君の友達

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J.S.BACH3

2017年04月28日 | 日記

桜餅

昨日、塩野七生さんのお名前を間違ってしまいました。

時々やるんですよね。ほかのところはちゃんと間違えていないのに、お名前だけ間違えてしまう。

悪気はないんですけど、まさか塩野さんがこのブログ読んでいるわけないので、こっそり訂正しました。

どうもすみません。<(_ _)> 


今日もバッハとキリスト教の話。

バッハが生まれたのはアイゼナハという小さな旧東ドイツの街。

バッハのころは神聖ローマ帝国のほとんど末期でした。


神聖ローマ帝国は封建制度でした。

アイゼナハはその中のザクセン公国の中にあって、マルチン・ルターによる宗教改革の本拠地でした。

ザクセンの選帝侯(神聖ローマ帝国の皇帝を選ぶ権利のある侯)が、カトリックの迫害からマルチンルターをかくまっていたヴァルトブルグ城が近郊にあります。

ザクセンを上げてプロテスタントの普及に努めていたので、バッハが生まれたころには30年戦争の爪痕も消え、

学校も教会もプロテスタント一色の中でバッハは育ちました。

なので、バッハもバリバリのプロテスタントのはずなんですけど、なぜか「ロ短調ミサ」、カトリック形式です。

最初はプロテスタント形式で作って選帝侯に献上しましたが、のちにカトリックの教会から依頼されたとか、

そういう仕事上の都合ではなく、カトリックのミサとして足りない部分を晩年に補いました。

バッハも信仰者というより音楽家としての自分の才能を重視していたという事なのでしょうか。


またまた余談ですが、マルチンルターをかくまい、国の人々にはプロテスタントを推奨(30年戦争の後は国ごとにカトリック、プロテスタントを選べるようになっていましたが、国ごとなので一般の民衆は選べなかったと思います。)

そのザクセンの選帝侯、マルチンルターをかくまった選帝侯から2代目だったか3代目だったか、バッハの時代、突如としてカトリックに改宗しました。

さすがに国民や家族には強要しませんでしたが、国民はみなプロテスタント、ドレスデンの宮廷ではプロテスタントとカトリックの典礼(ミサ)がごちゃ混ぜに行われていたという事です。


なぜカトリックに改宗したのか・・・またまたまた余談ですが、

お隣のポーランド・リトアニア共和国の国王選挙に立候補するのに、オーストリア(ハプスブルグ家、カトリック)の推薦をもらうためでした。

ポーランド・リトアニア共和国は珍しく、国王は外部からお雇いで、貴族の力が強かったようです。

ザクセンの選帝候フリードリヒ・アウグスト、結局信仰よりも権力が大事。プロテスタントの奥さんからは無視されていました。


バッハに戻ります。「ロ短調 ミサ」。初めて聞かれる方はつまらないだろうと思いますが、最初のKirie eleison(キリエエレイソン/主よ哀れみ給え)の部分だけでも。

https://www.youtube.com/watch?v=JHcf3xeU4xQ


1:13頃から、キリストの復活を歌う部分になるので明るくなります。

このバックのコーラス、ピカイチですね。小澤さんで選んだわけではなく、コーラスで選びました。


バッハっていうのは、キリスト教の理解がないとつまらないと思います。

確かに音楽ですので、硬いことを言わずにバッハのジャズ的なアレンジなんてありますし、他のバロック作曲者と同じような、明るいチャカチャカした曲もバッハは作曲していますから、

それだけを聞いて、深いものは聞かないという事にしても良いですが、それでバッハが好きだというところまではおそらくいきません。

良く世間で鳴っているブランデンブルグや、トッカータとフーガは聞いて知っているけれど、その他はつまらないから聞かない。

おそらく世の大半の方はそうだと思います。なので、私がバッハが好きだと言っても良く分かってもらえません。


バッハが生きていた時代、カトリックにしろ、プロテスタントにしろ、生活の中では宗教が価値の一番でした。

イエスの生涯がどうだったのか、言われたことはどういう意味なのか、当たり前に知っていて、神に対して当たり前にお祈りをして、信仰を深めることが何にもまして大切だと思われていた時代です。

ミサというのは祝詞のように決まった言葉ではありますが、それにバッハが音楽的な効果を付加し、信仰を深めるような演出を施しています。


(イエスは)精霊に寄りて処女マリアより御体を受け、人となった。

ポンテオピラトのもとで我らのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られた。

聖書にありしごと、三日目によみがえり、天に上りて父の右に座し給えり。

主は栄光のうちに再び来たりて生ける人、死せる人を裁きたもう。

主の御国は終わることはない。


Credo(使徒信条)の一節ですが、こういう歌詞を演奏する側も、観賞する側もどれだけ主体的な共感を持って聞けるか。

バッハの良さを理解するには、これが必要。

バッハのことやキリスト教のことなんて、グダグダ書いても読んでくださる方がいなくなりそうで怖いですが、

大丈夫。わかりやすく説明するつもりですので、読み終わったら、あなたもバッハ通になれる!


私、プロテスタントの教会には子供のころ通っていましたが、カトリックの教会は一度も行ったことありません。

各種キリスト教系の宗教団体にも所属していません。すべて、私自身が自分で考え、本を読み、音楽を聴いて身に着けたものです。ご安心を。

 

https://www.youtube.com/watch?v=mGQLXRTl3Z0

明日から実家です。連休明けに再開します。(^^)/~~~


2 コメント

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凄いですね~ (雄陽丸)
2017-04-28 16:52:03
二日も続けてこのような事共を綴り続けられるのですから。
精力的でも、博識でも在り過ぎますよ。
改めてROKOさんには敬服する他在りません。
ところで今でも篤いプロテスタントでいらっしゃるのですか?では又(^o^)丿。
P.S. (雄陽丸)
2017-04-29 17:04:32
道中気を御付けに成って、行ってらっしゃい。

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