「心をひとつに、愛は無限に、わたしはここに」  -ここに還ることをあなたは知っている-

あなたがあなたに届けてください。
思いで全てが繋がりひとつになる。
命はあなたの為にある。

少しの違い? 全然違う? その2

2016-10-14 12:42:53 | 05問い続ける言霊師
久し振りのオフですが、まぁ、寝て過ごしています。
ブログ書くか、寝ているか。
江ノ島に遊びに行ったものだから、歩きすぎてふくらはぎがパンパン。
大人しくしていよう。



「問い続ける言霊師-まき-」です。
こうした書き物も、ふとすればついつい記憶の知識に頼るような書き方になり、今まさに降りてきた発想で書くことをしない訳です。
記憶を頼りに生きると、過去にしがみついて生きている執着人生となり、今まさに閃きと共に生きると面白さに溢れる人生となります。
この切り替えは、安心安全な感覚に浸りきっていると生まれる現象ですから、身の危険を感じている人には起きえないものです。
子供の発想力、創造力などは、まさに親の愛に包まれている中で発揮出来たりします。
親はそんな自由すぎる子を見ると、恐れと不安を植え付けたくなる衝動に駆られてド叱ったり、イライラに任せて言う必要のない一言まで言ってしまうこともあります。子供より劣っている自分の姿をそこに見たくない心理がそうさせます。



昨日の続きです。



原因「一人になりたかったから良かった」
真因「見捨てられている」

人の心は自衛本能が働くので、あまりにも不快な体験や恐れに触れると、それを好意的に解釈して事実をねじ曲げて受け入れるようになります。
これが自分が自分を欺くというものです。自分が自分を裏切ると言ってもいいですが、「一人が平気」と言いながら、人との触れ合いを求めたりします。けれども執着しておらず一緒に居ると離れたくなる衝動に駆られて喧嘩などして、溝を創り出したりします。そして離れてしまうと「一人が一番気楽で良いわ」と安堵するのです。傷がある状態が安定だとして、傷を治すことを避けるようにもなります。
こうした心は結婚するなど環境が劇的に変化すると浮上し、思いの外パートナーが荒れます。
自分は制御しているけれど、パートナーはこの「見捨てられている」という感覚に耐えられるはずもなく、猛抗議してくるわけですが、どんなことをしてもその溝を埋めることは出来ません。論理的に話せば話すほどヒートアップしてしまいますし、「寂しかったんだね」と言うのは出来ても、これがまた全く心にもない感覚だったりして、嘘ついている自分が嫌ですから言いたくなかったりします。結局、そっちの問題でしょ? と乱れていない自分の心は正しく、乱れた相手の心が原因として放置してしまうのです。
ちなみに「一人になりたかったから良かった」というストレスに対して、パートナーが受けるストレスは「あなたの面倒見切れない」という全く関係のない思いに染められていたりします。関わらないといけないと関与するのですが、それをうっとうしがるため、二人は対立してしまうんですね。「見捨てられている」からわたしだけでも見捨てないでいようと無意識に関与することが、割り切っている当人には仇となるわけです。
結局、距離をおくことや、仮面夫婦にでもならない限りは安定が得られないという悲しいものでもあります。




原因「これさえあれば大丈夫」
真因「言われた通りのことだけしておけ」

物に執着したり、便利グッズや、幸運アイテムに飛びついてしまう人などは、幼い頃に強制的に言うことを聴かせられる体験があった可能性があります。指示がないと何も出来ない。という感覚です。これ、正解を求めてしまう人に多くあり、自分で考えることが怖くて出来ず、「一人でやってみなさい」と言われることが恐怖になることもあります。だから何か「支え」となるものを求め続けて「あれいいよ」「これ効果あった」という情報に飛びついてしまい、本質となる真因を除去する発想には至らないのです。「言われた通りにしておけ」というのが傷の心ですから、「好きにして構わない」という気づきが訪れればいいのですが、これまた傷に触れながら気づかないと腑に落ちることはないため、ただ知識で入れ込めば良いってものでもないのが難しいところ。一人ひとり事象が違うため、ここでブロック外しとは出来ないものの、自分自身でどうして「このアイテムがあるとウキウキするんだろう?」という大元の気持ちに触れていくことです。つまり、失えばとても不安や寂しくなるということで、良いアイテムや高い製品を愛する人にコケにされると、100年の恋も冷める勢いで退いてしまったりします。愛する人は、そんな子供だましのグッズ集めを本気でやるんじゃない。目を醒ませ。働け。人を喜ばせるために何かしろ。と現実的なことを伝えようとするのですが、人が浮かれている気分を阻害するので、聞く耳があるはずもなく、険悪感だけが際立ちます。
偏った洗脳から解き放とうとする働きに、猛然と対立してしまうエゴが生まれるものですが、大枚を叩いて何も変わらない現実に気づくまでこれは続いたりします。そして、グッズに囲まれて幸せ気分に浸っている人に水を注すことも無粋なので、結局は心の傷そのものを癒やすに至らない害のない傷のように見られてしまいます。
けれども、家の中が物で溢れてしまうこともあり、断捨離という便利グッズに乗り換えて、捨てていく心も、またこの傷がなせる技でもあったりしますので、要注意です。



