徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで6年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のこと ー番外編 その4 実家片付けの巻2-

2017-01-04 17:56:25 | 父とのこと
父が亡くなって半年。
実家を売却する決断をして1か月ちょっと。
更地で引き渡しということになっているので、
家の中の片づけをしなくてはならない。

妹夫婦は折を見て、
少しずつ始めてくれていた。

父は母が亡くなってから
一人暮らしを続けていた。
12年ほどになる。

その間は5部屋あるうちのほぼ1部屋、
あるいは使っても2部屋で生活していた。
頑張って寝室は2階を使っていたが、
数年前からそれもままならず、
1階で過ごしていた。

つまり、「開かずの間」があるということである。
押し入れも出し入れしない。
私たちが父に会いに行くときは、
必ず窓を開け放ってはいたけれど、
それでは追いつかないことが・・。
いつの間にか「カビ」が蔓延・・・。
特に梅雨時はすごかった。
それでも、父は私たちがいじることは許さない。
結局そのままずるずるきた、

カビの元凶はどうやら、押し入れの中の布団。
その布団を妹夫婦や甥が処分場に運んでくれた。
そのあたりから、カビ臭さも減った。
何しろ築100年近いから、外気の出入りは自由だ。
それでも布団があればカビは繁殖する。

と、まあこんなことを少しずつ超えながら、
押入れはすべてカラに。
そこまで持っていってくれたのは妹夫婦。

本当にありがたかった。
こういう時、私は役立たず。
悔しいけれど、抗がん剤の影響なんかがあると
片付けもままならない・・・。

でも、この暮れの一日、
ほんのちょっとだけれど手伝うことができた。

妹からの所望は、
「結婚するときに置いていった本の始末をしてほしいのよ」
ということだった。
こればっかりは、私にしか決断はできない。

実家に放置すること40年。
その間一度だって必要になったことはない・・・。
実は妹も同じように本を置いていった・・。

「片付けの巻1」で荷物が増え続けたことを書いた。
実はそのなかには、
私たち娘が置いていったものも含まれている(*_*;。

この半年で、なんだか本の劣化の勢いが増している。
カバーに書いた書名も見えなくなり始めた。
もう、開いても、くしゃみやアレルギーが出るだけだろう。
全部廃棄!!

廃棄当番は夫に。
几帳面な夫は、大きさを揃えて
綺麗にひもで結んでくれた。

「え、こんなのを読んでいたんだね。
あ、そうなんだ。これも読んでいたんだ」
なーんて言いながら。
私は、20代初めの自分の頭の中を覗かれたようで
なんだかすごく恥ずかしかった。

こうして夫が本を、義弟が玄関の納戸の中に
それこそ半世紀以上、入りっぱなしになっていた
大物に手を付けてくれていた。

私たち姉妹は、母の洋服の整理を。
母は編み物と洋裁をやっていた。
その作品がどっさり。

あ、これはお母さんね、よく着ていたわね、
なんて話しながら、取っておく、捨てる、
取っておく、捨てるとやっていった。

あっ、行李が出てきた。
思わず、「これでよく遊んだわよね!」
衣替えの度に、母はこの行李を出した。
入れ替えるために空になった行李に、
私たち姉妹は潜り込んだ。
時には舟に見立てたり・・。
あー、こんなに小さかったんだ。
でも、本当によく遊んだ。
面白かったねと妹と顔を見合わせて笑った。

それから、母の嫁入り道具の
黒檀と思われる素材の箪笥と鏡台の中味の整理。

この二つは母が17歳の時に亡くなった祖父が
中国から母の嫁入り道具にと買ってきてくれたものだと
母から聞いていた。

母方の祖父は海軍の軍人。
お船で(と、母はいっていた)中国に航海したときに、
これを買った来たという。

母はこの二つの嫁入り道具と一緒に嫁いできたのだ。
軍人の家と、瓦職人の家。
母方の実家は祖父母とも兵庫県の出身。
つまり関西人。

今から70年近く前の日本では、
その習慣の違いは想像を超えるものだったと思う。

愚痴はほとんど言わない母だったから、
そんな大変さをあまり聞いたことはなかったけれど、
ふと思った。
きっとこの二つが母を支えたのだろうなって。
飛び切りの父親っ子だったと母はよく言っていた。
そんな父親が17歳というという女学校の多感な時期に
亡くなるなんて、いったい母はそれをどう超えていったのだろう。
これも想像がつかない。

母には弟妹が4人いた。
祖父が亡くなったのは昭和16年の開戦前夜。
以後の苦労は日本国中の例に漏れない。

中に入っていた着物を出し、
捨てる、捨てないとやっていった。

姑が亡くなった後、
着物に関しては捨てるに忍びなく、
引き取りに来てもらったことがある。
その時、本当にただ同然で持っていかれた。
捨てるよりは良かったけれど、
何か釈然としないものが残った。

そんなことがあったから、
ちょっぴり慎重になったけれど、
もう着ないしねえ・・とため息をついた。

結局、ほとんど始末することにした。

そして、鏡台に。
この鏡台は母が最期まで使い続けた。
おまけに、母の手帳があった。
父と付き合い始めた頃のもの。
ファーストキスの記述もあった。
ちらっと読んで、ドキドキして、
そのまま、鏡台に戻した。

今回、妹ともう一度見てみると、
ほとんどの字が滲んで見えなくなっていた。
「もう、いいってことよね」と二人でうなづきあい、
処分することにした。

この鏡台、捨てるに忍びない。
だが、置くところが・・・。

ところが救世主が現れた。
「私がおばあちゃんの鏡台をぜひもらいたいの」と、
孫1号が手を挙げた。
「え、マンションじゃあ、置くとこないでしょ」(孫1号の夫)
それでもめげない孫1号は、
このお正月、妹夫婦の片づけを夫婦で手伝い、
夫に「引き取ってもいい」と言ってもらえた。
彼女の気持ちが伝わったのかな。

それを聞いて、私も妹もなんだかホッとした。

片付けはストレートにはいかないけれど、
あれこれ思い出したり、心を鬼にしたり、
一体、思い出って何だろうって思ったり。

そして、ふと思う。
両親の片付けだけではなく、
私たちが自分の片付けをする番だということを。

そうそう、妹が父が整理していた手紙を見つけた。
孫たちがマメマメ出した手紙を
孫別に「〇〇君からの手紙その1」
と、いうように整理していたのだ。

それはそのまま孫たちに渡すことができた。
私たちにはわがまま者の父だったが、
ちょっと距離のある孫たちには
「要所要所で助言」を授けていたのだ。
これも薄々は分かっていたけれど、
へええ、と改めて思った。

そんな、あっちに行ったり、こっちに行ったりの
片付けの巻なのでありました。

妹夫婦におんぶしながら、まだもう少し
その時は続くのでした。



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