風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

りんご王国おためし暮らし 7-1

2016-10-15 | 東北
6日目からの続きです。

○ 夜明けのホラー

この日はペットボトルのゴミ回収日。
朝、ゴミを出そうと、寝ぼけ眼で玄関のドアを開けたら、赤べこ号の横に見知らぬ自転車が停まっていました。
え、この自転車は、誰のもの?



昨夜帰宅した時にはありませんでした。
yumさんも知らないと言うので、二人で震えあがります。
(もしや、夜間に合鍵を持つ何者かがやってきて家の中に入り、別の部屋にいるのでは?)と、おそるおそる、空き部屋をのぞいて確認しました。
怖かった~((((;゜Д゜)))
でも、誰もいませんでした。
無関係の人が停めたのなら、こわすぎる~。
yumさんは、バスルームに干していた洗濯物を急いで部屋に移動しました。

私が昨日寝たのは3時過ぎ(また夜更かし…)、yumさんが起きたのは7時。その間に誰かがやってきて、自転車を置いてどこかへ去っていったようです。
考えてもとけないミステリー。こわさに一気に目が覚めて、しばらく彼女にまとわりついていました。

この日は魚のグリルでトーストを焼いてみたら、火力が強すぎて焦げちゃいました~(涙)
でも、とろけるチーズが溶けないの~。



○ 近くを散策

てきぱき行動するyumさんの出発を見送った後、今日はどう過ごそうと考えながらゆっくり出掛けます。
岩木山がきれいに見える場所を探しながら。



散歩の途中で、保食神社にゆきあたりました。
食べ物の神さまで「うけもち」って読むんですよね。ほかに猿田彦とアマノウズメも祀っていました。
狛犬は名古屋巻き女子風。



道端に無人販売がありました。
リンゴではなく梨と栗で、秋の訪れを感じます。
その後ろに貼られている「錦鯉、ランチュウ販売しています」のメッセージも気になります。



○ 伝統的建造物群保存地域

地図上で気になった場所へ向かいました。
お城の近くに、幕末に建てられた4棟の武家住宅が保存されています。
中・下級武士の暮らした住宅で、県や国の重要文化財になっています。
 
かつてはここに面した弘前城の北門(亀甲門)が追手門で、その北側に侍町が配置されていました。
つまり北側が正面でしたが、平和な世になるにつれ、東門が追手門に変わったそうです。
この辺りの道は整備されたものの、当時と変わらず、参勤交代もここから出発したそう。
青森から東京まで・・・たいへんな遠さですね!



○ 旧笹森家住宅

平日は2棟が公開されています。
まずは旧笹森家へ。江戸時代中期の建築で、この辺りの最古の武家住宅です。
係の方が、丁寧に説明をしてくれました。



藩政時代の武家住宅台帳に記載のある、現存する唯一の建物だとか。
平成になってもずっと個人が暮らしており、その所有者から寄贈を受けて数年前に移築再建したそうです。



こぢんまりとしたお屋敷ですが、こうした部屋に通されると、やはり居住まいを正したくなります。
礼節正しく武士が住んでいたイメージが湧きます。



北門は、もともと平川にあった大光寺城の城門を移築再建したものだそう。
大光寺城は天正3(1575)年、大浦(津軽)為信の攻撃を受けて陥落したそうです。
「為信は17年かけて南部藩の城を次々と倒していき、津軽を統一しました」と解説員さん。
やはりブラッディ・タメノブ。(2日前に行ったバー待庵にこの名前のカクテルがありました)

八戸出身の友人は、平成生まれだというのに、いまだにこの戦国時代の武将への憤懣やるかたないようです。
一方、城下町に住む弘前の人は、津軽為信を敬愛しているのだろうと思っていましたが、どうもそうではないような気がしてきました。
彼に対して、結構シニカルな言い方をするのです。
先日リンゴ公園を案内してくれた女性も、リンゴの品種を紹介しながら「このリンゴはまずいです」とバンバン言っていたし、本音なのか自虐なのかわかりません。
これが津軽人気質?

○ 非売品の冊子

しばらくお話をうかがった後、「古い建物が好きならこれをあげましょう」と冊子をいただきました。
『伝統的建造物群保存地区 歴史の街並み 平成28年度版』。



非売品だと言われて、なお嬉しくなります。貴重じゃないですか。
「夏に、ここに載ってる長野の奈良井宿に行きましたよ」
そのページを開いてお話しました。

○ 旧岩田家住宅



次に訪れたのが、旧岩田家住宅。
築210年ほどになる弘前藩の御家中のお屋敷。
江戸時代後期の武士の暮らしがしのばれます。



こちらも、係の方に説明をしていただきました。
弘前には空襲がきていないから、古い建物が残っているそうです。
なるほど、青森には弘前のようなクラシカルな建物がほとんどないと思っていたら、そういうことなんですね。

為信は暗殺の限りを尽くして津軽藩主となり、小田原攻めの時には豊臣側、関が原では家康側、戊辰戦争の時には政府側についたそう。
時代の流れを見たというかコロコロと変えていった人なんですね。
やっぱりブラッディ・・・。
津軽の人は温厚篤実なイメージですが、戦国時代にはそんなのんびりしたことは言っていられなかったんでしょうか。



