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*平和と人類の方向性*

2017-04-18 03:56:45 | 日記
「なぜ平和はすぐ実現しないのか…?」

『『二つの欲望の歴史
・食欲は生存の理由
・性欲は存続の理由

人はいつ戦争をするのだろう
人はいつ戦争を必要とするのだろう
………etc.
のように、
人が死ぬことを考えたことがあるでしょうか?
なぜ歴史は人を殺してできているのか、死んでできているのか?

などについて、
人類として種族的な肯定の考えから考察します』』


人は死の要因やその範囲が飽和とする限り、生存の要因は経済的に困難になりゆくのではないか。

・平和条約や核廃止等のように戦死する人間が減ると仮定すると、人間の死因は減ることになる。

➡その場合、実質子供が増え、実質人口が増えることが考えられる。

➡だとすると世界に存在する第一資源、つまり食材や科学調達品などが減っていくとなる。

➡人口が増えることで、食材を用いた産業や科学調達品を用いた産業が消滅するのは時間の問題となる。

このような動向は、生存への執着故の毒である。仮に平和が進行したとして、タイミングを誤ればその平和、生存を減らす死の動向が必要になる。
つまり、
「平和の完成=人口増加=第一資源の消滅加速(=極大値:種族として全滅)」の段階を持つ。

いずれかにまた死が介在することになる。その死はこれらの段階を理解していなければ、ただの無駄死に過ぎない。そしてそれは、人口の種族的退化は否定できないだろう。

我々に課せられた歴史の理解の仕方とは、
「人の死に方というのは合理的に、そして種族的に考えていかなければならない」
以上から平和の先に起こる死がこのような歴史的教育を示さなければ、第一資源は減るばかりである。

また、「人類が滅亡しない」を前提に、人間の生死を通して合理的な資源の減り方を考える場合、以下の二つは不合理である。まさに70億人の死は無駄死にそのものである。

・1人が70億人を殺したら70億人分の資源は得られるが、1人の寿命しか持たない。いずれ死亡

・2人が70億人を殺したらいずれ70億人になったとき前回の70億人の時の資源より少なくなっている

平和を考えることは、最終的に人間の生存のしくみを克服しなければならないと考える。
酷な表現をするなら「人間の腹が減る限り、一人は死ぬ」そして「一人が死んだら、腹が減らない方法を考える」の繰り返しである。

・不平等だから人類を滅ぼす狂信的な人間がいるとする(宗教あがりのテロリストのようなものをイメージ)。その人間への「恐怖の感覚」というのはまるで「餓死を待つ恐怖の感覚」と変わらないのかもしれない。

平和を否定しているのではない。平和によって人口が増えるとなるとき、同時に克服策を考える脳が増える。この利点をよりよく考えたいところである。

平和は実現するだけではいけない。平和の先にある問題を解決した上で実現しなければならない。

そして我々は、国際社会と機械化社会が進行し、便利になるなかで、
「生活の機械化の中で経済的に生きる術を探す」と同時にいずれの「第一資源を増化させる方法」をまず考えなければならない。もし両方が成立しているならきっと平和も近いはずだ。

そしていずれとして人間が、人類の存続を望むなら、生きて、合理的な死を選ばなければならない。

もしこの瞬間に、以上の内容すべてが克服されていたのならば、私は不合理な時間を過ごしてしまったとなる。



…合理的な生き方とはなにか。歴史を振り替えって考えてみたい気がします🐙(ところで自省録を読んでみたい…)
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