風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

がんばれ熊本・5か月後の町 4-1

2017-04-13 | 九州
3日目からの続きです。

● モーニングコーヒー

翌日はまず、ヒロポンが台風に備えて私たちが移動させておいたバイクを駐輪場に戻し、それから星乃珈琲でモーニング。



コーヒーが飲めない私。コーヒー好きにはそのことはなかなかわかってもらえず、よく質問されます。
夕べもヒロポンに「なぜ?どうして?」と聞かれて(ううむ)と返答に困ってしまいました。
コーヒー、香りはとっても好きなんですけれど、苦手なんですよね~。

そんなやりとりもあったことだし、せっかくカフェに入ったので、たまにはコーヒーに挑戦しようかなという気になりました。
ウインナコーヒーならクリーム入りで平気だろうとチョイス。
でもやっぱりコーヒーは本格的で、私には刺激的。
これからドライブで、私は車酔いしやすいなのに、しまったと反省しても、あとのまつりです。
急いで中和用のお茶を買い込んで、出発しました。

● 阿蘇か万田坑

3人で家を出発。ヒロポンの運転で、遠出ができます。
行き場所は、阿蘇か万田坑の2択。
「どっちがいい?」と聞かれて「阿蘇は行ったことがあるから、現状が気になるけど、万田鉱は行ったことがないからわからない」と答えます。

阿蘇の地震の状況はとても気がかりですが、まだ通れない道が多く、迂回通路ばかりだそう。
今はまだ、復興トラックの迷惑になるかもしれないため、万田坑に向かいました。

● 三池炭鉱 万田坑【世界遺産】

ここは熊本県荒尾市。熊本市内から40キロ近く離れた、福岡との県境の場所にありました。
まずは入り口で、スタッフの方に顔はめパネルを撮ってもらいました。
大真面目な顔つきの3人の炭坑野郎を見て、吹き出しました。



まずはステーション内で、紹介ビデオを鑑賞します。
日本の近代産業を支えてきた動力、石炭。中でも三池炭鉱の「万田坑」は日本最大規模で、明治の技術が集められたものとなっています。
時代の移り変わりで、エネルギーが石炭から石油に移行し、1997年に万田坑は閉山。

そののち、万田坑は、近代産業遺産として国の重要文化財と史跡に指定され、2015年7月に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。

ビデオを鑑賞した後は、いよいよ三池炭鉱万田坑へ。
去年の夏にユネスコ世界文化遺産に登録されたばかりです。
天気がよく、じりじりと暑い夏日。熱中症になりそう。
少し体調不良になったさっちゃんは、見学の時間、風通しのいい木陰で休んでいました。



● 2度のガイドツアー

1日に何回かガイドツアーが催されますが、この時は時間が合わず、誰もいません。
そこで前にガイドさんの説明を聞いたというヒロポンに解説してもらいながら、建物を見て回ります。
レンガ造りの重厚な建物は、当時そのままに保存されていました。
高さ約19mの鋼鉄製の櫓。



ざっくり個人で敷地内を周り終えた頃、ガイドツアーの開始時間になったので、改めて教えてもらうことにしました。
参加者は、私たちのほかに女性2名。
旅行者っぽくなく、近所の友達同士で「世界遺産になったし行ってみようか」と気軽にやってきたという風情です。



近代遺産の知識はほとんどありませんが、5月に3人で訪れた島根の石見銀山は、予想を遙かに超えて大いに楽しめました。
ガイドさんは詳しく、いろいろと教えてくれました。

● 山の神だのみ

炭坑内での作業は、落盤、火災、ガス爆発などの災害の危険と常に隣り合わせ。
人々は、常に命を張って仕事をしていたわけです。
入り口に大山祇神社から分祀した祠があり、鉱夫たちは毎朝山の神に手を合わせて安全祈願をしてから、めいめいの作業に入ったそうです。



● 第二堅坑坑口(国重要文化財)

