老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

石川啄木の悲哀!

2017-08-10 10:03:58 | 安倍内閣
内閣改造後、安倍晋三首相が、いくつかのTVに出演した。謙虚さを装う馬鹿丁寧さと相変わらずの詭弁の羅列で、反吐が出る思いだった。

  誰が見てもとりどころなき男来て
     威張りて帰りぬ
     かなしくもあるか

石川啄木の「一握の砂」に収められた句。政治家志望の友人が大言壮語して帰っていった後の、砂を噛むような虚々しさを歌っている。

『末は博士か大臣か』が正義だった時代、その風潮にどうしてもついていけない人間の哀しみが滲み出ている。

吉本隆明が【俺が真実を言ったら 世界が凍る】と歌ったように、ひとことで世界が凍りつくような真の詩人の精神が啄木にはあった。啄木は、「政治家」という虚名に価値を見出すような心のありように、ついていけなかったのであろう。

安倍晋三首相には決して理解できない精神だが、今回の「内閣改造」とその後のTV出演。広島の原爆記念日の式典出席。この映像を見た多くの日本人の心情は、啄木の句そのものであろう。

オバマ大統領の平和記念公園訪問。歴史的なオバマ演説(わたしは評価していないが)から、まだ一年も経っていない。しかし、安倍晋三は、オバマ大統領の提案も蹴った。さらに、国連の「核兵器禁止条約」の署名も拒んだ。これは、どう見ても、オバマ大統領への裏切りであり、広島の平和を祈る精神への裏切りである。自らの政権維持のために、それらを利用したのではないか。普通の人間なら、そう考える。

その彼が、広島で「核兵器禁止」を語る虚しさ。普通の人間には決して理解できない。一国の首相に対して、心の底からの不信感を抱かなければならないこの悲しさ。この虚しさ。

◎「日本と言う国はどうなっているのか。」
この気持ちが、多くの国民の共有するものになったのが、一連の森友・加計学園問題である。

森友学園の籠池夫妻が逮捕された。郷原氏が指摘するように、大阪地検のこの逮捕の意味はよく理解できない。さらに、逮捕後、次々とリークされる籠池氏の悪行の数々。過去の検察の世論操作の手法と同じだなと思わざるを得ない。

大阪地検特捜部が、森友学園事件の本質に切り込めるかどうか。日本の司法の威信がかかっている。もし、籠池氏だけを起訴し、事件の幕引きを図るようなら、日本の司法の信頼は地に落ち、法治国家の基盤は崩れさる。

要するに、弱い人間だけが逮捕され、強い人間はどんな違法行為をしても逮捕されない、という結果が満天下に明らかになるからである。これで司法の信頼をつなぎとめようとしても無理である。

石川啄木も同じような政治の非道を目の当たりにしている。「大逆事件」である。大逆事件については、詳細な説明は避けるが、権力の左翼勢力に対する容赦のない弾圧であり、人々を震いあがらせた事は間違いない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・・・大逆事件の本質は、この事件で処刑された「菅野すが」がその手記で「今回の事件は無政府主義者の陰謀といふよりも、むしろ検事の手によって作らてた陰謀といふ方が適当である」と記しているように、幸徳、管野、宮下、新村、古河の5人で協議され、しかも幸徳を除いた4人で実行策が練られただけの幼稚な天皇暗殺計画をフレーム・アップし、事件と直接無関係な社会主義者多数を巻き込んだこの事件は、桂内閣が社会主義運動の根絶をねらって仕組んだ史上空前の大弾圧であった。全国を吹き荒れた大弾圧の暴風により、社会主義運動は「冬の時代」と形容されるほど逼塞(ひっそく)させられる・・・日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

啄木は、この現状を非常に憂いていた。しかし、彼の凄さは、憂うだけで終わらなかった点にある。当時の社会情勢の中で「大逆事件」を懸命に調査研究をしたのである。彼の研究は後世の「大逆事件」=「幸徳秋水事件」研究に多大な寄与をしている。

「時代閉塞の現状」の中で、啄木は次のように書いている。

・・・斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない。実に必至である。我々は一斉に起って先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ・・・・

わたしたちも同様な危機感を抱いている。
◎「遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。」
 という指摘は、現在のわたしたちの情況そのものである。
◎「それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない。実に必至である。」
 この認識こそ、現在の私たちに必要なものである。
◎「我々は一斉に起って先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ」
 まさにその通りである。多くの若者たちにこの認識を共有して欲しいと願う。

彼の強い危機感にもかかわらず、大逆事件はさらなる広がりを見せ、全国各地の社会主義者や無政府主義者たちが検挙された。凶暴な政治の季節には、真実を語る詩人の嘆きなど、歯牙にもかけない力があった。

  時代閉塞の現状をいかにせむ 秋に入りてとにかく思ふかな

啄木の嘆きの深さが偲ばれる。

啄木は、1911年に【ココアのひと匙】という詩を書き、大逆事件の被告人たちに万感の想いを込めたエールを送っている。

 われは知るテロリストの
  かなしき心をー
  言葉とおこなひと分かちがたき
  ただひとつの心を
  奪はれたる言葉のかはりに
  おこなひをもて語らんとする心
  われとわがからだを適に擲げつくる心をー
  しかしてそは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり

