風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

まだ見ぬバルト三国へ 7-2(Last)

2017-06-06 | 海外
その1からの続きです。

● 英語はまだ遠し

ヴィリニュス-モスクワへの機内で、雑誌を見ようと手にとっても、機内誌はすべてロシア語でさっぱりポンでした。
たしかにこの辺りでは、英語は特に重要な言語ではありません。英語の本を置いても、逆に読めない乗客の方が多いのでしょう。
「国際線では英語が公用語」というわけではないということを、今回身にしみて感じました。



これはフランスの女優、シャーロット・ゲンズブール。
しかしどんな記事なのか分かりません。
そういえば彼女、最近デザイナーも始めたって聞いているので、そういう内容かもしれません。



● モスクワふたたび

2時間半くらいのフライトで、モスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港に着きました。
「外の気温は0度」とアナウンスがあったとおり、うっすらと雪が積もっています。
モスクワとバルト三国は時差1時間。バルトの時間設定はないため、ヘルシンキ時間に直します。







● またもやゲート変更

さて、行きに大失敗をかましたモスクワ空港です。
帰りの日本便を逃すことのないよう、念には念を入れて、まずは電光掲示板で搭乗ゲートをチェック。

すると、朝ヴィリニュスでネットをチェックした時のものと、電光掲示板に出ているゲートが違っていました。
再びネットで調べなおすと、電光掲示板のゲート番号に変わっていました。
また変更があったのかしら。
もはやモスクワでのゲート変更はトラウマレベルになっている私たち。
なにか動きがあったらすぐに対応できるように、そのゲートの所から動かず、フライトまでの長い時間を過ごすことにします。



充電コーナーがあったので、その近くに陣取ります。
Wi-Fiと電源チャージの公共の場での普及率に関して、日本はかなり遅れていると思います。
この2つが確保されれば、かなり旅行者は楽になりますからね。

● 往路便の現場検証

日本行きフライトの搭乗ゲートは7番。
1週間前に乗り損ねた、因縁のゲートは49番。
あの時、なにがどうしてああなったのか、いまだにはっきりわかっていません。
気になったので、モコちゃんに荷物を見ていてもらい、7から49まで、長い長いターミナルを延々と歩いて、ひとりで現場検証に行きました。
モスクワ空港は広く、15分位歩いてようやくたどり着きました。



思い出す、この辺り。あの時の不安と焦りを思い出して、胸が痛みます。
近々のフライトはないようで、辺りには誰もいません。



この階に空港係員はおらず、一旦は階段を下りてみるも、結局人波に押されて戻された場所。
この階段の下に、たどり着けなかったあの日のゲートがあるのです。きっと。あーあ。
鍵がかかっていて、中には入れませんでした。



チケットに印字され、最初に訪れた43ゲートにも行ってみました。
明るい日中なので、視界もクリア。
この2カ所が、私たちのモスクワの悲劇の舞台となった現場でした。



でもまあ、大きな痛手ではなくてよかったです。
翌日午前中のLCCがあったから、旅程は半日のロスで済んだし、そこそこの出費ですんだし、おまけにきれいなCAさんを見られたし。
なにより、忘れられないメモリーができました!!

● 2度目はない

でも今回、もしまた帰りの日本便を逃したら、LCCはないので、高額な直前チケットを買わなくてはなりません。
「LCCを乗り継いで帰れないこともないけど」とモコ。
アゼルバイジャンとかタシケントとか経由して、乗り継ぎを重ねて帰ることになるようです。
それもおもしろそうですが、帰国するまでに1週間くらい掛かりそう。
そして、さんざん周りに呆れられそうです。

● ロシアンレストラン

空港内のロシアらしいレストラン。



『石の花』の物語に登場するような雰囲気です。



北国の温かさが表されているよう。



店員さんの服も、バレエダンサーのようで、すてきでした。



● 日本語久しぶり

フライト時間が近づいてくると、一気に周りに人が増えて、騒がしくなりました。
アジア人の姿も多く見かけます。ほとんど日本人でしょう。
私達以外の日本語があちこちから聞こえてきました。
約一週間ぶりの、よその人の喋る日本語に、ちょっと感動して動けなくなりました。

いやー、母国語ってこんなに安心するものだとは。
これまでは、海外を旅していても、そこまで感じたことはありませんでした。
おそらく、英語とフランス語でなんとかなってきたからだと思います。

バルト三国も北欧並みに英語が通じると思っていましたが、かつてロシア帝国の支配下にあった地域だけに、状況はかなり違っていました。
住民は英語がわからないため、なかなか地元の人との交流ができず、必要な時には英語が分かる人を探さないといけませんでした。
ところが日本語だと、苦労しなくてもなんでも意思疎通できるんですよ。すごいことですよね!

