日本人は、本当の意味で、日本を知っているでしょうか?
日本を、ただ戦後急速に発展しただけの、国家とお思いでしょうか?
日本人は、本当の日本の姿を、知らなければなりません。
それには、日本人は、日本という国家の、ルーツを知らなければなりません。
戦前は、神道系の教育があり、古事記や日本書紀を学校で学ぶのは当たり前でした。
戦後教育は、宗教色を払拭しましたけれども、それは、日本神道の払拭でした。
それはある意味で、信教の自由を広げましたけれども、一方で、日本人としての、麗しき精神性をも失わせました。
科学は発展し、戦前よりも多くの知識を、我々日本人は得ましたが、それを得るために、失った代償も大きかったと思います。
日本人とは何か。
その調べにも似た美しき本性を、力の限り、綴って参りたいと思いました。
よく巷で言われる、「戦後日本は急速に発展し、云々」という議論があります。
私はこれを、払拭したいのです。
「ブログ記事ごときで何ができる。」という声もあろうかとは思いますが、まずは事実を得なければ、自虐史観を払拭できないのです。
戦後急速に発展した日本。
この概念の中には、「日本は、遅れていた国だった。」というニュアンスが含まれております。
そうではなく、日本は、最近の戦後からだけでなくて、遥か昔から、レベルの高い国であったと思われます。
私はそれを、数々の謎解きをしながら、解明し、証明してみたいと思うのですね。
よく誤解されるのですが、「昨日より今日、去年より今年、という風に、歴史というものは、年代が新しくなればなるほど進んでおるものだ。」という思い込みが、一般的にはあるように思えるのです。
私も以前は、そう考えておりましたが、実際はどうかというと、「必ずしも、そうはなっていない。」というのが現実です。
一般的な思い込みで語られる、この上記のフレーズというのは、恐らく、進化論的な感覚から来ているものだと推測します。
たとえば、「縄文時代と弥生時代、どちらが文明・文化として高度であったか?」と聞かれれば、恐らく現代日本人の全員が、「弥生時代」とお答えになるでしょう。
時系列で言えば、縄文時代が終わって、弥生時代が始まるからです。
しかし、驚くべきことに、年代の新しい弥生時代が、それよりも古い縄文時代より進んでいたのは、実は、 ”摂取カロリー” だけなのです。
日常的に使っている、道具などのテクノロジー、交通手段、流通システムなどは、もうほぼ全てにおいて、縄文時代の方が、圧倒的に進んでいると思われるのです。
意外ですが、弥生よりさらに古い縄文時代の方が、文明としてのレベルで言えば、実際は、遥かに高いと思われるのです。
はっきり言えば、縄文時代などは、世界5大文明として、教科書で教えなければならないレベルだと思います。いや、世界最高の古代文明の可能性もあります。
この証明は、後の記事に譲るとして、今後この、日本から失われたルーツに対して、私なりの見解を述べて参ります。
それはひょっとすれば、今の時点においては、幸福の科学の見解と違うのかも知れません。
ただ、考古学資料や、軍事的知識、また古事記や日本書紀に書かれている謎、そして伝説の神武東征や、邪馬台国に関する私見を述べることで、誇るべき日本の歴史を、多くの方が取り戻せる機会となればと願います。
縄文や弥生時代、そして大和朝廷の発足など、日本の歴史が持つ、意外な時間の流れ、ミステリーや驚きが、歴史を探っていくと随所に散りばめられているのです。
それを発見することは、とても楽しいことです。
そしてそれは、日本という国家、そして日本人の奥底にある、本来の煌めきを発見することに通じると、私は深く信じます。
まことに申し訳けございません。本日は、前説だけで時間切れです。(笑)
まったくここの幸福の科学布教ブログの編集長(私)といったら、まっこと、口数ばかり多くて、本論に行く前に文字数制限とは。(大爆笑)
それではせっかくお越し下さった皆様に申し訳ないので、経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、ムー文明に関する部分のおすそ分けをさせていただきます。
(ばく)
「美し国の旅人」 恍多 - Kouta
御法話 「自らを人材に育てるには」
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153
ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。
その出現自体は、ラムディア大陸よりも古く、いまから三十七万年前ごろ、海上に姿をあらわしました。
それ以後、大陸の形は、さまぎまにかわりましたが、ラムディアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積をもつ大陸でした。(中略)
ラムディアの人々は、大きな帆船の大軍団を組み、いまから二万八千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化しはじめました。(中略)
植民都市ではあったとはいうものの、ムー大陸にも、ラムディアの文化は浸透してきておりました。
そして、ラムディア文明が滅失したあと、静かにではありましたが、ムー大陸にも、文明のきざしが見えてきました。
いまから約二万年のむかし、このムーの地に、ゾロアスターの前身が出ました。この方のそのときの名を、エスカレントといいます。(中略)
この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視しました。(中略)
都市の中心には、一辺の長さが三十メートルの正三角でできたピラミッドがあり、それが銀色に輝いています。
ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある山辺の長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに各家庭の屋上にある一辺の長さ十メートルの小ピラミッドに供給されていたのです。
このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。
この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれているしくみにとてもよく似ています。
ムー大陸が、その最盛期を迎えるのは、ラ・ムーの時代でした。
すなわち、いまからおよそ一万七千年近く前のことです。
そのころ、ムーは、太陽信仰と太陽科学万能の時代を迎えておりました。
この時期に、ラ・ムーが、肉体をもって生まれたのです。
ラ・ムーとは、何代か前の釈迦の過去世です。
また、ラ・ムーとは、「ムーの光大王」という意味をもっています。
ラ・ムーの時代に、ムー大陸は、巨大な大帝国となったのです。(中略)
しかし、やがてラ・ムーが没し、その偉大なる教えが形骸化してくると、ムーの全盛にもかげりが出てきました。
しかも、悟りの力を否定し、あやしげな動物霊信仰の邪教がはびこりはじめました。
悪しき霊能力信仰が、「愛と慈悲」の教えを嘲笑し、大陸全体に大きな想念のくもりがかかってきたのです。
こうして、このムー大陸は、いまからおよそ一万五千三百年前、三段階にわたる大陸の沈下によって、海中に没しました。
ラ・ムーの名前からとった巨大な近代都市ラムーも、この大陸の沈下によって、当然のことながら、太平洋中に沈没してしまいます。
しかし、ムー人たちの一部は、なんとか逃げることができました。
そのなかのある人々は、船で北上して、ベトナム人、日本人、中国人の源流になりました。
また、ある人々は、東へと進み、太平洋をわたって、南米アンデスの山に住みつきました。
さらには、大西洋へと逃れ、大西洋上のアトランティス大陸へと、新天地を求めて行った人々もおります。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P261~269
Visiting the Happy Science Temples in Japan
これは楽しみなシリーズになりそうで嬉しいです。
私は子供の頃、考古学者になりたいくらいでしたので・・笑
その後、まったくその系統の学びはしていないので、どんなお話なのか楽しみにしていますよ~!
いやぁ、恥ずかしながら、ペース配分を間違えて、演題だけ大きな記事になりました。(爆笑)
船田さんも考古学、お好き?
益々ご縁を感じてしまいます。