風・Rlungを劇団にします。

2011年06月15日 | Weblog
こんにちは。古澤です。
限られた人生、悔いを残さないように行動することにしました。

ルンを劇団にして、みんなの「基地」、「家」、「場」にすることにしました。

その第一歩として、劇団員養成のため、また、単純に顔を出してみたい、でも、友達がほしい、でもかまいません、

ルンのワークショップを開始したいと思います。
時間帯は木曜日の夜。
記念すべき第一回は、7月28日。18時半から、麻布妙経寺にておこないます。
登録料一万円。チケット制で一回二千円を予定しています。

興味のある方は、rlung7@mail.goo.ne.jpまでお問い合わせください。

何かを表現したいのに、その「場」がない。「仲間」がいないと感じているあなた。
わしと一緒に舞台をつくりませんか?
劇団員の実力がついたら、事務所としての活動も模索していきたいと思っています。
まずは遠慮なく、連絡をください。
よろしくお願いします。
                             古澤 徹
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ご無沙汰してます。

2011年05月11日 | Weblog
こんにちは。
いろいろと人生の難題にぶちあたりまして、
事務所を辞め、
フリーとなりました。
また、ちょっと考えるところがございまして、
連載も中断しております。
仕事のご要望がございましたら、
メールいただければ幸いです。
rlung7@mail.goo.ne.jp

よろしくお願いいたします。

           2011.5.11
                      古澤 徹

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スコア300in1984

2010年11月27日 | Weblog
 私は富田に、奥さん――一緒に育った従兄弟だそうだが――との馴れ初めを根掘り葉掘り聞きだし、この野郎を朝まで寝かせなかった。
 白白と明けた太陽を目を細めて眩しそうに眺めながら、富田は最後にぽつりと言った。
「幼い頃……、両親の突然の死によって、俺は死に囚われ、いつの間にかそれが逆転し、生きているということそのものが、不気味で、怖くて堪らなくなった。妻の靖子と、まあ、じいさんがいてくれなかったら、俺は自殺していたかもしれない……」と。

 2年の夏休みになった。
 富田に、「富田のじいさんに是非会いたい」と言ったら、勝沼の家に招待してくれた。
「山梨と石和、そして、長野にもいくつか家があるんだけど、じいさんは、夏と秋は、もっぱら勝沼にいるんだ」ということだった。
 我ながら噴飯物だが、高校の修学旅行を経済的理由からキャンセルした俺は、通学以外で電車に乗るのは、そして、東京から外へ出たのは、中学の修学旅行以来二度目だった。言い出した級友の顔は思い出せないが、『岩窟王』とはよく言ったものだ。
特急梓の中で、思わず苦笑してしまった。
「何だよ、突然。ふふ、楽しそうだな、直己」
 そう言う富田も随分楽しそうだった。久しぶりに、奥さんと息子に会えるとあって、めずらしくはしゃいでいる。
「勝沼の家はもともとじいさんの奥さん、つまり、亡くなった祖母の実家でね、ただのブドウ農家だったんだ。昭和7年に、東京を引き払ったじいさんが養子に入って、ワイナリーやら、ホテル業を始めたんだよ」
「ふーん。長野のほうの造り酒屋と醤油会社は?」
「じいさんの兄貴、つまり、俺の大叔父のものだったんだが、子供がいなくてね、大叔父が亡くなった時、じいさんが相続した。今は、叔父が管理している、三男の」
「なるほど」
 富田家に世話になる前に、家の歴史や、家族のことを一通り聞いておいた。
 富田の話によると、富田のじいさんは、昭和6年の『財閥ドル買事件』――井上準之助の金本位制復帰政策の失敗による金輸出の再禁止を見越して、三井を中心とする財閥が大規模にドル買いをおこない、結果、巨利をむさぼった事件――の時、甲州財閥の一翼を担っていた家を出奔し、東京から勝沼にやってきたという。おばあさんは一昨年亡くなっていて、7人(5男2女)いるおじおばのうち、勝沼にいるのは、富田の奥さんの母上(次女)の春子さんと四男の広正さんだけだということだった。
 因みに、次男である富田の父と御母堂は、自動車事故で、富田が8歳の時に亡くなっている。
  
 勝沼に着いた。
 甲府盆地の中にある町だけあって、あまり『風』を感じなかった。なのに、羽毛のように軽やかな空気が町全体に広がり、ほわっとしていながら落ち着きのある風情を感じた。
 これは多分……、古い歴史がありながら、人の怨念が存在出来ない、つまり、村八的掟よりも進取の理知を重んじる町にだけ感じる気である。言うなれば、自然にも人にも恵まれた土地なのだろう。
 そして、町中いたるところに端正なブドウ畑が広がっていて、「ああ、百年前もこうだったんだろうし、百年後も多分、このままなんだろうなー」としみじみと思う――そんな気持ちにさせる町だった。     
 俺は勝沼が気に入った。
「じいさんは、直営のブドウ園にいるよ。行くか?」
「勿論」
 俺たちは、徒歩で、鳥居平にある富田家のぶどう園へと向かった。
 