今では、津軽の人はとても親切。
私が扉の隙間から見える庭園を撮影しようとカメラを構えたら、係の人が「ちょっと待ってください」と扉をガタガタ動かして、わざわざ開けてくれました。

昔の住居には茅葺き屋根が使われたりしますが、この辺りでは榑(くれ)葺きが取り入れられていました。
下に立って屋根を見ると、板がびっしりと重ねられています。これが榑葺きなんだそう。
初めて中から見ました。



岩田家は代々続く武士の屋敷で、この屋敷を譲った人の子供が、隣に住んでいるそう。
お隣は、今風の一般的な住居でした。



客間と住居で、畳の縁が違っていました。
左が客室で、右が住人用。
客人は縁つき畳の部屋に通されますが、家人は縁なし畳の部屋に暮らしていたそうです。

○ 津軽為信像

武家屋敷の見学を終えて、お城沿いにぐるりと回ってみると、弘前文化センター前に銅像が立っていました。
陸奥国弘前藩初代藩主、津軽為信像です。
ブラッディ・タメノブのご降臨!



いろいろなダークな話を聞いた直後なので、ちょっとひるみますが、勇気を出して傍まで寄ってみました。
右手に持つ軍配には、なにか文字が刻まれています。
下から背伸びをして見ました。
「不制干 天地人」とありました。



「天にも地にも人にも(いかなるものにも)支配されない」という意味です。
強いですね。これは彼の人生観なんでしょうか。
確かにその言葉通り、大胆に生き抜いた人のよう。
梟雄なれども津軽の平定者。後世に語り継がれる大物です。

○ 地元の方のアドバイス

ねぷた村で休憩しながら、地元のスドウさんにメッセージを通じてお勧めスポットを伺いました。
黒石出身で、弘前、引いては青森全体に詳しい方です。

禅林街には33の寺社仏閣があり、なんと全てを一日で回れるのだそう。
近くに集まっているから、できることですね。
坂東33観音は範囲が広すぎて、一年以上かけても回れていないのに~!

彼にいろいろと教えてもらって、三忠食堂や鬼の鳥居の神社などにこれから行こうと決めました。



すると話をしているほんのちょっとの間に、スドウさんは今私がいる位置から、鬼の神社、ラーメン峰、三忠食堂の位置関係を地図にして送ってくれました。
すごいわ~。仕事が早いわ~。
土地勘がないので、これは助かります~。

○ 津軽百年食堂

強力な地図を手にして元気の出た私、まずは津軽そば店の三忠食堂へ向かいました。



『津軽百年食堂』という物語を読んで、感動して大泣きした私。
無骨で不器用な人ばかりが出てくる温かい話。
ブラッディ・タメノブの気質とは正反対です。



味がありすぎるくらいの外観。時代が刻まれていますね~。
『津軽百年食堂』が映画化された時に「大森食堂」としてロケが行われたお店です。



中もレトロ。店内にお客さんは誰もおりませんでしたが、ここは勇気の出しどころ、単身中に入りました。
普段はけっこう混んでいるそうなので、たまたまラッキーだったかも。



「これは、桜祭りの時に出店した時の写真なのさ」
店長が傍に立って、いろいろと教えてくれます。
マンツーマン状態で説明を受けることができました。

○ 焼き干しおいし



「焼き干しって食べたことある?」
「煮干しと違うんですか?」全くピンとこない私は間抜けなことを聞きます。
「違う違う。頭とワタを取ったいわしを焼いて干したもの。これをそばのダシに使っているから、まず食べてみて」
おいしい!煮干しも好きですが、旨味がお湯に溶け出していない分、しっかりとした味があります。

焼き干しはお店で見かけないなあと思ったら、煮干しの4~5倍の値段がするんだとか。
高級食材ですね。

○ 伝統の津軽そば

それから津軽そばがやってきました。
小麦粉の代わりに大豆をつなぎに使った柔らかいそば。
しっかり毛豆もついてきます。



焼き干しと昆布でとった出汁が優しい味を出しています。
透き通った薄い色を、レンゲの上で確かめます。



津軽の雲谷そばも柔らかくコシがありません。そちらなら何度も食べた機会がありますが、それと一緒ではなさそう。
「違うんでないかなあ。先代から受けた作り方をこっちは守っているだけだからなあ」と店主。
創業から百年以上たち、4代にわたって受け継がれる伝統の味です。

「初めからゆでておいて、それをさっと温めるんだよ。でないと栄養分が流れていくから」
お店同様に味わい深い店長。
一緒に写真を撮っていただきました。

○ けの汁発祥の地

今日は一人きりなので、気の向くままにふらふらと散策を続けます。
お店近くの和徳稲荷神社を参拝したら、木の立て札を発見。
なんだろうと近寄ってみると「けの汁発祥地を宣言する」と書かれていました。



へえ~、そうなの?
札を立てた「和徳歴史探偵団」によると、戦国時代にこの地を支配していた小山内氏の和徳城が、1571年に大浦為信(後の津軽為信)に攻められて落城する際に、残っていた野菜を刻んで煮て食べたのが始まりなんだそう。(由来は諸説あります)
それを食べて生き延びたのではなく、みんな亡くなっちゃったというのが、悲しいわー。
やっぱりタメノブはブラッディ!

一人で動くと、つい歴史巡りになっちゃいますね。
その2に続きます。

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