六花の舞。

「六花の舞」、Ⅰ・Ⅱともに完結しました。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _)m

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ダイヤモンド・エッジ<第二部>-【32】-

2016年12月07日 | 六花の舞Ⅱ.
【少女の肖像】タマラ・デ・レンピッカ


 ええと、今回は確実かつ間違いなく言い訳事項があるということで、久しぶり(?)に言い訳事項にここの前文を使いたいと思います(^^;)

 まず第一に、圭のSPのところで>>かつての兄と同じくショートに二回の四回転を入れ、最後にもうひとつあるジャンプは、完璧無比なトリプルアクセル――とあるんですけど、かつての兄と同じくっていうのは間違いです

 六花のⅠのほうでリョウはSPで四回転を一回しか入れてないはずなので(すみません、確かめてない)、にも関わらずなんで最初から間違っているとわかっていてこう書いてあるかというと、ようするにその点を直さないと↓で圭のSPの得点が110.24っていうのはおかしいことになると思ってて(^^;)

 そのですね……六花のⅠを書き上げたあと、わたしこのⅡについてはとりあえず書くつもりなかったのです。で、その後結構肉づけ的な部分が更に固まっていって――「ああ、これ書けってことだ」と思って書きはじめ、こうして連載するまでに色々と状況が変わったというか。

 まず、六花のⅠの連載を終えた時点では、羽生選手がSPで二度の四回転に挑戦しておらず、また史上最高得点である300点越えの得点も出ていませんでした。また、しょーまくんの四回転フリップ成功、ぼーやんくんの四回転ルッツ成功もまだ成し遂げられてなくて、わたしもリョウが公式試合で4アクセル以外を成功させてるって書いてる時に思ったんですよね。あくまでも創作上のことなので、そのくらいのことが出来る天才選手がひとりくらいいてもいいかなみたいに。

 それでも流石に、その上SPで4回転を二回リョウに跳んでもらうのはやっぱりやりすぎかな……と(^^;)

 いえ、今はもう周知のとおり、羽生選手、ぼーやんくん、チェンくんと、SPで四回転2回跳んでても、あんまりサラッとやってのけられてしまうもので、「ああ、あの時自分の直感に従ってリョウにSPで4回転2回跳んでもらってれば良かったな~☆」と思うのですが、でもカール・アイズナーや他の選手との点差がつきすぎるのもアレなので――そういうことに落ち着いたというか

 でも、羽生選手がSPで4回転を2回入れたことではっきりしたことですが、そうじゃないとそもそも100点越えってないんだな……と思ったので、そこは直さなくてはいけないと思ったというか、なんというか

 まあ、じゃあとっとと直せばいいじゃないか……という話なのですが、そもそも六花のⅠってⅡ以上に直すところがたくさんあるんですよね。なので、そこもまあいつか直せばいいかなあ、なんて(殴☆

 あと、ついでなので書いておきますと、四回転ループって羽生選手の代名詞だと思うので、このお話の中でルカ・二キシュの代名詞にするのはちょっと微妙だなあ……とは思ってました。もっとも、わたしがこのお話を書き終えた時点では、羽生選手はまだ公式の試合では四回転ループを成功させていなくて、でも「普段の練習では跳べているから、プログラムにはいずれ入れてくるだろう」みたいに言われている段階でした。

 ――で、今シーズンはこれまた周知のとおり、四回転時代沸騰!!みたいになってて(^^;)

 いえまあ、この件については単純に、六花のⅠのほうをいつか直すっていうことで、とりあえず簡単に終わらせておきたいと思いますm(_ _)m

 ええと、今回の女子のプログラムで一番の言い訳事項はですね、マリア・ラヴロワちゃんとロッテのSPのプログラムについて、だったでしょうか

 ようするに、ジャンプに入る前の難しいステップの組み合わせとか、実際にはわたし、よくわかってません(殴☆

 ただ他のフィギュアスケートについて詳しいサイト様などで、「鬼難しい3フリップの入り方」とか、そういうのを読ませていただいて、とりあえずテキトーに書いてみたくらいのレベルだということでよろしくお願いします

 あと、実をいうとわたし的に書きはじめた時からわかってたことではあったのですが、マリア・ラヴロワちゃんとロッテってキャラ的に被ってましてなので、今回はマリアvsロッテで、キャラ被り対決的なことになってるかも、です(^^;)

 いえ、ショートの曲がマリアのほうが『カヴァレリア・ルスティカーナ』で、ロッテが『カルミナ・ブラーナ』なんですよね。

 まあ、だからどーしたって話なんですけど、マリアもロッテも金髪碧眼の中肉中背くらいの均整の取れた美人さんという設定なので……外見的にもふたりは雰囲気的に似てるっていうのがありまして(^^;)

 で、自分ではこのへんとか軽い気持ちでテキトーに書いたくらいの記憶しかないのですが(というのも、最初に書いてる段階ではとっとと先へ先へと書いていって早く終わらせたいというのがあって)、今読み返してみると、確かに曲の選定って大切だなあ……みたいにあらためて思ったり