「この子は、偏屈な私が育てたおかげで、随分とひねくれてしまった。学校でも、随分と迷惑を掛けているんだろうね、直己くん?」
 上岩崎にある富田醸造株式会社・商標――ソフィアワインのレストランで、おじいさんが愉快に笑いながらそう言った。
「なにかというとこうなんだ。こんなに素直に育った孫をつかまえて」と富田が笑いながら応えた。
「マー君とおじいちゃん、性格一緒よ」と富田の奥さんの靖子さんがすかさず突っ込む。 
 途端に、皆が爆笑した。
 富田とおじいさんと靖子さんと、醸造の責任者でもあるエノロゴの広正さんと俺の5人だ。ワイナリーの最高級の赤ワイン、ソフィア78年に皆が酔いしれ、饒舌になり、最高の気分になっていた。
 ブドウ園に着いた途端、初対面の挨拶もそこそこに、シャルドネという品種の収穫を手伝わされた。
 皮の割れた実とカビの生えた実をうっかり籠に入れてしまい、おじいさんから随分叱られたりもし、途端に生来の負けず嫌いに火がつき、汗まみれになりながら3時間夢中になって働いたそのご褒美として、昼飯をご馳走になっているのである。
おいしいワインと大好きなパスタを、イタリアのトスカーナ地方のワイナリーの貯蔵庫を真似てつくられたレストランで堪能しているのだ。
「どうしたんですか、――難しい顔して頭を左右に振って?」
 靖子さんがくすくす笑いながら言った。
いつのまにか、俺は、味覚の虜囚になっていたのである。
「あ、癖です」とすかさず答えたものの、俺は赤面してしまった。富田家のあまりにもスローフードな雰囲気に、副交感神経脳が優位になりすぎ、α波が出まくり、特殊な恍惚感に包まれていたのだ。おかあさんからおだてられる度に感じていた、あの懐かしい恍惚感に……
「悩めるシルバーバックみたい」
 靖子さんはケラケラ笑った。明るくて、一途で、そして、かわいい。富田が「一人では生きていけない」と言ったわけが腑に落ちた。

                                                  つづく
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「スコア300in1984」混ぜーるさん、、砂糖牛乳さん、こんにちは

2010年09月29日 | Weblog
 俺は泣いた。涙が止まらなかった。
 うっかり水分を補給することを忘れて泣き続けたせいで、新聞に広告を挟んでいる最中、前後不覚に陥り、病院に担ぎ込まれた。
 しばらくして、お母さんの弁護士から連絡があった。
 お母さんが遺産を少しわけてくれたのだ。
 お母さん的には少しだが、俺的には結構な金額だった。俺はその金で、新聞配達をやめて、民間の学生寮に入り、高校の学費と大学の入学金まで払うことが出来たのだから。
 高校二年の夏休みから猛勉強の日々が始まった。うっとうしい経済活動から自由になった俺は、勉強と食事と排泄以外何もしなかったと言っても過言ではない。俺はフケまみれ垢まみれになりながら勉強に没入した。その挙句、クラスで付いたあだ名は『岩窟王』。友達は一人も出来なかった。今でも級友の顔をまるで思い出せない。級友どころか、教師も、校舎も、通学路すらも……だ。


 俺は東大法学部に入学した。
 駒場の寮に入り、最初の1年は家庭教師のアルバイトにあけくれた。
 家庭教師といっても自分で教えるのではなく、東大生を集めて、家庭教師の派遣グループを作り、高校時代に使ったノートを整理して、『東大必勝マニュアル』なるものを作成し、その元締めになり、上前を撥ねたのである。
 このマニュアルは大評判となり、大手出版社から版権譲渡の以来が再三再四あったことを記しておこう。
 これで、4年間にかかる生活費の全てを1年で稼いだ。
 2回生になった俺は会社をさっさと知り合いに譲り、本格的に司法試験に向けての勉強に入った。
 とりあえず、肩の荷が下りた。
 それは、金がないという現実からくる不安とつらさから距離を置けたという『とりあえず』だ。
 19歳か……、
 ちょっぴり、他人よりはつらい人生なのかな……まあいい、しょうがない、何を言ったところで過去は変えられない、ここまできたんだ、一年で六法を暗記してやるぞ! 
と意気込んだ矢先、
 六法が四季報に変わってしまった――という、我が人生最大の『出会い』があった。
 さて、
 奇妙なことに小さな劇場まであったぼろぼろの寮には、全国からいろんな奴が集まったきたが、共通なのは、東大生には珍しく金がない家庭に育った中流以下の貧乏人、ということだった。ところが、一人だけ鶴がいた。
 山梨と長野で造り酒屋とワイナリーとホテル業を営んでいる家のぼんぼんで、富田という男だ。そう、掃き溜めに鶴。なにしろ、このぼんぼんの父方の祖父の一族は甲州財閥の流れを汲み、明治以降、有力政治家も多く輩出している、いわゆる名門一族だった。  
 やつは、筋金入りの『ぼんぼん』だったのだ。
 ぼんぼん冨田は変な男で、そう、学生の身で株をやっていた。ぼろぼろの四季報と手帳を何時も持ち歩き、授業の合間になにやら書き込んでいた。
 ついた渾名は『ボン場師』。
 この男のことが入学当初は苦手だった。いかにも育ちがよく、おっとりしていて、それでいながら、切れ味鋭い論理という名のナイフをいつでも懐の中に隠し持っていたから。
 この男を論破できる者は皆無だった。なにしろ知識が半端ではなかった。古今東西の歴史、哲学、数学、科学、芸術。
 まるで歩くブリタニカだった。    
 このボン場師と、2回生から同室になった。
 同室となって知ったのだが、ボン場師は地検の特捜検事を目指していた。それなのに、なぜ、株なんてやっているのか? こいつは金の亡者なのか? 途端に、懐かしくもおぞましいあいつの顔が浮かんで、俺は思わず顔をしかめた。
 ある日、思い切って聞いてみた。
「なんで株なんてやっているんだ?」
「義務さ」
「義務?」
「そ、高1の時からやらされている。将来性のある会社をピックアップして、同時に7、8社の株を運用するんだ。で、大学卒業までの4年間の学費と生活費をその利益で賄わなければならない」
「嘘だろ?」
「嘘なもんか」
「それがもし赤字になったら?」
「バイトするしかないな」
「本当に?」
「ああ。一族の子弟は例外なくこれをやらされる。特捜検事を目指している俺も、サッカー選手を目指している弟も。俺はいいんだ、この手の知識は特捜検事には必須だから。弟は、サッカー選手だぜ、かわいそうに」
 ボンバ師は豪快にかっかと笑った。
 おっとり見えて、内面は随分と豪快な奴だ。私はすぐにボンバ師、いや、富田のことが好きになった。お母さんに性格が似ているのだ――クールな表情の裏に、マグマのような情熱を持っている人……。
 仲が良くなるにつれ、消灯後の四方山話が二人の日課になった。しゃべっているうちに、いつの間にか寝てしまい、あっという間に朝が来た。


