(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 明るい笑顔を

2016-11-10 | 読書
エッセイ 明るい笑顔を

 手元に「語録」とか「スックラップメモ」と題したというノートが何冊もあり、新聞や雑誌で印象に残った言葉や記事を書き抜いたり、コピーを貼り付けて保存してある。短い読書メモを書くときもある。もう30年くらいの分が溜まっているので、「話の種」のバンクのようなものである。先日、1993年の頃のノートに目を通していたら、次のような新聞小説の切り抜きが目についた。


 ”ガブリーニ夫妻は、陽気で賑やかな身振りで、良介と日出子に、自分たちの家に入ってくれるように勧め、玄関へとつづく石の階段をのぼりだした。

良介は涙ぐんでいる日出子を見やり、あちこちに繕いの痕のあるセーターを着たパオロの父親の、陽に灼けて赤銅色になっている首筋と、丸々した母親の頬に目やった。パオロの父親は、楽しくてたまらないといったふうに、鼻歌をうたい、母親は声をあげて笑いながら、夫の鼻歌に合わせてステップを踏んだ。

良介は、そんな夫婦の、いささか呆気にとられるほどの陽気さを見ているうちに、言葉を失って、粛然とした思いに包まれていった。
彼らはパオロという障害児を育てるために、とにかく、いかなる時にも、楽天的に、陽気に笑顔を絶やさぬことを、自分たちに課してきたのだと思ったのである。きっと、そうに違いないと思った。

 パオロを育てるにあたって、若かった夫婦には、前途は暗く、何もかもが絶望的で、頭をかかえて沈鬱にならざるを得ないときばかりであったことだろう。けれども、両親の沈鬱さは、パオロの肉体と精神の成長に何の役にもたたないどころか、ほんの僅かな可能性をも断ち切ってしまう。

 夫婦は、そのことに気づいて、自分たちがパオロという息子にしてやれることは、いかなる状況にあっても、笑顔で、明るく、陽気に接することだと決め、そのように務め、やがてその努力が、彼らに本来的な楽天性をもたらし、何もかもを突き抜けたような、真に幸福でありつづける人のような、陽気な笑顔の持ち主にしたのだ。きっと、そうに違いない・・・。

 この両親の明るさの前にあっては、パオロ自身のよるべない屈折も、世間の無慈悲も吹っ飛んでいったことであろう。だからこそ、パオロは、19歳になっても、やっと数字を20までしか数えられなくとも、仕事を与えてくれる人に恵まれ、革製品を作る工程の、引かれた線に添って丁寧に革を切る作業ができる人間に成長したのだ・・・。

 良介は、ガブリーニ家の、古い木の玄関の前に立ち、ポジターノの海を見つめた。なんだか、自分がひどく小さく思われた。<明るい>という単純なふるまいが、いかに偉大な力をはらんでいるかを教えられた気がして、良介は粛然と海を見ていた”

           

  この切り抜きには小説の挿絵を描いた佐藤泰生という人の名前しかなかった。しかし、その名前を手がかりに調べてゆくと、宮本輝という人の『朝の歓び』という長編小説(1994年4月 講談社(上下))の一節であることが判明した。この本の内容を紹介するのが目的ではないのが、かんたんに上記に引用して文章の背景を述べておく。中年の男女の恋愛心理を描いた小説である。主人公の一人、良介は大手製薬会社の営業畑で部長の職にあったが、妻に先立たれ、それもあって会社をやめてしまった。そんなある日、昔つき合っていた恋人の日出子の事を思い出した。日出子は宝石デザイナーであったが、ある大手の貴金属メーカと契約する話がすすんでいたところ、良介の不注意な言動がもとで、その話が流れてしまった。そのお詫びにということもあって、二人の間でイタリアへ旅行する話が持ち上がった。実は、日出子が学生生活の最後にイタリアへ旅行をし、、ポジターノという海辺の町で断崖の上に住むイタリア人夫婦と知り合った。彼らには、6歳になる男の子がいた。精神薄弱で。数字は1から10までしか数えられないし、言葉は、朝晩の挨拶だけしかいえない。その子に逢いたいという日出子のために、良介はイタリアへ旅行したのである。

 パオロは働きに出ていたので、日出子たちはしばらく待っていた。

”日出子はガブリーニ夫妻に、自分がパオロとの約束を守るためにやってきたのだと説明した。システィーナという言葉だけで、ガブリーニ夫妻は、13年前の日出子と息子との約束を即座に思い出した。”


