老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

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安倍ファッショ政治に対する江戸学的対立軸(2)

2017-04-05 13:58:19 | 安倍内閣
江戸の都市学を勉強していると、面白い発見がある。

【江戸・東京を読む】(小木新造)(筑摩書房)という学際的研究書がある。近世史・近代史・建築史・都市計画・民俗学・社会学など多様な視点から江戸・東京の連続性に注目したものである。

その中で、わたしが特に注目したのは、陣内秀信(建築史・法政大学教授)の研究。

彼の研究は、江戸の祭りに欠かせない「神輿のルート」を地図に落とし、「東都祭事記」などを使いながら、氏子集団の地域コミュニテイが、江戸の地形との関係でどのように形成されたか、を見ている。

彼の研究の要点をまとめて見る。 ●日本 ◎西欧 です。

●「江戸・東京」には、地域ごとの祭り(浅草・深川など)はあるが、都市全体を統合する祭りはない。⇒地域ごとの祭りが主体で、地域の自立性に任せることが多い。
↓↑
◎上記の事は、イタリアなどでは考えられない。イタリアのシエナの祭り・ベネチアの国家的な儀式は、都市国家全体で行うものが多く、都市国家統合の役割を担っている。

◎西欧の建築の歴史では、古代、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マニエリズム、バロック、近代、現代のように、様式のダイナミックな展開があるが、それと同様に、都市の形成原理、市街地のパターンにもはっきりした時代様式がある。

◎歴史的街区、いわゆる産業革命までに造られた古い町並みが残っている城壁の内側の地区は、ヒューマンスケールでできていて、いわゆる近代の都市計画で造られた都市とは異質な空間を形作っているが、そういうものを現代において再生産をすることはほとんど不可能だと考えている。

★だから、ヨーロッパの都市は、保存に対して熱心である。

それに対して日本はどうか。

東京の町並みの概括

●古いところも新しいところもあまり違いがない。
●西欧に比べて、ダイナミックな時代様式というものがない。
●あたかも下町の中にある遺伝子が郊外に飛び移って、その中に吸収されながら町がつくられていく。
●同時に、新しくできる郊外の街にも、商業的、文化的な刺激のある複合的な都市機能を持ったローカルなセンターをつくっていく力がある。

★これは、ヨーロッパの都市では考えられない。

陣内氏は、このような、江戸・東京の都市機能を【柔らかい構造】と呼び、長所と短所を以下のように語る。

【長所】⇒活力ある都市を大きく発展させていく上でプラス。
【短所】⇒都市の形態を規定する要因、つまり中心がなくなり、都市が一定の規模でおさまるべきだという考え方が成立しなくなる。⇒自然を食いつぶしながらの、だらしない発展を引き起こす。⇒東京の肥大化の大きな要因の一つ。

ここで問題となるのが、【中心】という思想である。

彼は、西欧の都市には、明確に【中心】という思想があることを、中世ベネチアの都市図をもとに説明する。サン・マルコ広場を図面の真ん中におき、そこからの遠近法により、都市を説明するという手法が、西欧人の【中心意識】の強さの証明であるという。これが西欧流論理性の帰結である。これは、パリ・ロンドンなど西欧の都市に共通する特徴である。

ところが、江戸時代、日本にはベネチアに都市図のように江戸の街全体を統合して眺めるようなものはなく、名所双六化したものが多いという。

★「鳥瞰的な見方より、名所双六的なものの方が、江戸という都市の特性をつかみやすい」というのである。
★彼は、江戸・東京のそれぞれの街はそれ自体で一つの都市になっており、それぞれの町がお互いに競い合うことにより、都市全体のエネルギーが下から高揚してくるところが、江戸・東京の都市構造の特徴であるといっている。

だから、江戸時代、江戸を鳥瞰的に眺める都市図がなく、双六的に眺めるほうが特徴がつかみやすいというのである。

★もう少しいえば、江戸の町には、「中心」という思想がない、ということになる。様々なところに、中心があり、そこを中心にして都市機能が働いていたのが、江戸という都市の特色であるというのである。

わたしは、この思想こそが、21世紀の危機的世界と日本を救うのではないかと考えている。

今回の森友事件。【忖度】とか【空気を読む】とかきわめて日本的な背景が指摘されているが、安倍ファッショ政権の本質は、過剰な【国家中心意識】思想である。

ネトウヨたちの過激な主張は、【愛国無罪】の思想にからめとられている。しかも、それが西欧流【中心主義】の個人の自立を主体にした近代的論理性と責任意識が欠落しているのだから、始末に負えない。

この事は、森友事件が明らかになったとたん、これまで過激な主張を繰り返していた日本会議系評論家どもが一斉に逃げだした事を見れば一目瞭然。彼らも【空気】で過激な主張をしていたというわけだろう。如何にも日本的中心主義思想なのである。

わたしたちは、この種の狂った【中心意識】をかなぐり捨てる必要性がある。

米国流一国主義は、西欧【中心意識】の一方の極点を意味している。それに対置する価値観の創出が、21世紀という時代の要請である。

わたしは、それは、【中心意識】過剰の西欧的発想から、江戸の【双六的多様性】を重視する事によって可能ではないかと考えている。最近の外国人来日者の増加と日本文化研究者などの増加により、この日本流【双六的多様性】価値観に対する理解は深まりつつある。

★日本人は、【双六的多様性】=(それぞれの場所ですべてが完結する)を西欧中心主義的価値観に対置する有力な価値観として自信を持って提示してはどうだろうか。

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日本の歴史の中の変わらないもの (竹内春一)
2017-04-05 22:49:04
古代国家の大和と出雲が戦って大和が勝った。敗れた出雲の神が奈良東大寺に祭られている。なぜか。勝てば官軍ではないのか。

勝った官軍ではなくて、賊軍の出雲の神をわざわざ祭っているのは、古来より中庸をよしとする精神が、家庭でも朝廷でも重んじられたからである。京都に疫病が流行るとか、敗者の怨念を放置すると、日本人の精神に異常が現れるということである。

その中庸の精神は東洋に特有である。西洋にはほとんどないため、戦後日本がアメリカナイズされると、政治の世界でもビジネスの世界でも急速に日本の中庸を重んじる精神が廃れてきた。安倍政権になって、数の力で横暴な政治を行ってきた。森友問題では、単に右翼と左翼という範疇を超えて、そんな政治を行っては日本の国が右に転覆するのではないかと心配されている。

船の乗客が全員、右舷側に移動すると転覆するといったのは右翼の巨頭の頭山満である。漢方医学は中庸論をベースにしている。

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