今では世界中に日本人も中国人もいるイメージがありますが、今回はどちらにもほとんど会いませんでした。
それで、アジアにとってまだまだ未知の部分の多い、遠い国なんだなあと実感しました。

これまで、言葉が通じない国には、ツアー旅行で訪れていました。
ツアーだと安心していられるし、個人旅行よりお安い時もあります。
でも旅はやっぱり個人で計画を立てて自力で行く方が、心への刺さり具合が違いますね。
どちらもよしあしがあります。

● 外は雪景色

空港内は暖房が効いていますが、周りに人が少なくなると、足元から一気に冷え込みます。
ボーディング間近になって人が集まってきても、近くのゲートに連絡バスが横付けされて外へのドアが開いていると、外気でどうしようもなく冷えてガタガタ。
だってほら、外は真冬の光景ですもの。





今回は問題なく機内に乗り込みました。ああ、乗り損ねずに済んだわ。
まあ、これだけ日本人が多ければ、さすがにゲート変更をする場合は、とびきり分かりやすく教えてくれるでしょう。

● 霜よけ作業

ただ、乗客がみんな機内に入っても、なかなか出発しません。
じきに「機体が凍っているので、霜よけの作業を行います」というアナウンスが入りました。
夜になり、ますます外気が冷え込んできたため、翼に氷や雪がついて離陸できないのでしょう。
窓からは、雪の降る中で、クレーンつきの作業車が、防除氷液を機体に吹きかける様子が見えました。







大きなジェット旅客機の霜よけ作業には時間がかかり、結局1時間ほど遅れて出発しました。
遠ざかる雪の中の空港。ダズビダーニャ~。別れの言葉に力がこもります。





● 可動式首当て座席

座席は初めて見るデザインでした。
「これ、動くんだよ」と、モコが力を加えると、枕の形が変わります。



首を固定できるので、ネッククッションいらずなんだそう。
わー、これは便利だわ!なんて画期的なんでしょう!



● スリープモード

飛行機に乗るとすぐに眠くなる私。これはもうパブロフの犬のように反射的なもののようです。
さっそく眠りに着こうとしたら、液晶画面で映画をチェックしていたモコが「あ、行きとちょっと変わってる」と言いました。

今にも瞼が閉じそうな私は、起きて映画を観るのは無理だと思って音楽をかけようとしたら、やっぱり行きに見た掲載アルバムから変わっていました。
10月から11月に替わったからでしょう。今年星になったDavid Bowieの『Backstar』を、追悼がわりに聴いていきました。

● どなたかお医者様は

途中、足がむくんできたので、ストレッチをしに機体の後ろへ行くと、CAさんたちが数人集まっていました。
その中には、CA用座席にぐったりともたれかかる日本人の年配女性。
旦那さんらしき年配の男性が付き添っています。

女性の口には、事故の時に機体の座席上部から落ちてくる、黄色のコップ型のマスクがあてがわれ、チューブの先にはCAが酸素スプレーを持っていました。
具合が悪そう。大丈夫かしら。
気にしながらもみんなの邪魔にならないように、物陰で屈伸を始めます。

すると、しゃがみこんで女性の様子を見ていたCAの一人が、何かを付添いの男性に聞きました。
男性はその人の言葉がまったくわからないようで「どうしてこうなったか、皆目見当つかんのですよ」と日本語で言いました。
それを聞いたCAさん、苦笑いをしながら「私、日本語はわからないのよ」と英語で言いました。
たまらずそばへ行って、CAに「原因はわからないそうです」と英語で伝えました。
「気圧が下がったからじゃないかしら」とCA。
そう男性に伝えると、「いや、そうじゃないと思いますがねー」との返事。
CAに伝えると、彼女は考え込みました。
そこで「お酒は飲みましたか?」と聞くと「さっきワインをね」と。
CAさんからの「食事はとった?」との質問には「少し」と。

上空に来て気圧が下がり、空きっ腹に急激にお酒が周って、気持ちが悪くなったのではないかと思われます。
前に私も、ワインで地獄の七丁目の苦しみを味わったことがあるのです。
もう少し女性の様子を見ようという流れになったので、私は屈伸運動を終えて席に戻りました。

じきに「具合の悪いお客様がおいでです。お客様の中でお医者様、看護師、救護員など、医療に従事した方がおいででしたら、近くのCAにお声をおかけください」との放送が流れました。
キタ~!映画やドラマで有名なこの放送ですが、実際に聞くのはこれが初めてです。
ドラマなどでは、CAが慌てた様子で、客席に向かって大声で聞くというのがセオリー(?)なのに、この時は露・英・日の三か国語で淡々と放送がかかりました。
医療従事者は、実は毎回けっこういるものだと聞いていた通り、ほどなくして2人の外国人女性がそれぞれCAに連れられて、機体後部へと向かっていきました。
(言葉は大丈夫かな?)と思いましたが、「どなたか英語と日本語が話せる方は」という放送はかからなかったので、なんとかなったのでしょう。

● 氷原を下に

窓の外は氷の世界。氷原と氷の山々を見下ろします。



外の気温は-58.8度ですって。放り出されたら、生きていられません!





