JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

常盆・常彼岸

2006年08月15日 | あとらんだむ「日日あらたに」

「常盆・常彼岸」という言葉を 浄照寺さんのサイト内 法話のコンテンツで見つけた。

お盆やお彼岸のときだけでなく、いつでものその心を頂き
ながら大切に勤めていく…という意味である。

初めて聞いた(知った)言葉だが、僕はすぐに 当寺サイト内 「なんでもQ&A」(スッタ問答)「年回法要を忘れていました」で書いた敬老の日のことを思い出したので、その部分をそのまま 引用(コピペ)する。
(ということで、いきなり「あとらんだむ 日日あらたに」となる)

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さて、そこで年回法要についてお答えする前に、敬老の日に
ついて考えてみましょう。

敬老の日は以前は 9月15日でした。(近年は9月第3月曜日
になりました) そしてその日は、全国各地でお年寄りをご招待
して、現在の日本の礎を築いて下さったお年寄りのご労苦に
対して感謝する行事が行われます。

では、お年寄りを大切にし、御礼を言うのは その日(敬老の日)
だけで いいんでしょうか。次の日からは お年寄りを大切に
しなくてもいいんですかね?

いえいえ、そんなことはありません。毎日お年寄りを大切にし、
お礼をいうべきでしょう。

ところが、そうは言っても忙しさに紛れて、なかなかお年寄りに
お礼を言うことができません。それならば 「せめて」年に一度(一日)だけでも、会社も学校も休みにして、感謝の念を伝えよう… それが 敬老の日 でしょう。

つまり ほんとうは毎日が敬老の日なのです。

父の日も母の日もこどもの日も 同じです。毎日が父の日、母の日…であるはずです。ですが、これまた なかなか そうはいかないので「せめて年に一度だけも」…ということになるのです。

あるいは 電車内の優先座席(シルバーシート)はどうでしょう?
これも その座席だけが お年寄りや身体の不自由な方を配慮して譲る席なのでしょうか。

優先座席以外では 席を譲る必要はない…ということはありません。
車両内すべての席が優先座席であるはずです。

反対からいえば、ここまでしなければ、席を譲ることが 難しい時代になったということかもしれません。だから、せめて一部の席だけでも優先座席としよう…ということです。

年回法要のこころも この「せめて」だと思います。
亡き方からの「命がけの心配をいただく」ご縁です。本来なら 毎年のように丁重に法要を営むべきかもしれません。

しかしながら、毎年親戚を招いて…ということも難しいので、せめて 何年かに1度、年を定めて 「年回」の法要をおつとめするわけです。(以下 略)

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ということは、常盆・常彼岸のごとく 敬老の日・母の日…という
ことだ。
そして、そこで 大切なのが「せめて」の心だと思う。

PS
ところで、「常盆」・「常彼岸」という言葉で 検索してみたら、
なんと ほとんどが 日蓮正宗関連のサイトだった。
とはいえ、その心持ちは 深く頷くところなので、そこはこだわらず、このブログで 採り上げさせてもらった。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お恥ずかしい。 (奈良県 浄照寺)
2006-08-19 21:34:50
ONSAIさま

いつもお世話になり、本当に有り難うございます。

「常盆・常彼岸」という言葉に初めて私が出会った時と場所が定かではありません。

ただその言葉の響きに、驚きと怠けることしか知らない私がクローズアップされたことだけは記憶しております。

尽十方でおはたらきくださる世界は、「いつでも・どこでも」ということだと頂いています。
そうですよね。 (ONSAI)
2006-08-19 22:22:56
▼ 浄照寺さん:

コメント有難うございます。

そして 何より「常盆・常彼岸」という言葉を

有難うございました。



これからも よろしくお願いします。



> 尽十方でおはたらきくださる世界は、「いつでも・どこでも」

> ということ



摂取心光「常照護」

大悲無倦「常照我」



「いつでも」ということは、「今」ということでした。

「どこでも」ということは、「ここ」ということでした。



ふむ、

ということで、今・ここ… imacoco.net となるわけでした。

(最後は コマーシャルで 失礼しましたm(__)m)

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