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【高知と徳島に注目!】土佐人の誇りと革命の足音。【更新】

2016-07-09 20:06:49 | 福山まさとしの政(まつりごと)

幸福実現党 釈量子(しゃくりょうこ)党首

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防衛省は16日、中国海軍の情報収集艦1隻が、沖縄県の北大東島周辺の接続水域内を航行したと発表しました。

この中国軍艦は、15日に鹿児島県沖の領海に侵入したのと同一艦で、沖縄東方海域で実施されている日米印共同訓練に参加していた3か国の艦艇を追尾する形で接続水域に入ったとのことです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160616-OYT1T50132.html

中国側は、「全く問題ない」ということでしょうけど、「全く問題ない」で済まされることは問題です。なぜならば日本近海を、武装した船が堂々と横切ることは、日本の安全を考えた場合、重大なことだからです。

なぜ問題ないならば、中国は事前通告しなければなりません。

だってそうでしょう?武器を持った人が、商店街を堂々と、「全く問題ない」と歩いていたら、その時点で危ないでしょう?

「いや、これはこれこれこういうことで、だから、大丈夫なので、通らせていただきたい。」というのなら、時と場合、事情の如何によっては、通さないでもないが、それはこちらの都合であって、堂々と何の通告もなく素通りするとは、そして素通りさせるとは!

マスコミも、アメリカの原子力空母が寄航するだけでやんやの大騒ぎするのに、なぜ中国だったら何も言わない!おかしいぞ!

どこかで、何らかの圧力が、言論などに加わっていると思います。

これは歴史上、実際にありました。幕末、ロシアなどが日本近海にきたときに、国防上の危惧を訴えた人たちを、時の幕府は処罰しています。

それらが、「幕府に、日本をまかせていいのか?」という、その後の明治維新革命の流れになっているんですね。

歴史は繰り返す。

日本は再び、太平の眠りから覚めなければならない、革命の必要性の時代に入っているのです。

それに気づいている人は、全国各地にもうたくさんいるんです。少なくとも、もう、今までと同じ判断をしていては危険な状況なのですね。

(左から、民主党 大西聡氏 自民党 中西祐介氏 幸福実現党 福山正敏氏)

さて、先日の参議院候補の合同討論会において、出馬予定の三人の討論がありました。

私は討論の当初、お三人のご挨拶からお聞きしたのですが、最初にびっくりすることに出くわしました。

まず民主党の大西氏から始まり、続いて自民中西氏、そして幸福実現党の福山氏の順番で挨拶が行われましたが、福山氏の挨拶が始まった瞬間、報道陣が一斉にカメラのシャッターを切り始めたのです。

パシャパシャパシャ!

私は遅れて会場入りしたので、舞台後方の報道陣席近くにいたので、そのシャッター音にびっくりしたのです。

「なぜ、福山さんに?」

支持者がこう思ってはいけないのかも知れませんけれども(笑)、正直な私の感想です。

これまでの選挙戦では、こういう現象は起きてはいなかったからです。

私には、このときのシャッター音が、「革命の足音」に聞こえました。

七海ひろこ幸福実現党広報兼財務局長福山まさとし高知・徳島候補

しかし、今ではそれが何なのかがわかります。

福山まさとし氏は、高知県民が持つ、本質的な誇りを理解しているんですね。そういう精神的土台の上に、これまでの政治活動を続けていて、それが高知のマスメディアにも、きちんと認識され、彼らの心に伝わっているんです。

土佐人は、誇り高き民です。

高知県はもう何十年も、県民所得最下位の常連ですが、しかしこの国の民は、それを卑屈には感じていないんです。

「あーははは、また最下位か、しゃあないなぁ」と、自虐的と言えばそうかも知れないのですが、決してそういったことでは、失われない強いスピリットがあるのが土佐人なのです。

なぜか。

それは県民の記憶の中では消えていますが、かつて幕末までの、日本のトップランナーであった土佐の名残りは、県民の気質として残っているからなのです。 

 