でも、とても美しい光景でした。



しばらく行くと、氷の世界は消え、ひたすら黒いごつごつとした山が眼下に広がりました。
ここはどこだろうと調べると、ロシアとモンゴルの国境付近でした。
これは越境したいと思っても、無理そう。



フライトはあと2時間ちょっと。眠っているとあっという間です。
モコは「あと1本くらいしか映画見られないや」と言っています。ずっと見てたなんて、元気ね~。

『ファインディング・ドリー』を観たと聞いて、私も(せっかくだから1本くらいはね)と、観てみました。
が、やっぱり途中で寝落ちして、起きた時には終わっていたので、ドリーが両親と無事に再会できたのかはわからないまま。


機内食。ふつうに美味しいです。




ここはどこでしょう。くっきりと大きく蛇行しながら流れていく大河が見えました。

● 日本着陸



もう日本上空まで来ていました。ドリーがどうなったのか、確かめる時間はなさそうです。



地面が見えてきました。
飛行機は大きくカーブを描いて、着陸態勢に入ります。



出発が遅れた分、少し遅れて成田空港に到着。
方向の違うモコと、空港でハグしてお別れして、ひとり帰途につきます。

土曜の昼過ぎに成田着の便にしたので、帰りもラッシュに重なることもなく、ゆとりを持って楽に帰ることができました。
ああ、日本語が通じることがとっても楽。
そして久しぶりにシャワーじゃないお風呂に入れるのね~!!
夜にはしっかりと湯船につかって、長いフライトでこった身体を伸ばしました。

● epilogue

あまり情報を持たないまま、「行ったことがないから行ってみよう」と決めたバルト三国。
周りのみんなには「なぜバルト三国に行くことにしたの?」と聞かれてばかりでした。
「行ってみたかったから」と言うと、たいてい絶句されました。
なぜかしら~?

母親には「地味な国に行くのね」と言われましたが、変に観光地ずれしていなかった分、のんびりできました。
行きづらい場所に行けるチャンスがあったら、逃してはなりません。
ハワイや香港と違って、バルト三国に行く話はそう何度も舞い込んでこなさそうですから。

今回の旅の相棒モコとは、何度か国内旅行をしていたものの、一緒に海外旅行に行ったのは初めてでした。
しっかりしており、旅行会社勤務ということもあっていろいろと旅に詳しく、頼りになりました。

ただ今回、結果的にお酒なしの旅にしてしまったのが申しわけないところ。
自分が普段飲まないので、旅行中はまったく気がつきませんでした。
アイスは一緒に食べていたんですが。
「別にいいよー、飲む機会はいくらでもあったけど、単に飲まなかっただけだし」と言ってくれましたが、「去年のイタリア旅行の時はどうだった?」と聞いたら「朝からぐいぐい飲んでた」とのこと。
そこまで!浴びるほど!

バルト三国は、美男美女がたくさんいたのでハッピーでした。
金髪の人が多く、すらりとしたスタイル。
年配者も太りすぎの人ばかりではありません。
ロシア人もきれいな人が多いですが、こわいくらいに迫力があったりしますよね。
バルトの方々はそれほどすごみがなく、平均的に美しい人が多くて、毎日幸せでした。

テキスタイルから建築に渡って幅広いジャンルで見られるデザインは、かわいいか、シンプルか。
北欧っぽさがあり、いいセンスだなあと見とれるものがあちこちにありました。
食べ物も、どれもおいしく口に合うものばかりでした。
物価も高くないし、満足して暮らせそう。ことば、ことばさえなんとかなれば・・・(そこが大きいんだけど(ToT))



帰国後、「バルト三国で、どの国が一番よかった?」とよく聞かれました。
帰る途中、モコともその話をして「最初に訪れたタリンが印象深いから、エストニアかな」との意見でお互い一致していました。
でも、改めて思い起こすと、タリン、リガ、ヴィリニュス、どれもがそれぞれに特徴的で、味があるいい町ばかり。
ラトヴィアには十字架の丘、リトアニアにはトゥラカイ城もあったし、これは決められないわ~。
どの場所も機会があったら、また訪れてみたい国々です。



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