rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ピッカピカの夏野菜たち、大切なこと

2017-07-09 22:25:31 | 食べ物たち
強い日差しをものともせずに、夏野菜は輝いている。
豊かにふっくらと膨らみ艶やかな濃紫ボディーのナス、葉陰に隠れてなお照りのある緑が眩しいピーマンと獅子唐、水分をたっぷりと蓄え重みのあるキュウリは持つとその棘のような突起が新鮮さを語り、どれも実に美味しそうだ。
これらの野菜は、義母が丹精こめて作ったものだ。
私は、その恩恵にあずかって食事を作り食べる。
子供たちは、おばあちゃんの作った野菜が大好きだ。
大きくなった今でも、おばあちゃんの作った野菜は特別美味しいのだという。

今、私の関わる仕事の中で、学習の一環として子供たちと植物の栽培をしている。
花はもちろんのこと、数多くの野菜なども育てるのだ。
種を蒔き苗を植え、雑草を抜き、水をやる。
毎日のように世話をして大きくなったなら収穫、そして調理実習をして食べ、または子供の自宅へ持ち帰って家族と食べる。
すると、野菜の苦手な子供も、自ら進んで食べるのだ。
また、家族から美味しい野菜だとほめられて、野菜作りを労われる経験もする。

これらは、人にとってシンプルで根源的で重要な体験だ。
人は生きるために食べる、その糧を自らの労働で購う、分業が行われれば作ってくれたものへと感謝をし感謝される、大きな循環を学ぶ。
生きるということを実感するとともに、モノや人など他者との関わり強く意識できる、直接体験が得られる。
社会が複雑になるに従い、いろいろなものとのかかわりが見えずらく、自分すら不確かな存在のままで生きているのが現代人。
いや、本当はとても幸運なことなのだが、これはとりあえず平和を享受している者の贅沢すぎる悩みなのかもしれない。
しかし、その状況にあっては紛れも無い悩みであるから致し方ない。
ただ、あまりにも実体を伴った生と乖離があるから、人は人生のあらゆるステージにおいて、自らの手で食べ物を育てる根源的直接体験が必要なのではないか。

ぴっかぴかの夏野菜は、そのようなメッセージを私に照射してくれたのである。