 5月のある夜。二段ベッドの上下に於いて――。
「俺は平凡な人間だよ」と富田はおだやかに笑いながら言った。
「富田はなんでも知っているじゃないか」
 俺は真上の天板に向かって言った。
「単なる教育さ。家にはちょっとした図書室があってね、そこで読書をするといろいろなご褒美がもらえたんだ。一番の褒美は、ホットミルクとビスケットと祖父の昔話だった。祖父は話がうまくてね、その話聞きたさに、弟と一緒に、夢中で読書をした。それが、勉強するように仕向けられた、ちょっとしたトラップだと気付いたのは中学生になってからだけど……ふふ……ま、確かに知識は持っている。でも、知っているのと創造するのとでは天地の開きがあるんだ。そう、謂わば俺は哲学研究者であって、哲学者ではない。だから、コペルニクス的転回を発明することは出来ない。高校生になって、そのことに気が付いてえらく落ち込んだけど、十台、二十台で獲得した博覧強記は人生の宝だと祖父に諭された。凡百のアイデアの源泉になるし、交渉事の糸口にも、コミュニケーションを深めるツールにもなる。知識において穴がないというのは、この社会では大きな武器になると言うんだ。ま、それはその通り……うん、こういう自分を生きるしかないわけだしさ……。(欠伸)。もう、駄目だ、おやすみ……」
 
 そう、富田の愛読書は、「純粋理性批判」。

 6月のある夜。
「なぜ、カントを読むのかって? 自分との戦いさ」
「なんだそれ?」
「退屈との戦いだ。カントには失礼だが、冗長で退屈なセンテンスを読み込む訓練をしているんだ。読み込んだ末にわかるのは、カントの思想ではなく、カントの人となりそのものなんだよ。いらいらしたときなんかは、気持ちがいい具合に落ち着いて、平静になれたりもするし――。四季報の読み込みはその応用だ。退屈に打ち勝ち、何年も読み込んでいけば、一読しただけでその会社の個性、将来性が見えて来るんだ。退屈との戦いが、人生における最大の戦いであるというのが祖父の思想でね」 
「……」
「谷内?」 
 鼾。
「寝てるし……」


 7月のある夜。
「投資はするが投機はしない。これが、じいさんのこだわりなんだ。だから、証券会社とも深い付き合いはしない。志を持った企業を育てて社会に貢献する。この趣旨から外れた投機は、ただの博打だ。勿論、そういう生き方であっても他人の自由だが、その生き方の問題点は、他人の不幸と引き換えに自分の幸福を手に入れる手法であるという点にある。我が家は代々、熱心な真宗信徒だから、そういう生き方は許されない」
「宗教を信じるてるのか?」
「宗教を信じているのではない。信じるという行為そのものが、すなわち宗教の本質なんだ。結局のところ、世界は、『我思う、故に我ありを、我信ず』と、そこまでいかないと成立しない。それに……」
「それに?」
「人間は結局弱い」
「だから宗教が必要なのか?」
 富田の以外な言葉に私は少々言葉を荒げた。私は私という他者だけを信じてきた。駄目になったら死ぬだけだ。それだけだ。
「生きていれば、色々ある」
 富田という奴は、激しく議論をすればするほど穏やかになる。ここがこいつのすごいところなのだが、相手にしてみれば本当にむかつくところでもある。俺はすかさず噛み付いた――
「当たり前だ! だからこそ自分を鍛えてそれに備えるんだろ?」
「弱いという表現は適切ではないかもな。生活云々ではなしに、人は人を愛さずには生きられないということさ。一人では決して生きられないという点において人は脆弱なのだ。愛と信は、同じものだ、形相が違うだけで」
「……」
「これは、体験して腑に落ちれば、あまりにも自明なことなのさ」
「いつわかるんだ?」
「必ず出会うよ」
「女か?」
 俺はお母さんを思い浮かべた。
「谷内がストレートならな」
 そして、今度は宗田君を。
「ばか……。……待てよ、ということは、お前にはいるのか?」
「ああ、妻がいる。1歳になる息子も」
 私は絶句した。

                               つづく
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「スコア300in1984」&混ぜーるさん、こんにちは

2010年08月30日 | Weblog
 増岡の妹のことは、全く知らないし、顔をあわせたことすらない。それなのに、なぜこんな気持ちになるんだろう?
 と、その時、胸の奥から、何かが、こみ上げて来た。
 ジンジャーシロップを入れたホットドリンクのようにほっとする、あたたかな……何かが……
「増岡、とも、こ……、だっけ? ん、……チ、チ? チ……K,k,ko……コ……子?」
 途端に、グワーンと眩暈がした。
 ぐわっ、何じゃこりゃ!!
 うわ、このままじゃ頭がおかしくなる、ストップ、何も考えるな、何も、一切、考えるな!
 俺はムンクの叫びフェースをしたまま、台東区役所に飛び込んだ。本当は、病院を出たその足で上野警察署に自首しようとしたのだが、吐き気と、めまいと、発狂の恐怖で、つい、警察署の手前にある役所に駆け込んでしまったのだ。
「おじさん、助けて!」
「どうした?」 
 受付にいた、バカボンのパパそっくりのおじさんがあわてて返事をした。
「頭がおかしいんです!」
「え、頭? 何かにぶつけたのか?」
「じゃなくて、やりたくないことをやってしまうんです!」
「……やりたくないこと?」
「ぶんなぐりたくないのに、人をぶんなぐっちゃうんです!」
「うん、それでいいのだ」とはおじさんは言わなかった。
 そのかわり、お隣から、ものの30秒で警官が来、あっという間に、東大病院の精神科に入院させられた。


