世間知らず

毎日のやられっぷりを書いていこうかなと・・・

自滅する人々のこと

2005-11-07 | ニュース
ちょっと出遅れたけど、この記事を読んでみました。
あと何回このシリーズが続くのかわからないけど、全体として『起承転結』になっててレポート作成の参考になるのではないかと、ちょっと今までとは違う目線で読んだりもしてます。

ブログで自滅する人々(第1回)~ブログで「祭られる」人々 / デジタルARENA

ブログで自滅する人々(第2回)~「祭り」はこうして進行する / デジタルARENA

ブログで自滅する人々(第3回)~彼らはなぜ「祭られた」のか? / デジタルARENA

シリーズ名に『自滅』とあることから、松田 勇治さんが祭りや炎上はその対象となったご本人に原因があると思っていることがわかります。

第1回で取り上げている事例も含めて、今までいくつか祭り(炎上)をみました。2ch等で個人情報をさらしたり、その結果ブログやサイトへではなくご本人や職場、学校など関係するところへの『突撃』をしたりなどはやりすぎだと思いましたが、やはりご本人の発言や態度にまずは問題があるのでは??とは思いました。悪く言えば『自業自得』でしょうか。

松田さんも第3回で、祭りは 非常識・非道徳的な行為や言動を誇示したり、裏でコソコソやっていることがバレてしまった という至極当たり前なことが理由であると述べています。そしてさらに、それはネット上で公開されているか否かは問題ではない と書いています。
誰かがどこかで『目撃』した非常識な出来事が祭りの始まりとなるわけです。

非常識な人の非常識な言動は現実世界でも井戸端会議の議題になるでしょうが、ネット上ではそれは世界的国際会議の議題となってしまうわけですから・・・扱いも騒ぎも大きくなるというものでしょう。

それらの非常識な言動が『武勇伝』とか『都市伝説』とか『信じられないけど本当の話し』とか『世にも奇妙な物語』・・・等々で流行っては消滅し、消滅したと思ったらまた現れて『語り』継がれていくなら、たとえそれが事実であってもどんどんかたち(内容)は変わっていき、世代交代?が進むにつれて個人の特定も難しくなるでしょう。

でも、第2回で書かれているように、ネット上の祭りは恐ろしいことに 痕跡が永遠にネット上に残ってしまう のです。一字一句そのまま。それが実際どのくらい恐いことなのか、まだちょっと想像できないけど・・・1000年後、教授秘書で検索してもこのブログがヒットするって思うのと同じような感覚かしら・・・と思うけど・・・確かに想像したらちょっとすごいですよね。

シリーズ名にあるとおり『ブログ』に限定してもうちょっとだけ考えてみます。

第3回で、もし「ブログ」の何かが問題なのだとしたら、それを利用することで簡単に「Webサイト(らしきもの)」を作れるようになったことと、そこは「日記」もしくは「自らの見解」を公開する場所だという誤解が蔓延していること、さらに言うなら、あたかも「プライベートスペース」であるかのような錯覚におちいりやすいことではないだろうか。 とあります。

もしかすると、こういうのはちょっと日本人らしい部分なのかなと思ったりします。
日本は島国なので、海を越えないと他の国へ行くことができません。また、日本語は世界的によく使われている言語というわけではないので、英語をはじめ何か違う言語を使わないと他の国の人と話すことができないと多くの日本人が感じていると思うのです。

当然のことですが、国内でもそうです。
北海道ローカルのテレビラジオ番組があり、新聞や雑誌があり、食べ物があり、方言があります。『外』とつながるものは、それ以外の全国的な一般的な話題と思っている気がします。

日本人は『外の世界』は何かを越えないとたどりつかない場所と思ってるのではないでしょうか。今自分たちのいる場所は、世界的でも国際的でもない、ローカルな場所で、『外』とつながるためには今自分が使っている言葉、話題とは違う何かが必要と思っているような・・・そんな見えない壁のようなものを持っている感じかしら???

同じような感覚で、自分たちだけがわかることを自分たちの言葉で書いているブログは、外とはつながらない場所とみなしている人がたくさんいても不思議じゃありません。松田さんの言う『プライベートスペース』です。

当然『外』から見られているということも文字通り考えの外、意識の外、想定の範囲の外・・・

でも、ブログはTBやコメントという形で簡単に他のブログとつながっていきます。

AというブログがBというブログとTBでつながったとき、本来、外だったはずのBブログがAブログの『プライベートスペース』に入ってきます。そのとき、Bブログの『プライベートスペース』も取り込んでいます。そこまでは気がついているとしても、さらにBブログとTBでつながっているCブログ、CブログとつながっているDブログ・・・その全てが自分の『プライベートスペース』になっているとは考えていないでしょう。

そうなったらそれはもう全く『プライベート』じゃないはずなんだけど、それには気がつかないまま、自分のブログを運営していく・・・実際そういうブログ(とブログ主)がほとんどだと思うのです。

『自滅』する人とそうじゃない人で、この認識に大きな差があるとは私は思いません。第1回で書かれている事例Aのブクロキングさんもそう思ってたんじゃないかなと思ってます。でも、ほとんどのブログはあんなふうに炎上しないし、ブログ主が祭られたりもしません。

ちょっとでもメディアに関わったことがある、勉強したことがある、祭りを見たことがある、なんていう場合ももちろんあって、そういうときは『こういうネットの世界のことわかってたはずでしょう???』と思うわけで、事例Bや事例Eなんかはこっちのほうですね、きっと。でも、こっちに含まれると思われるいわゆる記者系ブログについて考えてみても、私の知ってるのはほんの少しですけど、どれも松田さんに事例として挙げられるような結果にはなっていません。

となると、両方に通じる点があるとしたら、やはり松田さんの書いているとおり『非常識な言動の無意味な誇示』という、結論としては至極当然のことが導き出されてしまうわけです。

長々ととりとめもなく書いてきたけれど、現実の世界で非常識な言動とみなされることは当然ネット上でもそうみなされるわけで、それがわからない非常識な人は祭りの対象になるのも当然なわけで、祭りとは松田さんの書いているとおり『自滅』なんだと確認したわけです。
だから、それは『身から出たさび』であり、『口は災いの元』だったわけであり、祭られた人に足りなかったのはネットリテラシーよりまずは一般的な教養かなとそう思ったわけなんです。

そして、改めて、気をつけよう・・・と思いました。
原因が『自滅』なら、気をつけようがありますもんね・・・たぶん・・・

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