疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

ヤング101 (NHKアーカイブスを見て)

2006年03月27日 01時35分34秒 | テレビ番組
今日、NHKアーカイブスを何気なく見ていたら、とてつもなく70年代の香りを漂わせた、只者でないテンションの音楽番組がやっていました。

それは「ヤング101」という番組の最終回でした。
私は寡聞にして知らなかったのですが、どうやら1970年1月~1974年3月にかけてNHKで放送されていた、40人あまりの、オーディションで選ばれた
若者達が繰り広げる、音楽番組だったようです。

と言っても、当時は多分全員無名なところから始めたらしく、とにかく
当時流行った末期ビートルズやら、キャロルキングやら「キリングミーソフトリー」やらフリーデザインらのソフトロックなどと、フォークでも
明るい、どちらかというと はっぴいえんどみたいな曲を、とにかく集団で
唄って踊りまくるという1時間番組で、かなり衝撃を受けました。

とにかくオレンジ・黄色・赤といった暖色系で幾何学的に塗られたフロアーの上で
揃いのパンタロン姿の20代の男女が踊りまくるという番組で、かなり贅沢な
番組のようでした。

70年代の濃厚な香りがする、すごい番組のようでした。

後で調べたらその番組から上条恒彦・田中聖児・太田裕実・谷川浩子などが
出たそうです。

時代時代でクリエーター達はいろいろと頑張ってるんですね。
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新日本プロレスの現状を憂う

2006年03月26日 06時20分11秒 | プロレス
新日本プロレスは1971年の創立から10年後 1981年ごろから初代タイガーマスクの
活躍、ハンセン・ホーガンと言った猪木の好敵手にも恵まれ、
さらに1990年代には闘魂三銃士の活躍によって隆盛を極めました。

しかし今、新日は存亡の危機に瀕しています。
これは一つには日本人エースの不在が響いています。
昔から新日本は人材の宝庫といわれ、「道場がある限り潰れない」という
ような言われ方をしてきましたが、よくよく考えてみると
現在の所属選手達はそれぞれ、多団体の選手に序列が付いてしまうほど
こっぴどく負けているのです。

本来のエースであるべき永田はヒョードルに対して何も出来ませんでした。
中西はK-1で、同じプロレスラー相手に殴り負けました。
天山は小島との統一戦で、脱水症状で負けるという、醜態をさらしました。
さらに売り出し中の棚橋は、力皇にたいして、何も出来ずに負けてしまいました。

そう考えると、現在のところ、中邑がかろうじて残っているのです。
本当は柴田がいれば…と思いますね。
棚橋は所詮HGのライバルなんですよ。本当は柴田と中邑の
2強であと15年は引っ張る筈だったのですが・・・。

その意味で中邑を今の時期に海外修行を出したのは正解だし、最後の
賭けに出たと言えますね。
帰ってきてから、永田と名勝負数え歌をするべきです。

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WBC 日本代表の余韻

2006年03月24日 08時17分04秒 | 社会
なんだかWBCの日本代表のユニフォームが売れてるらしいですね。
こんなものも出てました。


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WBC 日本優勝!!

2006年03月23日 00時09分49秒 | 社会
何日か遅れてしまいましたが、

WBC 日本優勝! おめでとう!1

やはり「世界の王」を擁して優勝しないわけに行かないでしょう?

松井にも出て欲しかったなぁ。

赤星・今岡にも出て欲しかったなぁ。

やっぱり野球って面白いですよ!!

しかし、韓国は悔しいでしょうネェ。
でもしょうがないじゃない!そういうルールなんだから・・。
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薬師丸ひろ子

2006年03月17日 00時28分37秒 | 歌謡曲
今日、NHKを見ていたら薬師丸ひろ子が、歌番組に出ていました!!
やはり薬師丸ひろ子は我々の時代の大スターですよね。

1982年 私が小学校を卒業するときにはやっていたのが「セーラー服と機関銃」でしたし、「Wの悲劇」が流行ったのは1984年でしたね。

当時、彼女の曲を書いていた作家も 来生たかお・松本隆・呉田軽穂(ユーミン)
など素晴らしい人々でした。

この彼女のファーストアルバム「古今集」はその中でもダントツの出来です。
一曲目の「元気を出して」からして、竹内まりあの超名曲です。
多分彼女が人に書いた曲の中では最高の一つです。





古今集+4
薬師丸ひろ子
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WBC日本敗退

2006年03月17日 00時11分34秒 | 社会
いやぁ、これはないでしょう・・・。

準決勝に進めなかったということよりも、
アジア地区で韓国に2連敗ということは、
ここで序列が付いてしまったということじゃないですか!

