80年代の佐野元春について書けば、当然このお方も登場させなければならないのだが、実は83年の11月急に海外駐在の辞令が下った。
そのため、その後の80年代は、私にとって日本の音楽事情に関する情報がまったく入らない空白の時代となってしまった。
とは言え、仕事関連でたまに帰国したりして、その際日本のアーティストのテープなどを結構買った。
以前は英米のロック中心聴いていたのが、いざ日本を離れると如何いうわけか、日本の歌が恋しくなる。
当時、尾崎豊の存在はまったく知らなかった。
何しろ、私が出国した83年の12月にシングル“15の夜”とアルバム“十七歳の地図”でのデビューとなり、私とはまったくの入れ違いだった。
その後ある日本の新聞記事のコラムで、尾崎豊を見直そうと言う記事を偶然読んだことから、いつか帰国した時に買ってみようと思った。
と言うわけで、彼のデビューCDアルバム、“十七歳の地図”を買ったときは、彼は既に亡くなっていた。
アマチュアの自主制作ではなく、プロの制作者が絡んでいるので鑑賞に堪えられるものだとは予想はしていたが、CDを購入し初めて聴いた時は本当に驚いた。
ゲゲー! 高校生でこれだけの創造性に溢れたレベルのアルバムが作れるのかと。
私の高校時代の生活とは比較対象にならない。もちろん、私のほうが普通で、彼が特異な存在だったと事は、言うまでもないことだった…
10代が終わるまでにさらに内容の濃いアルバム“回帰線”と“壊れた扉から”を1985年連続して出していた事にも驚いた。
お次はどうなったのか?
日本のアーティストによく有る、自身の活動が一応完結したと認識した時点で、お決まりの海外での充電期間となる。
佐野元春もアメリカに行き、帰国後最新のヒップホップ・ミュージックなどを取り入れポジティブな新境地を目指したのだが、同じくアメリカから戻った尾崎豊の場合は、少し状況が違ったように思える。
帰国してから、レコード会社を代え、心機一転かと思ったのだが、完成までに結構時間を要したアルバム第4作目の“街路樹”が1988年に出たわけだが、アメリカで生活していた影響が見受けられなかったように思う。
作風としては、以前から続く日本的なもので、さらに内向的になったと感じた。
サウンド的にはパワー全快である。
しかし、文才のなさからうまく書き示すことが出来ないのだが、多分精神的な疲弊からくる絶望感とか無力感、それとも徒労感とか何となく重苦しいネガティブなイメージばかりを感じた。
アルバムの中で、唯一アップ・テンポで明るい曲調の “遠い空”でさえ遥か彼方の遠い空に映る今にも消えそうな希望を見つめる内容。ガンバレーと鼓舞するような雰囲気はなかった。
一体アメリカで何があったのか、何を見てきたのか? と思わずにはいられない。
尾崎豊自身はこの作品の出来に満足していないし、わざとヒット・シングルを収録していないなんてどこかで読んだ記憶も有るのだが、私としては如何いう訳か、このアルバムが彼の出したアルバムの中で特に引っかかるのである。
他のアルバムと比べて、内容が同ベクトルに統一され、トータルで非常に濃い心情が味わえた。
発売されてからかなり年月が経過し、30歳半ばになった人間が初めて聴く場合は時代のギャップがあり客観的になれる。
曲に感情移入して意識を共有して聴くには、歳をとり過ぎた。
もしオン・タイムだった80年代に順番に聴いていれば、また違った感情が出てくるのかも知れない。
ロックは、やはり獲れたてピチピチで聴くのがよい。
そのため、その後の80年代は、私にとって日本の音楽事情に関する情報がまったく入らない空白の時代となってしまった。
とは言え、仕事関連でたまに帰国したりして、その際日本のアーティストのテープなどを結構買った。
以前は英米のロック中心聴いていたのが、いざ日本を離れると如何いうわけか、日本の歌が恋しくなる。
当時、尾崎豊の存在はまったく知らなかった。
何しろ、私が出国した83年の12月にシングル“15の夜”とアルバム“十七歳の地図”でのデビューとなり、私とはまったくの入れ違いだった。
その後ある日本の新聞記事のコラムで、尾崎豊を見直そうと言う記事を偶然読んだことから、いつか帰国した時に買ってみようと思った。
と言うわけで、彼のデビューCDアルバム、“十七歳の地図”を買ったときは、彼は既に亡くなっていた。
アマチュアの自主制作ではなく、プロの制作者が絡んでいるので鑑賞に堪えられるものだとは予想はしていたが、CDを購入し初めて聴いた時は本当に驚いた。
ゲゲー! 高校生でこれだけの創造性に溢れたレベルのアルバムが作れるのかと。
私の高校時代の生活とは比較対象にならない。もちろん、私のほうが普通で、彼が特異な存在だったと事は、言うまでもないことだった…
10代が終わるまでにさらに内容の濃いアルバム“回帰線”と“壊れた扉から”を1985年連続して出していた事にも驚いた。
お次はどうなったのか?
日本のアーティストによく有る、自身の活動が一応完結したと認識した時点で、お決まりの海外での充電期間となる。
佐野元春もアメリカに行き、帰国後最新のヒップホップ・ミュージックなどを取り入れポジティブな新境地を目指したのだが、同じくアメリカから戻った尾崎豊の場合は、少し状況が違ったように思える。
帰国してから、レコード会社を代え、心機一転かと思ったのだが、完成までに結構時間を要したアルバム第4作目の“街路樹”が1988年に出たわけだが、アメリカで生活していた影響が見受けられなかったように思う。
作風としては、以前から続く日本的なもので、さらに内向的になったと感じた。
サウンド的にはパワー全快である。
しかし、文才のなさからうまく書き示すことが出来ないのだが、多分精神的な疲弊からくる絶望感とか無力感、それとも徒労感とか何となく重苦しいネガティブなイメージばかりを感じた。
アルバムの中で、唯一アップ・テンポで明るい曲調の “遠い空”でさえ遥か彼方の遠い空に映る今にも消えそうな希望を見つめる内容。ガンバレーと鼓舞するような雰囲気はなかった。
一体アメリカで何があったのか、何を見てきたのか? と思わずにはいられない。
尾崎豊自身はこの作品の出来に満足していないし、わざとヒット・シングルを収録していないなんてどこかで読んだ記憶も有るのだが、私としては如何いう訳か、このアルバムが彼の出したアルバムの中で特に引っかかるのである。
他のアルバムと比べて、内容が同ベクトルに統一され、トータルで非常に濃い心情が味わえた。
発売されてからかなり年月が経過し、30歳半ばになった人間が初めて聴く場合は時代のギャップがあり客観的になれる。
曲に感情移入して意識を共有して聴くには、歳をとり過ぎた。
もしオン・タイムだった80年代に順番に聴いていれば、また違った感情が出てくるのかも知れない。
ロックは、やはり獲れたてピチピチで聴くのがよい。