おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

09年桜(14) 黄桜と八重桜

2009年05月07日 | 09年桜
季節は五月の連休も過ぎています。5日には立夏にもなりました。
だからもう桜でもないのですが、これまで撮影しているものを少し出します。
八重桜も品種名があるのでしょうが、そこまでは分りません。
黄桜と八重桜は4月16日から18日までに撮影。
花の落ちた直後のソメイヨシノは4月11日の撮影です。
かくして今年の桜も終りです。また来年ですね。

「浮遊する」

01 立ち枯れていそうな冬のはだか木の寂寥虚空に満ち充ちてある

02 氷雨打つ裸の幹に手を添える花のいとなみ指に感じて

03 虫も出る陽もさんざめくこんな日は花の知らせを待ちこがれけむ

04 桜咲く便りを受けば血が騒ぐたかが花にと自嘲しつつも

05 かねて見し花を偲びて暮らしおり待たれる花に心浮かれて

06 爛漫の春に心を預けおり酔いのまにまにおちこちの花

07 ひらひらと梢離れて舞いおれり吉野の奥のひとひらの魂

08 ひとひらに終わりつつある命の火父よあなたを思いては見む

09 我がせなに父を背負いて歩き来て共に見たしや吉野の花を

10 浮遊するただ浮遊する人と花わずかの刻を空を埋めて

















09年桜(13) 吉野山

2009年04月23日 | 09年桜
4月19日(日)に吉野山に行ってきました。
昨年も吉野山に行ったのですが、人が多くて金峯神社行きのバス待ちの時間がかかり、
しかも天気の具合が良くなかったので、奥の千本までは行きませんでした。

今年は人も少なくてバス待ちの時間はそれほどではなかったので、
西行庵前まで行くことができました。
西行庵前ではこれまでになく人が多かったのですが、桜は残念ながら
盛りを過ぎていました。


吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき

待たれつる吉野のさくらさきにけり心を散らす春の山風

吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ

          (歌は全て西行の山家集から)


画像は上二枚は金峯神社、次の二枚は西行庵近くの桜、五枚目は水分神社にて、
六枚目は帰り道の八重桜、最後は西行庵です。
















09年桜(9)桃源郷(01)

2009年04月20日 | 09年桜
実際には「桜源郷」という言葉はないけれども、(桃源郷)よりは
(桜源郷)という言葉を使いたい思いです。
ともかくすばらしいものです。言葉を失ってしまいます。
ここに来たのは二回目か三回目ですが、今年の桜は眼を見張らせるものでした。
一本だけの名桜ということでなくして、名所ということであるなら、ここが一番では
ないかと思います。群を抜いているでしょう。















09年桜(7) 仁和寺(1)

2009年04月16日 | 09年桜
仁和寺は花園、双が丘の北に位置し、大内山の南麓にあります。阿弥陀三尊を
本尊とする真言宗御室派の総本山で、御室御所や仁和寺門跡とも呼ばれます。
第58代光孝天皇の御願寺として886年に起工され、887年に完成しました。
始めての門跡寺院として知られています。
御室という地名は、仁和寺一世の宇多法皇が仁和寺の内に御座所(室)を建てた事から
御室御所と呼ばれ、その後、付近は御室という地名になりました。904年のことです。

以来、仁和寺は代々、皇族が住持してきました。鳥羽天皇と待賢門院の五男である
覚性法親王は7歳の時に仁和寺に入り、1153年に第五世として住持しています。
1156年に保元の乱が起こり、敗れた崇徳上皇は弟の覚性法親王のいる仁和寺に
入りました。その時に西行は仁和寺に駈けつけています。

この頃の仁和寺の寺地は広く、二里四方の寺地に100ほどの子院があったと伝えられて
います。菩提院はもちろん、法金剛院や遍照寺も仁和寺の子院でした。
1119年と1153年に火災により大きな打撃を受けています。応仁の乱では山名氏に
よって、ほぼ焼き尽くされてしまいした。
本格的な復興は、徳川家光の援助により1646年に成されました。ニ王門(仁和寺の場合は
「仁王門」と表記しません)や五重の塔はこの時のものです。
1887年(明治20年)にも大火。1913年(大正2年)に、現在の仁和寺となりました。
仁和寺には有名な御室桜があります。お多福桜とも呼ばれています。

初めの画像は鳥羽天皇中宮の待賢門院花園陵。彼女のお寺である
法金剛院の北側にあります。
二枚目は二王門からみた境内。三枚目は勅使門。
五枚目の黄緑色の桜は「御衣黄桜」と呼ばれています。





















09年桜(6)円山公園

2009年04月11日 | 09年桜
今回は円山公園の桜です。円山公園は八坂神社の東に広がる公園です。
明治になって、各お寺の敷地を削って作られました。
古い時代は「真葛が原」と呼ばれていました。

ここには京都の桜を代表する名桜があります。初めの画象の桜です。しかし老樹に
なってしまって痛々しい限りです。
お金になるならということで、無節操にライトを当てたり、かがり火を焚いたりするのは
とても良くないと思います。排気ガスの影響もあるのでしょう。
まあ、この地は昔から、かがり火を焚いて桜を鑑賞していたという伝統があります。
それはいいのですが、植物を本当に大切にするという視点がすっぽりと抜け落ちている、
それは現在においてもいえることです。
円山公園も17時以降は閉園にすると良いとさえ思います。