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東電福島原発事故 検証委員会 中間報告-2

2012-01-07 11:00:17 | 川内原発

 政府の東電福島第1原発事故 検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)は2011年12月26日,が中間報告を公表した。

 中間報告では,稼働中の1―3号機は緊急停止し,原子炉を冷却する機能が失われるという緊急事態の中で、首相官邸は、監督官庁の経済産業省原子力安全・保安院は、東電本店は、福島第1原発内では、誰がどう行動したのか。同委員会は関係者456人に概算900時間かけて聞き取り調査を行った。

◇福島第1原発:東電ミス連鎖で深刻化と指摘 - 事故調中間報告書

 東京電力福島第1原発事故の原因などを調べてきた政府の「事故調査・検証委員会」(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)は26日,中間報告書をまとめた。それによると,炉心溶融を防ぐための冷却装置への東電の対応に問題があったと認定し,「極めて遺憾」と指摘。政府の対策本部が機能不全に陥っていたことにも言及した。

 検証委は2011年6月から調査を開始。原因解明に主眼を置き,責任は追及しない方針を打ち出し,12月半ばまでに関係者456人から延べ約900時間聴取した。時間的な制約で閣僚の聴取は終わっておらず菅前首相ら官邸中枢の具体的な関与などは2012年夏の最終報告書に盛り込む。


<第1章>はじめに

  当委員会は,事故の原因と被害の原因を究明する調査・検証を行い,被害拡大防止と事故再発防止に関する政策提言を行うことを目的として,五月二十四日の閣議決定で設置された。来年夏に最終報告を取りまとめる。
 
<第2章>事故の概要

  三月十一日午後二時四十六分,マグニチュード(M)9・0の地震が発生し,津波の第一波は十一日午後三時二十七分,東京電力福島第一原発に到達した。主要建屋エリアはほぼ全域が浸水。浸水高は一一・五メートル~一五・五メートル。運転中の1~3号機は自動スクラム(緊急停止)が達成されたとみられるが,地震と津波でほぼ全ての交流電源が失われ,原子炉や使用済み燃料プールが冷却不能に陥った。
 
<第3章>組織的対応状況
 
 ▽国の対応

 政府は同七時三分,原子力緊急事態宣言を出し,原子力災害対策本部を首相官邸に設置。官邸五階に菅直人首相や閣僚らが集まった。

 経済産業省の緊急時対応センター(ERC)に原災本部事務局が置かれたが,原子力安全・保安院は,東電のテレビ会議システムを導入する発想がなく,東電本店に職員も派遣しなかった。東電に「情報を早く上げてほしい」と指示,時宜を得た情報収集をせず,指導,助言も遅れ,決定に影響を与えることはほとんどなかった。
 
 官邸地下の危機管理センターには保安院や関係省庁の局長級の緊急参集チームがいたが,官邸五階の首相執務室の決定を十分把握できなかった。

 ▽発電所との連絡

 官邸五階では東電の武黒一郎フェローらが本店や福島第一原発の吉田昌郎所長に電話し,助言していたが,ほとんどの場合,既に吉田所長が具体的措置を講じていた。情報は限られ,武黒フェローは1号機の爆発をテレビで知った。菅首相は内閣官房参与に小佐古敏荘東京大教授を任命したが,助言が組織法上明確でなく,混乱が生じた。
 
 ▽オフサイトセンター

 福島第一原発の免震重要棟の保安検査官ら五人は十二日,現地対策拠点オフサイトセンターに退避。四人が再派遣されたが,3号機の爆発などで十四日,再び退避した。オフサイトセンターには保安院,文部科学省,原子力安全委員会,防衛省以外の省庁は当初,職員を派遣しなかった。緊急時対策支援システム(ERSS)のデータを入手できず,放射性物質を遮断する空気浄化フィルターもなかった。現地対策本部は原災本部の一部権限委譲の告示がないまま各種決定をした。
 
<第4章>発電所における事故対処
 
 ▽IC手動停止

 発電所では対策本部が免震重要棟に置かれ,本店とテレビ会議システムで情報を共有した。

 1号機は原子炉を冷やす非常用復水器(IC),2号機,3号機は原子炉隔離時冷却系(RCIC)が起動した。十一日午後三時三分,運転員が1号機のICを停止させた。その後三回起動させ,原子炉の圧力を調整した。
 
 地震発生直後,ICの機能を損なうような配管破断はなかったと考えるのが合理的と思われる。

 ▽津波到達

 津波で海水系ポンプや原子炉建屋,非常用発電機などが水をかぶった。吉田所長は考えていた過酷事故をはるかに超える事態に,とっさに何をしていいのか思い付かなかったが,まず法令上の手続きをしようと考え,同三時四十二分「全交流電源喪失」発生を官庁に通報した。1号機,2号機の注水が確認できず,同四時四十五分「非常用炉心冷却装置注水不能」を報告した。同五時十五分,発電所対策本部は,1号機炉心露出まで一時間と予測した。
 