 もちろん、「何アタリマエのこと言うとんのや!」って話なんですけど、今季の理華ちゃんのSPが『カルミナ・ブラーナ』なのを見て、わたしの頭の中にあったプログラムを遥かに越えているって思ったというか。わたしの頭にあったのはただ、曲的にカヴァレリア・ルスティカーナよりもカルミナ・ブラーナのほうが人の情動に訴えかけて盛り上がるんじゃないかっていうのがあったっていうそれだけだったんです。

 でもわたし、今季見たSPの中では理華ちゃんのがたぶん一番好きかなって思いますあと、カレン・チェン選手のSPも好きだな~って思ったりとか色々……んで、カルミナ・ブラーナの演奏にも色々あるかと思うんですけど、理華ちゃんのSPはその部分も鳥肌立つくらい良かったと思いました♪(^^)

 なんていうか、今季のチェンくんのFSは『だったん人の踊り』なわけですけど、わたしの中では葵が滑ったのはこれじゃないな、という印象でした(笑)いえ、合唱の部分とかがもっとこう……鳥肌立つくらいゾクゾクするのがあって、チェンくんのはどこの交響楽団のものかはわからないんですけど(汗)、でも男子だし、葵みたいにそのあたりのぞくぞくするステップシークエンスに命かけてるってわけでもないから、チェンくんはチェンくんで四回転に命かけてるプログラムっていうことで全然いいとは思うんです

 んーと、そもそもチェンくんは韃靼人の男の人のほうを演じてると思うので、その点葵は奴隷の娘側のイメージなので、同じ曲使ってても、そういう点でも表現が変わってくると思う、というか(^^;)

 あと、圭のSPの曲がアルバン・ベルクの「ある天使の思い出に」なんですけど、ここはもしかしたらあとになってから変えるかもなー、と自分でも思っててなので、この点についてはあとから変更した場合、ここの回まで戻ってきて、曲名のところだけ変えようと思ってますm(_ _)m

 ええと、大体言い訳事項はこんなとこだったっけな。。。

 それではまた~!!



       ダイヤモンド・エッジ<第二部>-【32】-

 リョウから教えを受けるようになってから、愛榮は二シーズン目のグランプリシリーズを迎えた。

 正直いって、去年のアメリカ大会のほうが、愛榮は緊張していなかったかもしれない。もちろん、去年は去年で別の意味で緊張していたとはいえ――それは過去に主要な国際大会でメダルを獲得したことのない、新参者が感じる緊張感であって、その時には先のことなど何も考えず、ただがむしゃらに前に進んでいけた。

 けれど、今季はオリンピックシーズンということもあって、愛榮も先のことまで視野に入れて色々と考えずにはいられない。

 彼女にとって実に不思議なことではあったが、あれほどエイト・トリプルに拘っていたリョウは、葵に宥められた翌日からは突然コロリと態度を軟化させていた。だが、愛榮にとってはその優しさこそがむしろつらいことだったといえる。「出来ない以上は仕方がない」……そう言ってからのコーチは、以前のようにリンクで怒鳴る回数も少なくなり、愛榮の意見もよく聞いた上で<総合的に考えて>どうするのが今出来うる最善のことであるかといったようにトレーニングのほうも組み替えていた。

(いっそ、諦められてしまわれるくらいなら、怒鳴られてばかりでも、そのつらさを乗り越えられるようにわたしのほうでもっと努力すべきではなかったか……!)

 愛榮は実際、コーチの態度が前日とは違って軟化したことを喜ぶべきであったのに、トレーニングを終えて屋敷に戻ってくると、自分の部屋にこもって泣いた。出来ればコーチの期待に応えたかった。けれど、そうは出来ないことで――愛榮は去年とは違い、気持ちの上でコーチと一体になれているように感じられなかった。

(でも、スケートアメリカで去年と同じく金メダルを取れさえすれば、コーチもきっと思い直してくださる……)

 けれど、そう思えば思うほど、愛榮の体はプレッシャーで重くなっていくかのようだった。リョウのほうでも、三日前にロサンジェルスの選手ホテルのほうに入った時くらいから、その愛榮の変化に気づいていた。だから、夜のミーティングの時にこう言って教え諭したものである。

「愛榮、俺が去年言ったことを覚えてるか?」

「去年……ですか」

 いつの時のことだろうと思いつつ、愛榮が記憶をつまぐっていると、リョウはソファに座る愛榮の肩に手をかけて言った。部屋のほうはビジネスホテルのシングルサイズだったため、とても狭いが、いつもスイートにばかり宿泊しているリョウにとっては、逆に新鮮だと感じられていたかもしれない。

「そうだ。俺も今までずっとオリンピックオリンピック、金メダル金メダルと、そんなことばかり口にしてたからな、愛榮にしてみれば何を今更と思うかもしれないが……戦略としてはな、ここでの結果などは正直どうでもいい」

「えっ!?」

「ピーキングの話は、前にもおまえにしたことがあるだろう?」

 ピーキングというのは、簡単に言ったとすれば試合の時にパフォーマンスが頂点にくるように、精神・肉体両面を整え、調節することである。

「つまりな、今シーズンの俺とおまえの一番の目標は、オリンピックで金メダルを取ることだ。スケートアメリカ、フランス杯の両方で金を取り、グランプリファイナルでも仮に金だったとして……そこで力を使い果たしてオリンピックでは実力を発揮しきれなかったなんていうよりはな、ここではむしろ気楽に試合に臨んだほうがいい。オリンピックでいい演技をするための、練習の場だとでも思え。愛榮は俺がいい成績を残さないと失望すると思っているかもしれんが、ここでの結果を俺はとやこう問う気はない」

