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タイムトラベル

この年代くらいになると両親が他界する確率が高くなります。当たり前ですが赤ん坊だった子供がいつの間にか大きくなるのですから仕方ありません。それだけ自分も年をとってしまっているのです。

悲しいかな、この世に生きる人間は永遠にその命を存続できません。どんなに長くとどまっても100年、夢幻のごとくです。
ある映画でタイムトリップして過去に行き、なんとか自分の運命を変えようと奔走する内容のものを観ました。確か「時をかける少女」だったか、親友が事故で命を失くさないようになんとか頑張ります。結果は確かもう一人のタイムトラベラーの自己犠牲のおかげでなんとか助かる結果でした。

よく、もしあの時こうしていたら、未来が変わったのにということはよくあります。今現在がこうであるならば、過去はもっとああしておけばよかったと。でもそれではまるで答えがわかっているテストをおこなっているみたいで意味がないのです。やはりその時その時の真の実力が試されてきます。

「言うはやすし」
まさにその通りです。どんなに偉ぶっても、言葉をならべても実際の行動一つにはかないません。

「百聞は一見にしからず」です。
私達は今をその一見をリアルタイムで経験しているのだと思います。もし未来がきまっていたとしても、その一見ぬきにして魂の成長がはかれないからです。
私達はタイムトラベラーにはなれないでしょう。しかしおおよその未来が現在に起因していることを考えれば、未来を見据える能力があること自体がタイムトラベラーだといえるでしょう。
だいたいがわかっているのです。こんな感じで生きて、毎日を努力していたらそれはそれなりの結果が返ってくるということを。
その上で受ける艱難辛苦の未来は正直、何も怖いものではないのです。
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気にかかる事 (猪八戒)
2016-10-30 12:59:42
過去と言うものは自分でした事と、抗えない過去があると思います。私の義父は幼少期(戦時中)
今の姓に養子に入ったそうです、でも義父の心の中に何かあったのでしょうか、50歳を過ぎたころ産みの親を訪ねたそうです。その結果は義母も主人知らないそうです、私としては亡くなる前に知っていたら何か感じられた聞いておきたかったですが…。
私の気にかかる事は父のお通夜の時の事です。
勤めていたお寺は5〜6年前に辞めていたのですが、住職様と幼稚園の先生方が来てくださって住職様はお経を唱えてくださいました。
とてもありがたく、申し訳なくも思いましたが、喪主だった私には前後の記憶がありません、亡くなってからの3日間の記憶も曖昧です。その後、父の借家のかたずけ、もろもろの手続き、我が家も新居に引っ越す予定が入っていてバタバタとお世話になった方にご挨拶に伺い、住職様もその一人のように菓子折ひとつで済ませてしました。住職様は何かを求めて来てくださったのでは無いとわかっています、主人もあの頃の最善だったと言います、また感謝と言って今さら伺うのは迷惑だとも…。
私が思う感謝の気持ちは迷惑な自己満足なのでしょうか?。数年前、脳梗塞で倒れられ回復はされたそうですが、お寺は息子さん方が切り盛りされているとの事です。月日がたちお寺の敷居がどんどん高くなってしまいましたが、墓仕舞いを節目に最後のご挨拶は…勝手な言い分でご迷惑な事でしょうか?。私にはお釈迦様の説かれる全てに感謝をがわからないです。やはりただの自己中なのでしょうか。
この文章さえ和尚様にご迷惑をかけているに過ぎないのかも知れません。
 
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