 3日後、その日、名古屋から帰ってきたお母さんが面会に来た。
「直君、退院したら帰ってらっしゃい」とお母さんは穏やかに、やさしく言ってくれた。
 それなのに、俺はただ下を向いて、首を振るしかなかった、何を言ったらいいのか検討もつかなかったからだ。
 だって、そもそも、なんで宗田くんにあんなことをしでかしてしまったのか、さっぱりわからないんだから。
 おまけに、宗田くんに、土下座でも逆立ちでもなんでもして、今すぐにでも飛んで帰りたいのに、「絶対に帰っちゃいけない!」という絶対意思(神)が、特大の漬物石のごとく、俺の存在全体を抑え込んでいるんだから。
 ああ、俺は、とうとう気が狂ったんだ、きっとそうだ。一生、東大の閉鎖病棟に閉じ込められるんだ。
「……僕は、宗田君に暴行を働きました」
「ええ……。なぜなの?」
 俺は正直に話した――宗田君が俺のことを好きだということから、名前は忘れてしまったが、宗田君が学校の女の子と無理やりセックスしたことまで――でも、それは暴行の引き金であって、根本理由は自分でもさっぱりわからないという、本質的な一点を除いては。
「このまま家にいたら、宗田君との関係は、ますますおかしくなって拗れていきます」
「出て行きたいのなら、それでも……いいわ、でも、今までどおり、経済的な援助はさせてもらうわ。ね?」
「駄目です!」
「なぜ?」
「今助けてもらったら、僕は一人で生きていく力を失い、絶対に、絶対に、あなたのところに帰りたくなってしまいます。今、関係を切らなければ、将来、必ずおかしなことがおこります。わかるんです。だって、俺は、俺は、あなたを……愛……」
 間髪なく――、
「わかったわ」とお母さんに遮られた。
 お母さんは、綺麗な眉間に細い皺を寄せて、鼻から浅く嘆息し、俺から目をはずし、お土産に持ってきた梅園の箱を見て言った。
「……食べてね」
 その夜、俺は、泣きに泣いた。
 一週間後、俺はあっさり退院させられ、一端相談所に引き取られ、家裁に呼ばれた。
 本来なら、保護処分を免れないほどの事件を起こしたわけだが、お母さんの懇願のおかげ で、鑑別所にすら行かずに済んだ。
 俺は新宿の養護施設に入所した。中学は勿論転向した。そして、養護施設に世話になりながら、都立戸山高校に入学した。高校入学と同時に新聞販売店の寮に入り、毎日、2時半に起きて新聞配達する日々が1年半ほど続いた。
 こうなったら、絶対に、東大に入ってやる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 睡眠不足と、契約時間外の仕事まで強いる店主の横暴にも耐え、俺は勉強しまくった。


 突然、お母さんが亡くなった。
 そして、あいつも……
 高校二年、16歳の時だった。
 お母さんの死は、日本中の誰よりも早く見る朝刊の一面で知った。
 その途端、腰が砕けて、気が遠くなりかけたが、括約筋と丹田に力を入れ、大きく息を吸い、「くほーーーー」と吐き出す空手の呼吸法で意識を繋いだ。関根勉がよくやっているやつだ。
 新聞を配る前に、朝日に向かって、手を合わせた。
 何故か、この日の早朝の空はライスダールの画のごとく壮大で、赤と青とプラチナの織り成す大パノラマが天空を覆っていた。そのあまりにも絵画的な美に、神の恣意を感知してしまい、全身の産毛までが総毛立ち、胸がいっぱいになった。俺は人生のあまりの儚さと自然の圧倒的な美しさのコントラストに、言葉を失った。

 高校に行くと校長室に呼ばれた。養護施設の先生もいた。その先生から、「昨日、刑が執行されました」と言われた。悲しくはなかったが、嬉しくもなかった。
同じ日に最愛の人と憎んでも憎みたりない畜生が死んだのだ。ただそれだけだった。


 死ぬほど迷ったが、香典だけ送って、葬儀には行かなかった。今更、宗田君に合わせる顔はない……
程なくして、宗田君から香典返しの品と手紙が来た。
「拝啓。ご無沙汰しております。(略)。直ちゃんに鼻をへし折られたおかげで、顔つきに迫力が出て、皆に一目置かれるようになり、学校でいじめられなくなりました。これぞ、本当の怪我の功名です。(略)。お酒が母の命を奪いました。直ちゃんがいなくなった後、お酒の量が尋常じゃなくなっていたんです。母は直ちゃんのことが大好きでした。死ぬ間際まで言ってました、直君、今頃なにしてるかなって。残念です。いつか直ちゃんと笑顔で再会できる日が必ず来るような気がします。それまでお元気で。それと、母の直ちゃんへのプレゼントを断らないでください。母が悲しみます。敬具」

                                  つづく
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「スコア300in1984」&ヤスさん、混ぜーるさん、unknownさん、砂糖牛乳さん、こんにちは