「は、はい……」

「他の選手たちはどう考えるかわからんが、ベテランになればなるほど、こうした考え方になる。たとえばな、仮に四大陸選手権にピークが来て、肝心要の世界選手権ではいい演技が出来なかったなんていうことはありうる。グランプリシリーズ、国内大会、四大陸とすべていい成績だったにも関わらず、そこで力を使い果たしてしまって、世界選手権ではどんなにがんばって上げようとしても、何故か力を発揮できなかった……なんていうことはな。だから力は抜いていけ。むしろ抜いたくらいでいってどの程度の点数が出るか見てみろ。俺はそのくらいのことはおまえの体に叩きこんできているはずだからな」

「で、でも、力を抜くといっても、どうしたらいいか……やっぱり試合っていうことになると、自分で自分をコントロールできないっていうか、やっぱり試合である以上最高の力を発揮しなきゃって、自動的にそう思ってしまうと思いますし……」

「そうだなあ。まあ、難しいとは思うが、それでも俺が結果は問わないと言ったことで、少しは気が楽になったろう?」

 葵に指摘されて、愛榮がストレスで毛の抜けた犬のようになっていると気づいたリョウではあるが、今更優しくされても信用できない――そんな横顔を愛榮がしている気がして、妻の言っていた言葉があらためて思いだされる。

『あとはもう、そんなに厳しくしなきゃいけないこともないでしょ。ペギーの毛を櫛ですいてた時みたいに、優しく優しくしてあげるのよ。それじゃなくても試合前でピリピリしてるでしょうからね』

「でも……難しいです、やっぱり。肩の力を抜くなんて言っても、本番では自然と力が入ってしまいそうだし……」

「まあな。だがまあ、今回は新しいプログラムでどのくらいの得点が出るのかの運試しだと思え。俺が何を言いたいのかは、試合が終わった頃にはおまえにも絶対にわかる」

「はい……」

 そして実際、リョウは葵の指示通り愛榮に優しくし、レストランでは紳士的にエスコートしたりと、何かと愛榮のことを気遣い、公式練習が三回あったのち、愛榮のことを試合へ――まずは大会二日目にあった、女子シングルのショートプログラムの試合へと送りだしたのだった。

 前日にあったドローで、愛榮は最終グループの第四滑走を引き当てていた。そして今大会で強敵になりそうな選手たちは、ロシアのマリア・ラヴロワ、同じスケートクラブのエリカ・バーミンガム、スイスのロッテ・シャームバッハといったところだったろうか。

 リョウの頭の中にあった勝利の方程式によれば、愛榮がいつも通りの滑りさえ出来れば、他のどの選手のことも問題ではなかったといえる。それにも関わらず、何故愛榮が嵐の中の小鳥のように震えてさえいるのか、コーチの彼には不可解だったといっていい。だが昔、試合前には自分だって尋常でなくナーバスになっていたことから――彼女が翼を大きく広げて演技できるためにはどうしたらいいかと考える。

 最終グループの滑走順は、一番滑走がエミリー・ハンター、二番滑走がベアトリクス・アディントン、三番滑走がエリカ・バーミンガム、四番滑走が金愛榮、五番滑走がマリア・ラヴロワ、最終滑走がロッテ・シャームバッハという順だった。

 六分間練習のあと、愛榮が比較的落ち着いており、良い集中を保てていると判断したリョウは、特に何も言わなかった。最後にバランス感覚を養うのにしているトレーニングや、反射神経を高めるためのトレーニングを手伝ったという以外では、他はほとんど話をする必要すらなかったといえる。

 前滑走者のエリカ・バーミンガムの演技を愛榮は見ていなかったが、当然リョウのほうはしっかり見ていて、トリプルアクセルを転倒してしまったことに対し、(惜しい)と感じていた。それでも、三回転半どうにか回りきってからの転倒であったため、基礎点はもらえるだろうと思うものの――順位的には少し厳しいことになるだろうと見てとっていた。とはいえ、曲のほうはリョウも大好きな『ネバーエンディングストーリー』ということもあり、心の中で口ずさみながら楽しくエリカの演技を鑑賞していたといえる。

(トリプルアクセルさえしっかり決まれば、間違いなく七十点を軽く越えてくるプログラムだな)

 そう思うものの、焦りを覚えるということはリョウには一切ない。十九世紀の貴婦人のドレスを膝上のサイズにしたような愛榮の衣装は、彼自身がデザインしたものである。もっとも、このことでは一度、葵とリョウとは喧嘩しそうになったことがあったものだった。

 愛榮の目から見て、小早川家というのは基本的に亭主関白な家庭であるように見えたのだが、何分、十八~十九世紀、また二十世紀初頭のイギリスのファッションに関しては一家言あるリョウである。葵の横で「もっとこうしたほうがいい」だの「ああしたほうがいい」だのと意見するうちに――葵が一言、「ファッションセンスのない人は黙ってて!!」と鋭く言った。するとリョウは突然ピタリと黙り込み、珍しく自分からリビングを出ていったのである。

