幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

今こそ、神の子としての、あるべき姿を求めて。

2017-06-02 00:58:20 | 時事法談

 

  お陰様でベスト10入りできました。これからも応援クリックお願いします!

とても悲しいニュースが。

アフガニスタンの首都カプールで、大規模な爆破テロがあったようです。

テロ実行犯からの犯行声明は出ていませんが、何より犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170531/k10011001541000.html

アフガニスタンがイスラム教国であるため、イスラム教関係のテロ事件のように思われます。

これは今絶賛上映中の幸福の科学の芸能事務所、ニュースタープロダクション政策の映画『君のまなざし』の大きなテーマにもつながりますが、「復讐を神は望んでいない。」ということを、もっともっと多くの世界の人たちに知っていただきたいと心から願います。

神は、人々の幸福を願っています。

人生には目的があり、使命があります。

本来人間は、霊天上界が本来の生き場所であり、霊的存在、つまり「心」こそ本質です。

人は「心」を神に近づけるために、一時期肉体に宿り、霊的には不自由な環境下において、修行をしているのが、地上に生きる我々人間の人生なのです。

霊天上界は、波長導通の法則が完全支配する世界です。つまり、あいたくない人には合わなくてよく、やりたくないこともやらなくてよく、見たくないことも見なくてよく、聞きたくないことは聞かなくて良い世界なのです。

しかしそれでは、心の成長ができません。ですから人は、この世に生まれてくるのです。

その一時期の期間、「神」であるとか、「愛」であるとか、「勇気」であるとか、「信仰心」であるとか、「正義」であるとか、眼には見えない尊い価値観を信じ、神の子人間は、神の子としてのあるべき姿を模索していく中に、神近き心になる永遠の旅が人生なのです。

神の子としてのあるべき姿とは何か。

また、神の子としてのあるべき心とは何か

その答えが、私たち一人ひとりのにとっての、人生のテーマなのではないでしょうか。

どうか、神を争いの動機とする時代は、もう終わりにしたいのです。

神が、憎しみを増幅させる悲しい時代を、次世代に引き継ぎたくはないのです。

映画『君のまなざし』のある出演者が、「子供が苦しむのは、自分が切り裂かれるより痛い。」と親の子に対する心情を語っていました。

私も人の親ですから、その気持ちは同じです。

神もまた、「子である人間が苦しむのは、御自身が切り裂かれるより痛い。」とお思いであろうと推測します。

神は「愛」であり、「慈悲」のご存在だからです。そして同時に、「智慧」のご存在でもあります。

どうか世界の人々に、最新の神の心を伝えたいと願います。

人間関係は色々あるでしょう。

歴史も背景にはあるでしょう。

しかし、「憎しみにとらわれてはダメだ!」そして「憎しみを超え、愛を取れ!」が、神の子としてのあるべき心の姿であることを、どうかどうか信じていただきたいのです。

本日は、経典『死んでから困らない生き方』から、宗教による争いの時代を止めるメッセージをお届けいたします。

               (ばく)

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします! 

 

映画「君のまなざし」劇場予告編 梅崎快人、水月ゆうこ、大川宏洋「ぜひご覧ください!」

朝の来ない夜はない2007年

 

死んでから困らない生き方

 

 

 

キリスト教などでは、「神」は一人であるのに対して、「天使」というと、大勢いることになります。
当会の世界観で他の宗教と異なっているのは、霊的な存在について、段階の違いがありながら、同時に、多様な存在があることを認めているところです。このことは「神」にも当てはまるのです。

ところが、世界の各宗教を見ると、今、主流というか、メジャーであるのは、一神教といわれるものです。これは、「神は一人であり、それ以外の神は偽物である」という考え方です。

キリスト教やイスラム教は一神教ですし、ユダヤ教もそうです。

こうした一神教が、たまたま、今、先進国に広がっているため、「宗教としては一神教のほうが進んでいる」と考えられています。

そして、「多神教的な宗教を持っているところ、例えば、インドのように神がたくさんいるところは遅れている。また、『古事記』『日本書紀』等を読むと、日本にも神は大勢いるが、そういう八百万の神々がいるようなところは遅れている」と見るわけです。

このように、「一神教がすごく進んでいる」と捉えがちです。しかし、当会の霊界観は、そういうものではありません。

やはり、「神」と呼んでもいいような、霊格の高い高級存在がいます。

それを、「神」ではなく、「天使」や「大天使」と呼ぶこともあれば、「菩薩」や「如来」と呼ぶこともありますが、いずれにせよ、霊界には、地上の人間から見ると、遙かに神に近い高級存在として、いろいろな種類の霊人が現実に大勢いるのです。

(中略)

「われらの神こそ本物だ」と言う宗教は、あちこちにあるのですが、数多くいる天使、あるいは如来や菩薩たちのうちの誰かが、その宗教の教祖を指導していて、「われが神だ」と言っている場合、教祖のほうは、「その人しか神はいない」と思ってしまいます。それで一神教になっているのです。

そのため、小さな新宗教にも一神教はたくさんあります。だいたい、それが普通のスタイルです。

したがって、「一つの宗教だけが正しく、ほかの宗教は、全部、間違っている」というわけではありません。宗教の違いの多くは、「誰が指導しているか」ということの違いにすぎないのです。

宗教が一神教になりがちなのは、そうしないと、教義や教団の行動方針が混乱しやすいからです。

複数の霊人たちが、それぞれ違うことを言うと、話の内容が、あっちに行ったり、こっちに来たりして、今風に言うと、ブレやすいのです。

宗教では、よく、「神同士が喧嘩をする」という言い方をするのですが、そうならないようにするため、神を一人に絞ることが多いわけです。

それが一神教の発生原因です。

宗教は、たとえ今は大きくなっていたとしても、発生当時を見ると、ほんとうに小さなものです。

(中略)

それが、何千年かたつうちに大きくなり、各地に広がって、世界的な宗教になったときには、その小さなところに降りた神が、世界的な神のように言われ、他の神を排除するような状態になるわけです。

それが、宗教的な紛争などの原因にもなっているのです。
経典『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)P112~118ページ

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 女心をわし掴み(笑)少年ア... | トップ | 新感覚巫女系ヒロイン「水月... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。