「スコア300in1984」&ヤスさん、混ぜーるさん、unknownさん、砂糖牛乳さん、こんにちは

2010年08月19日 | Weblog
 信号は再び赤になった。俺と増岡は並んで立った。信号待ちしながら、俺は頭の中でシュミレーションしていた。
 横にいるこいつの喧嘩をたまたま見たことがある。それも、複数のヤクザ相手の。安楽天横の路地で。
 こいつの身体能力は半端なかった。まるで、琉球唐手の達人のような身のこなしだ。どっしりとした下半身と自由自在に動く上半身。勘だけで、日本武道の極意である合気を掴んでいるのだろう。こいつがアカデミックな武道を始めたら、間違いなく世界チャンピオンになる器だ。あの時も、見るからに百戦錬磨のヤクザ相手に秒殺だった。立ち技で対峙したらいくら俺でもどうなるかわからない。しばらく組み手で様子を見て、タックルで寝技に持ち込もう。
 だが、一つ困ったことがあった。実を言うと、俺はこいつがきらいじゃなかった。多分、こいつも俺のことが嫌いじゃないだろう。話したことも無いのに、というか、なにかしらの本能で、3年間お互いを避けてさえいたのに、俺はこいつのことを認めていた。
 しかし、武人が一端やると決めたからには、相手が熊だろうが、トラだろうがこいつだろうがやるしかない。
 信号が青になった。俺たちは横断歩道を渡り始めた。
後ろから、血の気を失ってブラックアウト寸前の宗田君がよろよろついてくる。
 程なく、正覚時裏の資材置き場に着いた。
 俺と増岡は、一間程の間で対峙した。事を始めるに当たり、俺は当然の疑問を口にした。命のやり取りをするからには、お互い納得ずくでなければ遺恨が残る。
「宗田とお前の妹に何があったんだ?」
「このチンカス野郎は、妹を手篭めにしやがった」
「手篭め?」
「2年の増岡知子だ……。こらっ!」
 後ろにいる宗田君の肩がびくんと跳ね上がったのが気配でわかった。俺は振り返り、宗田君の目を見た。
「……宗田君?」
「クラスの後藤君が、2年5組の増岡知子に頼めば出来るって言うんで……」
「まさか、本当に……やったの?」
「だって、直ちゃんが……、うん、でもね、ちっとも……」
 次の瞬間、俺の鉄拳が宗田君の顔面に飛んでいた。何発も何発も。みるみるうちに宗田くんの顔はぱんぱんに膨れ上がっていく。
 ええ!? 
 なんで俺は宗田君をぶんなぐっているのだろう、こんなにか細く、か弱い、カゲロウの様な宗田君を、自分で自分がわからなかった、だが止まらない、あっという間に、彼の顔は、紫色の、呪いのブードゥー人形に早代わりした。
「ばか、それ以上やったら死ぬぞ、おいっ、おいっ!!」
 増岡の奴が俺を羽交い絞めにして叫んでいる。
 ようやく俺は自分を取り戻した。そして、増岡の呆然としている顔を尻目に、宗田君をさっさとおぶって病院へ向かった。
「……ううう、どうしてなの?」
 背中で宗田君がうめきながら聞く。
「……」
 俺は小刻みに首を左右に振るしかなかった。
 俺は激しく動揺していた。人は自分の行動を理解できないときほど動揺するもんだ。そして、それが今だった。
 俺は何をしてるんだ? 
 走りながら何度も自問したが、自分の心相手に暖簾に腕押ししているような、なんとも言えない収まりのつかない感覚に襲われた。おぞましいだけのスプラッタ映画を見たときのような気色悪さが、下腹から這い上がってきた。
 稲荷町の永寿病院に1分で到着した。
「急患です。整形の先生をお願いします」
 俺は、たまたま玄関にいた、あき竹城似の看護婦さんに向かって叫んだ。
 あきさんは、あわてて医務局へ飛んで行った。おれは受付のベンチにそうっと宗田君を下ろすと片膝をついて言った。
「本当にごめん。なぜ、こんなことしちゃったのか、自分でもわからないんだ。さよなら宗田君、さようなら……」
 俺はやおら立ち上がり、病院を出ていこうとした――
 途端、首をぶんぶん振り、血を四方に撒き散らしながら宗田君は俺の腰に抱きついてきた。
「僕が女の子とやっちゃったから、ショックだったんでしょ、ね、そうなんでしょ、直ちゃん?」
 いや、それはその通りなんだけど、そういうことじゃないんだ。
 ややこしいな……
 俺は、身を屈めて宗田君をやさしく抱きしめた。そして、
 鼻と口から、だらだら血を流しながら追いすがるブードゥー人形、じゃなかった、宗田君を静かに振りほどき、病院を出た。
 ああ、なぜこんなに胸が痛むんだ……俺の中で、一体何が起こっているんだ?
 