「だってあの人、赤紫のドレスがいいだなんて言うんですもの!!」

 葵は自分が着るというわけでもないのに、カッカして言った。テーブルの上には、『英国貴婦人の装い』といったヴィクトリア朝時代のドレスを扱ったファッションブックが数冊置いてある。それらの本を参考に葵はデザインを起こしていたのだが、リョウはリョウで彼女の隣でスケッチブックに「俺はこんなのがいい」だのと言ってはコスチュームをデザインしていたのだった。

「でも、フリーのほうは衣装がブルーですから、正反対でいいのかなっていう気もしたり……」

「ええっ!?愛榮ちゃん、正気なの?わたしはもっとこう、同じレッド系でもピンクがかった薔薇色とかね、コーラルとか、スカーレットとか……」

 そう言って葵は、布の色見本を開いて、愛榮に見せた。サテンやベルベットなど、布の触り心地がそれぞれ違うものだった。

「わたし、赤紫でもいいです」

 愛榮は赤紫色の布地を取ると、リョウの描いたデザインに合わせてみた。葵の美学に合わないことは愛榮にもわかるのだが、彼女の中では全然許容の範囲内だった。というより、韓国にいた頃はずっと、無難な雰囲気の衣装ばかり着てきたため、<赤紫>だなんて意外にいいのかもしれないとさえ、愛榮はちょっとだけ思った。

「でも、衣装が出来上がってきたあとで、もし滑ってても気持ちが盛り上がらないとか、そういうことがあったら――すぐ言ってね。新しいのを別に発注することにするから」

「はい!葵先生がデザインしてくださったフリーの衣装、わたしとっても気に入ってるんです。でも、ショートのほうはコーチの意見を聞いてあげてもいいかな、なんて……」

「そう。優しいのね、愛榮ちゃん。あんな鬼に対して……たぶんあの人、ふてくされてオーディオ室で特撮映画でも見てるだろうから、そう教えてあげて」

「ありがとうございます、葵先生……!!」

 実際、愛榮が地下にあるオーディオ室にいってみると、リョウはソファの背にだらしくなくもたれかかって、『宇宙刑事ギャバン』を見ているところだった。

「あの、コーチ。わたし、コーチのデザインしてくださったあの衣装にしようと思います。葵先生も少し言いすぎたっておっしゃってましたし……」

 もちろん葵はそんなことは一言も言っていない。けれど、結局のところリョウの意見を通したのだから、そう言っても問題ないだろうと愛榮は思ったのである。

「ほんとか!?そうか、そうか。俺はあの衣装が愛榮にはぴったりくると思ったんだ。きっとおまえに似合うぞ」

 単純というべきかなんというべきか、リョウは突然子供のように喜びをあらわにしてそう言った。リンク場では厳しくとも、愛榮は彼のこういうところが好きだった。リンクから上がったあとは、まったくその時のことを引きずらず、自分ともスケートの弟子というより、普通に半分友達か何かのように接してくれるところが。

「……あの、この『宇宙刑事ギャバン』の主題歌って、以前コーチがエキシビションナンバーで滑ったことのあるやつですよね」

「おお、そうだぞ、愛榮。よく知ってるな」

「わたし、あれ、好きでした。『宇宙刑事ギャバン』がなんなのかはよくわからなかったんですけど、いい曲だなと思って……」

「そうだろう、そうだろう。なんだったらおまえ、ここで見てけ。うちには他に、『宇宙刑事シャイダー』や『宇宙刑事シャリバン』のコンプリートDVDボックスもあるからな。見たかったら、いつでも好きな時に見ていいぞ」

「は、はい……」

 つい余計なことを言ってしまったがゆえに、愛榮はこのあと三時間あまりもリョウにつきあって『宇宙刑事ギャバン』を見つつ、一連の『宇宙刑事』シリーズについて特に知りたくもない知識を授けられることになったのであるが――葵が「こんなことだろうと思った」とばかりオーディオ室にやって来て、愛榮のことを救ってくれたというわけだった。

 もちろん、エリカ・バーミンガムと入れ違いになるようにしてリンクに出ていった時、愛榮の心にはそうしたことは一切思い浮かばなかったものの、それでも赤紫色の貴婦人風衣装を見るたび、リョウがデザインしてくれたものだと思っただけで、幸せな気持ちになれる愛榮なのだった。

 愛榮が氷にエッジを慣らすようにして一周ほどし、ジャンプを跳び自分のコーチの元まで戻ってくると、リョウは彼女の夜会巻きにした髪型を軽く直してやった。それから彼女の手を握り、「何も心配するな。おまえなら出来る」と、小さな声で囁くように言う。

(わたしなら出来る……コーチがそうおっしゃった……!!)