原因「あの人、一人でさみしそうだから話してあげよう」
真因「復讐してやる」

困っている人の話を親身になって聴いてあげるのが、実は復讐心から生まれたものだとしたら? 心の中に復讐したい思いなど微塵もないですよ。ないから気づきません。ただ一言「あなたの言う通りでした」とか「わたしが間違っていました」という言葉を聞きたくて、相談に乗り続けるのです。けれどもそうした相手は決してあなたのアドバイスは受け入れず、繰り返し困り続ける体験を重ねます。そして仕方ないなぁと、また相談に乗り、酒でも旅行でも付き合うのです。表向きは超仲良しです。傷が織りなす人との縁もあるのですね。昔は対立、今は仲良し。それもまた人生です。でも、友人は繰り返し失敗人生を送り続け、あなたの復讐は確実に実を結んでいる訳です。心配し、気遣い、助けている相手の人生をダメにしているのが自分の心だとしたら? 親身に相談している場合ではなく、自分の心の奥底に隠した復讐心をどうにかした方がいいってことです。表向きの良好な関係に惑わされないでね。惑わされてしまうものだけどさ。
それに気づくには「わたしから離れていって欲しくない」と感じられるかどうかです。いつも相談し、助けている側ですから、それが他の人に助け出されたり、自分より良好な関係を築かれると不快に陥ります。それがこの傷に気づくチャンスとも言えます。
まずは気づきませんとね。



原因「みんな最低!」
真因「わたしが間違っていました」

これは間違っていることを気づいていながら、認めていない心理の結果、全部人のせいにする心です。
こういうものは、打ちのめされるほど酷い体験を重ねないと気づけないもので、孤立無援に陥ってはじめて、状況が見えてくるというものです。
こうした状態に陥っている人は多く、関係が続けていられるのは、周りも同じように「最低!」って思っていたりするからです。
なので、相手の間違いばかりに目が行き、それが自分の間違っている姿として認められないから、一向に気づけないだけのことです。
最低な人と付き合っているあなたが最低な人だと自覚しないことには、間違いを認めていく流れに変えることはできません。




原因「忘れてしまおう」
真因「自分の声だけは従わない」

解決策が見つからない時は、忘れてしまいたくなるものです。忘却が全てを救うとか、人は忘れるから生きていられる。という心のメカニズムについて心理研究している情報に触れると、忘れることが健全さを保つという発想です。けれども、心の傷の観点から見ると自分の本当の声に従わないから、不都合な現実ばかりが繰り返し訪れるわけです。純粋な自分の心の声が、以外と罵声を浴びせるような内容だったり、蔑む言葉だとしたら? 誰もそれを選ぶことは出来ません。常識人でいたいし、真っ当な心のままで居たいですからね。そうして本心を隠し、「そんなことは言ってはイケナイ」とエゴの声に耳を貸して自制心で生きている限り、目の前の人はあなたに酷いことをし続ける訳です。我慢に我慢を重ね、我慢が我慢として感じなくなるまで我慢して、それが普通になれば心は平穏だと錯覚するのです。鏡を見てください。顔が笑っていません。自分の声に従わなくなった結末がその顔だとしたら? あなたの心は素直に喜べますでしょうか? 「忘れてしまえばいい」という言葉がどれほど残酷な言葉で、あなたの心を正常から異常に追いやり、不健康な心に染め上げた真犯人だとするなら、「忘れること」は素敵なことなのかどうか、自問してみることです。その世界から救い出すのはやはり自分です。全て「思い出そう」と腹を括れたとき、世界は動き出します。



