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心の風

今日はほとんど人と話して過ごしました。相談事というか自分と親しい人が訪れてくれるのです。

私はここにいてお寺を持たないお坊さんとして活動しています。昨日来られた方も心配してくださって本当に物足りなくないいのですか、なんて言われます。正直、物足りないことは事実です。それは自分が僧侶として培ったものがどれだけあるか自分自身がよーく知っているからです。でもだからと言ってここでのお勤めにはとても満足しています。
なかにはお寺を持たないお坊さんに説法されても重みがないなんて言われる方がいるみたいです。反面、気さくでなんでもしてくれるのでとてもありがたいなんても言われます。私は僧侶であろうとなかろうと人間の進むべき本質は変わらないと思うのです。それは衣を着て凛々しく立ち振る舞えばありがたくも思えます。しかし、俳優のように本当になりきって僧侶を演じるのと、そのまま不格好でも僧侶として生ききるのとではどちらが自分らしいかと言えばもちろん後者が私のスタイルだからです。

少なからず自負することは私自身、この生き方でいろいろな経験してきたことです。それは回峰行や求聞持法や八千枚護摩に比べて誇らしいものではないかもしれません。しかし泥道をボロボロになり、ずぶ濡れの中ようやく超えてきた人生の山がいくつもあったことは私の魂に深く傷跡と度胸として残っているのです。

ある人はここにいる間は檀家の心配や寄付などの負担をもとめなくていいので嫌われないからいいじゃないかと言ってくれます。確かに誰かに嫌われることでうたれ弱い私にはぴったしです。

今日の風はきもちいいです。縁ある人とのひとときはとても気持ちよく心に風を吹かしてくれました。
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