老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

安倍ファッショ政治に対する江戸学的対立軸(1)

2017-04-05 13:43:04 | 安倍内閣
森友事件での安倍政権の慌てぶりは、常軌を逸している。

事件の本質は単純明快。何故あれほど安く「国有地払い下げ」ができたのか。何故、森友学園のように資金もなく、教育勅語暗唱や軍歌斉唱などを行うアナクロニズムそのものの教育をしているところに、いとも簡単に小学校建設の認可が下りたのか。

※ 海外ニュースが一番関心を寄せているのが、塚本学園で行われていた異様な教育(教育勅語暗唱など)の実態。戦前の日本の皇国教育を彷彿とさせていると報じている。ところが、安倍政権は閣議決定で教育勅語を教材として使う事を否定しないと決定。海外特にアジア諸国の疑心暗鬼を招いている。何度も書いて恐縮だが、海外での日本と言う国に対する評価(右巻き国家)と国内世論との格差は、きわめて深刻な状況になりつつある。

この問題を追及していけば、政治家の関与の問題。官僚の忖度の問題。公文書管理の問題、教育の右傾化問題などなど、現在の日本が抱えているシステムの構造的欠陥が露わになるはずである。

本来、政治の役割は、このように見過ごしがちな小さな問題から、大きな本質的問題を追及し、その本質を明らかにし、それを正す事で、国の正常な発展に寄与する事であろう。勿論、正常なメディアなら、このような追及を行う事は当然である。

その為には、政治家は、国民がうっかり見過ごしてしまいがちな問題を深く追求し、その構造的本質を明らかにし、国民の蒙を啓く、知性と教養と理性を兼ね備えていなければならない。そして、それを阻害するものと勇敢に闘い、その闘いを持続する粘り強さと信念が必要である。そのようにして初めて、政治家は国民に尊敬され、国家の品位も保たれる。

だからこそ、国は、政治家には、金銭的不自由がないように高額な給与と、国政調査権という強い権限を与えている。緻密な調査には時間も人手も必要。一人で全てを行う事は、なかなか難しい。その為に秘書が三人まで認められている。それもこれも、国民のために素晴らしい国を創ってほしいという願いが込められている。

しかし、森友事件での政府与党の対応は、そんな政治や政治家に対する願いや理想の原点から遠くかけ離れ、あまりにもご都合主義で、醜すぎる。

一民間人である籠池氏には、偽証すれば逮捕・起訴・懲役刑もありうるという厳しい条件付きの【証人喚問】を課し、国家公務員である財務省・国土交通省などの役人は参考人でお茶を濁す。秘書が五人もついている首相夫人昭恵氏は、民間人(私人)であるという理由で証人喚問も参考人も拒否する。

そもそも議員証言法は、国政調査権の一環として設けられているもので、物事の真実を追求する手段としてある。それを首相の名誉を傷つけたので証人として喚問する、などという報復目的で使用するなどあってはならない。こういう滅茶苦茶な法解釈を平然と押し通すなど、国会のやる事ではない。

このように、自民党は、誰の目から見ても、権力を嵩にきた【不公平】で、【臭いものに蓋】の滅茶苦茶な対応をしている。これを見ただけでも、権力犯罪の匂いがぷんぷんする。

しかし、自民党や与党の政治家、権力に群がる連中が最も分かっていないのは、このように滅茶苦茶な【不公平】な扱いほど人々に嫌われるものはない、と言う事実である。小学校の児童でも、自分が不公平に扱われると、身体中で不満を表現する。【不公平】な扱いは、人々に生理的嫌悪感を引き起こすのである。まして、相手は大人。

【公平】でないという印象は、即【真実ではない】という確信に変わる。【無理が通れば道理引っ込む】やり方も、行き過ぎると人々の嫌悪感が増大する。国民が抱いた【嘘つき】と【そこまでして隠すか】という心理が、森友問題をここまで大きくしたのである。

