『ロバみみ』

言いたい!でも言えない…。ならば、穴を掘ってでも叫びたい! そんな想いから綴り始めた独り言のようなブログです。 

・『この世界の片隅に』

2017年04月15日 | ・ロバみみシネマ
日本アカデミー賞の授賞式で監督のスピーチが一番心に響いたので、
先日、遅ればせながら観てきました。

「この世界の片隅に」

戦争の物語って、たくさんあるし、
特にすごく目新しいことをやっているわけではない感じなんですが、
でも、よかったです。

なんだろう。

これって、時代背景は戦中なんだけど、
つまりはラブストーリーだったのかなと思いました。

小さなころからボンヤリしていた一人の女の子がお嫁にいって、
そしてそれから旦那さんを好きになって……っていう。

その中で、悲しい出来事とか、苦しい思いとかたくさん経験するのだけれど、
でも、そんな過酷で残酷な時代でも、人を恋しく思う気持ちはあるのだということが
じんわりと伝わってくるような作品でした。

だから、「この世界の片隅で、私を見つけてくれてありがとう」っていう
タイトルにもつながるセリフがあったのかなぁ……と思いました。

もちろん、込められているメッセージは他にもたくさんあると思います。
戦争って、やっぱり、死ぬことで生きるということを痛烈に浮かび上がらせるものですし。

「ぼんやりしているうちに死にたかった」
という、すずさんの言葉は重かったです。

玉音放送のあとの涙のシーンも切なかった。

報われなかった消えた命。
やり切れない想い。

死ぬことより生きることの方が辛い。

でも、どんなに辛くても、お腹はすくし、
人を好きにもなるし、また温かい気持ちにもなれる日がくる。

強く生き抜いてこそ。

同年、ものすごく話題になっていた「君の名は」は、
世の中が騒いでいるほどには心に響かなかったロバみみですが、
戦争があって、空襲で焼かれた街を「君の名は」でキラキラと描かれていたような
現代の街並みにしたのは、あの頃を生きた人たちが
ものすごく歯を食いしばって頑張ったからなんだなぁと思いました。

「君の名は」は、主人公の二人が入れ替わる設定なので、さしたる接点もなく、
いったいいつそんなにお互いを好きになったの……?
どこを好きになったんだろ……?
って、「?」が頭の中に浮かんだまま、感情移入できずに終わってしまった作品だったのですが、
体が入れ替わった男女が恋してすれ違って、みたいな映画がヒットするなんて、
本当に幸せな時代なんだなぁーと、しみじみ思いました。

「君の名は」の主人公に共感できなかったのは多分、心の老化現象なのかなとも思うのですが、
若い人は心が柔らかいから、きっと、ちょっとのことですぐに恋に落ちてしまうんだろうけど、
ロバみみはもう、ずい分大人なので、心と頭が固くなってしまっていて、
悲しいかな、それが理解しがたかったです。

「この世界の片隅に」は、戦争を背景にしていますが、
小さな日常を積み上げていくことで、そこに生まれる感情とか人との絆とかが、
丁寧に描かれていました。

出戻りの義理のお姉さんが個人的には好きでしたね。
朝ドラの「ごちそうさん」のキムラ緑子さん的な役回りでしたが、
もうちょっとマイルドな感じ。

「この世界の片隅に」には、いい人ばっかり出てくる映画だったので、
もっともっと、意地悪でもよかった気もします(笑)

助け合ったり、励まし合ったりばかりで、
生きるために人を騙したり、弱みにつけ込んだりする人物が出てきても
よかったかなーと。

やっぱりキレイごとだけじゃなかったと思うから。

今でも爆撃機が空を飛んでいるし、簡単に命が消えてしまうことがたくさんあります。

自分の立っている場所は、世界の片隅かもしれないけど、
その片隅をみんなが幸せで埋めていけたらいいのにと思いました。

片隅を集めたら、それは世界になるわけで、
地球が幸せな片隅だらけになったら、世界は平和しかない。

「皆が笑って暮らせたらいいのに」

というセリフに同感です。

主人公のすずさんは、絶望の中で、
「燃えなくてよかった」とか、不幸中の幸いみたいな時に使われた
数々の「よかった」という言葉が
何がよかったのか、もう、うちにはわからんと言っていましたが、
よかったを寄せ集めて生きて行けば、きっと、
それは日常に感謝したくなる幸せにつながるのかなと思いました。

思うことは人それぞれ。

感じることは、生きること。

好きな服を着て、自分の足で映画館に行き、
必ずしも生きるために必要不可欠でない映画にお金を払うことができて、
そして、この目でスクリーンに映し出された映像を観て、この耳でそのセリフを聴く。

そんな幸せな時代に生まれたことと
恵まれた環境で生きていることに感謝しつつ……。