とまぁ、こんな具合にストレスとそれに対するアプローチ領域の差異を届けてみました。
分かるところ、まったく分からないところ、あるかと思います。
自分の心が健全かどうかは、自分で判断するのも大事ですけど、周りの人がかけてくれる言葉で感じ取ることも大事です。



ストレスの影を追いかけても、真因に触れることはなかったりします。
これがないんですね。
でもね、ストレスを解消しようと本気になると、影のつもりでストレスの声を追いかけようとすると、光の領域から見ている状態に様変わりするのです。影の方を追おうとすると、「それじゃないな」と本能的に察知できるのです。だから真摯なる人、真面目に取り組む人は、最初っから見る領域、触れる感覚が違うので答えを導き出しやすいのです。



まだ余裕がある、窮地に陥っていない人は、「ここまでなら」「あそこまでなら」と心の遊びを持たせて観察状態で楽しむのです。
エゴの観察状態では、エゴの実態に気づけません。真心の観察状態だと、エゴが呟いている言葉のおかしさに気づけます。これは声として発してみるとよく分かるものです。何気ない一言の異常さに自身で気づかなければ、道は拓かれません。



ループする世界から抜け出すかどうか、いつも決めているのは自分です。
みんな自分の決めたルールに従います。そのルールが間違っているから変えるというだけで良いのですけど、ついつい自我の正当化の理論に真心は敗れてしまう訳ですね。



エゴに真心が敗れてしまう3つの法則!!


1.感覚に従えば上手く行くと思い込んでいる!!
だから間違い続けるんだよ! って、考えるのではなく感じて動いていて、この現実です。
感覚に従っていたら、いつまでも解決する道など拓きません。
でも、世の中は「感覚に従えば上手く行く」という教え一色です。洗脳も良いところだよ。異端の教えとしてわたしの話こそ、洗脳と言われてしまうけど、時々ぐうの音も出ない感覚に陥るほど、このブログに頷かされる体験あるでしょうに。
ブログを読むという感覚には従えても、まきさんに会いに行くという感覚にはならないでしょ? 「意地でも会う」とかないでしょ? まだいい、とか、もう少し様子見てからって感覚に従うでしょ? その感覚に従う限り、何も現実は変わらないからね!



2.愛の人は優しいと思い込んでいる!!
愛は全てだよ。って言ってもわからんだろうね。愛の定義は「恐れを知らぬこと」「取引を知らぬこと」「比較を知らぬこと」という三つで大体説明出来る。愛の人は優しいって、それ比較してんじゃん。優しくないと怖いと感じたら、あなたの中に愛はないってなるよ。そんでもって「こうしてくれたらいいのに」って取引を持ちかける心あるでしょ? だからエゴに従って、真心には従えないの。個人セッションはもう枠をあんまり出せないのね。表裏構造やタロット講座など、瞑想会や親子講座を行けるだけ参加する方が個人セッション受ける以上の効果があったりするからね。なんせ費用対効果が個人セッションよりいいから!!
そんなわけで、愛ある人がみんな優しく感じると思うのは大間違いね。自分のエゴを全部払い除けようって覚悟している人は優しく見えます。エゴを後生大事に抱えて守ろうとする人は、冷たく見えます。だから近寄りません。
会いに飛び込んでごらん。世界変わるから。