坑口には、ケージ(昇降用エレベーター)が吊り下げられ、炭鉱マンが坑底まで下がって行きました。
現在は埋め立てられているため、覗きこんでも下は見えませんが、炭鉱が稼働していた頃には深さ264mもある竪穴があったとのこと。
人だけでなく、馬も炭坑内に連れて行ったそうです。

ここでは、坑内の排気と排水も行っており、隣には扇風機室がありました。
換気のために5600台の扇風機がフル回転していましたが、それでは飽きたらず、8500台が増加されたそうです。



ここから264m下の坑底で作業をし、堅坑の中からトロッコいっぱいに石炭を積んで地表に出てくると、トロッコ1台分の石炭の賃金が支払われたそうです。



坑口の中には信号所がありました。
ここから鐘・ベル・電話などを使って、巻揚機室や坑底と連絡をとっていたそうです。



最盛期は1日3500人が働いていたとのこと。石炭が産業振興を支えたころ、ここは全盛期で毎日フル回転していたでしょうね。

敷地内には浴室もありました。
女性も男性に交じって働いていたそうです。



昭和45年には出炭量が年間657万トンとなり、1日2万トン以上の採掘がおこなわれました。その一方で、昭和38年と昭和59年に、ここで戦後最大の一酸化炭素中毒事故が起こったそうです。

明治35年に出炭を開始した万田坑は、昭和26年に石炭発掘を終え、1997(平成9)年に閉山するまで、坑内水の排水を行っていたそうです。

石炭を採るだけでなく、万田坑などで採掘した石炭を専用鉄道で三池港まで運び、船で輸出するという運搬システムも整えられ、三池炭鉱は石炭化学コンビナートとして発展しました。

戦前から戦中に年間平均86万トンの石炭を運び出し、日本の近代化に大きく貢献した産業遺産です。



ここで採れる石炭。大柄のヒロポンの手よりもずっと大きいですが、見た目ほど重くはありません。

● 巻揚機室

次に建物内部見学。
櫓の前にあるレンガ造りの巻揚機室に、ヘルメットをかぶって入りました。
ここには、先ほど第二堅坑坑口で見た、作業員用ケージ(エレベーター)を巻き揚げる機械があります。


36mmのワイヤロープを巻きつける直径4mの巻胴


同じガイドツアーの女性2人は、はじめは興味がなさそうにボーっとしていましたが、あれこれ少しずつ気になってきたようです。
炭坑野郎が増えそう(笑)。


運転台を説明するガイドさんとそれを聞く女性たち


ここではほかに、深度計や空気圧によるブレーキ装置などの解説をしてもらいました。



● デビーポンプ

炭坑からは、石炭の十倍くらいの地下水が出てしまうため、構内排水のために英国デビー社製の巨大なタービン(デビーポンプ)が4基設置されていたそうです。
デビーポンプ室跡には、もう何も残っていませんでした。

動力が蒸気から電気に移行するにつれ、建物は変電所に代わっていきました。
かつて炭鉱夫たちがもぐっていた炭坑は、いまは埋められています。
採掘時の地下の状態がわからないのは残念な気がしますが、排水を行わなくなると、地下水がしみ出して炭坑がひたされてなってしまう上に、毒ガスも発生するのだそうです。

第二堅坑があるということは、もちろん第一堅坑もありましたが、今では立ち入り禁止となっており、見学できません。
第一堅坑の穴はふさがっていませんが、深さ271mの穴の230mまでは、やはり水没しているそうです。

敷地内には専用鉄道式跡もありました。石炭はここから三池港を経由して、日本中に運ばれていったんですね。


ここのお土産、炭鉱野郎の黒ダイヤカリー


三池炭鉱の宮原(みやのはら)坑の櫓が、山の向こうに見えます。
同じ炭坑名ですが、ここ万田坑は熊本県荒尾市、あちらは福岡県大牟田市と県が変わり、少し距離も離れています。
三池炭鉱は、2万m2という日本最大規模の広大な敷地で、最大の出炭量を誇っていました。