 だからわたしには出来る、という強い自己暗示をかけて、「エヨン・キム!」と名前をコールされると、愛榮はリンク中央へ出ていった。あれほど緊張していたのに、いざリンクに出てみると、愛榮の気持ちは驚くほど静かだった。

 丸みをもたせて両方の腕をつかみ、足を交差させた形で後ろへ引くと、愛榮は最初のポーズを取る。ピアノの音に合わせて、しっとりとした優しい雰囲気でステップを踏み、徐々に速度を上げていく。ダイアン・スーシェには、<英国貴婦人の優雅さ>を表現するようにと言われており、速度を上げていく間にも愛榮はそのような優美さを保ちつつ、スタート地点からリンクの端のほうまでいき、トップスピードに乗ったところでトリプルアクセルを跳んだ。リョウは愛榮が美しく着氷するのと同時に、(よし、よくやった!!)と思い、ぎゅっと拳を握りしめ――また、観客席からも「おおっ!!」というどよめきにも近い声が上がった。

 彼女が去年とはまったく違う金愛榮だと、そう気づいたのかもしれない。続く、三回転ルッツ-三回転トゥループもセカンドジャンプを手を上げて跳ぶ美しいものだったし、<英国貴婦人>というテーマがあってもなくても、愛榮の滑りには生まれつきといっていい気品があり、それは他の選手には見られない特異なものだったといえる。もちろん、ジャッジも観客席のフィギュアスケートファンの誰しもが、愛榮が如月葵にスケーティング技術を習ったと知っており、そこに現役時代の彼女の美しいスケーティングの影を見る思いだったろう。

 愛榮はフライングシットスピンを回り、ビールマンポジションで締め括られるレイバックスピンを続けて回ると、複雑なフットワークのステップシークエンスを前後左右に大きく体を使って優雅に舞った。そして次に最後のジャンプ要素であるトリプルフリップ。それから足替えのコンビネーションスピンをポジション変化も素早く高速で回り、最後は後ろに足を引いて、貴族風に挨拶するポーズで演技を終えた。

 惜しみない拍手が降り注ぎ、愛榮もまた笑顔でジャッジや観客席に向かってお辞儀した。愛榮はこの時、またしても去年と同じくあのベージュ色のコートを着た女性の後ろ姿を見かけ――思わずそちらのほうへ駆けていった。そして(やっぱりそうだ……!)と確信する。そこには水色と白のストライプの袋が置いてあり、愛榮はその袋と花束、それに鹿のぬいぐるみを拾ってリンクゲートのほうへ戻った。

「よくやったな、愛榮」

「はい、コーチ……」

 愛榮は不思議と、あの女性が自分の<ただのファン>ではないような気がして――何かが心にかかるあまり、この時少しぼんやりした。

「どうした?あれだけ素晴らしい練習通りの演技だったんだ。もっと喜べ」

「はい。嬉しいんですけど、いくらショートがよくても、フリーのことを思うと、まだ手放しでは喜べないっていうか……」

 ブレードにエッジカバーをかけると、愛榮はコーチに肩を抱かれてキス&クライへと向かう。

「お、このバンビのぬいぐるみはなんだか、顔がおまえに似ているな」

 そう言ってリョウから鹿のぬいぐるみを渡されると、愛榮はそれを自分の顔の横に置き、カメラに向かって満面笑顔で手を振った。これもひとつのファンサービスと思ってのことである。

 リョウが、(この袋は前にも見た覚えがあるな)と思っていると、モニターに得点が出る。

 技術点=40.14、演技構成点=35.66、合計点数=75.80

 この時点で、第一位だったのはエリカ・バーミンガムだったのだが、彼女の得点である68.56を大きく抜いての第一位だった。愛榮はプレゼントの可愛い鹿のぬいぐるみがすっかり気に入り、それを片手に会場に向かい大きく手を振り、コーチとともにキス&クライをあとにした。

 残る選手は、マリア・ラヴロワとロッテ・シャームバッハだったのだが、ふたりはともに<氷上の詩人>とも呼ばれることのあるいわゆる<表現派>だった。もっとも、以前は<表現派>というと、言葉の前のほうに(ジャンプが苦手な)という言葉がちらついていた気がするが、ふたりはともに高難度のジャンプもこなすことを思えば、総合的に安定した成績を残すことの出来る選手だったといえる。

 ただ、女子シングルの順位争いが熾烈であることを思うと、どんなに表現面を磨いても限界があるらしいという大きな壁にマリアもロッテもぶつかっており――灰島蘭や金愛榮、リュドミラ・ペトロワといったジャンプに抜きんでた才能を持つ選手に得点でどこまで肉薄できるかというのが、五輪シーズンである今季の課題だったといってよい。

 マリアのショートプログラムは、『カヴァレリア・ルスティカーナ』で、三回転フリップに入る前に難しいステップを入れたり、ダブルアクセルを片手を上げて跳んだりと、かなり高難度のプログラムとなっている。スピンも入り方、またポジションの変化に工夫が取り入れられており、トリプルアクセルが入っていないかわり、出来得ることはすべて行ったといった緻密な内容になっている。

 また、それはロッテにしてもまったく同じで、ロッテのショートの曲はカール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』だったのだが、マリアと同じく、最初のジャンプである三回転ルッツ-三回転トゥループのコンビネーションジャンプを決めたあとは、独創性のあるチェンジフットコンビネーションスピンを回り、スパイラルを入れて、ワンフットからのトリプルフリップ、またトリプルフリップと同じく後半に入れたウォーレイからのダブルアクセルなど、スピンやステップシークエンスだけでなく、ジャンプのほうも多量の加点が見込めるプログラム構成となっている。

