さて・・と

60代専業主婦の日々です

だび

2014年03月05日 16時22分50秒 | 母のこと
今日、無事に荼毘に付しました。

なんか、笑顔なんですよ、とっても笑顔な感じの死に顔で、それがまた泣けてしまって・・。

家族葬は、本当にゆっくりお別れが出来る感じで良かったです。

お坊さんも呼ばず、戒名もつけず。

本当に穏やかに送った感じがする。


夫はそもそも敬虔なキリスト教の家族で育ったのと、アメリカ育ちと言うことで、戒名の意味が分からないと言う。

死んで名前が変わるなんておかしいと。


・・・、私も確かにそうだなって思ってた。

お坊さんへ支払うための名前のような気がしたり・・・。


お経もどうなんだか・・・って。

宗派が違うのなら、お経も何もかもが違うわけで。


母は、本当にいい人でした。

理想的に良い人でした。


呆けてから人は本性がでると言うけど、母は呆けて、人のことを一切悪くは言わず、感謝ばかりを言う。

人を褒め、人に感謝していた。


みんないい人よ、本当によくしてくれるの・・・って良く言ってました。

あらー、あなたの服、素敵ねー。

笑顔がかわいいわ。

などと、人を褒めて、まわりの人を常に明るくしてくれてました。


本当に泣き言や恨み言、一切言わなかったんです。

私にはそういう風になれないと思う。


また泣けてしまう・・・。


また別の機会に書きます。


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末期じゃなかったのね・・・

2013年12月25日 08時07分08秒 | 母のこと
なんか忙しい。

ま、それはそうと。

昨日は夕方4時から母の入院先の先生との面談というか、検査結果を聞いてきた。

ホームの人の都合で、4時から設定されたと聞いて、ちょっとあたま来た。

だって、4時からって事は、子供達を学童に預けても迎えの時間に間に合わない可能性がある訳で、しかも、帰りの時間にも間に合わない。

つまり、娘は4時終わりだから、早退させなければならなかった。

しかも、その理由が、りじちょうの通院があったからって。


まったく。


ま、それはそうと。

母は今年の2月頃に「末期の胃ガン」と言われた。

半年ぐらいとも。


で、みんなそのつもりだった。


が、結果的には、末期の胃ガンでも泣く、ガンはガンだけど、狭窄するほど進行もしてなくて、ガンでどうのこうのなるレベルではないと。

あのホームの人たち、今回の入院も、もう死ぬと思って救急車で運んで、入院させる必要はないと先生が言うのに無理矢理「検査して欲しい。」って胃カメラさせたり色んな検査させて。
そのために入院をさせたんだから。


ホームでは毎回吐くって言ってたけど、入院してから一度も吐いてないし。

ご飯も食べてるし。


まったく、頭来るけど、預けている弱みというか。。。哀しいけどしょうがないのだ。


まったくもって本当にイラつく。

で、今日、早速退院ですがな。



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手術終わった

2013年08月23日 18時46分52秒 | 母のこと
今日、母の手術が終わった。

ホッとした。

なんども書くけど、母って呆けてる。

自分がすでに10代なんだろうね。

話す内容は子供時代であろう学校のこととか先生のこととか。


で、ほとんど寝たきり。
自力で寝返りすら打てない。

が、母の受け答えは早い。
質問すれば間髪入れずにパパッと答える。

例えば、「今日は天気が良いね-」なんて言うと「そう?それはよかったわ。」なんてもう本当に普通の会話なんだけど、頭使わないような会話よ。
だけど、考えることもなくさっと受け答えをする。