アジアで一番野球が強いのが韓国
次が日本ですよ。

サッカーでようやく韓国に勝てるようになったと思ったら
このざまでしょ?

野球で負けちゃいけません。

日本は40年以上韓国より野球の導入が早いし、
野球人口だって10倍ぐらいいるんですよ。

それなのに・・・。

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亀田興毅選手の試合

2006年03月08日 22時36分28秒 | プロレス
今日、TBSで行われた亀田選手とメキシコのボウチャン選手の試合を
見てました。

冷静に振り返ると、確かに話題の選手だけあって、見た目とは違ってガードも
しっかりしているし、いい選手だと思いました。

しかし、防御はしっかりしているのですが、チョコチョコバッティングしたり、
足踏んだり、ローブローを織り交ぜたりと、相当ダーティーファイターでも
ありますね。

今ネット上では6R 2分1秒のところで明らかなローブローがあったと
いう画像が流れていて、確かにそれを見るとしっかり相手の股間に
赤いグローブが入り込んでいて、ヒロ斉藤の反則攻撃みたいになってます。

正直、そこでローブローがはいって、苦しんでいるところに最後の一撃が入ったように見えましたし、実際ボディーにダメージを受けたにしちゃ、ぴょんぴょんはねていましたから、ローブローが決定打だったことは間違いないでしょう。

亀田選手自体は、相手が倒れるまで、またレフリーに止められない以上バシバシ
撃つのが当たり前ですから、良いんですけど、良くも悪くも注目されていて、
しかも全く敬語を使わない。傍若無人な態度は決して万人に愛されているとは
言えない以上、この試合のようにレフリー・ジャッジみんな日本人で固めてしまうという興業でこういう終わり方をすると、余計に叩かれますよね。
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快楽亭ブラックについて

2006年03月08日 19時44分28秒 | 演芸
先日紀伊国屋書店2Fの帝都無線で 快楽亭ブラック師の落語CDを買いました。

これがひどいタイトルなの・・・。
『文七元結』のパロディー『文七ぶっとい』
(文七の奉公先が四つ目屋・つまり大人の玩具屋という設定)
『一杯のかけそば』のパロディー『一発の○○○○』
(こう書くのも下品で嫌ですが・・)

しかし、聞いてみての率直な感想は、「快楽亭ブラックって落語うまいのね」
でした。
まあ談志門下のベテラン捕まえて「落語うまい」はないですが、
快楽亭ブラックといえば、最下層のエログロ・ナンセンス・下ネタを放つ
最低の落語家、日本でもっとも放送できない芸人として知られているイメージが
強いので、どんなにハチャメチャなんだろうと思ってました。

そしたら本当に、風景描写も、人物の造形も非常に巧みで、途中まではひきこまれ
ました。途中までは・・・。
途中から下・下また下のオンパレードでしたからね・・。

でも、確かに品は無いんですが、思ったほど不快じゃないんです。

これは思うに、古典落語でも吉原の廓話は多いわけで、現代風に置き換えたときに、それが札幌すすきののソープランドの話になったり、渋谷のスカトロSMの話になったりしても、『人情』『男女の機微』があれば、落語として聞けちゃうわけですよ。
さらに圧倒的なリアリティーもあるわけです。師は全部本当に体験してますからね。
そう考えると、落語のアプローチとして、下半身から現代化していくのは、
意外とありかも?と思いました。

ちなみにこのCD,アマゾンのリンクを張ろうと思ったのですが、取り扱って無かったです。
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イナバウアーする亀

2006年03月08日 16時54分09秒 | 社会
イナバウアーをする亀の記事が載ってました。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20060307/20060307-00000031-ann-soci.html

バカですネェ・・・・。

今年の流行語大賞は イナ・バウアーですかね?
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久世光彦 通夜

2006年03月07日 02時55分37秒 | 管理人の身辺雑記
昨日 護国寺にて久世光彦の通夜が営まれました。
しかし、通夜は相当盛大なものでした。とにかくTBSからは社長以下みんな来て、プロデューサー級の方々がお手伝いにもいるは、弔問客では会長から
社長からみんな来てるは、ほかにもバス2台で乗り込んでくるわで、大変でした。
他に各出版社は来るわ、芸能人は来るわ、それも森繁さん・希林さん・宮沢りえさん・裕也さんから、岸本佳代子さんだ、香西かおりさんだ、なんだかんだがウワっと一気に
車で押しかけるもので、大変で、ともさかりえさんとかが普通に地下鉄で帰ってしまったのも、お構いする余裕もありませんでした。獅堂さんご夫妻やら、滝田栄さんやらもう、なんだか戦場みたいなお通夜で、
悲しむ間もありませんでした。