 同じタイプの二選手が五番滑走と最終滑走だったということで、曲は違えども、似た雰囲気をマリアとロッテから感じた観客はおそらく多かったに違いない。ふたりともブロンドの美人で、ロシア正教とプロテスタントという違いはあれども、ともに信仰深い家庭で育ったという共通点があり、またインタビューの受け答えなども常に笑顔で感じのいい印象を残すところがよく似ていたかもしれない。

 昨シーズンはエリカとロッテの『魔王』対決があり、ロッテにしてみればそうした見られ方をするというのは迷惑以外の何物でもなかったに違いないが、この日のショートプログラムではロッテのほうにまずは軍配が上がった。曲との一体感や振付と曲想の表現などにおいて、彼女のほうが一枚上手だといったように、ジャッジのほうでは判断したらしく――その得点差を見たあと、マリアのコーチであるラリサ・パヴロワは、「強いていうなら、負けた理由は音楽の選曲かしらねえ」などと、溜息を着いていたものである。

 そして、最終滑走だったロッテ・シャームバッハが滑り終えたあとの、女子シングルのショートプログラムの順位は以下のとおりということになった。


 第一位=金愛榮(75.80)

 第二位=ロッテ・シャームバッハ(71.24)

 第三位=マリア・ラヴロワ(70.93)

 第四位=エリカ・バーミンガム(68.21)

 第五位=サーシャ・アルツェバルスカヤ(65.67)

 第六位=エミリー・ハンター(63.56)

 第七位=ベアトリクス・アディントン(62.98)


 また、前日に行われていた男子のショートプログラムでは、国籍変更のために一年国際試合へ出られなかった小早川圭の復帰戦にもっとも注目が集まり、会場のほうも超満員となっていたといって良い。もしカール・アイズナーもまたこの大会へ出場することになっていたとしたら――おそらくチケットのほうは今以上の高額でダフ屋に取引されていたに違いない。

 男子シングルのメダル候補として有力だったのは、彼の他に氷室光や中国の周翔などだったが、最終グループの一番滑走として圭が演技し終えるなり、誰もがすでに彼の金メダルを疑ってなかったといえる。かつての兄と同じくショートに二回の四回転を入れ、最後にもうひとつあるジャンプは、完璧無比なトリプルアクセル――この超々高難度のプログラムを圭はメンデルスゾーンの『歌の翼に』にのせて、美しく繊細に、かつ強く演じきった。この時、叩きだされた得点が110.24ポイント。残る五人の選手は全員、この高い壁を超えることは絶対にあるまいと思われた。そして、最終滑走だった氷室光が『ペトルーシュカ』を滑り終えた時点で決定した男子シングルの順位は以下のとおりである。


 第一位=小早川圭(110.24)

 第二位=氷室光(101.03)

 第三位=周翔(95.56)

 第四位=ユーリ・ベレゾフスキー(90.22)

 第五位=ポール・シュイナール(88.98)


 光はこの日、初めてショートプログラムで百点を超えたのだが、それは高い5コンポーネンツによるところが大きく、また彼が最終滑走であったということも関係していたかもしれない(というより、その可能性を光は疑ったということである)。もし光がカール・アイズナーや小早川圭といった強敵のいない大会に振り分けられていたとしたら、得点のほうは何点であれ、一位でショートを通過したことだろう。しかも、今季は運が悪いことに、次の中国大会でカール・アイズナーと当たる予定なのである。

 光は圭との間についた得点をフリープログラムのほうで挽回するのはおそらく難しいと思ったし、次にカール・アイズナーと当たることを思うと、どちらの大会も最高で二位をキープすることになると思うと、モチベーションのほうもこの時点で下がりかけた。

 けれど、館神コーチが「いや、むしろこれでいい」と言ってくれたことで、少しばかり元気を回復していたかもしれない。

「いいか。今年は五輪シーズンだからな。むしろ最初から調子がよくて、オリンピックの頃に下がるほうが怖いんだ。俺が言っているのはもちろん得点のことではなくな、今は何かで感情を抑えられることによって、オリンピックのあたりでそれが爆発するくらいのほうがいい。正直、一年休んだ間に圭がここまで上げてくるとは俺も思ってなかったが……アイズナーと圭が金メダルと銀メダルを取って、俺はまたもよくて銅メダル、などとは絶対に思うなよ。間違いなくつけいる隙はある。オリンピックの時に全員が全員体調もよくメンタルも完璧だなんていうことはありえない以上――いつも通りの平常心でいけば、必ずチャンスは巡ってくる」

 もちろん光は、館神コーチのこの話を聞きながら、(本当にそうだろうか?)と思いはした。というより、銅メダルすら取れなくて終わるという可能性のほうが高いような気さえしていたが、なんにせよ、グランプリファイナルに進出するためには、スケートアメリカ、中国大会の双方で、二位の順位を得なくてはならない。そう思い、翌日のフリーの演技に挑んだものの、メンタルコントロールというのか、無意識というのは思いの外恐ろしいもので、光はジャンプを二つミスしただけでなく、全体に精彩を欠く演技をしてしまった。