  はてしなき議論の後の
  冷めたるココアのひと匙をススりて
  そのうすにがき舌触りに
  われは知るテロリストの
  かなしきかなしき心を

この詩を書いた翌年、1912年4月13日、わずか26歳で啄木はこの世を去った。おそらく啄木は自らの人生の終わりを予感していたに違いない。何故なら、彼は、当時「不治の病」と言われた「結核」に罹患していたからである。

最後の一節。「かなしき かなしき心を」に、自らの人生と日本の国家としての存在の意味のどちらも失おうとしていた啄木の喪失感と無念さが伝わってくる詩である。

平成の治安維持法である「共謀罪」が成立した今日、啄木の哀しみは、過去のものではない。以前にも指摘したが、安倍政権の官邸には、インテリゼンスと呼ばれる諜報や公安などの治安関係者が多数存在する。

詩織さんという女性が、山口某という元TBS社員で安倍政権の提灯持ちコメンテーターに暴行された事件。これをもみ消した警視庁刑事部長は、警察庁組織犯罪対策部長から警務部長というNo3に昇格している。この一事をもってしても、安倍政権の底なしの権力腐敗が実感できる。

福田康夫元総理が、「政治家は人事をいじってはならない。政治家にこびる官僚だけが出世するようなら、国家は破滅する」と安倍政権のありように対して怒りに満ちた、最大級の批判を行った。

福田元総理の出身派閥は、細田派(旧福田派)。安倍総理の出身派閥でもある。その派閥出身の元総理が「国を破滅させる」と批判したのである。如何に安倍総理のやり口が、戦後の自民党を中心とした日本支配階級のやり口とかけ離れているかを物語っている。

一口で言うと、「極右」と「保守」は違うと言う事である。自民党支持者は、この事をもう一度真剣に考えなければならない。「日本会議」はその事を覆い隠すために、自分たちを「保守」と名乗っているが、実質は、全く違う。

伝統的保守思想(保守本流)は、立憲主義を大切にし、変革を行うにしても漸進主義的手法を取る。英国流「歩きながら考える」穏健な手法が保守政治の主流である。日本の戦後保守政治は、この手法を取ってきた。そして、官僚の人事は官僚に任せ、彼らの知恵を最大限に引き出し、国家統治を行ってきた。

「予定調和」とも言えるこの手法が、行き詰まりを見せ始めて、日本の政治が混迷を始めたのである。

しかし、「日本会議」を中心とした極右政治は、立憲主義など歯牙にもかけない。決められる政治と言うスローガンの下、スピードを重視。必要な議論を素っ飛ばし、強引に力で強行する。多少の違法性など承知の上で強行するのである。一言で言えば、「法治」より「人治」という手法である。

現在の安倍政権の苦境をもたらした森友問題にしろ、加計問題にしろ、当事者や関係者、官僚の答弁は、判を押したように、「記憶にない」「記録がない」「情報公開はしない」「記録があっても認めない」など、おおよそ近代国家の政治家や官僚として考えられない答弁を繰り返している。彼らは、「法を犯している意識がないのか」、それとも、確信犯的に分かった上で「法を犯しているのか」。どちらかしかない。

彼ら(特に官僚)の能力からすると、当然後者「分かった上で法を犯している」であろう。何のために?安倍総理を守るために⇒それが自分自身を守る事になる、からであろう。これを「人治」と言わずして何と言うのであろう。

「法治」と言う概念は、「法」を犯した人間が誰であれ、「法」の裁きに従う、というのが大原則。これを「法の下の平等」という。この大原則からすれば、現在の政治家・官僚たちのような答弁はあり得ない。

ワシントンの「リンゴの木」ではないが、欧米の政治家やエリートの最大のモラルは、「嘘をつかない」事だそうだ。公の場で嘘をつき、「嘘つき」の烙印を押されると、その人物は、誰からも信用されなくなり、失脚する。だから、彼らは議会での証言では、正直に答える。このモラルが崩壊すると、「公」そのもの崩壊につながる。欧米の政治家、官僚たちエリートのモラルは、「公」の崩壊を起こさないための最低限のモラルなのだ。

福田康夫元首相の「国家の破滅を招く」という怒りは、上記のような欧米流統治のモラルに基づいている。これは、欧米だけではなく、日本の儒教的政治のモラルに照らしても、同じである。

安倍政権やそれを支える極右の政治団体「日本会議」連中のモラルは、そうではない。自らが権力を維持するためには、どんな甘言を弄しても、どんな嘘をついても構わない。「権力維持」する事が、最大の目的である。彼らの愛国心や彼らの主張は、政敵を潰すためのものであり、論理的整合性や道義的正当性などは必要ない。

灘校に対する教科書採択反対の無茶苦茶な運動(政治的圧力)を見れば、彼らの目的が「無理が通れば道理引っ込む」世の中の創出であることは明々白々。灘校に対する攻撃のありようを見れば、戦前の非国民攻撃を彷彿とさせる。

彼らは焦っている。釣り上げた魚(憲法改正)を籠に入れる寸前になって、魚が暴れて、海に逃げそうになっているのだ。それが自分たちの倫理観・政治観=「人治主義」が原因だとは決して考えないのが、特徴である。

安倍政権打倒とは、このような政治勢力を駆逐し、健全なモラルに基づく政治を取り戻す事だと言う事をもう一度肝に銘じなければならない。二度と、石川啄木の嘆きを繰り返さない世の中の構築を目指さなければならない。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
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