                                    つづく
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「スコア300in1984」

2010年07月22日 | Weblog
 だが、彼女、じゃなかった、彼まで1メートルの距離に来た時、彼女の、じゃなかった、彼の目を見て、はっとした。お母さんの水晶体はオニキスで、彼のはダークグリーンのガーナイト、別人なんだ、そして、男なんだ。
 はっとしたついでに、何をトチ狂ったのか、俺は素っ頓狂な裏声で言い放った。
「いやいや、君、思春期の友情と男色(男色?)を混同してるんじゃないのか? まず女とやってみ。それから自分が何者なのかを考えたほうがいいぜ」と。
 いくらなんでも、女装している、というより、心ははっきりと女性の宗田君に、何を言っとるんだ? 言ってることが、タイミングと音程も含めて苦しすぎる。
「やってみて、やっぱり女の子がだめだったら?」
 やたら素直な宗田君は、俺の中身の全くない話に乗ってしまう。いや、ここは、言葉いらないだろ、そのまま俺に抱きつけば、俺は、つい、お母さんそっくりの君に手を出してしまうかもしれないのに。
 だが、そんな助言をするわけないもない俺は言った。
「まあ、そしたら俺も真剣に考えるよ、君との関係を」
 苦しいを通り越して、空疎な言説を続ける俺。女の子と出来るわけのない宗田君に無茶振りだ。だがまあ、時間稼ぎにはなる。
「本当?」
 だから、素直に乗ってくるなっての! 押しだよ、押し!
「本、当……。じゃあ俺寝るから」
 すかさず、俺は沖縄出身の空手師範から教わった、泊手ナイハンチの華麗な足捌きで、優雅に踵を返した。
「わかった。直ちゃんが、そう言うなら……」と宗田君が言ったのは、俺が部屋を出て行った後だった。
 自分の部屋に戻ると、この先考えられる全ての可能性を吟味してみた。
この時点で俺は、東大法学部を卒業して弁護士になるつもりだった。個人営業で、一生出来、腕次第で業績を上げられ、社会に貢献できる職業として、単純に思いついたのが理由だ。単純だが、いい加減ではない。経験から、動機は、単純な直感から導き出されたものが一番力があるということを知っていたから。    
 だが、後から気がついた。お母さんの顧問弁護士になればお母さんの傍に一生いられる。それが本音の王様だったと――
 まあそれは置いといて。実はこのとき俺は、柔道で明大中野高校に誘われていた。特待生になって学校の寮に入れば、自立への第一歩になるし、宗田君とも、……今は、お母さんとも距離を置ける。
 よし、これで行こう!
 顧問弁護士からボディーガードへ路線変更だ。オリンピックで優勝して……、それは、ちょっとハードル高いな、日本選手権で優勝して、お母さんと釣りあいの取れる男になるのだ。
 俺は、晴れ晴れとした気持ちになった。


 三学期が始まって三日後。
 俺は早速担任の山崎先生に明大中野進学の意思を告げ、山崎先生も了承し、そのように計らってくれることを約束してくれた。   
 進路も決まり、上機嫌だった俺とは対照的に、この日の宗田君はやけに元気が無く落ち込んでるようだった。だが、悩みは、自分の中で処理できるものならしたほうがいいのだ。それが出来なきゃ相談してくるだろう、いずれにしろ、安易な助言ほど個人の自律を犯すものはない。ここは黙っていよう。面倒だし(本音)。
 だが、下校の途中、菊屋橋の交差点で信号待ちをしている時、青白い、を通り越して、コメカミの毛細血管まで透けて見える顔をした宗田君につい言ってしまった。
「宗ちゃん、どうした?」と。
 観念なんて、いつでも空しい……。
「ううん、なにも」と言いつつ、宗田君が潤んだ眼をして俺を見上げた途端――
「宗田、面かせや」と誰かが後ろで言った。
 信号が青になった。
 誰?
 振り向く俺。
 逆三角の黄金色の目。トラ? いや、人だ。
 あー、なんだ、7組の増岡君か――。
 じゃなくて!
 ……増岡隆二。
 こいつは脳みそまで鋼の筋肉で出来ている、トーキョーシタマチジャングル最強の肉食獣だった。そして、しゃれの通じない、交渉術は全く無意味な相手だった。俺は宗田君の前に立ち、単刀直入に聞いた。
「何のようだ?」
「妹のことで用がある」
 背中で、宗田君が突如呼吸困難に陥り、呼吸音が過呼吸的スタッカートになったのがわかった。
「彼女、彼女、増岡君の妹、だったの? 嘘、嘘……」
 人事不省寸前の宗田君は熱に浮かされたようにつぶやいている。増岡の妹と何かあったな。で、増岡はその落とし前をつけに来たわけだ。何があったか知らないが、事前リサーチくらいしろよ馬鹿! はあ〜、面倒なことになったが、こいつが相手じゃ、後先考えずにやるしかない。ひょっとしたら、命のやり取りになるかも……。直感がそう言う。だが、お母さんに誓ったのだ。命を懸けて宗田君を守ると。
「俺が相手になる」
「谷内か。いつかはお前とやらなくちゃならねえと思ってたんだ。いいだろ。」
「どこでやる?」
「正覚寺裏の資材置き場」
「わかった」

                                 つづく
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「スコア300in1984」&混ぜーるさん、いつもありがとう。

2010年07月08日 | Weblog
 と、
 その時、
 内線電話の呼び鈴が鳴った。
 宗田君がお母さんを呼んでいるのだ。
 お母さんの表情がサッと変わった。
 俺はすかさず、
「ブランケット、……掛けました、寒そうだったんで」
 と、言ってしまった……。
 WHY?
「……ありがとう、直君」
「……いいえ、おやすみなさい」
「おやすみ、直君」
 女人の眼睛の魔力から開放された俺は、お母さんを欲するマグマのような衝動を押さえ込んで、部屋を出て行った。
 部屋に戻ると、あそこがかっちかちの石になっていた。俺はなんだかもったいないような気がして、マスターベーションをせずに、布団に入り、睾丸から下腹に巡る柔らかな快感を味わいつつ深い眠りに入っていった。
 寝入り端、心に誓った。
『この愛を絶対に壊さない。だからもう軽はずみはしない。お母さんを、男として守れる日が来るまで』――と。
 