ガイドツアーを終えてさっちゃんの元に行きましたが、彼女はまだ体調がすぐれず、青白い顔をしています。
水分補給のペットボトルを握っていてもらいながら、みんなでそろそろと移動。
熱中症でなければいいんですが。

● 三池港・旧長崎税関【世界遺産】

万田坑を見学した後、車を走らせて、三池港に行きました。
私たちもかつて採掘された石炭と同じような道を通って、海までやってきたのです。
旧長崎税関(三池税関支署庁舎)がありました。
明治41年に開庁した、明治期の税関庁舎遺構。
もうここは、熊本じゃなくて福岡なのね。



● 国内唯一の閘門港

ムツゴロウが干潟に住む有明海は、遠浅の海岸が続く、大型船の停泊が難しい地形になっています。
大型船は沖に停泊するしかなく、石炭はまず小さい船に積み込んで、沖まで出てから大型船に移し替える必要があったため、船への積み込みには多大な手間とコストがかかっていました。

この課題を解決するため、大型船に直積みできる港を大牟田に築港するという一大プロジェクトが持ち上がりました。
指揮をとったのは團琢磨氏。6年間の歳月をかけて水深8.5mの港が作られ、明治41年に竣工したそうです。

そうして作られた三池港は、日本で唯一、閘門(ロック)を持つ港。
今も使われている現役の港ながら、世界文化遺産に登録されました。日本の稼働資産としては初の登録だそうです。

「石炭山の永久などということはありはせぬ。築港をしておけば、いくらか百年の基礎になる」とは團さんの言葉。
まさにその通りになりましたね。

● 石炭産業科学館

大牟田市にある石炭産業博物館へ。
さっちゃんには車で休んでいてもらい、2人で中に入ります。
鉄の塊のようなものものしい外観。



ジオラマを動かすなどして、炭鉱の中の仕組みを見学。
結構充実していて、楽しめました。



炭鉱トンネルの中に入っていくような見学ルートになっており、入り口で写真をパチリ。
上着は借りもの。炭鉱服を着た、炭坑野郎です。



炭坑の中に入って、いろいろな機械を見ました。
見たこともないようなすごい砕石マシンの数々。テクノロジーの粋!





そして蒸気機関車。まさに近代産業日本の幕開けですね。



炭坑の中に入った時には、エレベーターで400m下りたはずですが、炭坑の外に出た時には、再び下る前の地上階に立っていました。
あれ?なぜ?
首をかしげながら、科学館の一番上の展望台に上ってみました。
目の前には有明海が広がっている…と思いきや、今では帝京大学の校舎やイオンモール、コメリの大きな建物が立ち並び、視界は狭まっていました。

● 団琢磨と三池港

団琢磨は、13歳で旧福岡藩主・黒田長知のお供として岩倉使節団に参加したエリート。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の鉱山学科に進み、20歳で卒業したというエリート。
政府から三井に払い下げされた三池港を26歳で任されたそうです。

港がめざましい発展を遂げたのちも活躍を続けていましたが、73歳で右翼の凶弾に倒れたという驚きの最期。
明治の近代化に貢献したすごい日本人だったんですね。
出光創始者の人生が『海賊と呼ばれた男』になったように、この人の人生も小説化されてよさそう。



彼のシルクハットが展示されていました。ジェントルマン~。
あとでわかりましたが、団琢磨の孫が作曲家の團伊玖磨でした。
名前が似ているのは、血縁だったからですね。

石炭を砕いていく機械の仕組みや、れきせい炭という石炭や、石炭は何種類もあること、セメントの原料になることなど、石炭産業科学館ではいろいろなことを学べましたが、私は、団琢磨の人生に一番興味が湧きました。

その2に続きます。

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