2010年08月19日 | Weblog
 信号は再び赤になった。俺と増岡は並んで立った。信号待ちしながら、俺は頭の中でシュミレーションしていた。
 横にいるこいつの喧嘩をたまたま見たことがある。それも、複数のヤクザ相手の。安楽天横の路地で。
 こいつの身体能力は半端なかった。まるで、琉球唐手の達人のような身のこなしだ。どっしりとした下半身と自由自在に動く上半身。勘だけで、日本武道の極意である合気を掴んでいるのだろう。こいつがアカデミックな武道を始めたら、間違いなく世界チャンピオンになる器だ。あの時も、見るからに百戦錬磨のヤクザ相手に秒殺だった。立ち技で対峙したらいくら俺でもどうなるかわからない。しばらく組み手で様子を見て、タックルで寝技に持ち込もう。
 だが、一つ困ったことがあった。実を言うと、俺はこいつがきらいじゃなかった。多分、こいつも俺のことが嫌いじゃないだろう。話したことも無いのに、というか、なにかしらの本能で、3年間お互いを避けてさえいたのに、俺はこいつのことを認めていた。
 しかし、武人が一端やると決めたからには、相手が熊だろうが、トラだろうがこいつだろうがやるしかない。
 信号が青になった。俺たちは横断歩道を渡り始めた。
後ろから、血の気を失ってブラックアウト寸前の宗田君がよろよろついてくる。
 程なく、正覚時裏の資材置き場に着いた。
 俺と増岡は、一間程の間で対峙した。事を始めるに当たり、俺は当然の疑問を口にした。命のやり取りをするからには、お互い納得ずくでなければ遺恨が残る。
「宗田とお前の妹に何があったんだ?」
「このチンカス野郎は、妹を手篭めにしやがった」
「手篭め?」
「2年の増岡知子だ……。こらっ!」
 後ろにいる宗田君の肩がびくんと跳ね上がったのが気配でわかった。俺は振り返り、宗田君の目を見た。
「……宗田君?」
「クラスの後藤君が、2年5組の増岡知子に頼めば出来るって言うんで……」
「まさか、本当に……やったの?」
「だって、直ちゃんが……、うん、でもね、ちっとも……」
 次の瞬間、俺の鉄拳が宗田君の顔面に飛んでいた。何発も何発も。みるみるうちに宗田くんの顔はぱんぱんに膨れ上がっていく。
 ええ!? 
 なんで俺は宗田君をぶんなぐっているのだろう、こんなにか細く、か弱い、カゲロウの様な宗田君を、自分で自分がわからなかった、だが止まらない、あっという間に、彼の顔は、紫色の、呪いのブードゥー人形に早代わりした。
「ばか、それ以上やったら死ぬぞ、おいっ、おいっ!!」
 増岡の奴が俺を羽交い絞めにして叫んでいる。
 ようやく俺は自分を取り戻した。そして、増岡の呆然としている顔を尻目に、宗田君をさっさとおぶって病院へ向かった。
「……ううう、どうしてなの?」
 背中で宗田君がうめきながら聞く。
「……」
 俺は小刻みに首を左右に振るしかなかった。
 俺は激しく動揺していた。人は自分の行動を理解できないときほど動揺するもんだ。そして、それが今だった。
 俺は何をしてるんだ? 
 走りながら何度も自問したが、自分の心相手に暖簾に腕押ししているような、なんとも言えない収まりのつかない感覚に襲われた。おぞましいだけのスプラッタ映画を見たときのような気色悪さが、下腹から這い上がってきた。
 稲荷町の永寿病院に1分で到着した。
「急患です。整形の先生をお願いします」
 俺は、たまたま玄関にいた、あき竹城似の看護婦さんに向かって叫んだ。
 あきさんは、あわてて医務局へ飛んで行った。おれは受付のベンチにそうっと宗田君を下ろすと片膝をついて言った。
「本当にごめん。なぜ、こんなことしちゃったのか、自分でもわからないんだ。さよなら宗田君、さようなら……」
 俺はやおら立ち上がり、病院を出ていこうとした――
 途端、首をぶんぶん振り、血を四方に撒き散らしながら宗田君は俺の腰に抱きついてきた。
「僕が女の子とやっちゃったから、ショックだったんでしょ、ね、そうなんでしょ、直ちゃん?」
 いや、それはその通りなんだけど、そういうことじゃないんだ。
 ややこしいな……
 俺は、身を屈めて宗田君をやさしく抱きしめた。そして、
 鼻と口から、だらだら血を流しながら追いすがるブードゥー人形、じゃなかった、宗田君を静かに振りほどき、病院を出た。
 ああ、なぜこんなに胸が痛むんだ……俺の中で、一体何が起こっているんだ?
 