 さて、中学生最後の冬休みになった。
 お母さんは中日劇場の新春公演で家を空けている。
 まずい……
 実は、最近、困ったことが起こるようになっていたのだ。
 お母さんが家にいない時、宗田君がなにかと触ってくるのだ。その行為はここ数日ますますエスカレートして、さりげなく股間を触ってくるようにまでなっていた。なにか、お母さんに対する俺の好意をうすうす感じとっていて、お母さんに嫉妬している節もある。おかげで、家全体が少しギクシャクしているようでもあり、俺は、自分が原因で親子関係にひびが入ることを怖れ、適当にやりすごしていた――のだが……
 近頃なんか、ざわっとした予感がする。
 いやいや今は、兎に角勉強第一だ。煩雑な事はごめんだった。早く偉くなって、どうどうとお母さんに求愛できる男にならなければならない。
 あの日はたまたまだったのだ。疲労とお酒で、お母さん自身、少し『おかしく』なっていたのだ。もうお母さんは俺をああいう風に受け入れてはくれないだろう。18ある歳の開きは、自分が一人前になることで、堂々と乗り越えるのだ。それは、今の、俺の努力に掛かっているのだ。
 だが待てよ。
 俺がお母さんと一緒になったら宗田君は、俺の息子になるわけで、……これは随分と複雑なことになるな、自分の好きな、それも同級生が、自分の父親になったとしたら? 一体宗田君はどうなってしまうのだろうか……、そして、この家は? 3人の関係は?
 俺は、懊悩した。
 そして、冬休みも終わりに近づいたある日。予感が現実となった。
 その日は、午前を講道館の稽古に当て、午後はずっと受験勉強に当てていた。学校が休みのときは、8時間勉強して、水を飲んで寝るのが日課だったのだ。
 予定の8時間を終了し水を飲みにダイニングに行った俺は、ソファを見てドキッとしてしまった。名古屋にいる筈のお母さんが座っていたのだ。だが、なんか雰囲気が違う。尚もよく見ると、なんと、彼女は、宗田君だった。いや違う、女装した宗田君だった。
 かわいいピンクのバラのワンピースに、多分、お化粧して付け毛までしている。それよりなにより、お母さんそっくりだ。つまり、えらい別嬪だ。俺は唖然としつつも、彼女、じゃなかった、彼に吸い寄せられていった。

                                つづく
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「スコア300in1984」&ミー君、混ぜーるさん、こんにちは。

2010年06月29日 | Weblog
 そうこう生きているうちに、あっという間に中学3年になった。
 秋も深まったある日、宗田君は風邪を引いた。宗田君は、外見の印象に違わず病弱だった。ちょっとした風邪を引いても4、5日は寝込んだ。
 この日、お母さんはたまたま家にいて、夜遅くまで宗田君のために起きていた。
 お母さんは、何事にも一切手を抜かない人で、全国公演の合間の貴重な休みだというにも関わらず、一日中献身的に看病していたのだ。
 宗田君は赤ちゃんのとき、インフルエンザで死にかけたことがあるとかで、お母さんは宗田君の健康に人一倍気を使っていた。それなのにしょっちゅう風邪を引く宗田君は親不孝もいいとこだった。
 俺は放課後、空手道場へ行き、帰宅後一時間で食事と風呂を済まして勉強をしていた。きっかり4時間勉強をして、水を200CC飲んで寝るのが習慣だった。
 だだっ広いダイニングに行くと室内は薄暗く、お母さんがソファで転寝していた。見るからに疲れ果てて熟睡しているようで、俺は冷蔵庫の扉をそっと開けて、水が入っているボトルを取り出して飲んだ。室内を見回すと、ブランケットが一人がけのソファに掛けてある、俺はそれを手に取り、お母さんに掛けてやるつもりで近づいた。ソファの縁に来て、抱えていたブランケットを、諸手を挙げた招き猫のようにして持ち上げ、腰を屈めた時――
 俺は、その格好のまま固まってしまった。
 お母さんの顔を見た途端、
 なんてきれいなんだろう……と見惚れてしまったのだ。こんなに疲れていて、しかもすっぴんなのに、少女のように華やいだ気が香り立っている。肌はすべすべしていてピンク色、睫毛はこれでもかと長く、毛先がカールしている。唇は完熟トマトのように濡れた赤色を滴らせ、鼻は高くもなく低くもなく、すっきりとした鼻梁の先に、ツンとしていながらいやみのない鼻柱と鼻口が……、ああ、そして、中は……、中は!
 ……どうなっているんだろ!?
 俺は、なにをトチ狂ったのか、どきどきしながら鼻の中をのぞいた。
 入り口はきれいに脱毛処理されていたが、奥に鼻毛を発見した!
途端――、心臓がガクンと大不整脈を発生した、なんか、見てはいけないものを見たような気がして、強烈な罪悪感と興奮に包まれ、あそこが一気に膨張してしまった、なんという不謹慎だ、不束者だ! 
 と思えば思うほど、興奮は止め処なく上り詰めていく、俺は、生まれたはじめて、もう、どうなってもいいや的感情を経験した、そして、お母さんの唇に、自分の唇を近づけていった、どうでもいい割にはそうっと、息を潜めて――
 かすかにウイスキーの香りがした。お母さんの好きなブッシュミルズのシングルモルトの香りだ。
 そして、お母さんの唇到達まで1センチに迫った時、
 お母さんの目が、パチッと音をたてて開いた(ような気がした)。
 俺は再び固まった。
 お母さんは無表情だった。
 見詰め合ったまま、永遠の5秒が経過した。
 足音がした。
 俺は、あわててブランケットをお母さんに掛け、とっさにソファの後ろに身を隠した。
 佳代ちゃんだった。
「奥様」
「何?」
「ぼっちゃん、お変わりなく寝ています。佳代も床に入らせていただきます」
「はい、お疲れ様。おやすみ佳代」
「おやすみなさいませ」
 佳代ちゃんは俺に気づくことなく部屋から出て行った。
 俺は、そうっと立ち上がった。そう、まず立ち上がり、そして、改めて視線をソファに落としてお母さんを見た。お母さんは、予想通り、クリスタルガラスの目で俺の目をまっすぐに見ている。  
 俺の口はぱくぱく開閉して何かを言おうとするのだが、鳩尾に力が入りすぎ、息が吸えず、言葉を発声できない。
 再び、永遠の5秒が経過した。