 ▽操作経験なし

 1号機ICは電源喪失によって機能をほぼ喪失した可能性が高い。同五十分,運転員がICの確認に向かった際,放射線量が上昇。既に炉心の露出が始まっていた可能性がある。1号機の全運転員はIC作動の経験がなく,応用動作ができる訓練を受けていなかった。
 
 同六時十八分,発電所対策本部と本店は,ICの弁を開けたとの報告を受け,ICの作動を認識した。しかし,それまで弁が閉まっており,ICが作動していなかったことを理解した形跡はない。
 
 ▽保安検査官

 保安院の保安検査官は十二日未明まで免震重要棟二階にいたが,緊急時対策室横の会議室にとどまり,データをオフサイトセンターや保安院に報告するだけで,指導や助言もせず,事故対策に全く寄与しなかった。
 
 ▽IC作動誤認

 電源喪失時にICの弁が閉まる機能は基本的知識で,電源喪失した時点でICが機能していないという問題意識を抱く契機は十分あったのに,作動中と誤信していた。

 1号機は十二日午前二時四十五分,原子炉の圧力が低下。炉心溶融が相当進んでいた可能性が高い。同四時以降,消防車を使った注水を開始。水槽の淡水がなくなった午後二時五十四分,吉田所長は海水注入を指示。同三時半に準備を終えたが,直後に1号機原子炉建屋が水素爆発した。注水が遅れた一因はICの作動状態の誤認識にある。
 
 ▽ベント準備

 十二日午前七時十一分,菅首相がヘリコプターで到着。吉田所長は同九時をめどにベント(蒸気を放出して圧力を下げる措置)を実施すると述べた。午後二時五十分に格納容器の圧力が低下,ベント成功と判断。ベントに時間がかかったのはICの作動状態の誤認に起因すると考えられる。
 
 ▽海水注入の中断指示

 十二日午後三時三十六分,1号機で水素爆発が起き,作業員は免震重要棟に退避。吉田所長は同五時二十分,海水注入に必要な作業の再開を決断した。消防ホースが損傷,引き直しが必要だったが,同七時四分,注入できるようになった。海水注入開始は同七時十五分までに官邸の緊急参集チームに伝達されたが,官邸五階の菅首相,武黒フェローらには伝わっていなかった。
 
 吉田所長は武黒フェローからの電話に「もう海水の注入を開始している」と回答。武黒フェローは「今官邸で検討中だから待ってほしい」と強く要請し,注水は試験注水と位置付けることにした(その後,菅首相が海水注入を了解して武黒フェローは試験的注水の説明をする機会を失った)。
 
 吉田所長は本店に相談したが,中断もやむを得ないという意見だった。しかし自己の責任で継続を判断し,担当者を呼んでテレビ会議のマイクに入らないよう小声で「これから海水注入中断を指示するが,絶対に注水をやめるな」と命令,その後,対策室全体に響き渡る声で中断を指示した。
 
 ERCは東電本店から中断の連絡を受け,官邸の参集チームに伝えたが,五階の首相らに伝達されなかった。その後,武黒フェローは首相の了解が得られたと連絡,あらためて吉田所長は同八時二十分再開を指示した。
 
 ▽3号機の注水停止

 十二日午前十一時三十六分に3号機のRCICが停止した後,午後零時三十五分に高圧注水系(HPCI)が起動。低い回転数での運転が続き,設備が壊れることを恐れた運転員は,安定した経路から注水するため,十三日午前二時四十二分,HPCIを手動で停止した。停止は一部の話し合いで決められた。同三時五十五分吉田所長は報告を受け,停止を知った。
 
 代替注水手段は確保できず,HPCIも再起動できないまま七時間近く経過。圧力上昇,炉心損傷が進んだ。

 3号機の海水注入について,官邸五階で「海水を入れると廃炉につながる」「淡水があるなら,それを使えばいいのではないか」などの意見が出た。これを電話で伝えられた吉田所長は海水注入の作業を中断,淡水を全て使うよう注水経路変更を指示。現場では既に海水注入の準備ができていたが,がれきに埋没した防火水槽の取水口を探し,淡水の確保に努めた。
 
 午前九時二十五分,淡水注水を開始したが,午後零時二十分,淡水が枯渇。注水経路を切り替え,海水注入が開始されたのは午後一時十二分。注水が途切れた上,線量の高い中で作業員に余分な作業をさせることになった。
 