 だが、フリーの演技でも小早川圭に大差をつけられたとはいえ、二位ではあった。けれど光は、五輪シーズンだというのによくない出だしだと思い、ここでもがっかりと落ち込むものを感じたのである。

 一方、圭のほうではショートの「歌の翼に」と同じく、如月葵の振付けたシェーンベルクの「浄められた夜」で『グレの歌』に続く静謐な舞をノーミスで披露し、三百点を越える超々高難度のプログラムにより、二位の光と三十点近くもの差をつけて優勝した。

 もちろん、日本男子のため――というよりは、礼央のために、アメリカ国籍で五輪に出場するという犠牲を払った圭のことを光は尊敬していたし、この結果を残念に思いはしても、彼に対しては嫉妬や羨望といった気持ちは驚くほど湧いてこない。ただ、表彰台で光が思ったのは次のようなことだった。フリープログラムでいつものような演技が出来なかったことに対する後悔と、果たして次のオリンピックでも自分は、圭と肩を並べて笑うことが出来るのだろうかという不安である。

 圭との間に驚くほどはっきり才能の差が点差となって表れたことで、光はカール・アイズナーに対し「追いつこうとするだけ無駄」といった脱力感を感じる時のようにではなく、むしろ奮起したといっていい。自分であれば、一年休場したとしたらば、ここまでの仕上がりに自分を持っていくことはまずもって不可能だったろう。他の選手たちがシーズン中に国際試合に出ている間も、演技を披露するでもなくコツコツトレーニングを積み続ける……光は、自分であったとしたら、まず初戦はメンタルで潰れて思うような結果が出せなかっただろうと想像した。

 けれど、あとで録画したものを見返してみると、圭は驚くほど余裕を持って演技しているように見えた。インタビューなどでは、「一年休んだことで、試合勘が鈍っているのではないかと恐ろしかった」などと話していたが、まるでそのようには見えない。むしろ、かつての兄、小早川亮と同じく「俺を見ろ!他の何物にも目をくれず俺だけを見ろ!!」とでもいうような、曲想に反して強い気迫さえ圭の演技からは感じられていた。

 アメリカの代表となってしまったとはいえ、圭の人気は当然日本でも根強く、スケートアメリカは「ケイ・フィーバー」といってよい色合いをもって閉じたといっても過言ではなかったかもしれない。圭は何度も「カール・アイズナーに追いつくためにここまでのことをした」と言い、「五輪でも必ず勝つつもりだ」と、勝利宣言もしていた。また、新聞各紙も小早川圭を絶賛し、日本のスポーツ紙の中には「追い詰められたアイズナー」というタイトルで記事を書いた記者もいたほどである。

 もっとも光は、二位だった自分に対するメディアの扱いが小さかったからといって、その点で落ち込んだりはしなかったものの――うまく言えないモヤモヤした気持ちを抱えたまま帰国し、そのモヤモヤ状態というのは、次の中国杯を目指しての練習中もずっと引き摺るということになった。

 そして、男子のフリープログラムの終わった翌日の女子のフリースケーティングでは、予想通りとばかり、金愛榮があっさり優勝した。彼女のフリープログラムであるブラームスの『交響曲第三番』は、エイト・トリプルにこそ挑んでいないものの、極めて高難度のプログラムであるとして技術点は74.59、また5コンポーネンツでは73.55という九点台を含む得点が出た。フリーの得点の合計が148.14、ショートの得点75.80と合わせて、総合得点が223.94ポイントという恐るべき数字を愛榮は叩きだしたのである。

 愛榮のイメージとしては、エイト・トリプルを達成してはじめてこのくらいの点数になるだろうと想像していただけに――それは嬉しい驚きだった。彼女は思わずキス&クライで泣き崩れ、隣のコーチの胸に抱きついていた。そんな様子をカメラが映していると気づき、すぐ離れたとはいえ、その時はただそうすることしか出来なかったのである。

「コーチ、コーチ……わたし、わたし……!!」

「俺について来てよかったと言いたいんだろう?みなまで言わなくてもわかってるから、気にするな」

 泣きじゃくる愛榮のことを脇に抱えたまま、リョウは自分の愛弟子とキス&クライを出――インタビューの時には彼女から少し離れたところにいた。もっとも、彼の場合はマスコミが変に勘繰るといけないなどという発想は一切ない。ただ、これだけの結果が出たのは愛榮がそれだけ努力したからであり、五輪のインタビュー時にも氷上の女王として威厳を持てるようにとの配慮から、去年とは違い少し離れてみたというだけにすぎない。

 ただ、この時のことが決定打となり、マスコミのほうではふたりが師と弟子を超えた不倫関係にあるのではないかと大々的に報じはじめていたし、妻の如月葵とは関係が冷え切っているといった、どこから仕入れたのかわからない情報も同時に流布していくということになる。

 もっとも、この時キス&クライを見ていた葵のほうでは、胸に娘の愛を抱きながら、「良かったわね、愛榮ちゃん……!」と一緒に涙ぐんでいたというそれだけである。また夫のほうでも彼女と同じくらいどころかそれ以上に喜んでいるだろうと思うと、胸をあたたかいものが駆け抜けていった。ゆえに、マスコミがどのようなことを報じようとも、彼女の夫に対する信頼は一ミクロンたりとも揺るがなかったといっていいだろう。