で、母は愚痴や不満、悪口を一切言わない。

本当に驚くほど、人を褒める。

みんないい人ばかり。みんな優しい人。と、いつも褒めている。

体だって痛いはずなのに、愚痴や不満は一切言わない。


お礼をきちんと言えて、感謝の言葉を忘れない。

冗談もどんどん出てくる。

「●●さん!」って声をかけられると「なんじゃらほい!」なんておどけてみせる。


看護士さんが何かキレイなペンとか持ってたりすると「あらー、あなたキレイなもの持ってるわね-」なんて褒めたり。

本当に気が付かないようなことまで褒めたり。


85歳、寝たきりの呆け老人なんだけど、本当に人格的に素晴らしく感じてしまう。

私はああはなれないって思ってしまう。


だから・・・・悲しい。



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厳しい状況

2013年08月17日 11時15分05秒 | 母のこと
昨日も、特養を3軒回ってきました。
最後に行ったところは、看板も出ていなくて日が恐ろしく狭くて古くてめっちゃ怪しかった。

が、職員の人が今までになくとても親身にいろいろ相談に乗ってくれた。
その職員の人も、 30代くらいの男性で、色は真っ黒に日焼けして、茶髪であった。
いかにも、遊んでいそうな雰囲気が漂っていた。

でも、見かけで判断してはいけない。
すでに8軒目の特養の訪問だったけれども、彼が、 1番親身に色々と相談してに乗ってくれた。
初めて、いい人に出会えた気がした。

いい人というか、人の気持ちを汲んでくれる人に出会えた気がした。
今までの特養の人たちの対応は、そもそも対応すらなかったり、事務的な対応をしてくれたり、とにかく特養は待ち人が多いので気にもかけてくれなかったり。
申し込む人は、それぞれ悩みや色々な問題を抱えていくはずなのに。

空いてないんだから仕方がない。

そうなんだと思う。

なんだか、本当にいろいろ大変。
大変すぎる。

母のことを、本当にどうしようかと考えると落ち着かない。

やっぱり、かえすがえすもグループホームに心底がっかりしてしまった。
なんで急に出ていくよう言われるのか。
胃がんだと分かったのは、今年初めだったと思う。
その時に、こういう事態になるのであれば、最初からその時に申し込みを進めてくれればよかったのに。

今のグループホームに、本当に不信感でいっぱいである。
何が何でもここにさせてくれとお願いしているわけではない。
なんで急に言うのか、もっと早くにわかっていたことなのに、なんでその時点で他に移るよう勧めてくれなかったのか。

以前の入院の時に、確認しあった。
治療はしないこのままこのグループホームで最後まで見とりますという話。

裏切られたよね。
受け入れる方が強いに決まっている。
お金を払って入居する人なんていくらでもいるんだから。

めんどくさい入居者は、もっと元気な入居者に変えたほうがいいのかな。

母は、本当に何度も言うけれども、本当に家のかからない人である。
自力では動けず、人の彼女がすべて必要だけれども、性格的にものすごくいい人である。
周りにいつも感謝して、いつでも人を褒めることしかしない。