                                    つづく
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「スコア300in1984」

2010年07月22日 | Weblog
 だが、彼女、じゃなかった、彼まで1メートルの距離に来た時、彼女の、じゃなかった、彼の目を見て、はっとした。お母さんの水晶体はオニキスで、彼のはダークグリーンのガーナイト、別人なんだ、そして、男なんだ。
 はっとしたついでに、何をトチ狂ったのか、俺は素っ頓狂な裏声で言い放った。
「いやいや、君、思春期の友情と男色(男色?)を混同してるんじゃないのか? まず女とやってみ。それから自分が何者なのかを考えたほうがいいぜ」と。
 いくらなんでも、女装している、というより、心ははっきりと女性の宗田君に、何を言っとるんだ? 言ってることが、タイミングと音程も含めて苦しすぎる。
「やってみて、やっぱり女の子がだめだったら?」
 やたら素直な宗田君は、俺の中身の全くない話に乗ってしまう。いや、ここは、言葉いらないだろ、そのまま俺に抱きつけば、俺は、つい、お母さんそっくりの君に手を出してしまうかもしれないのに。
 だが、そんな助言をするわけないもない俺は言った。
「まあ、そしたら俺も真剣に考えるよ、君との関係を」
 苦しいを通り越して、空疎な言説を続ける俺。女の子と出来るわけのない宗田君に無茶振りだ。だがまあ、時間稼ぎにはなる。
「本当?」
 だから、素直に乗ってくるなっての! 押しだよ、押し!
「本、当……。じゃあ俺寝るから」
 すかさず、俺は沖縄出身の空手師範から教わった、泊手ナイハンチの華麗な足捌きで、優雅に踵を返した。
「わかった。直ちゃんが、そう言うなら……」と宗田君が言ったのは、俺が部屋を出て行った後だった。
 自分の部屋に戻ると、この先考えられる全ての可能性を吟味してみた。
この時点で俺は、東大法学部を卒業して弁護士になるつもりだった。個人営業で、一生出来、腕次第で業績を上げられ、社会に貢献できる職業として、単純に思いついたのが理由だ。単純だが、いい加減ではない。経験から、動機は、単純な直感から導き出されたものが一番力があるということを知っていたから。    
 だが、後から気がついた。お母さんの顧問弁護士になればお母さんの傍に一生いられる。それが本音の王様だったと――
 まあそれは置いといて。実はこのとき俺は、柔道で明大中野高校に誘われていた。特待生になって学校の寮に入れば、自立への第一歩になるし、宗田君とも、……今は、お母さんとも距離を置ける。
 よし、これで行こう!
 顧問弁護士からボディーガードへ路線変更だ。オリンピックで優勝して……、それは、ちょっとハードル高いな、日本選手権で優勝して、お母さんと釣りあいの取れる男になるのだ。
 俺は、晴れ晴れとした気持ちになった。


 三学期が始まって三日後。
 俺は早速担任の山崎先生に明大中野進学の意思を告げ、山崎先生も了承し、そのように計らってくれることを約束してくれた。   
 進路も決まり、上機嫌だった俺とは対照的に、この日の宗田君はやけに元気が無く落ち込んでるようだった。だが、悩みは、自分の中で処理できるものならしたほうがいいのだ。それが出来なきゃ相談してくるだろう、いずれにしろ、安易な助言ほど個人の自律を犯すものはない。ここは黙っていよう。面倒だし(本音)。
 だが、下校の途中、菊屋橋の交差点で信号待ちをしている時、青白い、を通り越して、コメカミの毛細血管まで透けて見える顔をした宗田君につい言ってしまった。
「宗ちゃん、どうした?」と。
 観念なんて、いつでも空しい……。
「ううん、なにも」と言いつつ、宗田君が潤んだ眼をして俺を見上げた途端――
「宗田、面かせや」と誰かが後ろで言った。
 信号が青になった。
 誰?
 振り向く俺。
 逆三角の黄金色の目。トラ? いや、人だ。
 あー、なんだ、7組の増岡君か――。
 じゃなくて!
 ……増岡隆二。
 こいつは脳みそまで鋼の筋肉で出来ている、トーキョーシタマチジャングル最強の肉食獣だった。そして、しゃれの通じない、交渉術は全く無意味な相手だった。俺は宗田君の前に立ち、単刀直入に聞いた。
「何のようだ?」
「妹のことで用がある」
 背中で、宗田君が突如呼吸困難に陥り、呼吸音が過呼吸的スタッカートになったのがわかった。
「彼女、彼女、増岡君の妹、だったの? 嘘、嘘……」
 人事不省寸前の宗田君は熱に浮かされたようにつぶやいている。増岡の妹と何かあったな。で、増岡はその落とし前をつけに来たわけだ。何があったか知らないが、事前リサーチくらいしろよ馬鹿! はあ〜、面倒なことになったが、こいつが相手じゃ、後先考えずにやるしかない。ひょっとしたら、命のやり取りになるかも……。直感がそう言う。だが、お母さんに誓ったのだ。命を懸けて宗田君を守ると。
「俺が相手になる」
「谷内か。いつかはお前とやらなくちゃならねえと思ってたんだ。いいだろ。」
「どこでやる?」
「正覚寺裏の資材置き場」
「わかった」

                                 つづく
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「スコア300in1984」&混ぜーるさん、いつもありがとう。

2010年07月08日 | Weblog
 と、
 その時、
 内線電話の呼び鈴が鳴った。
 宗田君がお母さんを呼んでいるのだ。
 お母さんの表情がサッと変わった。
 俺はすかさず、
「ブランケット、……掛けました、寒そうだったんで」
 と、言ってしまった……。
 WHY?
「……ありがとう、直君」
「……いいえ、おやすみなさい」
「おやすみ、直君」
 女人の眼睛の魔力から開放された俺は、お母さんを欲するマグマのような衝動を押さえ込んで、部屋を出て行った。
 部屋に戻ると、あそこがかっちかちの石になっていた。俺はなんだかもったいないような気がして、マスターベーションをせずに、布団に入り、睾丸から下腹に巡る柔らかな快感を味わいつつ深い眠りに入っていった。
 寝入り端、心に誓った。
『この愛を絶対に壊さない。だからもう軽はずみはしない。お母さんを、男として守れる日が来るまで』――と。
 