「どうするの?」とおかあさんが言った。

 唇にモナリザの微笑みが浮かび、目の下は柔らかく盛り上がり、黒目は益々黒くなりながら、酔眼のような、とろりとした眼差しになっていた。
その瞬間、俺は、我を忘れ果てた。すうーっとソファの正面に回り込み、静かに膝を落とした。
 ああ、俺の顔の真下にお母さんの顔がある。俺は、再び、お母さんの唇に吸い寄せられていった。

                         つづく
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「スコア300in1984」

2010年06月17日 | Weblog
「谷内君の癖なんだよ。おいしいもの食べると必ずそうするの」
 へえ、そうなんだ。宗田君に言われて、自分の癖を始めて知った俺だった。
 それにしても、宗田くんのお母さんは不思議な人だった。
 映画では庶民派で売っているお母さんだが、間近で見ると流石に美人だった。
 下町のお姉ちゃん役を演じることが多くて、いつも髪の毛をひっつめにしている印象だったのだが、家では、緩やかにウェーブのかかった長い髪を無造作に背中に垂らしていた。そのお母さんの髪の匂いが、ほん、とーに、いい匂いで、俺は、『うっとりする』という感覚をこの家に来て始めて知った。そして、目が、異常に、そう、すーさまじくきれいだった。まるでガラスのような……、そう、クリスタルガラスで出来ているような目だ。猛禽類の剥製の目だ、つい、じいっと見入ってしまい、相手が生身であることを思い出し、我に返って恥ずかしくなってしまう、そんな目だった。宗田君の目はおかあさん譲りだったんだ。
 その一方では、妙に男気があるというか、よっしゃよっしゃが口癖の太っ腹な金満家のおっさんみたいなところもあり、また相手によっては、甘えた女の目から、図太いやくざの目に豹変したりするときもあったりして、まあ、本当に……、なんとも不思議な人だった。
「直君は、面白いね」
「んなことないっす」
「あたしに似ている」
「え、……そうっすか?」
「早熟で、親の勝手に振り回されて」
「……わかるんですか?」
 お母さんは、少し悲しげに宗田君を見た。実の親子なのに、世間的には叔母と甥で、兄の死後養子にしたことになっている親子。  
 他人には計り知れない複雑な血のクビキがあるのだろう。自分の人生を鑑みて、俺には痛いほどわかったが、少しとぼけた。
「ええ。でもね、これだけは知っておいてほしいの」とお母さんは続けた。
「はあ」
「四歳までに一度も愛されなかった子は、人間の心を創れないの」
「へえ」
「だから、あなたは、誰かに、確かに、愛された」
「いやあ、そんな人いません。思い出せません」
「記憶にないほど、昔、赤ちゃんだった頃、愛されたのね」
「そうなんですか?」
「駄目になりそうなとき、このことを思いなさい。私は、愛されたって」
「……はい」
 お母さんは、俺を一人前として扱ってくれた。嬉しかった。良い女に一人前扱いされると、男は、自分の『男性』を意識して、本当の男になれることをこのとき知った。
 俺は、お母さんの前で何かのフリをしたり、鎌をかけるのをやめた。つまり、小細工を弄することをやめた、全部お見通しな気がしたからだ。
 んなわけで、食事の後、単刀直入に交渉を始めた。
「僕は、養護施設に行きたくありません。そして、宗田君とも離れたくありません」
「谷内君……」
 宗田君の目が潤んだ。いや、そういうことじゃなくて……、まあ、いいや。
「一方――、」
「一方?」とお母さんがくすくす笑って聞き返してきた。
「宗田君が学校でいじめにあっているのをご存知ですか?」
 おかあさんの顔が途端に曇った。
「ええ、この子、はっきりとは言わないけど……」
「僕なら、宗田君を守ってあげられます。不良に指一本さわらせません」
 途端に、宗田君が口を挟んだ。
「お願い、ママ、谷内君をこの家においてあげて。そうすれば僕、いじめにあわずに済む。谷内君は、みんなから一目置かれているんだ、強いんだ、ね、僕のために、お願い」
 ナイスフォロー! よし、間髪入れずに、畳み込むぞ。
「お願いです、宗田君を命を懸けて守りますから、高校卒業まで、この家に住まわせてください」
「君は頭のいい子ね。君みたいな子大好きよ。いいわ」
 やった!
「大学は、奨学金制度で通う計画です」
「遠慮しなくていいのよ。好きなだけいてくれていいのよ」
「必要以上に他人に甘えたら、人間がダメになります」
 俺はきっぱりと言った。
「ふーん、偉いわ、男ね」
 心底感心して、お母さんはうなずいた。お母さんに褒められて、俺は誇らしくなった。良い女に褒められると、男は真の誇りを感じることを、このとき知った。 
 翌日、早速お母さんは児童相談所へ行き、里親の手続きを取ってくれた。国民的スターの威光は絶大だった。普通なら何ヶ月も掛かる審査があっという間に通った。俺は、11歳にして、宗田家の一員になった。
 宗田家で暮らすようになって以降、俺は、体を張って宗田君を守った。必死な人間は強い。おまけに、病的に凝り性な俺は、格闘技関係の本を区立図書館で読みまくり、(歓喜する宗田君相手に)試しまくり、実戦で、相手にダメージを与えず勝ちを収める古武道、柔術の技を会得した。そして、中学入学と同時に、上野の極心空手の道場と、柔道の大本山、講道館に通い、どちらも一年で黒帯をとった。勉強も怠りなく精進し、体育、家庭科も含めオール5の、教師の覚え目出度き優等生として、学校の有名人となった。