痛みをわからないので、常に痛いと叫ぶわけでもない。
動かすときに足を痛がりそれを痛いというだけである。

病気とわかっていて受け入れると言ってくれたのに、急に出て行けというのはどうなんだろう。
これが、まかり通ってしまう社会なんだろうか。

きっと、そういうことなんだろうね。
私が文句を言いたい点はただ1つだけ。
なんで、急になの。もっと早くに言ってくれれば。


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自慢の母です

2013年03月08日 09時21分43秒 | 母のこと
母は入院中。

ワタシは軽い風邪と喘息中。

娘、息子、夫・・・風邪中。


もう動きが取れない。


母は・・・もう本当に心配って言うか、母のことを思うと泣けてしまってしょうがない。


母はとにかくスゴイお金持ちの娘。

銀行・・と言っても小さい信金とからしいけど、よく分からないんだけど、銀行の理事(なんか一番えらい人だったらしいけど)の娘として育っててね。

父と結婚し、父も会社を経営していて、経済的には本当に恵まれた環境だった。

母のことをいつも「上品なおかあさまねー」って言われ続けてきた。

自慢の母だった。

料理も上手で、特に洋食が得意だった。

母のビーフシチューは大好きだった。


母はゴルフもしていて、毎週のようにゴルフに行っていた。

車も2年ごとに買い替え、現在85歳の母はベンツを乗りこなし、そりゃーカッコ良かった。


父が仕事などで忙しく、晩ご飯を母と2人ですることはしょっちゅうだった。

母とは銀座に良く行き、晩ご飯は銀座で食べることが圧倒的に多かった。

デパートは銀座の松屋と新宿の伊勢丹がお気に入りで、っていうかほとんど母とはそこしか行かなかったけど。

外商っていって、ずーっと松屋と伊勢丹の外商のお得意さんだった。


外商っていつも言ってたけど、どういうことなんだろうね。

支払は月払いで・・・なんなんだろう。

買い物は全て「外商回しで」って言うと、外商の場所で荷物が全て置いてあって、それを帰りに取りに行って帰るんだけどね。


着物や宝石やなんか高級な物は外商の担当者が家に来て、売りに来るって言うか。

松屋と伊勢丹はそういう意味でなんかすごく特別扱いを受けていて、ワタシもよく分からないけど、松屋と伊勢丹は本当に担当者はいろいろな物を持って来てくれていた。

今思うと、ホントにいい客だったんだろうね、ウチは。


で、母。

オシャレだったし、服も靴もバックもそりゃ欲しい物を買ってたんでしょう。

ホントに自慢の母だった。



呆けてしまってから、母はなんかものすごく腰の低くてメチャクチャいい人になった。

以前から悪い人じゃなかった。

お手伝いさんもいたし、父の運転手もいた、犬のトレーナーもいた。

庭の手入れも庭師もいた。


そんな環境だったんだけど、母はすごく意地悪でもないし、楽しい人であったのは間違いない。


が、今、呆けて、本当にスゴクスゴク良い人なのだ。

呆けると、人を疑ったり、怒りやすくなったり・・・って人が多い中、母は本当にすごく善人になってる。


しかも、一番の驚きは、とにかく人を笑わそうとしているのだ。

誰にでも冗談を言い、呆けていて今言ったことすら忘れいているのに、父のことももう覚えていないのに。


看護士さんやstの人にも、冗談を言い続ける。

笑わそうとしてるし、実際スゴク自分自身も笑っている。


今、足が痛いんだけど、足が痛くても、泣き言や恨み辛みなんて言葉は一切出てこない。

前向きで、明るくて、楽しげで、本当に人にも感謝したり、の言葉ばかりが出てくる。


呆けても母は自慢の母だ。


呆けて、本当の自分がで来るって言うけど、母の本当の姿はこれなんだろうか。


明るくて、楽しくて、笑うことが大好きな母。

幸せな人生だったんだろうか。


ワタシが苦労させてしまったよね。



そう思うと、本当に申し訳なくて、泣けてしまってしょうがない。



自慢の母です。
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母の検査で

2013年01月30日 18時44分51秒 | 母のこと
実は、昨日から色々あってね。

母が胃カメラの検査して、私は検査後に帰っちゃったのね。

ホームの人が2人いたし、帰って良いって言うし。


そしたらね、外科の先生がホームの人に話したらしい。


どうやら、胃カメラの結果が火なり悪いそうで・・・。

胃がんだとか。


なんかね、ショックって言うか・・・ショック大きすぎ。


一気にいろいろが変わりつつある。


母はもう自力では歩けない。

