徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで6年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

朝の激論-育ジイ vs 育バアー

2017-07-11 08:54:30 | 孫シッター奮闘中
事の始まりは
2017年7月3日付日経新聞一面記事。

「保育補助の雇用助成拡大
  厚労省 不足解消への要件緩和」

「雇用支援の対象者を
保育士になりたい人全般に広げ、
現場で働きながら
知識や技術を身につけてもらう」
とあった。

全くもう、ここまで来たか!って私は思った。
保育士不足を補うためならなんでもあり。

保育士の給与を少しばかり上げたくらいでは
待機児童問題は解消されない現実。
預かってくれるところが増えると、
預かってほしい人も増え、
結局解消になっていないとう現実はある。

でも、保育の現場は「子どもたちが育つ場」。
「子どもの最善の利益」を第一に考える場、のばず。

保育実習がメインの場ではないでしょう!!
保育実習生にお金払うわけ!
保育者は誰でもいいってわけ??!
と、思わず叫んだところ・・・。

「でも、預ける親も預かってもらえるなら、
それでいい思っているんじゃないの?
だから、国もそういうアイデアを出してくるんだよ」
と、育ジイ。

おっと、そうか。
私はどうも自分の感覚で
突っ走ってしまうところがある。

今の若い親たちも、私と同じ考えと
暗黙のうちに思ってしまっている。
そこを、育ジイがズバリと突いてきた。

そういえばニューギニアで研究をした
文化人類学者のマーガレット・ミード。
彼女は30年の間隔をあけて、
同じ民族についての研究を行った。

その結果、彼女の残した言葉は・・

「誰も自分が生まれてきた世界と
同じ世界の中で生涯を過ごすことはできない。
誰もその人の働き盛りに仕事をしていた
同じ世界の中で死ぬことはできない」

そんな彼女の言葉が蘇った。

実はこの日、とってものんびりした朝。
カッカする時間も、
おしゃべりしながらの朝食もとれる。
その理由は・・・。

前夜、階下のウルトラマン2号(保育園年長・男児)が
誕生日会のうれしさ余って、疲れが出、
嘔吐をしてしまったからだ。

で、その朝はウルトラの母が会社を休むことに。

なぜかというと・・、
私たち夫婦が昼間二人そろって
出かけることになっていたから。

大抵は、どちらかが(と言っても、90%は育ジイが)
都合がつくようにしているので、
ウルトラマンたちが学校や保育園を休むときにも
親は休まなくて済んでいる。

それがウルトラのジジとババの子を思う気持ち。
(甘やかしかなあ‥と思いつつ、
できることはしてあげたくなっちゃうのだ)

ウルトラの母がいるので、
今日はウルトラマン1号(小2・男児)も
放課後クラブで過ごさずに、
授業が終わったら家に直帰できる!!
その嬉しそうなこと!

よかったねと育ジイと話しながら、
「でもね、考えてみると、
放課後クラブに行かないってことは
家に帰ってきてからは
家で遊ぶっていうことよね。
近くに友達もいないし、
きょうだいで遊ぶっきゃないってことね」(私)

「そうだなあ。
俺たちの時とはずいぶん違うなあ。
俺たちは学校から帰ったら、
徒党を組んで遊んでいて、
鬼ごっこも缶蹴りも
車が通らない道でやったし、
かくれんぼに至っては
自分たちの家を自由に出入りしてやったっけ。
冷蔵庫なんてものもないし、
だいたい家の中に
取られて心配なものなんてなかったしなあ。
今の、鍵をかけてする生活とは全く違うよな」(育ジイ)

「そうそう、そうよね。
私もそんな生活だったわ。
いま、ウルトラマンたちは
放課後クラブでも行かなきゃ、
友だちすらそばにいないのだものね。
学校や、そんな放課後クラブの意味が
ずっと大きくなっちゃってるわよね」(私)

「それに俺たちも年取ってきちゃっているから、
ほんとは夏休みだって、
家で過ごさせてやりたいと思っても、
こっちの体力が彼らにおっつかない。
一日中っていうのは、かなりきつい。
親の時は大丈夫だったけどな」(育ジイ)

「えっ、親の時???」(私)

「ハハハ、イクメンはやってなかったな(汗)・・」(育ジイ)

「そう、親だったときは体力あるし、
大丈夫だった。
でも、私ですら今は無理なのよね。
残念ながら・・・。
あーあ、夏休みに自分たちがいるのに、
孫たちを保育園や放課後クラブに行かせるって、
なんだか罪悪感もっちゃうのよね」(私)

「でも、俺思うんだよ。
こうやって、自分たちができることをする。
子どもには少なくとも、
屈託のある顔をするんじゃなくて、
ニコニコ屈託がない顔をしてほしいって。
それだけだな。
そうそう、あとは子どもがいてほしいって思う時に
いてやりたいと思う。
俺ができることはそれくらいかな」(育ジイ)

「親じゃなくて、ジジやババでいいの?
病気の時なんかは親にいてほしいって
私は思っちゃうけれど、甘いのかなあ。
6年生の時、吐き下しの風邪でふらふらしていた時、
寝室のある二階からトイレのある一階に
母がおんぶしてくれたあの感覚を
忘れることができないわ」(私)

「誰かが、心をかけて、
しっかりそばにいてやれば
いいんじゃないかなあ」(育ジイ)

なるほどーーー。
育ジイの保育観。

そんなことを、時には白熱して、
時にはのんびりゆったりと
お茶を飲みながら過ごした
団塊(老)夫婦の朝のひと時なのでした。

それにしても、「子育て」とか」「保育」って、
なかなかその機微に満ちた大切さが
どの時代にもなかなか認められないのだって
改めて認識した朝でもありました。









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