 さて、中学生最後の冬休みになった。
 お母さんは中日劇場の新春公演で家を空けている。
 まずい……
 実は、最近、困ったことが起こるようになっていたのだ。
 お母さんが家にいない時、宗田君がなにかと触ってくるのだ。その行為はここ数日ますますエスカレートして、さりげなく股間を触ってくるようにまでなっていた。なにか、お母さんに対する俺の好意をうすうす感じとっていて、お母さんに嫉妬している節もある。おかげで、家全体が少しギクシャクしているようでもあり、俺は、自分が原因で親子関係にひびが入ることを怖れ、適当にやりすごしていた――のだが……
 近頃なんか、ざわっとした予感がする。
 いやいや今は、兎に角勉強第一だ。煩雑な事はごめんだった。早く偉くなって、どうどうとお母さんに求愛できる男にならなければならない。
 あの日はたまたまだったのだ。疲労とお酒で、お母さん自身、少し『おかしく』なっていたのだ。もうお母さんは俺をああいう風に受け入れてはくれないだろう。18ある歳の開きは、自分が一人前になることで、堂々と乗り越えるのだ。それは、今の、俺の努力に掛かっているのだ。
 だが待てよ。
 俺がお母さんと一緒になったら宗田君は、俺の息子になるわけで、……これは随分と複雑なことになるな、自分の好きな、それも同級生が、自分の父親になったとしたら? 一体宗田君はどうなってしまうのだろうか……、そして、この家は? 3人の関係は?
 俺は、懊悩した。
 そして、冬休みも終わりに近づいたある日。予感が現実となった。
 その日は、午前を講道館の稽古に当て、午後はずっと受験勉強に当てていた。学校が休みのときは、8時間勉強して、水を飲んで寝るのが日課だったのだ。
 予定の8時間を終了し水を飲みにダイニングに行った俺は、ソファを見てドキッとしてしまった。名古屋にいる筈のお母さんが座っていたのだ。だが、なんか雰囲気が違う。尚もよく見ると、なんと、彼女は、宗田君だった。いや違う、女装した宗田君だった。
 かわいいピンクのバラのワンピースに、多分、お化粧して付け毛までしている。それよりなにより、お母さんそっくりだ。つまり、えらい別嬪だ。俺は唖然としつつも、彼女、じゃなかった、彼に吸い寄せられていった。

                                つづく
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「スコア300in1984」&ミー君、混ぜーるさん、こんにちは。

2010年06月29日 | Weblog
 そうこう生きているうちに、あっという間に中学3年になった。
 秋も深まったある日、宗田君は風邪を引いた。宗田君は、外見の印象に違わず病弱だった。ちょっとした風邪を引いても4、5日は寝込んだ。
 この日、お母さんはたまたま家にいて、夜遅くまで宗田君のために起きていた。
 お母さんは、何事にも一切手を抜かない人で、全国公演の合間の貴重な休みだというにも関わらず、一日中献身的に看病していたのだ。
 宗田君は赤ちゃんのとき、インフルエンザで死にかけたことがあるとかで、お母さんは宗田君の健康に人一倍気を使っていた。それなのにしょっちゅう風邪を引く宗田君は親不孝もいいとこだった。
 俺は放課後、空手道場へ行き、帰宅後一時間で食事と風呂を済まして勉強をしていた。きっかり4時間勉強をして、水を200CC飲んで寝るのが習慣だった。
 だだっ広いダイニングに行くと室内は薄暗く、お母さんがソファで転寝していた。見るからに疲れ果てて熟睡しているようで、俺は冷蔵庫の扉をそっと開けて、水が入っているボトルを取り出して飲んだ。室内を見回すと、ブランケットが一人がけのソファに掛けてある、俺はそれを手に取り、お母さんに掛けてやるつもりで近づいた。ソファの縁に来て、抱えていたブランケットを、諸手を挙げた招き猫のようにして持ち上げ、腰を屈めた時――
 俺は、その格好のまま固まってしまった。
 お母さんの顔を見た途端、
 なんてきれいなんだろう……と見惚れてしまったのだ。こんなに疲れていて、しかもすっぴんなのに、少女のように華やいだ気が香り立っている。肌はすべすべしていてピンク色、睫毛はこれでもかと長く、毛先がカールしている。唇は完熟トマトのように濡れた赤色を滴らせ、鼻は高くもなく低くもなく、すっきりとした鼻梁の先に、ツンとしていながらいやみのない鼻柱と鼻口が……、ああ、そして、中は……、中は!
 ……どうなっているんだろ!?
 俺は、なにをトチ狂ったのか、どきどきしながら鼻の中をのぞいた。
 入り口はきれいに脱毛処理されていたが、奥に鼻毛を発見した!
途端――、心臓がガクンと大不整脈を発生した、なんか、見てはいけないものを見たような気がして、強烈な罪悪感と興奮に包まれ、あそこが一気に膨張してしまった、なんという不謹慎だ、不束者だ! 
 と思えば思うほど、興奮は止め処なく上り詰めていく、俺は、生まれたはじめて、もう、どうなってもいいや的感情を経験した、そして、お母さんの唇に、自分の唇を近づけていった、どうでもいい割にはそうっと、息を潜めて――
 かすかにウイスキーの香りがした。お母さんの好きなブッシュミルズのシングルモルトの香りだ。
 そして、お母さんの唇到達まで1センチに迫った時、
 お母さんの目が、パチッと音をたてて開いた(ような気がした)。
 俺は再び固まった。
 お母さんは無表情だった。
 見詰め合ったまま、永遠の5秒が経過した。
 足音がした。
 俺は、あわててブランケットをお母さんに掛け、とっさにソファの後ろに身を隠した。
 佳代ちゃんだった。
「奥様」
「何?」
「ぼっちゃん、お変わりなく寝ています。佳代も床に入らせていただきます」
「はい、お疲れ様。おやすみ佳代」
「おやすみなさいませ」
 佳代ちゃんは俺に気づくことなく部屋から出て行った。
 俺は、そうっと立ち上がった。そう、まず立ち上がり、そして、改めて視線をソファに落としてお母さんを見た。お母さんは、予想通り、クリスタルガラスの目で俺の目をまっすぐに見ている。  
 俺の口はぱくぱく開閉して何かを言おうとするのだが、鳩尾に力が入りすぎ、息が吸えず、言葉を発声できない。
 再び、永遠の5秒が経過した。

