老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

ラスベガス銃乱射事件から見えてくるアメリカの本質

2017-10-05 17:24:33 | アメリカ
今回ラスベガスで起きた事件は、死者59人(犯人を含むようだ)、負傷者200名以上という、アメリカ銃乱射事件で過去最大の規模となったとニュースは言うが、度々起きている事件なので「馬鹿らしい数値の情報」であるとあえて言いたい。

そして、いつもこの種の事件があると必ず法律による銃規制の問題が課題となるが、結果としてアメリカ政府は「銃規制」に踏み出したことはない。

今日はこの銃乱射事件の多発(過去において非常に多い頻度で発生している)と「銃規制」の間にあるギャップ(悲惨な事件が起きても政府や議会はいつも見送ってきたことを指す)を問題にしたい。

結論めいたことを言うと、アメリカの「伝統」的な考え方に行き着くであろう。

マスコミ(特に日本のバイアスのかかった報道)は、銃を持って「独立戦争」を勝ち取ったとか、狩猟の伝統があり銃は欠かせない、などと分かったような報道をするが、問題はそうした表面的な「伝統」という理由(大義名分)は本質的なことになんら触れていない、ということなのである。

上記に私が言うところのアメリカの伝統的な考え方(思考傾向)というのは、そんな表面的な「伝統」文化のことではない。もっと、一般化できる考え方の論理のことである。

端的に言うと、紛争の解決(トラブルの処理)に話し合いで解決するのか、それとも話し合いで埒が開かないならば「銃」に依存するのか、という紛争解決の道筋あるいは仕方を指すのである。

そしてアメリカは、この問題においては多くの場合に「銃」に拠って紛争を解決してきた、という伝統があり、それが文化にもなっているということなのである。

太平洋戦争の終盤における原爆の使用から最近の戦争(ベトナム戦争、イラク戦争など枚挙に暇がない)に至るまで、この伝統的な考え方の論理が貫かれてきた。

アメリカはその意味でなんの反省もしてこなかった驚くべき大国なのである。銃の乱射事件で市民に多くの被害が出たところでこの「考え方」の論理に変更は今後もないであろう。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵

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歴史が若いアメリカ (竹内春一)
2017-10-05 20:25:08
アメリカは、その実力に比べて、歴史が若い。対して日本は紀元前からの歴史がある。天皇陛下が日本各地を訪問されて、各地域の実情をつぶさに理解されている。そのことによって、
大衆と天皇との距離が近くなり、互いの理解が増し、国民が天皇を深く支持するに至っている。政治の世界では、政治家と国民の理解があまりない状態で、民主主義と言ったところで、形式的なものになる可能性が強い。または国民の政治的無関心が強くなる。日本は形式的には民主主義国家ではあるが、日本人は天皇に対するようには、政治家を支持していないと思われる。これは日本がアメリカナイズされている証拠でもある。

日本人ならば誰でも知っている聖徳太子は権力者によって一族郎党まで皆殺しにされた。いまの言葉で言えば負け組である。田中角栄、小沢一郎、鳩山由紀夫も負け組である。敗者復活戦が無ければ、彼らは復活しない。
負け組である聖徳太子がなぜ東大寺に祀られているのか。なぜ近代日本の紙幣に顔が載ったのか。

アメリカでは、有名人としてはチャップリンが赤という事で、追放されてスイスに亡命している。チャップリンに敗者復活の機会はあったのだろうか。全然なかった。アメリカには先住民のインデアンが住んでいた。彼らの人権はどうなったのか。

歴史を長いスパンでみると、強者は必ずしも長生きできない。多様性のある弱者の方が長生きできる。人類、ホモ・サピエンスも多様性のある弱者であった。日本も田中角栄、小沢一郎、鳩山由紀夫の敗者復活が望まれる67036703。

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