しかし、それに先だって、ご自宅でお顔を拝見しました。
それまで、久世さんはとにかくおっかない人で、怒鳴るわ、嫌味は言うは、
とにかく部下にとってはとっつきにくい人で、とても人格者とはいえない
上司でした。そんな、まともに見たこともない方のお顔を上からまじまじと
見るという体験の不思議さと、「ああ、こうして覗き込んでも怒られないって
ことは本当に亡くなったんだなぁ」という思いで、胸がいっぱいになりました。

書斎もはじめて拝見しました。結構整理整頓される方だったのですが、
書斎は古今東西の本が、ワイン倉のように、一番奥の机に向かってドーム上に
積み重なっていて、久世さんの創作の子宮のように見えました。

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久世光彦について その1

2006年03月03日 05時56分14秒 | 映画・ドラマ
昨日、3月2日 朝 「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など数々の名作ドラマを
演出したテレビ演出家 久世光彦(てるひこ)氏が亡くなられました。

匿名のブログであえて書きますが、私は久世光彦の弟子でした。

久世は、「ムー一族」を撮った後、TBSを出て自分の制作会社を1979年に設立し、そこで数々の弟子を採ってきました。
その制作会社はまさに師匠と弟子という関係にふさわしく、自分の目にかなった
社員を集めて、その社員の中だけで全ての制作を行うというところで、
「久世の目の届く者だけを育てる」という意味において、まさに内弟子制度でした。

そしてそこから何人もの演出家が生まれました。
例えば主だったところでは
「深夜特急」ドラマ版の小野鉄次郎
「リング」テレビ版ドラマや映画「福耳」の瀧川治水
「アタックNO1」「天の瞳」の猪原達三
「女系家族」「ガチバカ」の竹村謙太郎
  
などなど、
他にもドキュメンタリー・バラエティーへも数々の人材を輩出しています

しかし皮肉なもので、久世が親として育てる以上、子は必ず親離れをする時期が
来るのです。そして多くの弟子達は、彼の元を去った後に大きく花開くことが
多かったのも事実です。

他の方とは色々な軋轢もあったのでしょうが、私などは末席の弟子だったせいか、
よく、木下恵介監督の下での AP 大山勝美 チーフ助監督 鴨下信一 
セカンド 実相寺昭雄 サード 久世光彦という組の大混乱振りなどを
楽しく伺ったものでした。

師について、一度で書きあらわすことはとても出来ないです。
今後何度かに渡って、書いていきたいと思っています。

まずは御冥福をお祈りします。
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報道ステーション について

2006年03月02日 07時12分10秒 | テレビ番組
いつも報道ステーションを見ていて思うのですが、
古館さんの隣に座っている白髪の、朝日新聞の男性のコメントが、

古館さんの言葉のオウム返しに聞こえるのは私だけでしょうか?

いつ聞いても、彼は全く古館さんの振りに付け加えることなく、
ただ「今見たVTRの内容をオウム返し」するだけなのですが・・・。

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DDTプロレスについて

2006年03月01日 06時31分00秒 | プロレス
DDTプロレスって御存知ですか?

1996年に高木三四郎・NOSAWA・MIKAMIという、今でこそある程度顔が知れてますが、当時は底辺中の底辺のプロレスラー3人が、立ち上げたインディープロレスです。

ここはその後徹底したエンターテインメントプロレス
(面白いあおりの映像と、ネタ満載のプロレス)とハードヒット路線の両建てで
どんどんのし上がり、いまや業界でも第6位辺りにつける準大手にのし上がりました。

私はケーブルテレビで2000年辺りから見初め、渋谷ATOMで毎週木曜に定期興業を
していたときから見ています。

このエースプロレスラーにして、社長の高木三四郎(36)という男は非常に
アイデアマンで、
①200人ほどのライブハウスで、小さめのリングで興行する
②ケーブルテレビなどに売り込みをかける。さらにその番組自体を自社製作する
③そのためにレスラーとともに、映像班を充実させる
④試合の直後に車座集会を開いて、すぐファンの声を吸い上げる
⑤夏場にビアホールと提携して、毎日プロレスをすることで知名度をあげ・新規ファンを開拓しつつ、若手レスラーの道場代わりにひと夏リングを使う。
さらにそこで出す店も自分達で開拓して、安く仕入れて利益を上げる

などなど、成長するベンチャーとして非常にいいビジネスケースだと思います。

実際いっぺん見るとはまります。
昭和の新日本プロレスファンだった私もすっかり転向しました。
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