3.客観的に見られると思い込んでいる!!
よーく考えてね。いつも言うけど、考えてないから。考えれば気づけることいっぱいあるよ。感じることよりも先に考える力身につけてよ。冷静さが大事って話だよ。知性がないと考えられないから。知性って何かって熟考してね。自分で答えを導き出すしか手立てがないから。
答え教えるけどさ。
心って、段階があるの。
視野が狭い人のことを「自分の主観で言うな」とか教えられるけど、本来使わなければならない言葉は「一観性」というもの。
そんな表現ないけど、わたしが作ったものね。一つのものの見方しかできない心を指すの。
1.「一観性」
2.「客観性」
3.「多観性」
4.「主観性」
5.「他観性」
これだけ、観るという言葉があると思ってね。
1.「一観性」はそのまま、一つの見方しか持ち合わせていない心。これを一般では「主観でモノを言うな」と扱われるものだけど、そうじゃないのね。視野の狭さを表現するなら「一」という字を当てる方が妥当。
2.「客観性」は誰がどう見ても同じように見えるようにしているもの。でもこれ弱点があるのね。客観的に指摘されても、認められない心があるの。自分は「こう感じた」というのを客観的でも同じように感じると思い込んでいる場合、それ以外の感じ方を認められないの。それ「一観」じゃね? とか思うけど、本人は「客観」のつもりなのね。
3.「多観性」は、その上を行くもので、客観的判断や状況把握というけど、それは観ている人それぞれ持ち合わせる違いがあることを踏まえられている見方ってわけ。取り沙汰されることはなく、むしろ客観性で括られてしまうものだけど、定義として別に設けた方が、心の整理がつくのね。
4.「主観性」は、客観性を観ている心は何よ? って言ったら、ああ、自分の心で客観性を観察している事実に気づけると、全部主観の世界の話だわってわかるのね。真実は主観性にしか起きないから、客観的証拠を求めても無意味なの。量子力学論からしても、観察者の影響を受けるので、客観的事実を捉えることは実は不可能だったりしするのね。見えてない心で、見えている世界を捉えようとしても無理なこと。だから、それを覆してわかるようになるには根拠なく飛び込む必要があるのだけれど、これが怖いんだ。怖さの中に飛び込めば怖くなくなるって聴いても、踏み出せるとは限らない。主観の世界だって聴かされて、はい、全部わたしが決めていることです。って腑に落として気づいている人は、あんま居ないでしょうね。いたら変えられるもの。変えられないってことは気づいていないってことよ。
5.「他観性」とは他者ならこのように観えるってことが見えている心のことを言うのね。相手の身になって捉えるってもの。これ、客観性では無理なの。客観性は不特定多数の人が同じ見え方をすることが前提だけど、他観性は、その人しか見えない世界があることを同じように見て取れる観性だからさ。客観ではその人の見え方は認めないの。多観なら認めるの。主観はどうしたいか自分が決められることに気づいているの。他観は、普段はその見方はしないけど、その人と出会ったときその目線に立つことが出来、その斬新な捉え方に感動したり、共感することが「その場で出来る」視座のことを他観性って言うの。これ、わたしがやっているものね。だから、「その捉え方でいいよ」って見え方を否定したりしないの。そしてその人にしか分からない言葉に置き換えることだって出来るの。これは体感した人にしか分からない感覚だけど、特殊な見え方をしている人は、誰にも認めてくれないし、認めてくれていても自分だけに分かる言葉に直して表現してくれる人は居ないから。

ということで、客観的に観るなんて視野が狭いことに気づけると良いんだけどね。心を客観的に観てないって話ね。全部主観の出来事の中の話だから。わたし(真道)は、あなたの見え方を理解するし解説も出来るけど、あなたはわたしの見えたかを理解する? 共感して解説できる? これが大きな違いで、客観的な見方では捉えられない境地なのね。全部主観的なものの見方しかしていないって気づかないことには、主観的な見え方を変えようともしないの。そして他観性を受け入れる境地を主観で持つか、持たないかも自分で決めている。人が持つ心の見え方など分からないとするか、わかるとするかで世界は変わる。

自身の客観的ものの見方がどれだけ偏りがあるか、気づかない限りはエゴのささやきに従い、真心には触れていけないし、真心にも従えないから。自分を欺くエゴの心に翻弄され続けるんだよ。

あと、読めない時もこのあなたの主観性の世界では、読んでは困ることが書いてあるから読めなくしているの。量子力学が働いているの。自分で気づかないうちに、答えに触れられないように出来ているの。見事寝るか、別のことが考えるなどして、文字が目に入ってないから。この一文読めているといいね。



ささ、自分がエゴに従っていることに気づけたら、それ以外を選んでいけば良いって話よ。
簡単簡単!
真逆を行けばいい。


すっかり、信じてくれている人はそのままで良いけどね。
まだ、会えない、会う気にならないとエゴの声に従う人は、「ずーっとそのままで良いよ」と鏡に向かって声出して唱えて見たら良い。「ずーっと、ずーっと、そのままで良いからね。あなたは何にも悪くないの。全部正しいこと出来ているから良いの」って声かけてあげてね。その時の自分の言った台詞に対して、心はどんな反応を示すか感じ取って。


自分の真心に触れられるといいね。



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