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私の本分。

修行中の話に戻りますが、私はこの期間にある程度自分を追い込むことよりも皆との和を大切にしました。希望によって食事を減らしたり断食したりできます。しかしそうすることにより周りの行者にも負担をしいることになるとも考えられます。本来なら一番修行を追い込めるだろうこの期間は80パーセントぐらいのエネルギーで乗り越えることを考えました。

それでも修行はやはり加行、つまり自分自身を僧侶として生まれ変わらせる行だけあって精神的にも肉体的にもきついものでした。最期のクライマックスの護摩行の時のこと。

護摩行を二週間行い、その最後の最後は感動すると先輩の行者に教えられていました。私はその瞬間を楽しみにどんな気持ちになるのだろうと思いながらその時を迎えたのです。

どうせなら行者らしく気合いをいれて恰好よく!

そんな勢いで臨みました。さあいよいよ組まれた護摩木に点火。

あれ~。つけ木が少ししょぼいのを選んだせいかすぐに消えてしまいました。大丈夫、あと一つのこっているから。
よーし点火。
あ、まずい消えて窯に落っこちてしまった。

どうしてだー。よりによっていつもはするはずのない。今までしたこともないミスを連発するなんて。
私は精神が集中して高揚感に達するどころか少しパニックってしまいました。

どうすればいい。つけ木が手元に無くなってしまった。これは周りの行者にも指導員に対してもとても恥ずかしく、気づかれたくない!

確かたまたまどこかにひとつ見逃していた小さなつけ木をやっと見つけ出したような記憶があります。こんなしょぼいけどもしさっきのように消えてしまったらどんなにみじめなことか。護摩で火がつけられないなんて。

ふと脳裏にこんな思いがこだましました。

私はやっぱり一番ブサイクで、出来損ないで、下手で、びりっけつでいい。しんがりで頑張るのが私なんだ!

そう覚悟した瞬間、冷静になり普通に組まれた護摩木は最後のつけ木によって火が勢いよく燃え上がったのです。

「最後の最後がこうなんて、私らしい」

もともと普通の人間に戻りたくて仏様を信仰して、それが今度は僧侶にまでなれたんだ。それだけで十分じゃないか。他の人ならともかく私の場合はマイナスからはじまったのだから、高望みはしまい。


今もこれと同じような気持ちにさせられることがあります。きまって初心を忘れた時に。
そう私は一番最後から上がっていくのが本分みたいです。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
« 直観 ズルイ私。 »
 
コメント
 
 
 
初心忘るべからず!ですね。 (麗華)
2017-04-05 23:57:30
その気持ちが今でもあれば大丈夫ですね。

Don't forget your first resolution!

本日も1日お疲れ様でございます。
 
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