自分で立つことは出来ない。


歩行器で少しなら歩ける程度。

立たせてもらって数秒は立てる感じ。


呆けはかなり進んでいて、私の事はまだ認識しているけど・・・。


来週、火曜日にまた検査結果を聞きに行くんだけど、ホントは夫が一緒に行って欲しかったんだ。

今日、予約の変更をおねがいしたら、再来週になっちゃうとかで、それまで待てないのでやはり来週にしてもらった。



なんかね、いろいろ考えちゃう。


ホントに。


母がかわいそうでしょうがない。

それと同時に申し訳なくてしょうがない。


本当に申し訳なくって・・・。

罪悪感。

なにに。。。って分からないけど、なんか全てに罪悪感がある。


母はぼけてはいるけど元気だって思ってた。

母がいなくなると、私には姉弟もいないし、父もすでに他界しているし・・・。

一人になる感じがある。


娘や息子はいるけど。

なんか・・・すごく孤独である。



夫とは本当に家族で、別れるとかそういうのは全く考えられないぐらい家族で、本当に身内なかんじなんだけど。


なんか・・・・ホントに寂しいし。

母を思うと、辛くてしょうがない。

母は後半の人生は・・・本当に私が至らなくて・・・・もう言葉が見つからないけど、母の父の死後の人生は、やはり辛い物だったんだろうな。。。。って思ったり。


私がなんだろ、かばいきれないっていうか・・・母を完全に受け入れられなかったっていうか。


夫が出来て子供達が産まれて、母だけを見ることが出来なくなって。

母をホームに入れた。

母のお金を当てにしていた。


母に頼ってばかりで、母はイヤな思いをしてしまったんだろう。。。と思うと、ホントに辛い。

後悔と罪悪感。


今後を先生と話さないとならない。

母のことを一番に考えて選択しなくては。

間違ってはいけないのだ。

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ペットについて思う

2012年12月31日 22時10分07秒 | 母のこと
今日、お昼から娘と2人で昨日の忘れ物を取りに行ってきました。

高速乗って、遠いんだよね~~~~(^^ゞ

んで、ペットショップ、いや~~~やっぱりね、楽しい。癒される~~~。

ヨウムがいてね。

これがお喋りするのよ。

もう楽しかった~~~。


で、昨日も見たんだけど、キャバリアがいてね。

ほら、もう数年前に死んじゃったけど、2匹キャバリア飼ってたんだよね。


一匹は9歳。もう一匹は14歳生きたんだ。


もう二度と犬は飼わないって思ったのに、今のワンコを飼ってしまった。


でね、今はスタンダードプードルなんだけど、もう元気いっぱい。


キャバリアのあのおとなしさが懐かしいし、やっぱり私はキャバリアが好きだーーーーってホントに思っちゃった。

欲しいけど、飼いたいけど、もうやっぱり飼わない。


もう責任は負えない。


鳥もかわいくてキレイだし、ホントに飼いたいけど、、、、もう無理。




なんかね、昨日からいろいろ考えちゃってるんだけど。


私は小さいときから動物とかいっぱい飼ってたんだよね。

母が動物が大好きだったんだ。


犬も飼って、そして死んじゃうでしょ、でもすぐにまた犬を飼うぐらい、動物がいない生活が考えられないんだよね。

鳥も随分飼ってた。

もうホントに忘れてたんだけど、カナリア・文鳥・ジュウシマツ・インコ・・・などなどいっぱい飼ってた。

何十匹にも増えちゃって。

母は、卵を産ませて、雛をかえして育ててたんだよね。ちゃんと。


あるとき、すずめが死にそうになってて、母がそれを手当して、元気になるまで育てて上げて、元気になって放して上げてた。


そういう母のことを思い出したんだ。

ずっと忘れてたんだ。


カメも飼ったことがある。

カニもいた。

みんな、母が面倒を見てくれていた。


私には母のようには慣れない。


母は本当に動物が好きだったんだと思う。今になってやっと分かった。理解出来た。


私は母のようにはなれない。

母にはどうあがいてもなれない。

分かった。やっと。


母がいたから、動物を飼えてたんだ。


もう、なんかね、切なくて、しょうがないんだ。昨日から。


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母の誕生日

2012年12月24日 10時00分07秒 | 母のこと
昨日はね、天皇誕生日だったけど、母の誕生日でもあるのだ。

で、ホームに子供達をつれて行って来たんだけどね。

もうね、なんだろ、スゴイテンション高くてビックリ。

なんかクスリ飲んでる?


