日でも見に行きますか? 西に沈んでゆく夕日~空の名残りをみるなら、清水寺(西門)ですよ。 そこで、日想観しましょう。あ、その前に、軽く一杯カクテルでも飲みたいですね。地下鉄東西線の東山駅の前にあるバー<うえと salon&bar>がいいですね。アンティークグラスで京都らしいオリジナルカクテルを拵えてくれます。京都に泊まる時は、夕食後の散歩がてら寄るというのもいいでしょうね。ここは、本当にシークレットスポットなのです。


 
                                     (写真はアメブロを書かれている西陣のkazuさんが撮られたものです。すべてフリーの画像として提供されています)



 大分ながくなりましたね。散歩、散策というより食べ歩きの色彩が濃くなってきました。この辺で、終わることにします。ご精読ありがとうございました。


(余滴)冒頭の写真にある河合寛次郎記念館は、訪れる人もそれほど多くはなく静謐な雰囲気の中で静かに思索にふけったり、瞑想したりするには良いスポットです。ここから東へ、五条坂をゆるやかに上ってゆくと、陶磁器染め付けの最高峰である近藤悠造記念館があり、人間国宝の作品を眺めることもできます。いい散歩道ですね。











ジャンル:
きいて!きいて!
コメント (5)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« エッセイ わたしの京都散歩... | トップ | (予告編)読書/時評 日本の... »
最近の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
読ませてもらいました (九分九厘)
2017-04-30 16:23:30
 延々?と続くとも思われる「その1、その2」を読ませてもらいました。私も京都のアチラコチラを歩いているつもりですが、ゆらぎさんのエッセイに紹介されたところは半分も行っていないように思います。歩く場所が違うような気もしております。特に興味をひく所と食事処はメモをして利用させてもらいます。
 大学の同窓会などでよく行くのが、地下にある三条河原町東のガンコで、帰りの交通の便のよさと、ともかく安くていくら騒いでもよしというのがその理由。エッセイに書かれたような優雅なものでありません。ひたすら学生時代の思い出話と病気の話。京都の粋な場所をめぐるアイデアなど誰も言い出しません。ともかく古巣の京都で集まってワイワイと飲んで、あとは解散と言う次第です。京都に折角集まるのに勿体無いので、旧友にこのブログのコピーを渡して京都再発見の提案でもしましょうか。
追伸 鴨川 (九分九厘)
2017-04-30 16:33:26
ブログの写真で鴨川を渡るのに石伝いに歩くのがあります。御所東と京大医学部辺りを繋ぐ「荒神橋」の北側にちょと危ないですが渡り石があります。学生時代の思い出もあって、今の歳になっても時々この石を伝って鴨川を渡っています。
飛び石 (ゆらぎ)
2017-04-30 20:46:21
九分九厘様
 早速お読み頂きありがとうございました。京都で学ばれた大兄ですから、いろんな思い出がおありでしょうね。たしかに小生が昨今歩いているところとは違うでしょう。若い頃と今では、ものを観る眼も違いますね。ブログの記事は自由にお使いください。なお、今回は散歩・散策がメインですから、グルメスポットはあまり取り上げていません。またの機会にご紹介しましょう。余談ですが、だんだん居酒屋に興味が湧いています。ここ頃の若い女性はよく飲みますよ。とくに京都の女性は。あはは・・・。

荒神橋の飛び石、まだ渡れますか? 今度行ったら、渡ってみます。
堪能しました。 (龍峰)
2017-05-01 21:15:46
ゆらぎ 様

今回も京都の裏小路の情緒を堪能しました。ゆらぎさんの幅広い京都人との交り、王朝文学から現代までの詩歌を中心とする文芸への素養の深さ、食べ物、飲み物への強い探究心、京都の歴史、建造物、環境自然への理解と鑑賞眼の高さ等が相まって紡ぎ出された素晴らしいエッセイです。小生残念ながら京都には普通の知識しかなく、細かい小路の名前を聞いてもあそこだとピンとこないですが、雰囲気は良く伝わってきます。機会を捉えてご紹介の店を覗いてみたいものと思います。特に京都はローマと同じく1000年の歴史が同じ土壌の上に積み重なっっており、場所も人も建物も文化も折り重なっているのが面白い。今見えているものの下や奥には深い歴史があると思うと、京都の街を歩いていたもゾクゾクするものがありますね。最近知ったのですが、例の河原町は平安時代には鴨川の川幅は今の倍以上あり、文字通り河原だったと。秀吉の頃から川が埋め立てられ、今日の川幅に近づいたと。名残が町名に残ったと。いつかゆらぎさんのエッセイを片手に京都の街のヴェールの裏を退くような散策をして見たいと思いますね。
ありがとうございました (ゆらぎ)
2017-05-03 15:18:14
龍峰さま
 引き続き駄文をお読み頂き、感謝申し上げます。その上、過分なお言葉を頂き恐縮です。実態は、足の向くまま、気の向くまま、さらに思いの募るままに書き綴っただけのものです。これからも京都の散策をつづけ、またいつか続編を書いてみたいと思っています。河原町のことは、知りませんでした。ご教示いただき、ありがとうございました。

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事