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奇怪な人事

2017年05月27日 | 頑じい
在職中の履歴書があったので、整理してみた。

昭和26(1951)年10月 あ中学校 助教諭 1年半    20歳
 28年4月 い小学校    1年   22歳
 29年   う小学校    1年   23歳
 30年   え中学校   1年  24歳
 31年   E中学校 教諭 1年   25歳
 32年   F中学校    4年   26歳
 36年   G西中学校   4年   30歳
 38年   H中学校    4年  ストライキ懲戒1回 34歳
 42年   I中学校     4年  懲戒3回    38歳
 46年   J中学校     2年  不当労働行為 40歳  
 48年  (K中学校)県教育センター1年    42歳
49年   L中学校    4年  懲戒5回 43歳   
 53年  (M中学校)   1年(県教育センター)    47歳
 54年  (N中学校)  1年 「県立図書館」     48歳
55年           1年 「長崎市児童科学館」   49歳
 57年   盲学校     4年  懲戒2回       50歳
 61年   ろう学校    6年             54歳   
平成元年       改元により懲戒免除
 4年    定年退職 私立大学非常勤講師        60歳
 14(2003)年3月 非常勤講師退職            70歳
(  )は辞令が交付されたのに、口頭で勤務の必要なしと通告された勤務地、「  」は辞令交付はないのに口頭で命じられた勤務地。
公立校勤務期間は39年6月で18校、1校当たり2年半で転勤ということになる。助教諭時代があるとはいえ、かなり多い。
変な人事の始まりは40歳の時の不当労働行為、組合役員をしないと約束した(新旧教育委員会どうしの約束であって、私は関知しない)ことを行政が認めた。
48歳の時の県立図書館研修は、行政からお勧めがあり、私も珍しい研修ができると喜んで応募した。結果的にこれが教育現場干しのスタートだった。49歳の時は、国語科教師なのに科学館勤務になった。
問題はなぜこんな奇妙な人事があったのかだが、私は報復・いじめ人事だろうと解釈している。他に何らかの原因が考えられるなら教えてほしい。


権力によるいじめ

2017年05月27日 | 頑じい
 いじめた側は「いじめなんてとんでもない。それはいじめられる側の自己責任かひがみですよ」と言うでしょう。「いじめ」とはそんなものです。
 私は私の「不服従非暴力主義によって」守られていました。それは別の言い方では「言論の自由によって守られていた」とも言えます。治安維持法と共謀罪のはざまで憲法改正(「改悪」)が現実に迫ってくると、私は良い時代に生まれ生きてきたのだなぁと思います