 また、男子・女子シングルともに、明暗の分かれた順位のほうは、以下の通りである。


・男子シングル、結果

 第一位=小早川圭(309.24)
 
 第二位=氷室光(281.22)

 第三位=ユーリ・ベレゾフスキー(269.33)

 第四位=周翔(268.17)

 第五位=ポール・シュイナール(255.43)

・女子シングル、結果

 第一位=金愛榮(223.94)

 第二位=マリア・ラヴロワ(199.58)

 第三位=ロッテ・シャームバッハ(198.76)

 第四位=サーシャ・アルツェバルスカヤ(188.65)

 第五位=エリカ・バーミンガム(187.42)

 第六位=ベアトリクス・アディントン(185.28)

 第七位=エミリー・ハンター(183.54)


 ショートではロッテにリードを許したマリアではあったが、フリーの『スターバト・マーテル』でロッテの『美しく青きドナウ』に打ち勝った。このことは、ロッテにはかなりショックなことだった。彼女にとって『美しく青きドナウ』は、ドバイオリンピックが終わったあとから、次のオリンピックのフリーの曲にと決めていたほどの思い入れがあったにも関わらず、こちらではロッテよりジャンプ技術でより優れているマリアのほうに軍配が上がっていたからである。ドバイオリンピックの時、ロッテは銅メダルだった。けれど、灰島蘭に続いて金愛榮という思ってもみない選手が去年より台頭してきたことで、メダル争いに入り込む余地が今の自分にはもはやないのではないかと思うと……ロッテは愕然としたのである。

 けれど、そんなふうに思って落ちこむ彼女のことを、コーチのノア・ロイトハルトが慰めた。「オリンピックでは、いつも何が起きるかわからない。ドバイオリンピックの時だって、灰島蘭が沈まなければ、ロッテの銅メダルはなかっただろう。誰かの身にそうした形で不幸が起きればいいということではなくな、四回転は女子の体にあまりに負担が大きいと俺は思っている。しかもあれだけの超高難度のプログラムをオリンピックという舞台で成功させられるかどうか……そういうことも含めて、トリプルアクセルをプログラムに入れている選手の全員が五輪でもあの大技を決められるとは俺は思っていない。フリーに関してはグランプリファイナルが終わった頃にでも、少し手を入れよう。何より、銅メダルだって取れたんだから、泣くことはないぞ」と。

 また、日本でスケートアメリカの試合の模様を見ていた蘭は、圭の復活劇に驚くと同時に喜び、また恋人の光がフリープログラムで精彩を欠いた演技をしたことについては……胸が痛くなった。というより、これが日本で行れた試合ならまだよかった。またすぐに顔と顔を合わせることで、慰めることも出来る。けれど、エキシビションを終えて光の帰ってくるのが三日後であることを思うと、一緒についていけばよかったという気持ちにさえなった。

 そして、金愛榮の演技を見ていて――同じスケート選手であるだけに、特にフリーのブラームスの『交響曲第三番』を滑りきるのがどのくらい難しいか、蘭にはよくわかっていた。まず、かなりうまく編集されているとはいえ、曲自体が音がとりづらく滑りづらい。金愛榮はなんでもないように次から次へとジャンプを跳んでいるように見えるが、ジャンプに入るタイミングを取るのにどのくらい彼女が苦労したか、その努力のあとがトレース上に見える気さえ蘭はしたものである。ベテランのジャッジには特に、そのあたりのこともわかるということもあっての、5コンポーネンツの驚くべき高さ……と、蘭はそんなふうに分析しながら愛榮の演技を見ていた。コーチの小早川亮が、自分の四回転トゥループを意識して、四回転が入っていない以外のことはすべてやらせたといったような、そんな勝負プログラムだ。

(オリンピックではおそらく、お互い、エレメンツのどれかひとつを失敗した時点で負ける……!!)

 そう思うだけでも、蘭には今からプレッシャーだった。また、そういう意味では自分のほうが不利だということもわかっている。ただひとつだけ救いがあるとすれば、今季必ず彼女が成し遂げるだろうと思っていたエイトトリプルがフリーで組み込まれていないことだっただろうか。

(これだけの高難度のプログラムを組めば、十分に得点を得られると判断したということだろうか?むしろ、勝負師の小早川亮であれば、必ずそこに拘ってくるだろうと思っていたのに……)

 蘭の中にはそんな疑問がひとつ浮かびはしたが、なんにしても次のスケートカナダでは自分の出番となる。もし初戦で得点が伸び悩んだり、練習の成果を十分試合で発揮できなかったとしても――恭一郎ならば、五輪にピーキングを合わせるためにも、このくらいでちょうどいいと言ってくるかもしれないと、蘭にはわかっている。

 けれど、蘭は常に100%真剣勝負で臨み、どんな試合でも勝ち、金メダルを取ることしか頭にない。時にその意識が強いと自滅してしまうこともあるが、恭一郎がコーチとしてそばにいてくれさえすれば、蘭はいいメンタル状態をいつでも保つことが出来たといっていい。



 >>続く。




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