この対応から透けて見えるのは、安倍政権は、権力維持のためには、どんな手段を取ることも厭わない、という事実。権力維持こそ至上命題という強烈な意志である。【権力のデーモン】に取り憑かれた人間たちの醜くおぞましい姿がそこにある。

「裸の王様」では、子供がこの醜い姿を正直に指摘するのだが、今や自民党には、そのような人間もいないようである。

ノーベル賞級の発見や研究なら、世間の常識に反する発想も許されるかも知れないが、時代を一世紀も二世紀も前に戻すような安倍政権や自民党代議士たちの発言や振る舞いに、国民たちはあきれ果てている。

では、何故、このような官僚や政治家が増加したのか。

【忖度】という言葉が独り歩きしているようだが、山本七平という評論家が、【空気の研究】と言う本を出し、日本社会のありようの本質を【空気】という言葉で説明した。これは、丸山真男が指摘した日本の戦争指導者などの『無責任論』とも相通じる考え方である。

極東軍事裁判で何人もの戦犯が、日独伊三国同盟には個人的には反対だったが、全体の【空気】が反対できるものではなかった、と証言した。戦争への道が【空気】で決まったというのである。当然のことだが、【空気】が決めたのだから、自らの責任意識は希薄になる。多くの戦犯たちはこのように自らの責任を認めなかった。山本や丸山の指摘する【無責任論】も、このような戦犯の意識の解明を行ったのである。

この被告たちの論理は、近代的知性の持ち主だった占領軍側の検事たちには全く理解できなかった。西欧流の個人主義的思想に慣れた人間には、【空気】が許さないなどという論理は、全く了解不可能だった。この逸話だけでも、日本の軍国主義者たちの特異性が了解できる。

森友事件で明らかになった財務省・国土交通省の役人たちの【忖度】といわれる異常な配慮。実は、官邸に人事権を握られた官僚たちの生き延びる知恵だと考えなければならない。官僚だけでなく、誰にとっても【人事】を握る権力者には弱い。誰でもその権力者の意向には配慮する。それが忖度である。

特に東大法学部出身者がうようよいる財務官僚の出世の要諦は、【忖度】感度にかかっていると言われる。簡単に言うと、仕事は全員良く出来る。というより、できて当たり前。となると、出世を分けるのは、上司への忖度のありようにかかっている、と言うわけ。そして、それは別に官僚の世界だけでなく、多くの企業(特に大企業)などでも普通に見られる光景でもある。

そして、森友事件の背景には、権力者の意向に対する異常な配慮=忖度があったとされる。だが、その配慮=忖度が、法の則を超えると犯罪になる。

近代的個人は、この規範を大切にする。間違っても、「個人的には日独伊三国同盟には反対だが、周囲の『空気』がそれを許さないので、何も言わなかった」などとは言わない。個人の意見を明確にしたうえで、妥協を図る、というのが、近代政治の要諦だろう。

森友事件での財務省の官僚たちは、このような近代的個人ではないのだろうか。日本の最高の頭脳集団であるとされる財務官僚が近代的個人でないと断じざるを得ない所に、現在の日本の抱え込んだ問題がある。

辛口で鳴る「あいだ達也」に言わせればこうなる。

「ネトウヨ晋三は、そもそも、「忖度」の世界に生まれた、「忖度まみれ」な子供なのである。つまり、彼の人生には「忖度」が常につきまとい、「忖度」なき世界を歩いたことがないのだから、「忖度」は彼にとって「空気」そのものかもしれない。ゆえに、「忖度」と云う言葉以上に、それを超越した「よどんだ空気」を吸うことに手慣れたネトウヨ政治家、そう云うことだろう。ただ、安倍も含めて、最近のネトウヨは、余りにも饒舌なのが命取りにも思える(笑)。 」・・(世相を斬る);http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya

言い得て妙である。「忖度まみれ」の総理大臣をいただく「日本国民の悲劇」と言うわけだろう。

21世紀になっても、このような権力者と権力者の理不尽に対する【忖度】政治が罷り通るようなら、日本の未来はない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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