「徳川幕府、何するものぞ!」「おまんらぁ、土佐を攻められるものなら攻めてみよ!」という気概が、土佐の民にはありました。

おそらく、今でもあると思うんですよ。

それは単に、田舎者ゆえの短絡的な発想ではなく、経済力や地政学的な根拠があったのです。

元来、緩やかな坂の平野で、自然の湿地帯の少ない高知平野は、江戸時代の野中兼山以降、人工的に作られた田園なのです。

豊臣政権時代の太閤検地では、11万石弱と記録されていた土佐の国は、野中兼山以降、50万石以上の実質石高を得続けました。

「以上」と書いたのは、土佐の高知平野では十分な灌漑と、もともと荒地を人工的に水田したものであるがゆえに、二期作も二毛作も可能という、近代的なハイブリッド水田だったからです。ですから、この地から取れる富は、把握不可能だったはずです。

余った米は関西圏に売られ、超黒字体質を200年以上続けた土佐は、幕末には超経済大国でした。

そして、高知城を中心に、高知平野中をぐるりと囲む田んぼと、それに伴う激流のような用水路は、土佐の国を天然の要塞化するのに十分でした。

野中以降の土佐の国山内家は、幕府が絶対に戦いたくない外様大名となったのです。

だからこそ、土佐藩の実質的藩主山内容堂(やまのうちようどう)公が幕府に差し出した、一枚の大政奉還の建白書ひとつで、江戸幕府は政権維持を諦めたのです。

 

福山まさとし候補は、徳島県出身者ですが、高知の歴史を深く勉強しているのがわかります。

そして高知の歴史には、苦境にあえぐ、日本の地域社会を救うすべがあることも熟知しています。

なぜならば、高知の歴史には実際にそれがあり、福山候補は、高知を強く尊敬しているんです。

それは、どこかの某既成政党の候補者のように口先だけではなく、それを実際に、自身の政治理念にまで入れてしまうのが福山まさとしです。

福山まさとしは、徳島県民でありながら、土佐の天才政治家野中兼山を知っていました。

野中兼山は、高知では教科書に出てくる人物ですが、他県では無名に等しいです。

そして野中が、今の南国市にある後免(ごめん)町の由来も。

そう、おもろい名前で知られる「ごめん町」の由来は、「年貢御免のごめん」なのです。

高知県南国市の「ごめん」から、福山まさとしは、日本地域再生を構想したのです。

さあ、今回高知・徳島合区に出馬する、同じ徳島県人である、中西・大西ご両名は、野中兼山のことをご存知でありましょうや?

幕末の革命の立役者のひとつ、最強藩土佐の歴史をご存知でしょうか?

高知に古くからある酒蔵は、米がふんだん採れた証です。

土佐藩以降、この地に餓死者がいないのも、豊かな地域でなければなしえない歴史ですし、「宵越しの金はもたぬ」的な、きっぷのいい県民性も、これらは、経済大国土佐の名残りなのです。

高知の県民性は、貧乏しか経験したことのない地域の人々では、絶対に獲得できない性分なんです。

会場の外では、地元高知のメディアだけでなく、関西テレビなど、県外のメディアが多数訪れて、盛んに来訪者にインタビューをしており、私の妻は、それを受けていました。それが放送されたかどうかは存じませんが。

高知は徳島と合区になり、国内ではとても注目されている地域なのです。

その中でも、特に着目されているのが、幸福実現党の福山まさとしです。

なぜならば、合区になったのは、高知・徳島の人口減が要因であり、それらは、政治の不毛だからです。

これまでこの地域では、自民党議員からも民主党(現民進党)からも議員が出ており、つまりは、「自民党や民進党議員らの政治的貢献度の低さこそが、合区となった要因だ」と、一般的な世間の眼ではそうなっているのです。

ですから、「自民党や民進党など、これまで議員輩出してきた政党の候補が何を言うか」や、「有権者が、これらの政治勢力に対して、どのような判断を下すか」とか、「これまで輩出はない、幸福実現党に、新たな地域復興策ありや」ということが注目されているのです。

歴史は繰り返す。

高知の皆様、皆様の心の奥底にある、「何するものぞ!」という気概には、歴史の根拠があるんです。

さあもう一度、繁栄の革命を起こそうじゃありませんか!

私たちは、かつてそれを、実際に起こしたことがあります!

現在の高知の衰退は、政治の不毛であり、政治選択の誤りが招いているものです。

そして高知には、今までと同じ判断を続けている余裕は、もうありません。

「今高知に、野中兼山がいれば、さあどうするか?」

これが、高知の未来を決める機軸となるべきです。

幸福実現党、ならびに、福山まさとしへの選択は、高知復活の鍵なのです。

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