上品だった母が、なんか人を笑わそうとしてるんだよ。

なんなんだろ・・・。


母は生まれも育ちも半端なく上流家庭の人。

祖父は銀行っていうか、信用金庫(?)の一番えらい人だったし、父もかなりの実業家。

と言う家に育った我が母。

で、ぼけ始めてからはとても温和で腰の低いスッゴイいい人になったのだ。

それまでも悪い人じゃないけど、ぼけてから本当にスゴイ穏やかで誰にでもお礼を言うって本当にいい人になってた。


が、昨日はなんかね、違ってた。

今まで見たことがない母の姿だった。

なんかね、ギャグを言ったり、笑わせようとしたり、自分でもガハハ笑ったり・・・。


ちょっとね、私も子供達もひいたよ・・・・(x_x)



足腰は本当に悪くなっちゃって、自分では1人で立てないし、歩くのは歩行器で歩けるけど、スゴイ衰えたな・・・って思った。


最後の方はまた穏やかになってたけど。


お昼ご飯のあとになんかテンションでも上がるクスリをのまされてたんだろうか・・・。



ホントにビックリした。


母の良いところをいっぱい思い出す。

なんか、ホントに複雑。


ごめんね。


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GHにて

2010年07月27日 23時14分31秒 | 母のこと
今日、久々に母のグループホームに子供たちをつれてチョコット寄ってきた。

最近ボケが進んできて、夜中に部屋で排尿してしまう・・・のだそうだ。

床だったり、ゴミ箱だったり・・・。


で、ポータブルトイレを置くことになった。

それをレンタルして欲しいとの事と、床をフローリングからビニール剤の床に貼り替えたと連絡があったので、そのお金のことや、老人保健(?)の保険証だかが家に届いたので届けに行くのが目的だった。

そしたら、GH長さんが来て、色々話をした。


GH長さんの話によると、母は症状は進んでいるが本当に穏やかで優しい人だと言う。

たしかに、母はボケの症状が出てから人が良くなったっていうか、丸くなったし、優しくなったし低姿勢になったし、スゴクいい人になった。


かといって、呆けてたときは悪い人だったかというと、別にそうではなく普通のいわゆるお金持ちっぽい人だった。

お化粧を毎日キチンとして、服もブランド服などが多く、デパートに買い物にしょっちゅう行き、ベンツを乗りこなし、ゴルフに毎週お友達と行ったり。


GH長が言うには、産まれも育ちもずっと裕福に育って悩みがなかったから、今、穏やかになってるんじゃないかって。

アルツなどはドンドン若い記憶に戻っていく。

母の今の記憶は今30歳より若く、おそらく20代だと思う・・と。


ホームでも裕福な家から来た人がいるけど、飛んでもなく汚い言葉遣いをしてみたり、暴力的になったりする人がいるらしい。

若いときは親を支えるために働いて、人生後半に裕福な生活をしている人がいるらしい。

その人はやはり記憶が20代頃に戻ってるから、決して上品ではないってホーム長は言う。


ホントなんだろうか。


呆けて脳が萎縮すると、ホントに自分の本性みたいなのが出てくるんだろうか。


なんか、メッチャ怖い。


浮気されて疑ってばかりいた人は、呆け始めるととにかく疑うって言うよね。

それと同じ?


なんか、ホントに怖い。


自分はどうなるんだろう・・・。

なんか、いやだなー。


で、母はたしかにボケは進んでいた。

今日見たら、マジックらしき物で、マユを描いていた。


なんか・・・・涙が出てしまった。



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写真

2010年07月12日 17時41分29秒 | 母のこと
母のホームから連絡があり、ボケが進行していて、相談したいって手紙が来た。

・・・が、息子骨折中。

ワタシ、風邪がイマイチ抜けない。

と言うわけで、なかなか行けず・・・。


毎月ホームから請求書と共に写真が送られてくる。

毎月、それを見て涙が出てしまう。



ホントに、キレイでカッコ良かった母が白髪になり、化粧もせず、背筋も伸びてなく・・・。

なんか悲しいと言うよりも申し訳なくて泣けてしまう。

死ぬまでホームで過ごす母。


いつかワタシのことも分からなくなる母。

ごめん、ホントにごめんとしか言えない。


今あるのは母のお陰なのに。
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