 ▽建屋の水素爆発

 本店や現場では格納容器の水素爆発の危険性は意識していたが,水素が建屋に充満し爆発する危険は考えていなかった。

 1号機水素爆発で,吉田所長は地震かと考えた。その後,タービン建屋にある発電機に封入された水素が爆発したと考えたが,タービン建屋に壊れた形跡が見当たらないとの報告が入った。その後,テレビの映像で状況が把握できた。
 
 国内外の文献で以前に建屋の爆発を扱った文献は二件しかなく,国際原子力機関(IAEA)などで議論された形跡はない。

 ▽退避バスを手配

 十四日正午以降,2号機の水位低下が顕著になり,早期に注水をする必要があった。吉田所長はベント準備をして圧力の逃げ道をつくり,原子炉を減圧し,海水注入するよう指示した。
 
 官邸五階にいた原子力安全委の班目春樹委員長は吉田所長に電話で,ベント準備を待たずに減圧して注水すべきであるとの意見を述べた。吉田所長は本店と相談,ベント準備を急ぐべきだとの意見で一致。その後ベント準備に時間を要すると分かり,本店の清水正孝社長は班目委員長の意見に従うよう指示した。
 
 午後七時五十七分,連続注水を開始しても,原子炉圧力が上昇して注水できなくなった。燃料が全部露出していると考えられ,吉田所長は,溶け落ちた燃料が格納容器も貫通する「チャイナ・シンドローム」のような最悪の事態になりかねないと考えた。1号機,3号機でも作業が継続できなくなり,2号機と同様の事態に陥ると考えた。
 
 自らの死をも覚悟したが,免震重要棟にいた事務系の東電社員や協力企業の社員の人命を守らなければならないと考え,本店と相談,状況次第では必要な要員を残し,ほかは退避させようと判断。動揺を避けるため,総務班のごく一部に,退避用のバスを手配するよう指示した。結局,十五日午前一時台から継続的に注水可能となった。
 
 なお一連の事故対応で,原発にいる者全員を退避させることを考えた者は確認できなかった。

 午前六時,2号機の中央操作室に入った運転員が爆発音を聞いたため,幹部ら約五十人を残し,約六百五十人を福島第二原発に退避させた。

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 事故調査・検証委員会は,深刻な被害にいたった背景として,自然災害と原発事故の複合災害という視点がなく,政府や東電の備えの欠如があったと分析している。

 報告書は一連の事故で,(1)東電の対応(2)政府の対応(3)市民の被ばく防止(4)過酷事故(シビアアクシデント)対策--の4点で問題があったとしている。

 東電の対応では,1号機の冷却装置「非常用復水器」(IC)の稼働状況で誤解があった上,3号機の冷却装置「高圧注水系」(HPCI)の操作で不手際があったと分析している。具体的には,ICは津波到達後に機能を失ったが,現場ではICの役割を十分把握していなかった上に,吉田昌郎所長(当時)や本店は稼働していると誤解。誤解に気づく機会は何度もあったが見逃された。

 HPCIの操作では,運転員が吉田所長らの判断を仰がず,別の注水操作をしようとして稼働を停止した。その後,バッテリーがなくHPCIの再起動はできなかった。

 検証委は1,3号機で「より早い段階で現状を認識し,別の方法で注水に着手していれば炉心損傷の進行を緩和し,放射性物質の放出量は減った可能性がある」と分析。ただし,最善の対応が実施できても1,3号機の水素爆発が防げたかは判断が難しいと結論づけている。

 政府対策本部の問題では,原子力災害対策特別措置法に基づき,首相官邸の地下に官邸対策室が設置されたが,携帯電話が通じない上に菅直人首相(当時)らは官邸5階にいて,情報共有ができず円滑に対応できなかったと,指摘している。経済産業省原子力安全・保安院は,東電のテレビ会議システムの活用に気づかない上,職員を東電に派遣しないなど情報収集に消極的な姿勢を問題視している。

 このほか,放射性物質の拡散を分析し,被ばく防止に役立てる政府の「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)に言及。地震に伴うシステム損傷で本来の機能が発揮できなかったほか,暫定分析の公表も遅れたために,被災者の避難に混乱を招いたとしている。

 シビアアクシデント対策では,巨大津波の来襲を予想できたにもかかわらず実施していなかったことから,東電など電力事業者による自主的な運用には限界があるとした。

 一方,地震による重要機器の損傷は確認できないが,現場の調査が実施できていないとして最終判断は先送りした。

                                出典:「毎日新聞」「東京新聞」

畑村洋太郎氏(はたむら・ようたろう )

 失敗学の提唱者で、失敗学会理事長。昭和16年1月18日、東京生まれ。70歳。東大大学院修了後、日立製作所に勤務。その後、東大工学部教授を経て平成13年から工学院大教授。同年に畑村創造工学研究所を設立して代表となる。JR福知山線の脱線事故や六本木ヒルズの自動回転ドア事故など多くの事故を調査してきた。専門は機械設計。

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