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宗教の都合よさ

先日、こんな相談を受けました。ある家庭で大切な一人息子が病気で亡くなりました。母であるおばあさんは息子に先立たれて悲嘆にくれていた中、来訪者。
「息子さんは暗闇の中で悲しいと泣いておられます。私達と一緒に〇〇を信じてお祈りしましょう。そうすれば息子さんは救われます」
おばあさんはそう言われると気になって気になって仕方ありません。自分に何かできることがないか。そう悩んでいるうちに気付けば家に一式お参りセットが届けられて会費を収めて入信したことになってしまいました。

後日、娘さんが退会したい母の気持ちを代弁するために会員の方と話し合いをしました。しかし、こちらからもうこのセットはいらないと返そうとしても困ると拒否されてあげく私は息子さんと同級生ですといかにも縁ありげな言葉を述べる始末。
なんとか無理やり退会することができたが離れて暮らす母のことが心配と述べる娘さん。本当に困らせられたと述べていました。

私はもともとあまりにも極端でなければ教えとはだいたい同じ線で成り立っていると思うのです。それなので教えによって救われる人も多くいるはずだし、また自分の波長には合わないという人も現れるはずです。教え自体に問題はありません。
問題はその教えによる排他性や強迫観念。それと金銭的な無理強いなどが生じることです。どうしても組織ができると大勢の人が信者になります。その多人数な組織をまとめるためには多額な金銭が必要になる。そしてその金銭はどこからまかなうか。
やはり信者だと思います。
つまり教えは素晴らしいし、とても救われるけどなんだかお金がかかるし、縛られてしまう。

それが間違った宗教だと思うのです。人の弱みにつけこんでフリーズされた心を教えの名のもとコントロールしてしまう。教えを味方につけているからある程度のことはそこに直結させて考えてしまうのです。
自分の心も他の心もいいようにコントロールする都合のよさ。
おかしいとまわりから思われているのにもかかわらずに。

このことは宗教者である私自身にも言えることです。私もこの都合よさの魔に惑わされています。この魔とは最後まで戦うことになるでしょう。
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コメント
 
 
 
本当の救い (麗華)
2017-04-24 00:07:04
素晴らしい教えも一部の汚い奴ら(言葉が綺麗じゃなくてすみません。)のせいで間違った風にとらわれてしまうのは何とも言えない思いです。

人の病んでいる心の弱みにつけこむなんて最低です。絶対!絶対!!絶対!!!絶対!!!!無限に許せません。どうしたらそんな事が出来るのか本当に理解に苦しみます。

今回のおばあ様は毅然とした娘様のおかげで救われたようで本当に良かったと思います。

何かにすがり救いを求めたかったお気持ちはわからなくはありませんが、これからは娘様と支え合い悲しみを乗り越えて息子様の分も生きていただきたいと思います。

息子様が安らかに眠られますように..

今日は感情的なコメントになってしまいました。
本日(4/23)も1日お疲れ様でございます。
 
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