徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで6年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のこと ー番外編 その6 海辺でタイムスリップした日ー

2017-08-04 09:33:42 | 父とのこと
私の実家は海から5分、山から20分。
海となだらかな山に挟まれた小さな町にある。

昨年父が亡くなって、
実家には主がいなくなった。

築100年近い家をどうするか。
妹と顔つき合わせて考え抜いた。
その結果は「手放す」ということ。

想いはいろいろあるけれど、
出来たら手放したくはないけれど、
私たちは実家を維持するには
少し歳をとり過ぎた。

今は、次の住み手を募集中。
だから、もう実家に泊まることは難しい。

7月の末、そんな町に
初めて旅行者として降り立った。

そう、いままでは実家のある町、
たとえ、結婚して町を出て
40年以上たっても、
「ただいまー」と帰る町で、
決して、決して旅行者として
降り立つ町ではなかった。

この日は、その町の古くからある
老舗旅館に一泊することに。

夕べのひと時、本当に久しぶりに
砂浜を散策することにした。

砂浜に足を踏み入れた瞬間、
私は小さなころの自分が
海辺に遊んだ時間に
タイムスリップした。

磯のあるその海辺、
丁度、引き潮で磯が見えた。

ふと見ると、小さな私が貝殻を拾って
それをそばにいる父に渡している。
そしてはまた磯に戻っていく。

磯には、イソギンチャクや、
小さな貝や、コガニがいっぱい。
ちょっぴり怖がりの私は、
カニを手にすることはできない。
それをそばにやってきた父が
「Rは怖がりだなあ」と笑う。

私はまだ4歳。
父も、結核を患う前で、
ときどき海に連れてきてくれた。

そうか、小さい私は、父に引っついて
こうして海に行ったりしていたっけ。

磯から離れて、波打ちぎわを西に歩いた。
すると、こんどは1年生くらいと思われる私が見えた。
そばには父方の叔母が寝転んでいる。
砂浜の散歩に、叔母が誘って連れてきてくれたのだ。

私は叔母が波打ちぎわからかなり離れた砂浜に
ゆったりと寝転ぶそばで、
砂堀りを始めた。

砂堀りに飽きたことは一度もない。
叔母がそばで眠っていても、
そんなことはへっちゃら。
ちっとも寂しくない。

海辺に育った私は、まだ小さくはあったが、、
海には潮の満ち干のあることを知っていた。

だから、砂堀りをする場所は
波打ちぎわからかなり離れたところを選ぶ。

けれど、この日は大潮に近かったのだろうか、
気がつくと、波がひたひたと静かに
打ち寄せてきた。

私は夢中で叔母を起こした。
「おばちゃん、波がここまで来たよ。
起きないと、さらわれちゃうよ」と言って。

砂浜は飽きずに遊べる場所であると同時に、
私にとっては、こうしていつ波が迫ってきて
さらわれるかわからない場所でもあった。

だからだろうか、かなり大きくなるまで、
私は波に追いかけられる夢をよく見た。
怖かった・・・。

さらに西に進む。

すると今度は妹とふたり、
やはり砂堀りをしている。
そしてゲラゲラ笑い転げている。
あ、そうだ。
私たち、これはずっと秘密だったけど、
掘った穴をトイレにしたんだっけ。
それを埋めて、笑いが止まらなくなったんだ!

またちょっと西に進む。

中学生の私が友達と何やら笑っている。
制服を着たままだ。
ってことは、これは中二の時の私だ。

そうそう、社会の時間をエスケープして
浜に来ちゃったのだ。

この中学校は山縣有朋の別荘だったところを
戦後中学校に払い下げてもらったもの。
だから、当時中学はまだ浜との境目がなく、
校庭からそのまま海に出られたのだ。

この社会の先生はまだ国大の男子学生だった。
社会の先生が学期途中で病に倒れ、
その助っ人で、今思えば非常勤講師ということだろうか
(でも、4年生だったし、免許あったのかなって思うけれど、
学校としては窮余の策だったかも・・)。

私たちのクラスはこの先生のことが好きだった。
だから、エスケープしようってことになったんだっけ。

またさらに西に行く。

この浜からは真鶴半島や伊豆半島がみえる。
晴れていれば伊豆大島も正面に。

あれ、砂山に私が座っている。
3代目の犬、メロとの散歩中だ。
こうして、時々浜に来たっけ。
メロは私の独り言を黙って座って聞いてくれた。

それから波打ち際に目をやると・・、
釣りに来た父、それについてきた
一年生くらいの私。

父はキス釣りにきているのだ。
でも、連れるのはフグばかり。
フグは連れると、プーーっと膨らむ。
それが面白くて、私はじっとフグを見つめる。

「今日はだめだな。帰るぞ」と
父が言っているのが聞こえる。
私はもっと海にいたかった。
でも、父が帰るぞと言ったらそれでおしまい。

ふと、我に返った私。
砂山がなだらかに広がり、浜昼顔が咲いていた。

 (出典:http://oisoaobato.exblog.jp/24441557/ exite blog の oisoaobatoさん撮影のハマヒルガオin Oiso)

この砂浜には小さい時からの私が生きているんだ。

それを見ている今の私。
旅人として本当に久しぶりに浜(と、海に行くことを私たちはこう言う)に出て、
昔の私に会えるなんて。

同じ砂浜に何人もの小さな私が生きていた。

その初めと終わりは父と一緒。
父のわがままや理不尽を許せずに、
モヤモヤを抱えた年月が長くあったけれど、
それでも長女だったからか、
私は小さい時、自分が思っているより
父に連れ出されたり、ついていっていることが
多かったことに気づいた。

そんな旅人の夜。
なんとこの日は、この町の花火大会。
宿の窓からは打ち上げられる花火が真正面に!

亡くなった父と母に連れて行ってもらったときは、
余りに近くて、火の粉が落ちてきたっけ。

父と浜は切っても切り離せない。
そして私もやっぱり浜とは切り離せない。

旅人として降り立った故郷で、
小さい自分を思い、
父のことを思った夕べのひと時でした。







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