一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
一歩抜ける
私の家の金魚はとうとう四匹になってしまいました。先日、会社のイベントで娘が三匹すくってきたのでようやく水槽を買いました。安いものですが循環式なので水が汚れずになんだか楽をしています。
金魚でも性格があるらしく今年の夏から飼っている金魚(名前はようきち、娘がつけました)が水槽の中で自由奔放にふるまっています。一匹で飼っている時も餌をくれの自己アピールがすごくて変な金魚だと思っていました。とにかく他の三匹はようきちに振り回されているように見えます。
そういえば人間は三人いるとどうしても二対一になってしまい、人間関係がうまくいかないという話を聞いたことがあります。
行動するには二人が適していると戦争体験者の知り合いも話してくれました。その方は陥落した島でわずかに生き残った兵士の一人です。密林の中で仲間と逃げ回っている時に最初は三人だったが仲間割れになってしまったそうです。
ただ一対一もなんだか息苦しく思えるような気もします。私はお寺勤めの時にほぼ住職と一対一でした。もし同じような環境にある誰かがそばにいて行動できたらとつくづく思いました。
人間関係も抜けみたいなものが必要です。たまりができないようにするためです。たまりとは知らず知らずのうちにどっぷりつかることでできてきてしまいます。
よくあるのが「自分はがんばっている」「自分はこんなにやっている」
みたいな思いです。そうなるとゆとりというかあそびというか空間がなくなってしまいます。そこで他人の行動をいつも以上に赦せなくなってしまったり、努力が空回りしたりするのです。
でも一歩そこから離れてみればたいしたことありません。自分も他人も似たもの同士。それがつかりすぎると分からなくなってしまうのです。
物事は自分も他人も実力はそうは変わりません。重要なのはそれをつなぐ潤滑油みたいな存在になれるかです。
「がんばっている」
だけではダメなのです。
金魚のようきちは自分中心なのか天然なのかわかりませんが水槽を見ていると活気づいていることは確かなような気がします。
金魚でも性格があるらしく今年の夏から飼っている金魚(名前はようきち、娘がつけました)が水槽の中で自由奔放にふるまっています。一匹で飼っている時も餌をくれの自己アピールがすごくて変な金魚だと思っていました。とにかく他の三匹はようきちに振り回されているように見えます。
そういえば人間は三人いるとどうしても二対一になってしまい、人間関係がうまくいかないという話を聞いたことがあります。
行動するには二人が適していると戦争体験者の知り合いも話してくれました。その方は陥落した島でわずかに生き残った兵士の一人です。密林の中で仲間と逃げ回っている時に最初は三人だったが仲間割れになってしまったそうです。
ただ一対一もなんだか息苦しく思えるような気もします。私はお寺勤めの時にほぼ住職と一対一でした。もし同じような環境にある誰かがそばにいて行動できたらとつくづく思いました。
人間関係も抜けみたいなものが必要です。たまりができないようにするためです。たまりとは知らず知らずのうちにどっぷりつかることでできてきてしまいます。
よくあるのが「自分はがんばっている」「自分はこんなにやっている」
みたいな思いです。そうなるとゆとりというかあそびというか空間がなくなってしまいます。そこで他人の行動をいつも以上に赦せなくなってしまったり、努力が空回りしたりするのです。
でも一歩そこから離れてみればたいしたことありません。自分も他人も似たもの同士。それがつかりすぎると分からなくなってしまうのです。
物事は自分も他人も実力はそうは変わりません。重要なのはそれをつなぐ潤滑油みたいな存在になれるかです。
「がんばっている」
だけではダメなのです。
金魚のようきちは自分中心なのか天然なのかわかりませんが水槽を見ていると活気づいていることは確かなような気がします。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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四匹の金魚さんいつまでも仲良く元気にお過ごし頂きたいと思いました。
最近疲れが中々抜けません..
12/11の分です。お疲れ様でございました。も