Bonne Pêche !

フライフィッシングの釣行記録

カモのお尻の毛について1

2016-12-23 09:14:41 | フライフィッシング
CDCフライを初めて知ったのは、フライの雑誌の古い記事で島崎憲司郎氏がアイカザイムのタイイングを説明したのを読んだ時だと思います。さっそくCDCを買い込んで、苦労してアイカザイムを作り、前日光の川の春のライズで試しました。それからのCDCフライの進化、充実ぶりは皆さまご存知のとおりで、誰のフライボックスにもなくてはならないフライとなっています。

今更ですが、CDCとはフランス語のCul de Canardの頭文字で、「カモのケツ」という意味です。本来はCDCの前にPlumes(毛)という語が付いて「カモのケツの毛」となります。で、このCulという言葉はいわゆる卑語で、語学の先生のフランス人マダムからは、使わない方がいい言葉ですよ、と言われました。実際、フランス版グーグルでCulと打って、画像を検索すると、かなーりお下品な画像が出てきて、人に覗かれたら恥ずかしい思いをします。Culじゃなくて、Postérieur(尻)やCroupion(尻)といったもう少し無難な単語もあるのに何でCulを使ったのか。もしかしたら、これはスイスやフランスのフライフィッシングの生い立ちと関係するかも知れない。なんて、深読みしずぎカモ。


フランス、ムーシュ・ドゥボーのCDC。ジュラ山脈の麓にあるシャンパニョルの釣具屋で購入。


スイス産のCDC。パリの釣具屋で購入。


このCDCフライの歴史を遡っていくと、フランスとスイスとの国境に広がるジュラ山脈の二つの水源にたどり着くようです。先日マルク・プティジャンのHPを読んでいたら、そんな記事を見つけて興味深く読んだので、簡単にまとめてみます。

ひとつの流れは、ジュラ山脈北端、スイス北部ジュラ州にあるクルフェーヴルという村に向かう。フランスとの国境に近い標高460m、人口1,500人ほどの高原の小さな村。ここにルイ・ベアというフライフィッシャーがいた。彼は1942年にCDCフライの製造販売を始めた。日本が真珠湾攻撃を行い太平洋戦争の口火を切った翌年のことです。


ルイ・ベアは地元の農家兼製材業のマクシミリアン・ジョゼからCDCフライのタイイングを教わった。ジョゼは1920年代にはもうCDCフライを巻いていたという。1920年代は日本の大正時代。第一次世界大戦が終わり世界が一息ついた時代です。フランク・ソーヤーが生まれたのが1906年、リー・ウルフが生まれたのが1905年。芦沢一洋は1938年です。

当時、かの地ではCDCフライは「蚊針」と呼ばれていた。ルイ・ベアのフライは今でも様々な種類が販売されている。テイルとハックルにCDCが使われているフライだ。


ルイ・ベアは鱒釣りに行くために自分で巻いた「蚊鉤」を釣りに必要なものと交換したり、釣った鱒を売り歩いてお金にした。そしてその毛鉤の効果が評判を生み製造販売に至ったようだ。戦後、彼の「蚊鉤」の効果は評判になり販売されるようになった。売れ行きは良く、鴨のお尻の毛を求めて農場を尋ね歩き、かなり遠くまで行ったという。


もう一つの流れは、ジュラ山脈南部、レマン湖の北に位置するヴァロルブへと上っていく。当時、「蚊鉤」は「ヴァロルブのフライ」とも呼ばれていた。CDCフライの歴史に興味を持ったプティジャンは標高750m、人口3,000人ほどのこの町を調べた。ヴァロルブはクルフェーブルからフランス国境沿いにジュラ山脈を南西へ100キロほど行った町だ。ここにも腕の立つフライフィッシャーがいた。シャルル・ビッケル。やすり工場で働いていた。彼も1920年代からCDCフライを巻き始めた。その毛鉤は人気となり、ビッケルは毛鉤工房を開き、12名の従業員が働いていたという。



およそ100キロ、車で1時間ほどの距離だが、マクシミリアン・ジョゼとシャルル・ビッケルは出会っていなかったようだ。CDCフライの発明者は同じ時代に、二人して気難しいジュラの鱒と向き合う中で、庭先か、農家のカモのお尻の毛を試したのだろう。CDCフライは初めジュラ山脈のスイス側の川でデビューし、次いでフランス側の流域で大いに鱒を誘った。コックハックルフライよりも良く釣れると評判となり、その後大きく発展することになったのである。

とにかく、CDCフライの発祥地はスイス、ということのようです。でも、まあ、これはスイスの人のいうことなので、他にも意見があるかも知れませんね。




寒風の加賀FAで虹鱒を

2016-12-13 20:18:58 | フライフィッシング
12月10日(土)、ムッシューyamaと加賀FAへ虹鱒釣りへ。

いやー、寒かったです。
雲はなく日は差していたけど、「二荒おろし」というのか、「男体おろし」というのか、終日強い北風に悩まされました。



8時過ぎ、二人して陣取ったのは、3号池の手前側、2号池からの水が土管から流れ出す場所。
土管の上や左右にはルアーマンが5~6人いて、流れについた鱒をバンバン上げていました。

WF5番のフローティングラインに二コラのノッティッドリーダーを付けて、というかもう1年以上これ付けっぱなしです。なんだか秘密の液体で柔らかくしてあるとかいって、癖がつかず、先端部分とティペットさえ適時変えれば、何ら問題なく1年以上は確実に使える優れたリーダーです。1本14ユーロと値段はちょっと高いけど、価格以上の価値のあるリーダーです。

フライですが、往年の管釣キラーのグレーのオーストリッチニンフ。シマザキパターンとは違ってテイルがあって、もう20年くらい使っているフライをまずはパイロットフライとして選択しました。
土管からの流れが意外に強くて、フライが上ずって上手く沈んでくれないので、3Bのガン玉をひとつ付けると流れになじんでくれました。
ところが、ニジマスの反応はイマイチ。
で、次なる往年の爆釣フライ。今は無き渋谷キャンベルの山田店長に教わったタンカラーMSCピューパ。この日はこれが大当たりで、途中色々とフライを変えてみたけど、結局これにかなうものなし、でした。

魚は良く釣れました。




スペシャルポンドじゃないので、サイズはあれですが、いつまでも釣れるので寒い中、3時半まで頑張ってしまいました。
最後は7番デシューツ、シンキングラインで釣ってたムッシューyamaがきれいに釣り上げたところで終了。



耐寒強風訓練のような釣りでした。

帰りは、おなじみのアカサカ釣り具へ。
不足していた小物類を補充して、もういつでも渓流へ行けますが...。