 これは小説の世界の話である、しかし、小説であろうと現実世界のことであろうと、心の底から溢れでたような笑顔は、人の心を明るくし、そしてそのような笑顔から放射される電磁波のような波動は、相手の心に伝わって少なからず精神面で影響を与えることになるだろう。

 ”運命とは性格なり。性格とは心理なり”とは芥川龍之介の言葉である。そうして心理学者マズローが言うように、”人間の哲学が変わるとき、あらゆるものが変わる”のである。さほどに笑顔の効用は大きいものだと思う。

 
 さて今度は現実の世界のできごとである。私がシドニーに駐在していた時、長男が現地のグラマー・スクールに通っていた。その時にできた友人に田中フィリップあさと君という人がいる。東京芸大を卒業して、宝石デザイナーをやっている、まことにさわやかにして有能な人間である。彼は東京に戻って、結婚し、男の子ができた。名前をKanga(かんが)君という。私たちは親愛の情もこめて、”かんちゃん”と呼んでいる。残念なことに彼は生まれつきの身体障害児で満足に立ち上がることもできなかった。あさと君は、身体に障害をかかえた子供を育てるには、日本よりもオーストラリの方が環境的にはいいと判断し、今はシドニーに住んでいる。”かんちゃん”はいつのまにか、介助の椅子に頼って立ち上がるようにもなり、少しずつ歩行し、最近では車椅子を自分の力で動かせるようになってきた。ふつう、車椅子はアルミニウム製でできているが、アルミとはいってもかなりの重量がある、やすやすとは動かせない。それが、最近になってチタンで車椅子ができるようになり、一層軽くなったのである。それに乗ったかんちゃんは、まことに嬉しそうな笑みを浮かべながら、車椅子を動かせるようになった。その様子を収めた動画映像を見た時、私は思わず、”天使の笑顔”とつぶやいた。なんとも嬉しそうな、天衣無縫の笑顔である。

          

 この笑顔はどこからきたのだろう。もちろん、うまずたゆまず優しい笑顔で看護を続けてこられたご両親からのものであろう。父親そして母親のあたたかい笑顔に絶えず包まれていたからこそ、それがかんちゃんの笑顔になったいったのであろう。初めに紹介したパオロのエピソードと共通するものを感ずる。障害の程度、種類は違っていても、親にとってそれは重い負担であり、そのことが子どもにも伝わって感じさせるようであれば、このような笑顔は生まれまい。微笑みと励ましに包まれたかんちゃんは幸せである。来年の春になったら、シドニーにセンチメンタル・ジャーニーをして、”天使の笑顔”を見たいものだと思っている。


       
 原始仏教の経典である雑宝蔵経に「無財の七施」(むざいのひちせ)という教えがある。その中に和顔悦色施(わげんえつじきせ)という言葉がある。にこやかな顔で接する、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになる。そして周りにも笑顔が広がる。そういうことを言っている。いつも心がけておきたいものである。


     ”春風や藤吉郎のいるところ” (吉川英治)







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4 コメント

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Unknown (九分九厘)
2016-11-13 07:20:37
読ませていただきました。ゆらぎさんは本当に優しい人ですね。(人の命に優しく愛を持って寄り添うという意味において!)
感動 (龍峰)
2016-11-14 09:10:43
ゆらぎ 様

前半の話は小説とは思えない実話のような暖かい話です。後半はゆらぎさんの身近かな話で、人間愛の感動を呼びます。久々に救われたような気持ちになります。笑顔の大切さは分かっているつもりですが、なかなか難しい場面も多いようです。しかし、ゆらぎさんはいつもニコニコとされており、正にこの教えの通りです。
遅ればせのお礼 (ゆらぎ)
2016-11-20 22:59:43
九分九厘さま
 お目通しいただき、ありがとうございました。いやいや、なになに。好き嫌いがあるので、いつもいつも笑顔というわけにも参りません。今少し、修行・修養が必要かと絶えず反省しております。
ありがとうございました。 (ゆらぎ)
2016-11-20 23:03:12
龍峰さま
 お読みいただき、その上過分なお言葉をありがとうございます。とても、とても。まだまだ修行がたりません。時に怒気・怒声を吐きそうになることもあります。笑顔で接せられている人々に学ぶよう務めたいと思っています。

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