「どうするの?」とおかあさんが言った。

 唇にモナリザの微笑みが浮かび、目の下は柔らかく盛り上がり、黒目は益々黒くなりながら、酔眼のような、とろりとした眼差しになっていた。
その瞬間、俺は、我を忘れ果てた。すうーっとソファの正面に回り込み、静かに膝を落とした。
 ああ、俺の顔の真下にお母さんの顔がある。俺は、再び、お母さんの唇に吸い寄せられていった。

                         つづく
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「スコア300in1984」

2010年06月17日 | Weblog
「谷内君の癖なんだよ。おいしいもの食べると必ずそうするの」
 へえ、そうなんだ。宗田君に言われて、自分の癖を始めて知った俺だった。
 それにしても、宗田くんのお母さんは不思議な人だった。
 映画では庶民派で売っているお母さんだが、間近で見ると流石に美人だった。
 下町のお姉ちゃん役を演じることが多くて、いつも髪の毛をひっつめにしている印象だったのだが、家では、緩やかにウェーブのかかった長い髪を無造作に背中に垂らしていた。そのお母さんの髪の匂いが、ほん、とーに、いい匂いで、俺は、『うっとりする』という感覚をこの家に来て始めて知った。そして、目が、異常に、そう、すーさまじくきれいだった。まるでガラスのような……、そう、クリスタルガラスで出来ているような目だ。猛禽類の剥製の目だ、つい、じいっと見入ってしまい、相手が生身であることを思い出し、我に返って恥ずかしくなってしまう、そんな目だった。宗田君の目はおかあさん譲りだったんだ。
 その一方では、妙に男気があるというか、よっしゃよっしゃが口癖の太っ腹な金満家のおっさんみたいなところもあり、また相手によっては、甘えた女の目から、図太いやくざの目に豹変したりするときもあったりして、まあ、本当に……、なんとも不思議な人だった。
「直君は、面白いね」
「んなことないっす」
「あたしに似ている」
「え、……そうっすか?」
「早熟で、親の勝手に振り回されて」
「……わかるんですか?」
 お母さんは、少し悲しげに宗田君を見た。実の親子なのに、世間的には叔母と甥で、兄の死後養子にしたことになっている親子。  
 他人には計り知れない複雑な血のクビキがあるのだろう。自分の人生を鑑みて、俺には痛いほどわかったが、少しとぼけた。
「ええ。でもね、これだけは知っておいてほしいの」とお母さんは続けた。
「はあ」
「四歳までに一度も愛されなかった子は、人間の心を創れないの」
「へえ」
「だから、あなたは、誰かに、確かに、愛された」
「いやあ、そんな人いません。思い出せません」
「記憶にないほど、昔、赤ちゃんだった頃、愛されたのね」
「そうなんですか?」
「駄目になりそうなとき、このことを思いなさい。私は、愛されたって」
「……はい」
 お母さんは、俺を一人前として扱ってくれた。嬉しかった。良い女に一人前扱いされると、男は、自分の『男性』を意識して、本当の男になれることをこのとき知った。
 俺は、お母さんの前で何かのフリをしたり、鎌をかけるのをやめた。つまり、小細工を弄することをやめた、全部お見通しな気がしたからだ。
 んなわけで、食事の後、単刀直入に交渉を始めた。
「僕は、養護施設に行きたくありません。そして、宗田君とも離れたくありません」
「谷内君……」
 宗田君の目が潤んだ。いや、そういうことじゃなくて……、まあ、いいや。
「一方――、」
「一方?」とお母さんがくすくす笑って聞き返してきた。
「宗田君が学校でいじめにあっているのをご存知ですか?」
 おかあさんの顔が途端に曇った。
「ええ、この子、はっきりとは言わないけど……」
「僕なら、宗田君を守ってあげられます。不良に指一本さわらせません」
 途端に、宗田君が口を挟んだ。
「お願い、ママ、谷内君をこの家においてあげて。そうすれば僕、いじめにあわずに済む。谷内君は、みんなから一目置かれているんだ、強いんだ、ね、僕のために、お願い」
 ナイスフォロー! よし、間髪入れずに、畳み込むぞ。
「お願いです、宗田君を命を懸けて守りますから、高校卒業まで、この家に住まわせてください」
「君は頭のいい子ね。君みたいな子大好きよ。いいわ」
 やった!
「大学は、奨学金制度で通う計画です」
「遠慮しなくていいのよ。好きなだけいてくれていいのよ」
「必要以上に他人に甘えたら、人間がダメになります」
 俺はきっぱりと言った。
「ふーん、偉いわ、男ね」
 心底感心して、お母さんはうなずいた。お母さんに褒められて、俺は誇らしくなった。良い女に褒められると、男は真の誇りを感じることを、このとき知った。 
 翌日、早速お母さんは児童相談所へ行き、里親の手続きを取ってくれた。国民的スターの威光は絶大だった。普通なら何ヶ月も掛かる審査があっという間に通った。俺は、11歳にして、宗田家の一員になった。
 宗田家で暮らすようになって以降、俺は、体を張って宗田君を守った。必死な人間は強い。おまけに、病的に凝り性な俺は、格闘技関係の本を区立図書館で読みまくり、(歓喜する宗田君相手に)試しまくり、実戦で、相手にダメージを与えず勝ちを収める古武道、柔術の技を会得した。そして、中学入学と同時に、上野の極心空手の道場と、柔道の大本山、講道館に通い、どちらも一年で黒帯をとった。勉強も怠りなく精進し、体育、家庭科も含めオール5の、教師の覚え目出度き優等生として、学校の有名人となった。

                               つづく
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