                               つづく
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2010年06月12日 | Weblog
 それからの俺は、ばばあに、下半身裸のまま外に放り出されようが、あいつに、孫の手でこっ酷く打ち据えられて背中がミミズバレだらけになろうが、家に居座りつづけ、あいつの所業を、隣の獣部屋から聞こえる寝屋話を中心に、詳細かつドラマチックに書き留めていった。
 題して、『悪行ノート』。副題は、<ダディの犯罪記録>だ。
 悪行ノートは、ばれない様、宗田君ちの机の中に入れておいた。ノートは半年で2冊に達した。
 ばばあは、何をされても楽しそうにしている俺を気味悪そうに見始めた。成績が急によくなったときも同様だった。いきおい虐待が減ったのは、意外なる副産物だった。
 がんばれ、とうちゃん! 応援してっぞ!
 そして、とうとう、あいつが待ちに待った例の事件を起こした。俺は翌日、意気揚々と『悪行ノート』を浅草署に提出した。で、
 あいつは速攻逮捕され、翌日、くそばばあも家を出ていった。全て計画通り!
 あー、俺は生まれ変わったんだ! なんて清清しいんだ、なんて空気がうまいんだ! 
 なんて喜びもつかの間、俺は児童相談所に保護された。
 そう、問題は生活のことだった。これからは、一人で生きていかなくちゃならないんだ、どうにかしなくちゃ。
 それに、あいつが5年やそこらで出所したとしたら、おいらはまだ未成年だ、親権を楯に何されるかわかったもんじゃない。
 こいつあー、いろいろ研究しなければなんねーぞ。
 だが、俺の心配は全くの杞憂だった。
 なんと、あいつは、一人じゃなく、二人殺していたのだ。もう一件の方は強盗殺人だ。これをやらかしたのが組にばれて破門になったんだ。
 死刑確定。
 万歳!
 さて、
 相談所の先生から、「たぶん、この先、養護施設で暮らしていくことになるわ」と言われた日の夜。俺は相談所を抜け出し、宗田君の家に向かった。
 宗田君のお母さんは浅草国際劇場に出演中で、今日は夜の公演がなく、そういう時は、宗田くんの為に夕食を手作りすることをおいらは知っていた。
 どきどきした。
 地元が生んだ国民的スターに初めて会うのだ。いや、それよりなにより、俺のこれからの人生が掛かっているんだから。
 おいらは震える手で、玄関の呼び鈴をならし、呼びかけた。
「そおおおだくーん!」
 途端、物凄い足音がして、玄関が、がちゃがばっと開いた。
 俺の顔を見た宗田君は大喜びだった。
「心配してたんだよ、大丈夫?」
「うん、どうにかね。今度、遠くに行くことになったから挨拶に来たんだ」
「え、どこに?」
「新宿あたりの養護施設だって」
「そんな……」
「じゃあね」
「待って、これからご飯なんだ、一緒に食べようよ」
「いや、悪いよ」
「全然悪くないよ。さ、上がって、お願いだから」
 俺は、しきりに恐縮した振りをして、玄関を上がった。


「直君ってかわいいね〜」
「んなことないっす、へへ……」
 宗田君のお母さんにかわいいと言われて、今、口の中で味わっているとろとろのチーズのようにとろけそうになった。
 お母さんの作ってくれた、この、ピザというイタリアの料理も最高だった。なにしろ、宗田家の台所には、イタリア人の職人が作った石釜まであるのだ。所謂本場の味なのだ。
 俺はイタリアンな味に酔いしれた。
「なんで目をつぶって、首を左右に振っているの?」
 くすくす笑いながらお母さんが言った。

                          つづく
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2010年06月03日 | Weblog
「ど、どうしたの谷内君、突然笑い出して?」
 気が付くと俺は、宗田君の家で明日のジョーを見ていた。
「……ねえ、宗田君、今、千九百何年?」
「1970年、かな、だよね?」
 ジャスト小学4年生だ。
「……ようし、こうしちゃいられない。勉強しなくっちゃ!」
 俺は、叫んだ。
「勉強? 谷内君……どうしちゃったの? ボーリングの番組見て、野球盤と光線銃で遊ぶんじゃないの?」 
「ボウリング〜? 野、球〜盤、だ、とー?!! 」
「え、じゃあ、マジックハンドで林檎の食べっこする?」
「わかってないな、君!」
「ひ!」
「おいらの人生のシチュエーションを変えなくちゃ、チコがもう一度死んで、笙子がひどい目に会うじゃないか! いいか、俺の人生を、まるで違う人生にしないとダメなんだ、二人が俺と全く接点がなくなるようにしないと! 両親は変えられないし、経済基盤は最悪だ、勉強して成り上がるしかない! よし、勉強するぞ! やれることからやるべし! 手を、打つべし! 打つべし!」
 俺は興奮して一気にまくし立てた、怯えきった宗田君のウサギの赤い瞳なんて寸毫も気に留めずに。
 しかし、なぜか、不思議なことに、俺は、このシチュエーション自体には、まったく疑問というものを感じていなかった。
「じゃあね宗田君、俺、家に帰るよ」
「え、テレビは?」
「いいかい、おいらには計画があるんだ」
 俺は声を顰めた。一瞬にして思いついたナイスな計画を誰かに話さずにはいられなかったのだ。宗田君なら心配ない。
「どんな?」
「あいつは来年人を殺す。今年も犯罪のオンパレードだ。それを全部記録して警察に提出するんだ」
「……谷内君、大丈夫?」
「ふふ、考えただけでも痛快じゃないか?」
「痛、快……」
 宗田君は恐怖にすくんだ小鹿のようにぶるぶる震えていた。
「じゃあね」
「あ、谷内君」
「何?」
「わ、忘れ物」
「え?」
「我輩は猫である」
「それ……君にあげる、俺は、自分を変えるんだ」
「ありがとう。でも図書館のシールが貼ってあるよ」
「じゃあ、返しておいて」
 俺はランドセルを背負って部屋を出た。
「うん、わかった、君の為なら」
 と宗田君が言ったのは、俺が部屋を出た後だった。
 本当は、そのまま増岡の家に行きたかった……
 みんなの顔を見たかった。なにより、チコに会いたかった。会いたくて会いたくて、くじけそうになったが、俺は、身を捩り、悶え、胸に膨らむ煩悶を必死にこらえ、意を決して、地獄の家に帰った。

                          つづく
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2010年05月26日 | Weblog
 いきなり3ピン残してしまった。しかもクリスマスツリーだ。5フレまでパーフェクトだったのに何たること。
 向こう側に行き過ぎて、集中が途切れたんだ。よーし、気持ちを切り替えてスペアだ。フィンガーグリップをセミフィンガーに代えて、慎重に転がす、行け! 
 って、あー! もう……、
 7番が残っちまったじゃないか。今日はベッドがやけにスローアレーでボールが曲がりすぎたせいだ。
 こうなるもういけない、出出しの好調どこへやら、後は、ずたぼろのへろへろだった。
 ……やれやれ、さあ、帰宅して夕飯の支度をしないと。
 俺はロッカーで着替えを済まし、フロントへ行った。 
「おしまい?」
「うん、なあ……」
「ん?」
「スパゲティと鍋、どっちがいい?」
「あれ? 焼き魚じゃなかったの?」
「田舎味噌が買えなかったから予定変更」
「ふうん、鍋は何鍋?」
「ひき肉が余っているから、肉団子、お前の好きなほうとうと下仁田ネギ、きりたんぽも買ってあるから全部ぶっこんで」
「スパなら?」
「いつものカルボと、ひき肉が余っているからミートソース」
「じゃあ、スパ」
「うん、じゃあ、また後で」
「うん」
「あのな、」
「何?」
「なんでもない……」
 俺はエントランスに向かって歩き出した。



2.

 駐車場を出た。
 下校時間の女子高生達が目の前の歩道を通っていく。近くの共愛学園の下校時間にジャストミートしてしまったようだ。ちゃりんこも多いから慎重に一時停止。途切れたな。よし、左折。
 あ……、いる。
 さっきの天使が、100メートル先の信号の上に。
 でも、あれ人形だろ? マネキンだよ。だけど、あんなところに?
 俺は、わざととろとろ走って、赤信号で停止した。ハンドルの上に覆いかぶさり、首をにゅーっと伸ばして信号機の上を見た。
 って、おいおい、やっぱ人だよ、動いているもん。羽が生えてる? いやいや、付け羽だろ、いくらなんでも悪ふざけが過ぎる、逮捕されちゃうよ、早く下りたほうがいいぜ、おねえさん、と思った途端、「うおっ」と思わずうめいてしまった、そのおねえさんが、自動車のフロントガラスの前にググーッと、いや、スーッと下りてきたからだ、わお、外人じゃん! ナスターシャ・キンスキーそっくりの、ということはドイツ人か? うわっ、あたり一面光の洪水だ。
「光あれ!」
 と俺は思わず叫んでしまった。
「望みはなに?」とナスターシャが言った、嘘だろ、日本語だよ、そう言えば、前橋に来てすぐ見た『パリ・テキサス』の彼女は最高だった、いやいや、そういう問題じゃないだろ。
「望みって……、かなえてくれるの?」
と俺は言った。
「オフコース」
 おおっと、ここは英語なのか、と思った刹那――
 はっとした。
「ナスターシャ、君は!」と俺は思わず叫んだ、そうか、彼女は王子を導く妖精なのだ、やっと来てくれたんだ、ようやく、チコを救い出してやることが出来るんだ、いやいや、もっと現実的に考えなくてはいけない、俺は王子じゃないし、チコはもう死んだんだ、だから、チコを救うには違う手立てが必要だ、えーと、それに、そうだ、笙子も救うんだ、笙子を、俺の笙子を!
「えーと、じゃあ、人生をやり直したい、えーっと、小学4年あたりから、んで、意識は今の大人のままで、なんちゃって、……駄目?」
 ははは、子供か、俺は。ははははは、都合良すぎ。
「ははははは。あれー?」

                          つづく
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「スコア300in1984」

2010年05月25日 | Weblog
 離婚話の切り出し方と死に方ばかり考えていたところに、突然『子供』である、しかも、あいつの種かもしれない……。俺は混乱の極みにいた。俺は一睡もせずに考え抜いた。でも、答えは出なかった。

 翌日曜日。
 俺は言葉を準備するのをやめた。
 笙子の顔を見て自分が何を言うのか、見極めようと思った。だが、絶対に卑怯者にはならない。それだけを心に誓った。
 面会室に入った。無表情の笙子が座っている。今日もジーパンだ。笙子は花柄のワンピースが好きなのに、今日もジーパン……
俺は突然泣き出した、かわいそうでかわいそうで、申し訳なくて、いやそんなんじゃない、愛おしくて、抱きしめたくて、いや、違う、違わないが、俺は、俺は、その時、死ぬのをやめたんだ、もう、自分を哀れむのをやめにしたんだ、俺が、この女を守るんだ、一生掛けて守るんだ、俺は座った。
「生んでくれないか?」
 俺は笙子の目を見てきっぱりと言った。
「……いいの?」
「お前に……これ以上傷ついて欲しくない」
「……うん」
「俺、一生懸命かわいがるから。いい親父になるから」
「うん」
 会話の最中、あれよあれよという間に、青い囚人服の襟がびちょびちょになった。
 笙子も同じだった。
 ガラス越しに手と手を合わせ、額と額を合わせ、二人して鼻水をだらだら流しながら、「時間だ」と言われるまで泣いていた。   
 笙子を見送った後も、それでも嗚咽が止まらず、俺は部屋に帰って、寝るまで、いや、翌朝、目が覚めてもしゃくりを上げていたのには、我ながら驚いた。

 そして、
 1990年1月1日、お前が生まれた。
 出所して、初めてお前を抱いたとき、俺は、俺は、嬉しくて、嬉しくて、また号泣してしまった。
 そして思った、「お前はチコのお腹の中にいた子だ、お前は、俺の子だ!」って。
 それから、
 世間の噂、誹謗中傷、地獄に仏、思わぬ幸運、急がば回れ、いろいろあった。
 でも、俺達は、この場所から逃げなかった。そしてお前は17歳になった。17歳に……

「おじいちゃんは関係ない。まあ、結婚して、日々の生活に追われて、そうこうしているうちにお前が生まれてだな……」
「つまり、母さんは、プロボーラーとして一番油がのってたとき、とうさんのせいで活躍しそこなったってことよね」
「お前、今日はよくしゃべるな。おかあさんには……本当にすまないと思ってるよ」
「生きるって楽しいの? ……ねえ、とうさんは楽しい?」
「楽しい? (息をつーっと吸って)人生が楽しいかどうかは知らんが、楽しいことは……(少しえらそうに)たまにはある」
「たまにね……」
 慶子が口をつけなかったので、俺は(予想に違わずまずかった)ラーメンを二杯まるまる食べた。残すのがいやで、苦しかったが、スープも全部飲んだ。途端に、おおきなげっぷが出て、慶子は顔をしかめた。
 
 はずした!!!! 
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くしゃみマンさん、混ぜーるさん、いくーこさん、こんにちは。

2010年05月14日 | Weblog
「スコア300in1894」

あいつはまるで、なぜ、原告席にミイラが置かれているの?――といった感じのオブジェと化している。
本当は裁判なんか出来る状態ではないのだが、時効が絡んでいるあいつ自身の裁判もあるため、裁判所が強引に病院からの出頭命令を出したのだ。
実際全く動かない。
しゃべることも出来ないので、やる気のなさそうな国選弁護人がほぼ代弁していた。
「はい、検察官の仰るとおりです」。これだけ。
心配していた笙子だが、あいつから目をそらすことなく、だが、俺とは目を合わさず、堂々と証言していた。
聞くのは辛かったが、一番辛いのは笙子だ。りっぱだ、ほんとうにりっぱだ。俺は誇らしさと、自身への強烈な嫌悪を同時に経験した。
やたらメガネがずり落ちる弁護士からはしつこく、殺意の否認をするように言われた。
でもね、言葉だとか、論理だとか、合理的疑問だとか、もう、そんなのはいやなんだ、いや、いやだった。
「殺意はありましたか?」と裁判長(俳優の蟹江敬三に似ている。)。
「ありました」
弁護士が、「え?(おいおい)」とメガネを押し戻す。

「反省してますか?」
「反省してます。でも、俺は、今度あいつにあったら……あの男を殺してしまうと思います。そして……やったことだけの償いはさせてください。刑務所に入れてください」
 ――ざわつく法廷。
「でも、あいつが、二度と妻に近づかないようにしてやってください。よろしくお願いします」
「それは、……どうにかしましょう」
 司法と行政が『どうにか』してくれたのか、それともあいつが自主的にそうしたのかは不明だが、あいつは出所後(懲役10年。内、医療刑務所半年。)、うちらの前に二度と顔を出すことはなかった。俺は懲役1年6ヶ月。
「本当は執行猶予が付くのに、何考えてるの、君は?」
と弁護士に言われたが、気分としては、もう少し入っていたい位だった。
 正直……気持ちよかったのだ。なにしろ、人一人殺しそうになって、気持ちが最高によかったのだ……。
 あのとき、笙子の事を気遣い、抱きしめてやることを思うよりも、復讐の感情にすっぽりと飲み込まれ、暴力に酔いしれていたのだ。
そ して、これははっきりと認めなくちゃいけない。言葉にしなくちゃいけない。あの時、俺は、『あいつそのもの』になっていた。
 あれほど憎み、嫌ったあいつに、俺が、なっていた。
 恥ずかしかった……穴があったら入りたい……要するに、刑務所が俺の穴だった。


 服役中、時々、チコのことを思い出した。
「魔女の呪いはこれからなの」
 本当だった。
 幸せの後には必ず魔女の呪いが来るんだ。俺なんて、生まれてこなければよかった。チコの後を追って死んでいればよかった。そうすれば、笙子があんな目に会うことはなかった。刑務所から出たら、どこか人気のない所へ行って、死のう。俺は固く心に決めた。
 それからは毎日、死に方ばかりを考えていた。そうでなければ、すぐにでも房の壁に頭を打ちつけて死んでいただろう。
 すぐに思い浮かんだのは、チコと同じ溺死だった。だが、チコのように発見されなければ問題ないが、日日が経ってから見つかったら最悪だ。ぱんぱんに膨れ上がったゾンビそのもの――俺は一度土左衛門を隅田川で見たことがあるのでよく知っていた、そのむごたらしさを。……やめた。
 笙子に絶対に迷惑のかからない方法じゃないと意味がない。俺は思い悩んだ。
 
 さて、ここでむっさんの登場だ。
 俺は入所後、ソフトボールのチームに入った。同室のむっさんに誘われたからだ。
むっさんは45歳。髪は薄い。でも、目はつぶらで睫毛はやたら長い。鼻の下のいわゆる人中も無意味に彫が深くて、ひげが青々と濃い。首は太いのに、お尻はぷりぷりしていて内股気味。なんというか、まあ、そんな人だった。
 むっさんはSで、相手を殺してしまった。言葉が足りないな。むっさんは(ゲイの)SM愛好家で、プレイの最中相手の首を絞めすぎて殺してしまったのだ。そんなむっさんに、俺はいろいろ有意義なサゼッションを頂いた。


 うららかな日曜日。ソフトボール場のベンチにて――。
「いいかい谷内君、楽に死にたいのなら首吊りに限るよ」
「苦しくないんですか?」
「とんでもない。そう、例えば、リストカットね。生きている肉は切れないもんなんだ。あのやたら切れる日本刀だって、三人も切ればあとは全く切れなくなる。血管をすっぱりいくには手首ごと切り落とすしかない」
「それはいやだなあ」
「だろ?」
「ふーむ、ガスとかはどうですか?」
「意識がなくなるまでに時間がかかりすぎる。ガスの匂いの不愉快さに耐えるのは容易じゃないよ。睡眠薬を飲んでおけばいいけど、手に入れるのが面倒だ」
「なるほど」
「感電死はなかなかお勧めだけど、人気のないとこで死にたいんだろ?」
「はい」
「じゃあ無理だね」
「そうですね」
「ぼくの連れ合いは、あの最中に首を絞めないといけなくてね」
「は? ええ……」
「ふだんは、こう、正常位で締めてたんだけど、その日はたまたま後背位でね、締めてくれ、締めてくれって言うもんだから、ネクタイを使って後ろから締めたら、あっさり死んじゃってさ」
「ほう」
「僕も裁判の中でお医者さんから聞いて知ったんだけど、こう、紐で後ろから斜め上に引っ張ると椎骨動脈と頚動脈が同時にふさがれて、あっという間に死んじゃうんだそうだ」
「へえ」
「このね、斜め上の角度さえ押さえれば、15キロぐらいの力で簡単に死ねる。ほら、よくドアノブだとか、刑務所だったら鉄格子に紐を引っ掛けて死ぬ人いるでしょ?」
「そういえば」
「簡単なんだよ」
「なるほど」
「……ああ、もうチェンジか、打てないねえ。谷内君、次の回もビッシッと投げてくれよ」
「任せてください!」
 俺は晴れ晴れとした気持ちになった。
 よし、まずは離婚だ。今週の土曜に切り出そう。結婚にあれだけ反対された二人だ。今度は誰も反対しないだろう。そして一年後、出所と同時に冨士の樹海に行って決行だ。完璧。
あとは、漱石を読破して人生終了。よし。
 ところが……

 突然、笙子が切り出した。
「子供が出来たの」
土曜日、面会のしょっぱな、俺の目をまっすぐに見て。
「うん」
 俺、心が真っ白――
「どうしよう?」
「なんで?」
「もしかしたら、あの人の子供かもしれない……」
「どうしよう?」と聞いてきたということは、笙子には、堕ろしたくない気持ちがあるってことだ、ということは、ということは……
ここ止まりだった。
どうしても、気の効いた返事が出てこない、俺は何度も何度も、右の掌を額から顎まで下ろして顔を拭いた、何度も何度も何度も。  
掌が鼻の上を通過するとき、シュピっと音がする。思考停止のいつものサインだ。
 シュピッ
 シュピッ
 シュピツ……
 シュピシュ開始から5分、俺はようやく言葉を搾り出した。
「……一晩、考えさせてくれ」。
 俺は、笙子の顔を見れなかった……というのは嘘で、ちらりと見た。笙子は斜め上をじっと見ている。
 笙子、俺の笙子……俺は、どうすりゃいいんだ?

                                 つづく
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